名言名句マガジン[言の葉庵]

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┣┫OW┃O       なぜ人は最後の一手でしくじるのか 2017/5/31
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名言名句は、中国戦国時代の名称のもととなった漢籍『戦国策』より、激動の世を生き抜く達人の智慧をお届けします。信長・秀吉・家康をはじめ、明治の元勲、文化人、作家など多くの人に愛され続けてきた能。それら偉人達の“能狂い”を垣間見て見ましょう。

…<今週のCONTENTS>…………………………………………………………………

【1】名言名句 第五十九回       百里を行く者は、九十を半とす
【2】日本語ジャングル              能を愛した偉人たち

編集後記…
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【1】名言名句 第五十九回       百里を行く者は、九十を半とす
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百里を行く者は、九十を半とす。
~劉向『戦国策』秦巻第三


古代中国戦国時代、強国秦の武王を家臣が諫めるため、古語より引用した一文にある名句です。
本文中「詩に云く」とあるのは、孔子が古詩より三百十一編を選んで『詩経』を撰した際、収録しなかったものを『逸詩』と呼び、そこから引用したことを指しています。

「詩に云く、百里を行く者は、九十を半とす、と。これ末路の難きを言ふなり」

文意は、なにごとも終わり間際ほど不測の事態が多いため、九分までたどり着いたところで、「ようやく半分」と考え、最後まで気を抜いてはならぬ、となります。

当時、秦は強国ながら最大の敵、楚と対峙していました。秦・楚、互いに同盟国の力を借りて防衛を強化していたのですが、中立国の斉や宋の出方次第で、形勢が急転、滅亡にいたりかねない危機をはらんでいたのです。

武王の名は蕩(とう)、恵文王の子です。前311年王位に就き、樗里疾、甘茂ら丞相の貢献により版図を拡大、周王室を伺うほどの強勢をほこりました。とかく力を恃み、おごりたかぶる王に対して、謙虚に同盟国と協調し、「詰めを万全」として強敵を下すべく献策した家臣の諫争文がこの「百里を行く者」でした。

人は大きな目標を目指すとき、九分九厘まで進んだなら「すでに成った」と、気を緩めがちです。
スポーツ、ゲーム、勝負事では、最後の一手を誤り、それまでの形勢が一気に逆転することが多々あります。

中国戦国時代の一里は現代の約405m。百里は40.5kmとなり、ほぼフルマラソンに等しい距離となります。マラソン初挑戦者が往々にして越えられないのが、“35kmの壁”。
運動生理学の仮説、セントラルガバナー理論によれば、35kmあたりに達するとランナーの意志とはかかわりなく、総運動量を認識する脳が、エネルギーを使い切らないように疲労感を覚える物質を放出するといいます。
スタミナやグリコーゲンの量とは関係なく、身体はまだ走れるのに、なぜか足が突然棒になり、一歩も進めなくなってしまうのです。

これは生体保存の仕組みですが、肉体と直接関係のない目標達成についても、脳が何らかのブレーキをかけ、最後の一枚が狂って巨大なドミノが崩壊してしまうのかもしれません。

類似の故事成語に、「九仞の功を一簣に欠く」があります。
これはそびえたつ山や城を築きあげる時、最後の一杯の土が足りないため、完成しない。つまり、成就の一歩手前、つまらない手抜きのため失敗する、ということわざです。

大きなゴールほど意識せず、ひたすら全力で走り続け、気が付けばすでにゴールを「とうに過ぎていた」というのが、目標必達の秘訣なのかもしれません。


〈原文・読み下し文〉

詩に云わく、百里を行く者は、九十を半とす、と。此れ末路の難きを言ふなり。
今、大王、皆驕色有り。臣の心を以て之を観るに、天下の事は、世主の心に依る。
楚、兵を受くるに非ずんば、必ず秦ならん。何を以て其の然るを知るや。秦人、
魏を援けて以て楚を拒ぎ、楚人、韓を援けて以て秦を拒ぐ。四国の兵敵しうして、
未だ復た戦ふこと能はざるなり。斉・宋縄墨の外に在つて、以て権を為す。
故に曰く、先ず斉・宋を得ん者は、秦を伐たん。秦先ず斉・宋を得ば、則ち韓氏
鑠けん。韓氏鑠けば、則ち楚は孤となりて兵を受けん。楚先ず之を得ば、則ち魏氏鑠けん。
魏氏鑠けば、則ち秦は孤となりて兵を受けん。若し此の計に随つて之を
行はば、則ち両国は、必ず天下の笑ひと為らん、と。

(『新釈漢文大系47 戦国策 上』秦巻第三 明治書院 昭和54.8.10)


〈現代語訳〉

『詩』では、「百里を行く者は、九十を半とす」といいます。
これは最後の仕上げが難しいことをいったものです。

大王には今、すこぶる驕慢なご様子がうかがえます。
臣の意見を申し上げますと、天下の覇業は、他の諸侯の心次第。
楚が攻められぬ時は、必ずわが秦が攻撃されましょう。なにゆえかと申しますと
秦は同盟国の魏によって楚を防ぎ、楚は同盟国の韓により、わが国秦を防衛している。
この四国の兵力は相等しく、今は互いに再戦をためらっています。

さて一方で、斉と宋は争いの圏外にあり、この戦の鍵をにぎっている。
よってこういえましょう。先に斉と宋を味方につけた国が秦を討つ。
秦が斉・宋と結べば、韓が攻められて消滅します。韓が消えれば、楚は孤立して侵攻される。
逆に、楚が斉・宋と結んだなら、魏は消滅。
魏が消えればわが秦は孤立し、攻め込まれましょう。

もしもこの計画通りに進んだならば、秦・楚両強国は、斉・宋ごときに
手玉に取られ、天下の笑い者となってしまいます。

(水野聡訳 能文社 2017年5月31日)




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【2】日本語ジャングル              能を愛した偉人たち
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能は、室町幕府三代将軍足利義満に見出されてより、戦国期、江戸期にわたって代々の将軍、政権担当者により変わらず愛好されてきました。信長、秀吉、家康を筆頭に戦国武将や歴史上の人物と能狂言のかかわりには、数々の興味深い逸話が残されています。以下にその一端をご紹介しましょう。


1.織田信長

信長も他の戦国武将と同様に自身も、鼓を習い能役者を支援するなど能を愛好しました。
能や芸能を好んだことは「人間五十年下天のうちを比ぶれば…」と、幸若舞『敦盛』の一節を舞って、桶狭間の合戦に出陣したエピソードなどで有名。

永禄十一年、将軍足利義昭は、信長の京都入洛をねぎらい、細川藤孝邸で大々的に観世太夫の能を催しました。
演目は、高砂、八島、定家、道成寺、呉服の五番。ここで、将軍義昭はねぎらいの意味か、あるいは権力者へのおもねりか、何と「道成寺」にて、信長の小鼓披露を所望したといいます。信長は拒否。道成寺の小鼓といえば、「乱拍子」といわれる小鼓方のもっとも重い習いが含まれています。習慣として、素人がそのような重い習い物を演奏することが当時さほど問題とならなかったのか、あるいは信長がよほど素人離れした、鼓の名手であったのか、理由は想像するしかありませんが、興味深い逸話です。


2.豊臣秀吉

 「のふにひまなく候」。
秀吉の"能狂い"は史上有名です。
文禄二年、自身企てた禁中能を控え、稽古に余念のない様子が伺える、北政所に宛てた手紙があります。

「さいさい文給へとも、のふにひまなく候まま、返事も不申候。一たんと、のふもいよいよあかり候て、いろいろのしまいしまいらせ候て、みせ候へは、みなみな一たんとほめ申候。はやはや二日いたし、ちとやすみ候て、九日のひいたし候て、きやう中のにうほうともにみせ可申候。かしく。 おね まいる 大かう」

「明智討ち」など、自身を主役に設定した、新作能いわゆる太閤能を作らせ、五十日で十四、五番も能の稽古を上げ、天皇の前で自らシテを演じ、舞っています。
また、文禄二年後陽成天皇の前では、能だけではなく、何と前田利家と徳川家康の三人で、狂言「耳引」を演じて見せた、と記録にあります。
(狂言耳引は現存しませんが、現行曲の口真似か居杭のいずれかだといわれています)


3.徳川家康

能は、信長、秀吉に続いて、次世代政権担当者徳川家康にも引き続き愛好され、江戸徳川幕府の式楽とされ、今日に完全な形で継承されることとなりました。
家康は今川家人質となっていた幼少頃より、能に親しみ、技芸はともかくとし、深い造詣をもっていた、といわれます。

前述文禄二年の禁中能で家康は野宮を演じました。寛保二年書写の謡伝書に、
「家康公於禁中野々宮ノ次第、地を取て後、呂に御謡候。不知衆不審がりたるよし也。比由宗印、忠興と物語候所に、如右昔道見謡たる由申さるる也」
とあります。通常次第は地取といって、二度目を呂で謡い返すこととなっていますが、三遍返しは例にない。ところが、いにしえの観世太夫道見が、やはり三遍返しで《芭蕉》の次第を謡った記録があり、家康は故実によった専門的な作法で演じた、ということです。観世太夫十郎、宗節に師事した家康が当時すでに能楽師・能楽愛好家の間でも不明となってしまっていた能の故実に通じていたということを示すエピソード。


4.柳生宗矩

三代将軍家光が兵法指南役の宗矩と、観世太夫の能を見物。家光は「太夫に斬り付ける隙あらば、と念じて見物せよ」と命じる。
能が終わり宗矩、
「少しも斬る隙はありませんでしたが、大臣柱の方へ隅を取った時、わずかに隙がございましたかと…」。
観世太夫も楽屋で付き人に尋ねる、
「上様のお側近くで、私の所作を鋭く見ておられた御仁があったが、あれは何者か」。

宗矩の素性を聞かされて、観世太夫は感じ入った様子。「なるほど、途中、私が隈を取るところで少しばかり気を抜くと、ほんの一瞬だが、白い歯を見せられた。流石は、剣術の達人」。これを聞き家光は、ふたりの極意に感じ入ったといいます。


5.細川幽斎(藤孝)

和歌・連歌・有職故実・儒学・蹴鞠・茶・書・料理など諸道に通暁した戦国末期の文化、知識人大名、細川幽斎(藤孝)。能にも造詣が深く、特に太鼓では、玄人をしのぐほどの名手であったことが伝えられています。
以下、松永貞徳『戴恩記』より。

当時、太鼓の名手といわれた金春又右衛門が、幽斎・貞徳陪席の演能の後、宴席で今生の思い出に、と幽斎の太鼓を一番所望します。幽斎は承引し、《遊行柳》の後が、太鼓と謡で演奏されました。太鼓に向かう姿、掛け声、撥音にいたるまで凡夫のわざとも思われず、屋形中神妙となって息をつめています。貞徳がふと、又右衛門を見るといつになく額を畳に押し当てている。
演奏が終わり、ようやく上げた又右衛門の面を見ると、両眼から雨のように感涙が流れ落ちていた、という逸話です。

貞徳は「物の上手と名人と、替わり目はあるものなりと心に思い知り侍り」と結んでいます。


6.千利休

侘び茶を打ちたて、今日の茶道を大成した千利休。その後妻、宗恩は戦国末期の能役者、宮王三郎の元妻であったといいます。
宮王三郎は、三入と称し、茶もたしなみ、大名物宮王肩衝(後秀吉、家康に)・宮王釜を所持する茶人であり、小鼓の奏者でした。利休は三郎に師事し謡を習ったと伝えます。
ちなみに、三郎と宗恩の実子少庵が三郎の死後、母とともに千家に入り、利休を継いで茶道千家第二世となりました。


7.夏目漱石

夏目漱石は熱心な謡愛好家であったことが伝えられています。ロンドンから帰国後、よい謡の師匠を、と八方手を尽くして見つけ出した師が、宝生新(ワキ方宝生閑祖父)。短年月に百番あげるほどの気の入れようでしたが、腕前の方はまずまずで、師匠から、
「おもしろいことにあの謹厳な人格者の漱石先生のウタヒが、非常に色気のある謡い方で、シッカリしたウタヒではありましたが、その点はどうにもなりませんでした」(宝生新自伝)
と評されています。
亡くなる直前、医師に「酒が飲めるようになれば稽古してもいいでしょうか」と聞いているほどの謡好きであったといいます。


※以上、自由が丘産経学園講座「能がまるごとわかる」2017年4月~基本知識1 能の歴史と能をつくった人々~より、講座テキストを再構成しました。




……………《編集後記》………………………………………………………………
新築なった銀座の観世能楽堂へ行った。舞台は松濤のものをそのまま移築し、見所は広く、美しくなった。謡や囃子の音が後ろの方までよく通る構造設計である。これで東京の中心に、歌舞伎座と能楽堂が顔をそろえる。2020年に向け、外国人観光客も多数訪れよう。奇をてらった企画よりも、本物の演目と鍛え抜かれた芸を見せてほしい。能は“わかる”ものではなく、“感じる”ものだから。

五月雨の降のこしてや光堂
(芭蕉 奥の細道元禄二年)

                              (言)
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