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隔月刊の思想・言論誌『表現者クライテリオン』の執筆陣がお送りするメールマガジンです。時事ニュースをはじめ、政治、経済、社会、文学、技術、サブカルチャーその他あらゆるテーマについて、「危機と対峙する保守思想」の立場から論じます。メルマガでは、雑誌では読めないオリジナルの記事をお届けします。 ──真正保守思想の立場から20年以上にわたり言論を繰り広げてきた『発言者』『表現者』が、2018年2月に『表現者クライテリオン』としてリニューアル創刊。編集長は藤井聡、発行元は啓文社書房。

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メルマガ名
『表現者criterion』メールマガジン
発行周期
ほぼ 平日刊
最終発行日
2018年08月17日
 
発行部数
3,310部
メルマガID
0001682353
形式
PC・携帯向け/テキスト・HTML形式
カテゴリ
ニュース・情報源 > 一般ニュース > 社会

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先ごろ、『日本語は哲学する言語である』(徳
間書店)という本を書きましたので、その中
で考えたことの一部を少し変奏して書いてみ
ようと思います。

言葉はふつう、コミュニケーションの手段と
考えられています。
しかしこのコミュニケーションというやつ、
じつに厄介です。
私たちは、意思伝達がうまくいかず、見解が
対立してちっとも折り合えない事態にしばし
ば出くわしますね。
それどころか、こちらの言うことが誤解され
たり、相手が聞く耳を持たなかったりという
こともしょっちゅう経験します。
意思疎通が図れない状態が高じると、互いの
感情が激してきて、いっそう悪循環に陥りま
す。

これはなぜなのか。

一つは、言うまでもなく、人間が感情の動物
だからです。ある論理の背景には、それを支
える感情が必ず存在していますね。
哲学者のヒュームは、理性は感情の奴隷であ
ると言い切りました。
しかしこれは必ずしも悪いことではありませ
ん。
というのは、まったく感情の伴わない伝達行
為というのは、ロボットがしゃべる事務的な
言葉でもない限り、ありえないからです。
背後に「この気持ちをこの人に伝えたい」と
いう人間らしい思いがあればこそ、それが言
葉として構成されて表出されるわけです。
ですから、言葉が伝わるためには、お互いが
感情を持っていることが不可欠です。

言葉は一つの言語体系の中で、一定の規範を
持っているので、私たちは、まだ形にならな
い気持ち(感情)を、その規範に沿って組み
立てなくてはなりません。
ですから、組み立てのスキルがまずいと、う
まく意思が伝わらないのは当然です。

しかし、スキルさえ磨けばコミュニケーショ
ンがスムーズに運ぶかというと、そう単純で
はありません。
コミュニケーションがうまく運ばない理由に
は、言葉そのものの本姓に由来している部分
が大きく与っています。
言葉は物事を抽象化して、「概念」として把
握するので、把握の仕方が違っていれば、同
じ言葉を使っていても、互いに違ったことを
言っているという事態を避けるわけにはいき
ません。
言葉というのは、宅配便のように、Aさんが
発送した荷物がBさんに届き、Bさんが梱包
を説いてみたらその同じ荷物が出てくるとい
うようなものではないのです。
つまり言葉は、単なる「手段」なのではなく、
思想のやり取りそのものなのです。

国語学者の時枝誠記(ときえだ・もとき)は
言語過程説という説を唱えました。
話し手が言語の素材である事物や表象をまず
概念に組み立て、それを一定の聴覚印象に転
化します。これが音声として発信され、空気
中を物理的に伝わって聞き手の下に届きます。
聞き手はその聴覚印象を彼なりの概念として
把握し、既知の事物や表象に転化します。そ
こに初めて「言語理解」が成立するというわ
けです。

当たり前のことを言っているようですが、時
枝説の特徴は、次の点にあります。
事物・表象→概念→聴覚印象→音波→聴覚印
象→概念→事物・表象という、話し手から聞
き手へのこの一連の過程こそが言語の本質だ
というのです(書き言葉の場合には、この過
程の途中に「書き」「読み」という要件が加
わります)。
この過程以外のどこにも現実の言語は存在し
ません。
すると、すぐ思い当たるのは、聞き手もまた
欠くことのできない言語主体なのだという事
実です。
だから聞き手の言語把握の仕方がどうである
かが、言語伝達にとって決定的な意味を持つ
のです。

私たちは、子どもに話すときは子どもにふさ
わしい語彙や話し方を用います。相手との関
や会話の場しだいで、言葉のモードをさまざ
まに使い分けますね。
便宜にかなうとあれば嘘もつきますし、沈黙
を守ることもします。沈黙も言語行為の一つ
なのです。
それは私たちが、いちいち意識しなくても、
時枝の言うように、言葉の本質が話し手と聞
き手とのやり取りそれ自体だということを、
よく理解しているからです。
言葉とは、もともとこのように、ある不変の
真実の伝達や共有ではなく、そのつどの関係
づくり行為(ある場合には関係破壊行為)な
のです。言語表現の以前に、あらかじめ絶対
的な客観的真実があるわけではありません。
私たちは、言語行為を通して、不断に「真実
らしきもの」を創造しているのです。
また、言葉こそが嘘と真実との区別をも作り
出すのです。
だから、誤解、曲解、耳塞ぎ、虚構、でっち
上げなどは、言葉が本来持っている特性から
して避けることができません。
このことをよくわきまえておけば、たとえば
騒がしい「歴史認識」の問題なども、ただ、
「あいつらは嘘つきだ、俺たちこそ誠実に真
実を追究している」という観点だけで相手と
争っても(そういう構えが必要なことは言う
までもありませんが)、勝ち目がないことが
わかります。
むしろこちらにとっての「真実」を「真実」
として、うまく周囲に認めさせるような説得
術やエネルギーを蓄えることが要求されてく
るわけです。

さて、言葉の持つ特性に、目で見たり手で触
れたりできないものを、あたかもそうできる
かのようにしてしまう働きというのがありま
す。
これを「言葉の実体化作用」と呼ぶことにし
ましょう。
たとえば、「心」という言葉があります。
だれもモノと同じように「心」を見たり触れ
たりした人はいませんね。
「社会」「自由」「精神」「観念」「美」「真理」
「善」「平和」「平等」「人権」「命」など、み
な同じです。
これらはふつう抽象名詞というグループに入
れられています。
しかし、私たちがこれらの言葉を実際に使う
とき、目で見たり手で触れたりできないとい
うことを常に意識しながらそうしているわけ
ではありません。
筆者は大学の学生に、「あなたは心を持って
いますか」と聞きます。
誰もが「はい」と答えます。
そこで「ではあなたの心を見せてください」
と要求します。
誰もがしばし戸惑った上、「……できません」
と答えます。
そこで、では心とはいったいどのような仕方
で「ある」と言えるのかについて話すのです
が、それはしばらく置いておきます。

ここでは、「言葉の実体化作用」が、不毛な
ディスコミュニケーションを作り出す大きな
原因になっている例を挙げてみましょう。

たとえば、教育の世界で、知育が大切か徳育
が大切かという議論が昔からありました。
おおむね、知育偏重の風潮を非難する道徳主
義者の側から提議されてきました。
この場合、本当に知育偏重の風潮が実態とし
て存在するかどうかの議論がまず前提として
なければなりませんね。しかしいったい、何
をもって「知育偏重」というのか、その尺度
や指標についてきちんと話し合われたためし
がありません。
論者は、「知育」というものが「徳育」とい
うものと対立して、目に見える「モノ」と同
じ形で存在するかのように頭から決め込んで
いるのです。
しかし、これらはいずれも抽象概念であって、
リンゴとミカンのように、二者択一できるも
のではありません。
知の発達なしに徳を涵養することはできませ
んし、逆に徳(ルール感覚やマナー感覚)な
しにいかなる知の注入も不可能だからです。
両者はいつも相互既定関係にあるのです。
そのことをわきまえずに、「どちらが重要か」
という風に議論を立てると、いずれの側に立
つにしても、初めに結論ありきで、水掛け論
に終わるのです。

また、先進諸国では、「自由」という概念が
何よりも重要なものと考えられています。
この高度な抽象概念が、さまざまな文脈のな
かで、「モノ」と同じように扱われているの
をよく目にします。
「私たちは自由を守らなくてはならない」、
「自由は何よりも大切だ」というように。
もちろん、法を犯してもいないのに身体が奴
隷的拘束状態に置かれれば、そこからの自由
を訴えることは大切な意味を持つでしょう。
ところが、「言葉の実体化作用」が進むと、
どんな文脈であろうとお構いなしに、この概
念を宝物のようにして、議論を進めることに
なります。
たとえば「自由貿易」と聞くと、何かそれだ
けで素晴らしいものであるかのような錯覚に
支配されます。
しかし自由貿易とは、関税を撤廃してモノや
サービスを行き来させることですから、強国
と弱小国でこれを行なえば、強国に都合がよ
いように事が運ぶことは目に見えています。
産業基盤の弱い小国は、この概念に騙されて
はいけないのです。

このように、私たちは、言葉というものが持
っている特性をよく認識する必要があります。
重要な議論をするときには、特にこの特性に
対して自覚的にならなくてはなりません。
まとめると、
(1)言葉とは、話し手(書き手)と聞き手
(読み手)とのやり取りによって、関係を作
っていく(時には壊していく)営みである。
(2)言葉のやり取りの以前に「真実」があ
るのではなく、逆に言葉のやり取りが「真実
らしさ」を創造していくのである。
(3)言葉には抽象観念を実体化する作用が
あるので、その危険な罠にはまらないよう、
注意が必要である。

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