こうじ神父今週の説教

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メルマガ名
こうじ神父今週の説教
発行周期
週刊
最終発行日
2017年12月09日
 
発行部数
221部
メルマガID
0000104641
形式
PC・携帯向け/テキスト形式
カテゴリ
生活情報 > こころ > 宗教

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‥‥‥†‥‥‥‥
こうじ神父
「今週の説教」
2017/12/10(No.916)
‥‥‥†‥‥‥‥
待降節第2主日
(マルコ1:1-8)
主に向き直る道が唯一の道
‥‥‥†‥‥‥‥

待降節第2主日と第3主日は洗礼者ヨハネを登場させる朗読が取り上げられてい
ます。洗礼者ヨハネは「荒れ野で叫ぶ者の声」です。声に耳を傾け、声の促すほ
うに向きを変えるよう努めましょう。

平戸地区ではあまり見かけませんが、かつての太田尾小教区時代や前任地の上五
島地区、古くは福岡での大神学生時代に、街頭に出てクリスマス募金の呼びかけ
をしていました。商店街に出かけたり、大都会の目抜き通りだったり、いろんな
ところでクリスマス募金の呼びかけをしました。

当時は「荒れ野に叫ぶ者の声」を文字通りに考え、反応がなくても、とにかく声
を限りに叫んだことに意味があるのだと思っていました。街頭募金のたびに声が
つぶれて、次の日の朝ミサは「ガラガラ声」でのミサでした。

しかし今年は、当時の振り返りも少し違った意味を持っています。当時は振り向
かなくても声を出すことで務めは果たせたと思っていましたが、「荒れ野に叫ぶ
者の声」は、もっと大切な使命を帯びていたわけですから、当時の考え方は少し
足りなかったなぁと思っています。

洗礼者ヨハネは預言者イザヤの言葉を用いて言いました。「わたしは荒れ野で叫
ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」(1・23)荒れ野に叫び声が響
くだけでは働きは十分ではなくて、叫び声を聞いた人が主に向き直るように働く
必要があります。わたしが参加していた「街頭募金」が、街を歩く人々の心に
「向き直らないといけないなぁ」と思わせてこそ、働きは完成するわけです。

教会の中で行われる礼拝において、司祭の説教は「荒れ野で叫ぶ者の声」になら
なければならないと、常々思っています。ひびきの良いことだけ話したのでは使
命を果たせていないし、「ご無理ごもっとも」といちおう聞いてはくれても主に
向き直らなければ、これまた使命を果たせません。何とかして、持ち帰ってもら
って、生活を主に向き直らせる。その思いだけが毎週の説教を準備させる原動力
です。

「荒れ野に叫ぶ者の声」は、洗礼者ヨハネに限ったことでしょうか。洗礼者ヨハ
ネのように、人々の前で語る人だけが、「荒れ野に叫ぶ者の声」なのでしょうか。
わたしはもっと、「荒れ野に叫ぶ者の声」を聞いた人は、人々の中に入って、
「声」となる使命があるのではないかと思います。

「声」を聞いて、「声」に動かされた人が、誰かに対して「声」となる。そうし
て、「荒れ野に叫ぶ者の声」は広がり、遠くへ届いていくのです。わたしたちは
誰もが、ミサの中でイエスの声を聞いて、その声を人々に届けるための「荒れ野
に叫ぶ者の声」になる必要があります。

「声」となるといっても、叫んだりわめいたりする必要はありません。「主に向
き直る」その助けをしてあげるなら、十分「声」の働きを果たしています。わた
したちが持ち帰った「声」にだれもが反応してくれるわけではありませんが、少
しずつ、わたしたちの声が人々の中で聞き取れるくらいの声になり、はっきり聞
こえる声になっていくよう努力したいものです。

一つ原理原則を持っていれば助けになります。それは、「ぶれない」ということ、
主に向き直る「声」を曲げないということです。この場面では主に向き直るため
の「声」の働きをしているが、ある場面では呼びかける人に遠慮して主に向き直
る「声」を潜める。それでは「声」として弱いのだと思います。

出来事をどのように受け止め、理解するのか。わたしはこう考えるという姿勢を
「声」としてあらわすためには、わたしは一歩近づいて、「声」にならなければ
ならないと思っています。しかし、人より一歩近づいて考えを述べるのは並大抵
のことではありません。

それは場合によっては火中の栗を拾うといった勇気が必要です。虎の子を得るた
めに、虎の穴にさらに一歩近づく勇気が必要です。「わたしはカトリック信者だ
から、いのちをそのはじまりから守ります。」学校の先生も踏み込んで言えない
ことを、カトリック信者であるわたしたちは信じていることとして「声」で表明
する必要があります。

いのちの終わりについても一歩踏み込んで意見を表明する場合があります。新し
く始まった裁判員裁判という制度があります。裁判員裁判の多くは重大事件であ
り、死刑を言い渡すような裁判のケースもあります。しかしカトリック司祭は、
人に死刑を言い渡す裁判員の任務に就くことは認められていません。

もちろん社会的には、国が求める任務を拒否することになります。それでもカト
リック司祭は人に死刑を言い渡すことは許されないので、一歩踏み込んで、「引
き受けることはできない。辞退する」と表明するわけです。場合によっては国の
制度に反対してでも、「声」を届けなければなりません。

いのちの始まりについて、いのちを刑罰によって終わらせることについて、人間
には権利がないので、「荒れ野で叫ぶ声」になって、主の道である「いのちの始
まりと終わりは、神の手の中にある」と、向き直らせる。これはカトリック教会
に委ねられた大切な使命だと思います。

わたしたちはこの待降節中特に「主に向き直る」という回心が求められています。
ぶれないで「主に向き直る道が唯一の道」ただこの一つの声を、持ち帰って社会
に響かせましょう。わたしたちは「声」にすぎませんが、わたしたちの響かせる
ただ一つの声を、まもなくおいでになる主は「声の持ち主」として具体的に実現
させてくださいます。

‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
待降節第3主日
(ヨハネ1:6-8,19-28)
‥‥‥†‥‥‥‥


‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

▼人生一寸先は闇。「闇」を使わずに同じたとえがあればと思うがわたしは知ら
ない。95歳のおじいちゃんの葬式は感覚的に分かる。だが二日後に行われた50歳
のお父さんの葬式は理解に苦しむ。わたしよりも年下の人が、なぜ送られていか
なければならないのか。
▼12月3日にその電話は入った。Yさんの病者の塗油に来てほしい。出向いてみ
ると、心筋梗塞だったようですでに心臓は止まって、お身体を拭いてあげる段階
だった。病院側に説明し、少し時間をもらって病者の塗油を授ける。まだ温かい。
▼家族は先生の説明を聞いている。とても声をかける状況ではなく、その場を離
れた。教会のために今後どんな働きをしてくれるだろうかと楽しみだっただけに、
残念である。わたしは通夜で、「わたしに面と向かって物言う数少ない人でした。
もう一度起き上がって、あれこれ忠告してほしいです」と言った。これがわたし
からの弔辞のようなものだ。
▼子供さんはまっすぐに育ったいい子たちだ。この子供たちの成長を近くで見る
ことができないのだ。わたしは亡くなったお父さんとほぼ同じ歳だから、できる
だけ見守って声をかけてあげたい。可能なら、今後の夢をかなえるために力を貸
してあげたい。
▼じつはその三日前に、一人のおじいちゃんの病者の塗油を授けている。今必死
に一寸先を生き続けている。授けてなかった人が先に旅立った。わたしもまた、
一寸先はわからないのだと肝に銘じたい。

‥‥‥†‥‥‥
今週の1枚
‥‥‥†‥‥‥
第523回目。旅行先で、予約しておいたイベントに参加する。もういくつ寝ると。
http://hanashi-no-mori.news-site.net/171210.jpg

過去の掲載写真は、ブログをご覧ください。
http://blog.goo.ne.jp/knkouji

ホームページ:
http://hanashi-no-mori.news-site.net/

[発行・管理] 中田輝次
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