金融教育家・田内学の「半径１mのお金と経済の話」

高騰するマンション、買う勇気と買わない勇気

「築15年、築15年、」と呟きながら、彼女は帰っていった。
喫茶店でその背中を見送って、僕はひとり首をかしげる。「たしか、経済の話をしていたはずだったよな」と、思いながら。

この日、「経済の本を作りたいです」という女性編集者と打ち合わせをしていた。日本の財政問題はつまらなさそうな顔で聞いていたが、話題がインフレに移り、マンションの話に変わると目を輝かせていた。打ち合わせの半分はマンションの話だったかもしれない。

しかし、無理もない話である。特に、都会で暮らしていると、住居費への出費は大きい。持ち家がなければ、一般的に手取りの３割が賃料で消えると言われている。
「マンションは買った方がいいんですか？借りた方がいいんですか？」と彼女は聞いてきた。僕からすると「知らんがな」である。どこに住みたいかにもよるし、ライフプランにもよる。とはいえ、僕も不動産の話が嫌いではないから、話に付き合うことにしたのだ。

嫌いではないというと控えめすぎるか。
むしろ、マンションや不動産の折込み広告を見るが僕は好きだ。だからこそ、日経新聞は、WEB版ではなく紙で購読している。
住み替えたいわけではないが、不動産の広告を見るとワクワクする。豪邸の間取りを見て、「サウナついているじゃん」と唸ったり、マンションの価格を見て「坪2000万円かよ」と呟いたりしている。
ご存知のように、マンションの価格は高騰している。先日見た広告では67平米（約２０坪）のタワマンが4億円で売られていた。一坪あたり2000万円である。
このマンションは極端な例だが、この高騰には僕の知る限り３つの理由がある。

マンションが高騰する３つの理由
まずは、世界的なインフレで建築資材が高騰しているということ。しかし、どこまでも高騰し続けることはないだろう。
次に相続税の節税対策のために購入する人が増えているということ。これは、ひどい話でもある。1億円で購入したマンションの評価額は1億円とならずに、路線価という謎の計算式で評価され、4000万円くらいになったりする。相続税が30％とすると、現金1億円では3000万円の相続税を支払わないといけなかったのが、マンションを相続すると4000万円の価値とみなされ、1200万円ですむ。この例では実に1800万円の節税になる。
そんな理由で、住むつもりのない金持ちの高齢者たちがマンションを購入するものだから、本当に住みたがっている人たちが住めないというひどい話である。金持ち優遇税制である。これについては、マンション節税を防止するために、国税庁が相続税の計算ルールを見直す方向に動き始めたから、これから収まっていくだろう。
最後の一つは、円安による影響だ。以前から東京の不動産価格は世界の他の大都市に比べて安いとされていた。そこにきて今回の円安である。2年前は110円だったドル円が、今や140円を超えている。
たとえば、2年前に1億円だったマンションは、当時のドルに換算すると90万ドル。そのマンションが現在1億２０００万円に値上がりしていたとしても、現在のドルに換算すると、85万ドル。
「アンビリーバボー、世界的インフレなのに、東京の不動産は安いよ！オーマイガー」
と、海外の投資家たちは、日本のマンションを喜んで買いに来るのである。円安が続いて、１ドルが150円、200円と上がっていけば、さらに日本のマンションは買われるだろう。しかし、110円にもどれば、ドル換算での値ごろ感はなくなり、海外勢による購入は息を潜めるだろう。
これまで話してきたように、資材の高騰、節税対策、為替レートの３つの要因がある。少なくとも節税対策として、今後は使いにくくなるだろうから、値下がりしてもおかしくない気もする。とはいえ、資材の価格や為替レート次第というところもある。

「それで、買った方がいいんですか、借りた方がいいんですか？」と彼女はテーブルに身を乗り出してきた。

需要と供給が価格を決めるという基本
僕は、逆に椅子にもたれかかって、氷の半分溶けたアイスカフェラテを口にしながら、心中でつぶやく。「知らんがな」と。
彼女は賃貸マンションに住んでいるらしく、今後賃料が上がることをおそれて、それならば多少高くてもマンションを買った方がいいと思っているようだ。
過去の歴史をみると、購入価格ほど賃料が上昇することはない。もちろん未来のことはわからないのだが、心配するに及ばないと僕は思っている。

基本に立ち返って考えると、価格というのは需要と供給のバランスで決まる。
先程示した理由にもあったように、為替レートが上がれば、海外の投資家がこぞって買いに来る。他にもこれからの値上がりを恐れて、今のうちに購入したいという人が増えてれば需要は増える。一方で東京の土地は増えるわけではないから、多少容積率の緩和などがあっても供給はほとんど増えないだろう。すると、需要に供給は追いつかず、価格は高騰するわけだ。
では、マンションの賃貸市場における需要はどうだろうか。これは売買とは全く異なる。こちらの需要は、東京に住みたい人が増えるかどうかである。値上がりを期待してマンションを１０戸、２０戸持っている人を僕は知っているが、彼は全部のマンションに住んでいたりしない。全てを貸しに出している。
また、外国の人たちが東京の不動産を買う場合、大きく二種類ある。
一つは、別宅として購入し、たまに東京に来たときに住んでいる。将来、値上がりすれば売ろうと考えている。数億円から数十億円の超高級マンションに多い。その実態を知りたければ、そういった超高級マンションに夕食どきに行ってみるとよくわかる。普通のマンションに比べて、灯りのついている部屋の割合が極端に少ないことがわかる。
そして、もう一つは自分が住むのではなく誰かに貸すのである。数としてはこちらの方が圧倒的に多いだろう。
つまり、買う人が増えても、住みたい人が増えるわけではないのだ。このように考えると、賃貸市場において需要が増えすぎて高騰することはなさそうだ。
一部例外はある。海外のお金持ちたちが別宅として使うような広い物件は数も少なく、賃料が変動しやすい。ある物件は、10年前、築10年で月50万円で貸し出されていたが、築20年になった現在では月90万円で貸し出されている。
よほど広いところに住みたいわけでなければ、気にすることはない。投資熱がさらに高まれば、売買市場でマンション価格がさらに高騰することはありうるが、借りる側が苦しくなるほど賃料は上がらない。人が住まなくて困るのは、投資のために購入した側なのである。
将来の賃料を心配して、購入を急ぐ必要はないのである。

それよりも、借りるか買うかを判断するためには、自分が一番困ることは何かを考えることだと僕は思っている。

最悪のケースがマシになる選択
僕がもし今も前職の会社で働いていれば、マンションは買わないだろう。
ドル建てで年収が決まる会社だったからだ。たとえば、年棒が１0万ドルと言い渡されたとき、１ドルが140円なら1400万円もらえる。
今の状況でマンションを買ったとする。そして、１ドルが100円に下がってしまうと、給料は1000万円に激減する。さらに悪いことに、先程の話のように、円高に進むと外国の人たちは東京の不動産を買わなくなっているだろうから、購入したマンションの価格はおそらく下がっている。最悪なのである。
また、マンション建設や販売に関連する会社に働いていても買わないだろう。みんながマンション買わなくなると業界の景気は悪くなり、給料が下がったりリストラにあったりするかもしれない。さらに購入したマンションが下がっているわけだから最悪である。
逆のケースもあるだろう。
「このまま円安インフレが続いて物価が上がったら生活が苦しくなる。そのとき、マンションを持っていたらきっと資産価格が上がっているはずだ」
こう考える人もいると思う。しかし、ここで気をつけないといけないのは、売ったら住めないということだ。
6000万円で購入したマンションが1億円になれば4000万円得した気がする。しかし、同じくらいの広さのマンションに住もうと思えば、やはり1億円出さないといけない。もしくは、賃貸で借りることを覚悟しておく必要がある。
いずれにせよ、大事なのは自分にとっての最悪シナリオが何かを考えることだと思う。
そして、あまり将来のことを考えすぎて、現在の生活が楽しめないなら、まったくもって意味がない。人の幸せは人それぞれ。だから、「知らんがな」と言いたくなるのだ。

しかし、ここまで話してようやく気づいた。
彼女は「買いたいか、借りたいか」を聞いているのではなく、買う踏ん切りがつくような後押しを探していたのだ。
なので、最後に「僕だったら、新築のマンションは買わないかな」と余計なおせっかいを言った。

新築よりも築15年
もちろん、新築は新築の良さはあるのだが、ステルス値上げが起きているということを伝えたかった。
ステルス値上げというと、お菓子の場合は価格が変わらずに中身のポテトチップスが85gからこっそり80gに減っていたりすることだ。
近年、土地の取得原価が高くなったり資材が高騰したりしているため、どうしても新築マンションの価格は高くなる。しかし、価格に反映させると高すぎて売れ残る可能性があるから、中身を減らしているのである。減らすと言っても、マンションの強度は必要だから構造部分を変えることはできない。内装や設備などにかける費用を減らしているのである。
建築家の友人から聞いた話だが、同じグレードの新築マンションと中古マンションを比べると昔のものの方が、上質のタイルや壁紙、重厚な扉を使用しているそうだ。共用部分もお金をかけていたりする。
素人の僕が見ても、その違いは明らかだった。もちろん、すべての中古マンションがいいというわけではないから、一つひとつ実際に見た方がいいと思う。
物件情報に書かれている立地条件、築年数、広さや間取りなどはマンション価格に反映されているが、こういった内装のグレードは反映されにくい。
リーマンショック前、2005年くらいから都心の地価が上昇しはじめた記憶がある。20年前まだ地価が安かったころに土地を取得して建設したマンション（だいたい築15年くらいのマンション）には、内装や外観、共用部分にお金をかけることができていた。
「というわけで、僕なら築15年くらいのマンションがいいかなと思うんですよね。古すぎないですし」
いろいろ言ったのだが、一番大事なのは、本人にとっての幸せが何かということに尽きると思っている。高値掴みしてマンションを買っても幸せならいいのである。
「築15年、築15年、」とつぶやいていた彼女が、家族と一緒に未来の生活を描きながらマンション選びを楽しんでくれることを祈っている。

「半径１mの経済を見つける本にしましょう」と言っていた彼女だったが、後半はずっとマンションの話をしていた。本のタイトルが「マンションの選び方」にならないことも同時に祈っている。