「祝う気半々」「復帰あってこそ」 県民の思いさまざま―沖縄復帰50年

2022.05.15
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by 時事通信


沖縄復帰50周年記念式典の会場周辺で県民が掲げたプラカード=15日午後、沖縄県宜野湾市

沖縄復帰50周年記念式典の会場周辺で県民が掲げたプラカード=15日午後、沖縄県宜野湾市

  • 「沖縄復帰50周年」と書かれた垂れ幕=15日午前、那覇市

 沖縄県では、宜野湾市で東京と同時に記念式典が行われた。出席した元公務員の男性(78)は「パスポートが不要になって本当に助かった」と復帰当時の思い出を語る。ただ「(復帰後は)観光立県と言いながら、どんどん海が埋め立てられ、復帰を祝う気持ちは半々だ」と話した。
 石垣市から式典に駆け付けた元県議の女性(78)は「いろいろ問題はあったが、沖縄がここまで発展したのは復帰があったからこそ」と振り返った。
 会場周辺には数十人の市民らが集まり、「基地はいらない」「沖縄を戦場にするな」などと抗議の声を上げた。西原町の男性(73)は「復帰後には米軍基地がなくなると期待したが、そうはならなかった」と強調。「沖縄の人の生活は脅かされている。岸田文雄首相はこの状況を知ってほしい」と訴えた。
 那覇市内でも多くの声が聞かれた。中心部の農連市場近くで総菜店を営む女性(63)は、50年前について「貧しくて一家で不安を感じた日々。良い思い出ではない」と話す。深夜までにぎわった市場の面影は既になく、「経済発展と言うが、商売は観光客相手に変わり、良い話ばかりではなかった」。
 同市に住む女性(69)は「復帰後、急に本土と比較されるようになった」と複雑な思いを口にした。子どもの体力や運動能力など、沖縄県が「全国最低」「最下位」と伝えられることは多く「そんなことまで比較されないといけないの」とコンプレックスに感じたこともあったという。「何でも『本土並み』であることが良かったのかどうか」。今はそんな思いも頭をよぎる。
 市内で民謡居酒屋を営業する男性(49)は「近くにバーがあり、米兵が玄関を壊したりパーキングメーターを倒したりするため、(沖縄は)いつまでもアメリカの占領地だと感じる時がある」。ただ「今は人種の垣根を越えて生きていく時代だから、共存していけたら」と、沖縄の未来を前向きに語った。(2022/05/15-20:34)

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