中国残留孤児、苦難の歴史 2500人帰国も日本語壁に―日中国交正常化50年

2022.09.25
0
by 時事通信


中国残留孤児で、2000年に永住帰国した「中国帰国者・日中友好の会」副理事長の河村忠志さん=12日、東京都台東区

中国残留孤児で、2000年に永住帰国した「中国帰国者・日中友好の会」副理事長の河村忠志さん=12日、東京都台東区

 戦前に旧満州(中国東北部)に渡り、旧ソ連参戦と終戦の混乱の中で父母と死別したり、中国人に育てられたりして現地に取り残された中国残留孤児。1972年の日中国交正常化を経て、81年から肉親を捜す集団訪日調査が始まった。これまで約2500人が永住帰国した一方、日本語が壁となって仕事が見つからず、苦しい生活を強いられてきた。
 厚生労働省は終戦時に13歳未満で、両親が日本人の人を残留孤児と認定。中国人の妻となり現地にとどまった女性らは「残留婦人等」とし、これらの人々を「中国残留邦人」と総称している。
 中国東北部からの集団引き揚げは46年に始まり、中国国内の内戦に伴う中断を経て、58年まで断続的に実施。その後、日本赤十字社を通じた個別の引き揚げが行われた。
 81年からは、それまでの調査で身元が確認できない孤児を一定期間日本に招く訪日調査が開始。今年8月末現在の残留孤児総数は2818人で、うち1284人の身元が判明した。永住帰国した孤児は2557人に上る。公開調査で孤児と認定された人は、2012年が最後となっている。
 政府は帰国者に対し、日本語学習や就職相談など定着支援を実施しているが、言葉が生活の壁となるケースも多い。「中国帰国者・日中友好の会」(東京都台東区)副理事長の河村忠志さん(77)は86年の訪日調査を経て、00年に家族の要望で永住帰国。日本語はほとんどしゃべれず、「55歳まで中国で育った。血統上は日本人だが、何人と言われると私にも分からない」と中国語で話す。中国の大学で工学を学び役所で働いていたが、日本では知識と経験を生かせなかったという。
 00年代には、早期帰国や自立支援の義務を怠ったとして、国の責任を問う動きが拡大。全国15地裁で提訴された損害賠償訴訟には、帰国した孤児の9割が原告に名を連ねた。07年に孤児の支援を強化する改正残留邦人支援法が成立し、原告側が訴えを取り下げ訴訟は終結。政府は基礎年金の満額支給と、生活保護に替わる生活支援給付金を創設した。
 一方、孤児に先立たれた配偶者への支援が不十分との声を受け、13年には月額約4万4000円の「配偶者支援金」を支給する新たな改正法が成立。16年からは、孤児の歴史と体験を伝える語り部育成事業なども始まり、2世や戦後世代が戦争の記憶を継承している。(2022/09/25-07:18)

print

人気のオススメ記事