山崎行太郎
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山崎行太郎の毒蛇通信

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山崎行太郎の毒蛇通信

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「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認められ、文壇や論壇へ進出。「小泉・竹中構造改革」批判や「沖縄集団自決裁判」批判で、曽野綾子や櫻井よしこ、小林よしのり、及び保守論壇の守旧派を徹底批判。最近は、「保守論壇の劣化」批判から「小保方晴子=STAP細胞事件」論・・・等、文壇・論壇の沈滞と劣化を批判し続けている。というわけで、「哲学者=山崎行太郎のすべて」がわかるメルマガ「哲学者=山崎行太郎の政治哲学概論」を読もう!!!

おすすめポイント
  • 「薄っぺら」で、「底の浅い」評論を排す!
  • 全員一致のファシズム的言説を排す!
  • 哲学や文学に基づく深くて「根源的」な言論を!
著者プロフィール

山崎行太郎

文藝評論家or哲学者。 慶大大学院(哲学専攻)修了。東京工業大学、埼玉大学を経て、日大芸術学部講師。著書・論文→『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『最高裁の罠』『曽野綾子大批判』『保守論壇の「沖縄集団自決裁判」騒動に異議あり!』。『月刊日本』に『マルクスとエンゲルス』連載中。

文学や哲学を知らずして政治や経済を語るなかれ。・・・我国の論壇やジャーナリズムには、読み捨てにされるような「薄っぺらで、底の浅い評論や評論家」が多すぎる。文壇や論壇に蔓延するのは・何処を向いても受け売りとパクリ的言論ばかりです。自分の頭で考えようとしないからだ。文壇や論壇の思想的劣化と退廃を、妨害や弾圧に屈することなく、厳しく批判・探求していきます。

サンプル号




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メルマガ『毒蛇山荘日記(11/7)』
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■メルマガ『山崎行太郎の毒蛇山荘日記(11/7)』を送信します。

■私は、まだ、「 LGBT騒動 」と「『新潮45』廃刊事件」を、追及しています。とうぶん、続けます。「しつこい」と思われるかもしれませんが、私は、この問題を思想問題として重視しています。決して、「しつこい」わけではなく、重大問題だから、徹底的に追及していこうと思っているのです。

■私は、これまで、最近の保守を「エセ保守」と見て、批判してきました。しかし、今度は、左翼を「エセ左翼」と見て批判しています。私は、エセ保守エセ左翼を共に批判しているのです。「エセ保守かエセ左翼か」の二者択一ではなく、ホンモンの保守とホンモンの左翼の台頭を期待しています。ホンモノ同士の真剣勝負を。それが、日本復活に繋がると思います。「『新潮45』廃刊事件」は、その契機になると、私は考えています。

■シリア内戦の取材の過程で、反政府系のテロ組織に誘拐され、身代金を要求されていた戦場ジャーナリスト安田某氏が、解放されて無事帰国しましたが、歓迎ムードの一方で、「自己責任論」という名の激しいバッシングが起きているようです。賛否両論があると思いますが、私は、そういう「自己責任論」的批判が起きるのは当然だと思います。
「善意」や「善行」の裏に自己欺瞞が付き纏います。民主主義の先進国である欧米では、そういう批判やバッシングは起きないとか、「日本が村社会だからだ」とか、テレビのコメンテーターが訳知り顔で言っていましたが、私は、そうは思いません。日本人は、倫理や道徳には、鋭敏であり、厳しいのです。3億円が身代金として払われたのではないか、と言われていますが、そうだと思います。日本政府は払っていないと言っていますが、どうでしょうか。


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『毒蛇山荘日記』について。
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■私が、ここに書いている日記の断片は、他人にどう読まれているか知らないが、私自身にとっては、かなり重要な意味を持っている。
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Twitterに「 クダラナイ」という書き込みがあった。「 クダラナイのはお前が馬鹿だから。馬鹿は読むな。消えろ!」とリプライしておいたが。

申し訳ないが、私は、他人や読者のために文章を書いていない。私は、私のために書いている。私のネット日記は、自分で言うのもなんだが、既に膨大な量になっている。私は、ライフワークとして書いている。

『毒蛇山荘日記 』という形で、いつでも出版出来る状態にある。『毒蛇山荘日記 』は、私の数少ない著作の内の『 代表作』(笑)になるはずだ。もちろん、私が、出版出来ないままに死んでも、誰かが出版してくれるはずだ。

あるいは、永遠に出版出来なかったとしても、構わない。ネット空間には、半永久的にも残るはずだから。出版されたから本になるのではない。平安時代に出版社は存在しなかった。しかし、『 源氏物語』も『枕草子 』も残っている。私がネットに文章を書き始めたのは、パソコンが大衆化し、Windows95が登場した頃である。

私は、それまで、文章を書いて 、文章で生きていこうと思っていたが、まだパソコンを持っていなかった。ワープロ全盛の時代だった。その頃、大学から、来年の授業予定を、パソコンメールで送ってくれと言われて、大慌てしたことがある。

その頃から、しきりに、「ブログ」や「2ちゃんねる」 、「Twitter」などの文章を、「便所の落書き 」に過ぎないという人たちがいた。雑誌や新聞などからの注文原稿を書いている専門家たちだった。いわゆる作家や評論家あるいは業界人たち、つまりプロの文筆家たちである。高橋源一郎等のように、今でも、そういう人はいる。小川榮太郎の文章は、文章という商品ではない、「公衆便所の落描き」だというわけだ。

文章=商品と公衆便所の落書きとの差異は 、何処にあるのか。実は、私が断定するが、何処にもない。しかし、未だに、商業誌に掲載された文章は「宝石」だが、ネットに書かれた文章は「 公衆便所の落書き」だと、思っているらしい人は少なくない。むろん、私は、そうは考えなかった。「便所の落書き ? 」、そうかもしれないが、私のような、人付き合いの悪い、無精な、無計画な人間には、最も適した文章表現方法だった。汚い文字はワープロで克服出来たが、出版社や新聞、雑誌等との営業や交渉は 、ワープロでは出来なかった。

私には、それらは、かなり億劫な、面倒臭い仕事だった。私は、保守派を自認しながら、吉本隆明を愛読し、彼の「 自立メディア論」を信奉していたから、自分なりに、その自立メディアの方向を探っていた時、パソコンとネットという新世界に出会った。ユーレカ( 我発見セリ)。人間関係もカネも労働力も不要。私は、これで行こうと決断した。

そして、現在まで、その道を突き進んで来た。出版社や編集者の顔色をうかがうような生活から訣別出来たことに満足した記憶がある。以後、私は、『 枕草子』を書いた清少納言や、『徒然草 』を書いた吉田兼好と同じように、あるいは同人誌『 試行』に、代表作『言語にとって美とはなにか 』を延々と連載し続けた吉本隆明のように、自由気侭に、書きたいこと、言いたいことを、誰に気兼ねすることなく、書いているつもりだ。


逆に、売れっ子の作家や評論家たちは、私から見れば、出版社や新聞社の奴隷になって、不自由な言論空間に閉じ込められている「哀れな人種」にしか見えない。

彼等が 、読者の信頼を失うのは当然である。ちなみに、私の、多くの才能ある友人や同業者たちは、表舞台から排除され、消えていった。私は、高橋源一郎が言うところの「 公衆便所の落書き」のようなブログ『 毒蛇山荘日記』を、ネット空間に書き続けることによって、生き残った。「『新潮45』廃刊事件」の馬鹿騒ぎを、そういう私の眼から見ていると、真相=深層が良く見える。私の書く文章に意味があろうとあるまいと、他人や読者が何と言おうと、私は、私のために書き続けるのである。こんなに楽しいことはない。


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「 LGBT騒動 」と「『新潮45』廃刊事件」
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■(続25)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。「 LGBT騒動 」で、あれほど自信満々に、「新潮45」に掲載されていた杉田水脈論文や小川榮太郎論文を 批判=罵倒していた面々が、小川榮太郎が『 月刊HANADA』で反論と反撃を始めると、ひたすら無反応、沈黙、無視。今後応する可能性は薄い。
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都合が悪くなると沈黙するに限るというわけか。だから、お前等、三流芸能人コメンテーターはダメなんだよ。いや間違った。文壇=論壇の三流文化人は・・・、だった。特に、Twitterで、「 公衆便所の落書き」という名言で小川榮太郎論文を切り捨て、さらに「新潮」11月号で、「 小川榮太郎よ、お前は文芸評論家じゃないよ」とでも言うかのように、文壇的権威を振りかざし、高圧的な批判=揶揄をくりかえした作家の高橋源一郎センセイだが、その後、沈黙している。

Twitterの更新なし。私の理解では、高橋源一郎がTwitterで、「公衆便所の落書き だ」「読まなきゃよかった 」と、公然とつぶやいた時点が、この「 LGBT騒動 」と「『新潮45』廃刊事件」の始まりだった。高橋源一郎くん、おかしいではないか。

腑に落ちない。むろん、高橋源一郎だけではない。矢野優「新潮」編集長も内田樹も、この問題で売り出し中の三文ライター武田砂鉄( 屑鉄? )も、ほぼ全員、沈黙。武田砂鉄だけがTwitterで、『 月刊HANADA』を読んだらしく「案の定 」と、ただ一言で沈黙。「案の定」、どーなんだよ。

これじゃ、「 お前のカーチャン出べそ。次に会ったらブン殴ってやるからな!覚悟してろよ! 」と、泣きながら逃げてゆくヘタレ小僧と同じ。その後、武田砂鉄は、「片山さつきスキャンダル」を追っ掛け中のようだ。いずれにしろ、小川榮太郎が、あらゆる方法を使って、即座に反撃(反論)を開始し、戦闘モードに突入したのと対照的。この「 LGBT騒動 」と「『新潮45』廃刊事件」に関する論争は、小川榮太郎の「一人勝ち」ではないのか。

ドサクサにまぎれて、「反論の価値なし 」とかなんとか言い出し、逃げるかもしれないから、ここで、あらかじめ、言っておく。それじゃ、もっとミジメじゃないのか。それとも、ひたすら沈黙して、嵐の過ぎ去るのを待つつもりか。だが、世間の愚衆(笑)どもが忘れても、私は、忘れない。私は、暇人だから、さらに追及していく。時間はタップリある。

私見によれば、この問題にはその価値がある。「 LGBT騒動 」はさほど興味はないが、「『新潮45』廃刊事件」には大いに興味も関心もある。ただし、私は、シロートは相手にしない。シロートは、すぐ名誉毀損だの人権侵害だのと喚き出し、最後は、刑事告訴だの裁判だの騒ぎ出すから。面倒だ。

私は、高橋源一郎や内田樹、矢野優「新潮」編集長、そして、最近、論戦に参加して、小川榮太郎批判を、朝日新聞の「 論壇時評 」に書いた中島岳志・・・等を中心に追及していく。証拠や文献が、有り余るほど残されているからだ。今更、「沈黙」も「逃げ」も「 隠れ」も無駄だよ。


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■(続26)「新潮45」を廃刊に追い込んだ「 LGBT騒動 」について。「『新潮45』廃刊事件」をめぐって、エセ左翼リベラル派からボロクソに批判=罵倒され、人格まで否定=愚弄された小川榮太郎と『 月刊HANADA』編長の花田某が、「新潮社」社長と「新潮」編集長の矢野優に、対談( 鼎談 )を申し込み、論争と対決試合の場を提供すると提案したようだ。
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むろん、バトルを期待はしているが、誌上論争も誌上対決も、実現しないだろう。彼等は、逃げるだろう。エセ左翼リベラルは逃げ足だけは早いからな(笑)。

ところで、私は、一貫して、左右激突となるだろう「大論争」への発展を期待しており、この「大論争」の結果はどうであれ、エセ左翼やエセ右翼、エセ保守が淘汰され、それが、日本の論壇や文壇、ジャーナリズム、アカデミズムの活性化、復権、復活へと繋がっていくだろうと思っているが、論争や抗議を仕掛けた側は、つまり高橋源一郎等を筆頭とするエセ左翼文化人連中は、恥も外聞もなく、ただ「逃げる勝ち」ということで、現実には大論争も小論争も、何も起こらないような気がする。

いっぽうでは、後出しジャンケンが得意なエセ左翼文化人の参戦が目立っている。たとえば中島岳志、山口二郎・・・。中島岳志は東京新聞の論壇時評で一連の問題を取り上げ、その中でも、これなら安全と思ったのか、小川榮太郎だけを槍玉にあげ、厳しく批判している。

ーーー以下引用ーーー

武田砂鉄は『文学界』11月号に掲載した「時事殺し 第三十三回『きちんとした文章』で」の中で、小川の文章は無理解への傲慢(ごうまん)な開き直りに依拠しており、まったく「論」になっていないと突き放した。そして、「人間の痛みを知らない人、知ろうともしない人、どこかで痛む人が生じるかもしれないと想像できない人は、公の場で文章を書くべきではない」と論じた。
 その通りである。小川の文章はLGBTへの差別以外の何物でもない。(中島岳志『東京新聞論壇時評 』 )

ーーー引用終了ーーー

中島岳志は、「 LGBT騒動 」や「 LGBT差別問題」には興味があるようだが、言論弾圧問題には興味がなさそうで、その方の問題は、まったく無視、黙殺している。右からの言論弾圧事件には敏感に反応し大騒ぎするエセ左翼文化人だが、左からの言論弾圧事件は見えないらしく、完全にスルー。

これでは、ますます小川榮太郎の「一人勝ち 」 になるだろう。山口二郎も同じ。東京新聞のコラムで、他人の受売りでしかないことを、最もらしく言っているが、論争を引き受ける覚悟はあるのか。逃げるに決まっている。彼等、エセ左翼文化人等は、集団では威勢がいいが、個人になると、「物も言えないヒヨコ」に成り下がる。私は、昔から( 学生時代から? )、この手のエセ左翼文化人が大嫌いであった。

その結果、私は、小林秀雄や三島由紀夫、江藤淳のような「保守反動派 」の文学者=思想家たちを信奉し、私自身も、物書きになって、その先輩達に続きたいと思ってきた。むろん、私は、エセ左翼もエセ保守も嫌いだが、ホンモノの左翼は嫌いではない。吉本隆明も廣松渉も、あるいは埴谷雄高も柄谷行人も、私が 、小林秀雄や江藤淳を読むように、今でも愛読し、熟読する思想家たちである。

だから、私は、今、エセ左翼を批判すると同時に、エセ保守もエセ右翼も批判しているのだ。私が、今でも、最も尊敬し、畏怖しているのは、吉本隆明や埴谷雄高の「思想家=文学者としての生き方 」と「 身の処し方」である。私などは、遠く及ばないし、比較するのも畏れ多いが、参考にはなる。要するに、私は、世渡りの上手い言論人や大学教授連中を、唾棄すべき最悪の人種として軽蔑している。

「 LGBT騒動 」と「『新潮45』廃刊事件」が暴き出しつつあるのは、そういう連中の正体である。高橋源一郎、小林よしのり、内田樹、中島岳志、山口二郎・・・等の正体、見たり枯れ尾花(笑)。ところで、私は、最近、適菜収氏との対談集『 エセ保守が日本を滅ぼす』( 「月刊日本」kkプレス)で、小川榮太郎やその周辺の「エセ保守」を、厳しく批判している。

何故、『 エセ保守が日本を滅ぼす』刊行後、1ヶ月か2ヶ月の今、小川榮太郎批判から小川榮太郎擁護へ転向したのか疑問に思う人もいるかもしれない。適菜収氏は 、今、最も過激な小川榮太郎批判を続けているのに、お前は、何故か、と。私は、最初から小川榮太郎等を厳しく批判し、今も批判し続ける適菜収を評価し、尊敬している。適菜収氏は、小川榮太郎と論争し、対決の準備が出来ている。高橋源一郎や内田樹、中島岳志・・・等とは違う。

さて、何故、私は、小川榮太郎擁護論と思われる主張を続けるのか。繰り返すが、私が、『 保守論壇亡国論』以来、批判して来たのは「 エセ保守 」であり「エセ右翼 」である。同時に、私は、「 エセ左翼 」も批判している。今回の「 LGBT騒動 」と「『新潮45』廃刊事件」で、私が、最も興味を持ったことは、そしてこれは無視出来ないなと思ったのは、実は、「 エセ保守」ではなく、「 エセ左翼」の暴走と狂気lであった、ということだ。

私は、元来、思想的立ち位置は、私が、小林秀雄や江藤淳を重視していることからも分かるように、政治思想的には、つまりイデオロギー的には「保守反動派 」である。しかし、私が、重視していること思考の原点は、「 イデオロギーより存在論 」である。私は、保守反動派であるつもりだが、最近の保守派は「エセ保守 」でしかないと判断しているので、『 保守論壇亡国論』や『ネット右翼亡国論』、そして近著の『 エセ保守が日本を滅ぼす』などで、「エセ保守批判 」を繰り返してきたのである。

しかし、今回の「『新潮45』廃刊事件」騒動や「杉田水脈=小川榮太郎バッシング」を観察していると、「 エセ左翼」側の暴走と狂気に、つまり「ドブに落ちた犬は撃て」とばかりに、集団的言論弾圧行為の狂乱に、黙っていられなくなった、という次第なのだ。エセ保守もダメだが、無邪気に言論弾圧と集団的バッシングに励むエセ左翼はもっとダメだと思う。
( 続く)
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『 エセ保守が日本を滅ぼす』(Amazon )

https://www.amazon.co.jp/エセ保守が日本を滅ぼす-適菜-収/dp/4906674704/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1541485957&sr=8-1&keywords=エセ保守が日本を滅ぼす。
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