石原信雄氏死去 7内閣で官房副長官、96歳

2023.02.01
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by 時事通信




 竹下内閣から村山内閣まで七つの内閣で約7年3カ月にわたって事務方トップの官房副長官を務めた石原信雄(いしはら・のぶお)氏が1月29日午後5時、多臓器不全のため死去した。96歳だった。群馬県出身。葬儀は近親者のみで行う。
 東大法学部卒業後、1952年地方自治庁(現総務省)入り。旧自治省で事務次官を務めた後、87年11月発足の竹下内閣から宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山と七つの内閣で事務担当の内閣官房副長官を務め、非自民の細川連立政権誕生など政界激動期の各政権の運営を官僚のトップとして支えた。
 89年の昭和天皇崩御の際には元号切り替えに携わり、大喪の礼を取り仕切った。95年1月に起きた阪神大震災への対応では各省庁の調整に当たり、被災者支援策に道筋を付けた。同年2月に退官後、4月の東京都知事選に立候補したが、故青島幸男氏に敗れた。
 事務の官房副長官として支えた内閣の数は歴代最多。在職期間は、安倍、菅内閣を支えた杉田和博氏の約8年9カ月、村山、橋本、小渕、森、小泉5内閣を支えた故古川貞二郎氏の約8年7カ月に次いで歴代3位。
 2000年に勲一等旭日大綬章受章。著書に「官かくあるべし―7人の首相に仕えて」など。政府の東日本大震災復興構想会議(11年)や、天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議(16~17年)などに専門家として招かれ、意見を述べる機会も多かった。地方自治研究機構会長なども務めた。(2023/02/01-17:10)

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