名言名句マガジン[言の葉庵]

  • ¥0

    無料

「通勤電車で読む、心の栄養、腹の勇気。今週の名言・名句」、「スラスラ古文が読める。読解ポイントの裏技・表技。古典原文秘読解教室」などのコンテンツを配信しています。(隔週)下記にてお申し込みください。最新号よりお届けいたします。

著者サイト
 

メールマガジンを登録(無料)

もしくは

※ 各サービスのリンクをクリックすると認証画面に移動します。
※ 各サービスで登録しているメールアドレス宛に届きます。

メールマガジンを解除

もしくは

※ 各サービスのリンクをクリックすると認証画面に移動します。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 
 
 
メルマガ名
名言名句マガジン[言の葉庵]
発行周期
隔週刊
最終発行日
2017年10月18日
 
発行部数
316部
メルマガID
0000281486
形式
PC・携帯向け/テキスト形式
カテゴリ
ニュース・情報源 > 雑学・豆知識 > 名言・格言

まぐまぐ!メールマガジンの用語集です。
下記の用語以外の不明な点はこちらをご覧ください。

 
発行周期
週1回、月1回などの発行頻度です。
部数
メルマガの配信数を記しています。
カテゴリ
まぐまぐ!に登録されているカテゴリです。
形式
メルマガには以下の配信形式があります。下部「メルマガ形式」をご参照下さい。
 
最終発行日
最後にメルマガが配信された日付です。
メルマガID
メルマガを特定するIDです。
RSSフィード
RSSを登録すると、更新情報を受け取ることができます。

― メルマガ形式 ―

  • PC向け
    パソコンでの閲覧に最適化したメルマガ
  • 携帯向け
    スマートフォンやフィーチャーフォンでの
  • PC・携帯向け
    PC・携帯どちらでも快適にご購読いただけます。
  • テキスト形式
    文書だけで構成された、一般的なメールです。
  • HTML形式
    ホームページのように文字や画像が装飾されたメールです。
  • テキスト・HTML形式
    号によって形式が変更する場合があります。

閉じる

メールマガジン最新号

0000281486 ≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫ 名言名句マガジン【言の葉庵】
┓┏ ┏┳┓
┣┫OW┃O                汝の敵を愛せよ 2017/10/18
┛┗━━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

まばゆい光の中では、物の形はよくわかりません。しかし薄闇の中で目を凝らせば細部がよく見えてくる。同じように闇の中でこそ人間の本当の心が垣間見えます。今回の日本語ジャングルは人間の「敵」と「悪」を信仰の光の下で照らしてみました。「貞観政要を読む」は中国史最高の名君が、子弟の教育に心を悩ます父親の顔を見せる、興味深い段落を紹介します。

…<今週のCONTENTS>…………………………………………………………………

【1】日本語ジャングル         人間の敵とは誰か、悪とは何か
【2】貞観政要を読む 第十回        水は舟を浮かべ、また覆す

編集後記…
……………………………………………………………………………………………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【1】日本語ジャングル         人間の敵とは誰か、悪とは何か
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

「てき」、または「かたき」と読む、敵。
宿敵、天敵、商売敵、恋敵、仇敵、不倶戴天の敵など。敵の種類は、日本語のボキャブラリーとして、実に数多くあります。そもそも敵とは、人と人との関係から生ずる概念であり、自分と利益や価値観を相争う相手のことを指します。これは、「仇」というニュアンスをもつ「敵」のこと。

能の配役に、シテとワキがあります。主に、この二人の会話によって能の物語は進行していく。その関係性を考える時、ワキを脇役とする説明がありますが、これは間違いです。
能のワキは、主役に対する脇役ではなく、シテと互いに対立、あるいは協調しあいながら、劇を進行させていく対等な立場の「相手役」となります。悪霊と、これを調伏する聖職者という設定(道成寺・葵上など)では、シテに対してまさしく「敵」となる役どころ。
これに対してシテを支え、付き従う役は、ツレやトモで、夫や妻、あるいは家臣や従者を演じます。いうなれば、敵ではなく「味方」でしょうか。

舞台や小説など、創作の世界では、このように敵と味方は明瞭に区別され、まぎれることはありません。「文章の法は、言葉をつづめて理のあらわるるを本とす」と、『申楽談儀』で世阿弥がいうように。
しかし現実生活においては、敵・味方の概念は、人によって日々変化し、時に反転するもので、政治の場をはじめ、家庭、会社、学校など、日常的なあらゆるシーンで「昨日の敵は今日の友」という現象が起きているのではないでしょうか。
自然界に天敵をもたなくなった人間にとって、不変の敵とはいったい何か。古来、宗教ではそれをどのように定義していたかを、たどっていきましょう。



◆キリシタンの敵とは

キリスト教では、信仰上の敵をどのように捉えていたか。戦国時代、カトリックの教義問答書である『どちりなきりしたん』より、師と弟子の問答を以下にご紹介してみましょう。

弟子 私たちの敵とは何者ですか。
師  世間、悪魔、肉体です。
弟子 なぜこれら三つが、人間の敵といえるのでしょうか。
師  霊魂に対し、しきりに罪を犯させようとするけれど、かなわないため、悪をすすめ、その道に人間を引きずり込もうとするので、敵というのです。
弟子 これら三種の敵が起こす悪のすすめと、善の妨げとなる誘惑を神が止めないのは、なぜですか。
師  人がそれらと戦い、神の合力により勝利を得て、その褒美を受け取るためです。
弟子 悪魔はどのように人間を誘惑するのでしょうか。
師  人の心に悪念を起こし、また罪に陥るきっかけを私たちの前に置くのです。
弟子 悪念はどのようにすれば防げますか。
師  その方法は多くありますが、とりわけ三つあります。一つ目は、心に悪念が起きてしまった時、それを善心と置き換えるのです。二つ目は、胸に十字架の言葉を唱えること。三つ目は、聖水を額に注ぐのです。
弟子 罪のきっかけとなる悪の原因とそれへのつながりをどのようにして防げばよろしいですか。
師  一つ目は、そのつながりから逃れること。二つ目は、祈りを唱えること。三つめは、善き導きを得て、聖典を読み、味わうことです。

弟子 世間を敵だといわれましたが、私たちにとってそれはどのようなものでしょうか。
師  世にある悪行と悪習、また悪人をも含めて「世間」とよぶではありませんか。
弟子 それでは、世間はどのように誘惑するのでしょうか。
師  今いった悪行や悪習、悪人との雑談などにより、みだりに人の心に悪因を起こさせるのです。
弟子 それらのことを防ぐ方法はありますか。
師  神の掟とともに、主イエス・キリストをはじめ、善人たちの善き行いを鑑とすること。さらに四終である「死」「審判」「地獄」と「天国」の快楽を思い出すことです。

弟子 なぜ、肉体は敵なのですか。
師  アダムより受け継がれた原罪 によって、生まれつき悪しき肉体を敵といいます。
それに加え、自らが犯した罪科によって、悪性が満ち満ちた肉体を指してそのように名づけられました。
弟子 肉体は、なぜ誘惑するのでしょうか。
師  身に備えた悪しき生まれつきと悪しき性向により、心中にいたずらな望みを起こさせ、罪へと傾かせるのです。それはまた心をもくらまし、悪がわからないようにしてしまいます。  
生まれつきの悪とは、根源的な欲望、依存、愛憎、悲喜、恐れ、怒りなどです。

(『現代語訳 どちりな きりしたん』水野聡訳 能文社2017年10月)
http://nobunsha.jp/book/post_218.html


キリスト教の信仰を妨げる、第一の敵は、悪魔。様々な手立てを使って、人間を背教へと誘惑する、と師は警告します。そして悪行と悪習に満ち溢れる世の中と、原罪により生まれつき汚れた人間の肉体をも敵とみなしているのです。さらに、人がもともともっている、欲望、依存、愛憎、悲喜、怖れ、怒りを根源的な「悪」として、肉体が自らの敵である根拠としています。悪は、敵の本体なのでしょうか。


◆仏教の悪とは

仏教には、キリスト教のような人が生まれつきもつ原罪や、悪の根源たる悪魔というものも、ともに存在しません。
仏道修行を妨げるとされる、天魔(第六天魔王)も、涅槃に入る釈尊に神咒(正法を護持する真言)と飲食供養を捧げようとしたといわれ、「魔」としては悪魔ほど徹底していません。
また、各宗派の中で、仏法に私見をもつ者を法敵とよび、排斥の対象としますが、これとて一僧侶の背教に過ぎず、仏敵というほどの存在には成りえませんでした。
仏教の敵は、悪しき世間というよりは、人の心に巣くう、悪心や悪念ではなかったでしょうか。

心の闇である、「悪」が人間の生まれつきもった本性である、とする〔性悪説〕。これに対し、人は本来善をもつ、とする〔性善説〕が、紀元前の中国で提唱され、論議されました。
しかし、仏教はいずれの説も採りません。禅宗では、すべての人は本来〔仏性〕をもっており、それを見つけ、わがものとすることを、悟りを開くこととしています。
しかし、弱い人間の心には迷いや煩悩が沸き起こり、〔仏性〕を隠してしまうのです。のみならず、悪のあらわれである、欲や愛憎、疑い、怖れ、怒りに惑わされて、自ら苦界へ沈んでしまいます。
この人間の弱い心こそ、人が克服すべき「敵」と「悪」の正体。

善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや
(名言名句第十六回 歎異抄)
http://nobunsha.jp/meigen/post_63.html

人は超人的な苦行や精進をしなくても救われる。それができない弱い人をすべて阿弥陀如来は、哀れに思い救ってくださるから。ましてや、自分で自分を救済できぬ極悪人こそ往生できるのだ、と親鸞は説きました(悪人正機説)。


心の師とはなれ、心を師とせざれ。
(名言名句第十三回 珠光心の文)
http://nobunsha.jp/meigen/post_52.html

自慢や執着にとらわれた、弱い自分の心に従ってはならない。むしろ自分が一段上に立って、己の心を指導する師となるべき。このように侘び茶の祖、村田珠光は後世に伝えたのです。この句は、仏教『大般涅槃経』にある、「願作心師、不師於心」をもととしています。

弱さゆえ、意図せず悪へと走ってしまう人間の心。もはや自分を救うことができない極悪人にまで手をさしのべてくれる、仏教の測り知れない慈悲。
これは、キリスト教の「愛」とどこか通じ合っているのかもしれません。


あなた方も聞いている通り、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。
しかし、わたしは言っておく、
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」
(マタイによる福音書5章44節)



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【2】貞観政要を読む 第十回        水は舟を浮かべ、また覆す
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

今回は 第十一「教誡太子諸王」をご紹介しましょう。
以下、同段落の概要、本編、解題の順に構成しました。

◆『貞観政要(上)(下)』能文社2012
http://nobunsha.jp/book/post_131.html


〔概要〕

全六章。太宗は父帝として、子の太子や諸王へ直接戒めの言葉を賜う。とくに「飯・馬・木・舟」など、わかりやすいたとえを引いて懸命に皇太子を導こうとする父太宗の姿は心を打つ(第二章)。


〔本編〕

巻第四 教誡太子諸王 第十一

第二章

 貞観十八年、太宗は侍臣にいった。
「古に、世子に胎教をする者があったという。朕にはその暇がなかった。しかし太子を立てて以来、ことあるごとに教え、諭している。
 太子が食事の折、まさに飯を食べようとするのを見ていった。
『汝は、飯とは何か知っているか』
 太子は答える。
『知りません』
『およそ農業の苦労は、すべて人民が負う。人民の時間を奪わねば、いつもこの飯がいただけるのだ』
 太子が馬に乗るのを見、またいった。
『汝は、馬とは何か知っているか』
『知りません』
『馬は、よく人の労苦に取って代わってくれるものだ。時折休息させ、その力を使い果たさせることがなければ、いつまでも馬は走ってくれるもの』
 太子が舟に乗るのをみて聞いた。
『汝は、舟とは何か知っているか』
『知りません』
『舟は人君にたとえることができ、水は万民にたとえることができる。水は舟を浮かべることができ、また、舟を覆すことができるもの。汝はまさに、人主である。これを恐れずにいられようか』
 太子が曲がった木の下で、休んでいるのをみていった。
『汝は、木とは何か知っているか』
『知りません』
『この木は曲がっているが、墨縄※1があれば、切って真直ぐにできる。人君となり、行いが無道であったとしても、諫めを受け入れればすなわち聖となる。これは殷の名相、傅説(ふえつ)※2の言 。もって汝の鑑とせよ』」

※1 墨縄 木に直線を引く大工道具。
※2 傅説の言 『書経』説命篇、「説、王にもうして曰く、これ木、縄に従へば即ち正し。きみ諫に従へば即ち聖なり」より。


〔解題〕

胎教の起源は古く、前漢代(紀元前206年~8年)に書かれた中国の『青史氏之期』に早くもその言葉が見られます。胎教の思想は、未開社会における禁忌や死産を防ぐ呪術ではなく、聖人君子を形成する教育思想の一種であったといわれているのです。
太宗は、一人の子の親として、日常生活でことあるごとに具体的なたとえをもって未来の帝を導こうとします。荀子の「君は舟、臣は水」の成句は自らが鑑として常に座右としたもの。
〔荀子 王制「君者舟也、庶人者水也。水則載レ舟、水則覆レ舟」〕

そして、太宗がもっともわが子に伝えたかったのが、傅説の名言です。己を曲がった木ととらえ、諫臣の言葉に謙虚に耳を傾けよ。これがもっとも大切なことである、と太宗は自らの半生を振り返り、帝王学の極みとしたのです。


第四章

 貞観十年、太宗は荊王元景(けいおうげんけい)※1・呉王恪(ごおうかく)※2等にいった。
「前代には、はなはだ多くの候と王があった。その中でただ、後漢の東平王と前漢の河閒王(かかんおう)だけは令名が高く、その禄と地位を保つことができたのだ。しかし、晋の楚王瑋(い)のようにわが身を滅ぼす者は、一人や二人ではなかった。われは聞く、『徳をもって人を服す 』※3と。これをよもや虚説とはいえまい」

「桀と紂は天子ではあるが、もしも人に、
『あなたは桀紂※4のようだ』
 といえば、その人は必ず激怒することであろう。顔回(がんかい)・閔子鶱(びんしけん)※5・郭林宗(かくりんそう)・黄叔度(こうしゅくど)※6は、いずれも無官の平民ではあるが、もしも人に、
『あなたは、これら四賢人にたとえることができる』
 といえば、その人は必ず大いに喜ぶはずであろう。
 それゆえ人が、身を立てるに際し、尊ぶものはただ徳行だけであって、繁栄し富貴となることは問題とならないことがわかる。汝らは、位は諸侯に列し、家は多くの封を有している。その上、よく徳行を修めれば、何もいうことはない。ゆえにわれは賢人を起用し、汝らの師とするのである。その者の諫言を受け入れよ。専横にふるまい、欲情をほしいままとし、好んで罪科に陥ることなかれ」


※1 荊王元景 高祖の六男。
※2 呉王恪 太宗の二男。
※3 徳をもって人を服す 『孟子』公孫丑上篇、「徳を以て人を服する者は、中心悦びて誠に服するなり」より。
※4 桀紂 いずれも古代の暴君。
※5 顔回・閔子鶱 いずれも徳行にすぐれた孔子門の高弟。
※6 郭林宗・黄叔度 いずれも後漢の高徳の民間人。ともに乞われても終生仕官しなかった。


〔解題〕

太子以外の諸王、諸侯らに対しても、諫言の大切さを諄々と説く太宗。
「夏の桀王、殷の紂王」と呼ばれることを恥とし、孔子の貧しい高弟「顔回、閔子鶱」にたとえられることを誇りとせよ、と二人の眷属に教え諭します。
後年、李元景と李恪はともにこの言葉を胸に、治政につとめたのです。しかし太宗の死後、高宗が立位すると、房遺愛の謀反事件(653年)に連座し、二人は処刑されてしまいました。
「好んで罪科に陥ることなかれ」。
この時、太宗の言葉に基づき、諫言する臣下もあったのかもしれません。
しかし歴史とは、かくも過酷なもの。千年の時を経てなお太宗の言のゆるがせにすべきではないことを証しているのです。



……………《編集後記》………………………………………………………………

先日、ドイツのニュルンベルクにて。滞在中の友人の家から夕方みんなで散策に出かけた。住宅街を歩いていると、車道になにやらグレーの球体の物が落ちている。友人は〈またか〉という顔で無造作に止められた車の陰から球体を足で歩道側に押して転がした。驚いたことにそれから足と手が出て逃げ去っていった。
ハリネズミである。彼等はそこに結構住んでいる、とのことだが日本では動物園以外でお目にかかったこともない。「ところ変われば品変わる」を実感したものだ。

蓑虫の音を聞きに来よ草の庵
松尾芭蕉 貞亨四年『続虚栗』
                              (言)
……………………………………………………………………………………………


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
名言名句マガジン【言の葉庵】
■ご意見・ご感想はこちら http://form.mag2.com/diorumeage
■配信中止はこちら    http://www.mag2.com/m/0000281486.html
■編 集 【言の葉庵】  http://nobunsha.jp/
■編集長 水野 聡    info@nobunsha.jp 
■発 行 『まぐまぐ!』 http://www.mag2.com/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━(C)2005 Nobunsha
メルマガ全文を読む
 

▲ページトップへ

▲ページトップへ