山崎行太郎(yamazaki-koutarou)
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週刊・山崎行太郎の毒蛇通信

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週刊・山崎行太郎の毒蛇通信

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「三田文学」に発表した『小林秀雄とベルグソン』でデビューし、先輩批評家の江藤淳や柄谷行人に認められ、文壇や論壇へ進出。「小泉・竹中構造改革」批判や「沖縄集団自決裁判」批判で、曽野綾子や櫻井よしこ、小林よしのり、及び保守論壇の守旧派を徹底批判。最近は、「保守論壇の劣化」批判から「小保方晴子=STAP細胞事件」論・・・等、文壇・論壇の沈滞と劣化を批判し続けている。というわけで、「哲学者=山崎行太郎のすべて」がわかるメルマガ「哲学者=山崎行太郎の政治哲学概論」を読もう!!!

おすすめポイント
  • 「薄っぺら」で、「底の浅い」評論を排す!
  • 全員一致のファシズム的言説を排す!
  • 哲学や文学に基づく深くて「根源的」な言論を!
著者プロフィール

山崎行太郎(yamazaki-koutarou)

文藝評論家or哲学者。 慶大大学院(哲学専攻)修了。東京工業大学、埼玉大学を経て、日大芸術学部講師。著書・論文→『小林秀雄とベルグソン』『小説三島由紀夫事件』『保守論壇亡国論』『最高裁の罠』『曽野綾子大批判』『保守論壇の「沖縄集団自決裁判」騒動に異議あり!』。『月刊日本』に『マルクスとエンゲルス』連載中。

文学や哲学を知らずして政治や経済を語るなかれ。・・・我国の論壇やジャーナリズムには、読み捨てにされるような「薄っぺらで、底の浅い評論や評論家」が多すぎる。文壇や論壇に蔓延するのは・何処を向いても受け売りとパクリ的言論ばかりです。自分の頭で考えようとしないからだ。文壇や論壇の思想的劣化と退廃を、妨害や弾圧に屈することなく、厳しく批判・探求していきます。

サンプル号
メルマガ『週刊・山崎行太郎の毒蛇通信』



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はじめに。あるいは反時代的考察。
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★山崎行太郎です。メルマガ「週刊・山崎行太郎」の23号です。今
月から、『火曜日配信』『ニュース欄』に変更しました。暗中模索
の試運転期間も過ぎました。これから、いよいよメールマガジンに
よる本格的な言論・思想活動を展開していきたいと思います。今回
から長編の評論・論文も掲載していきます。いろいろ問題もあると
思いますが、小生の言論・思想活動の拠点としての「週刊・山崎行
太郎」を、今後ともよろしはくお願いします。
★先週は、「小沢一郎支援」「検察批判」「菅内閣批判」のデモや
講演会、集会が集中的に開かれました。この「検察批判・小沢支援
デモ」は、最初、ネットやブログを通じて集まった素人中心の手作
りデモとして始まったようですが、あっという間に全国的に飛び火
し、大きなウネリとなりつつあります。私も、このデモの存在をネ
ットで知り、一兵卒として参加しました。私にとっても初めてのデ
モでした。しかも先週になって、川内博史、辻恵、鈴木宗男、三井
環、植草一秀、副島隆彦、宮崎学をはじめ、民主党の代議士達や評
論家、ジャーナリスト、弁護士等をも巻き込んで、さらに発展的に
拡大しつつあり、今後の日本の政治を論じる上で無視できないもの
になってきたと思います。未だに、テレビや新聞などマスコミは、
このデモや集会を黙殺しようとしていますが、すでに一部の新聞(産
経新聞、東京新聞…)などは、黙殺できなくなり、小さい記事ではあ
るが報道し始めたようです。しかも、このデモの「テーマ」でもあ
る「政治家・小沢一郎」は、このネットやブログによる政治運動を
重視しはじめたらしく、進んでニコニコ動画に出演したり、ビデオ
レターによって集会に参加したりしはじめました。マスコミや検察
から目の敵にされ、しかもそれに迎合する一部の民主党の政治家達
によって「脱小沢」なる言葉と共に、政権から排除されている小沢
一郎ですが、おそらく小沢一郎がこのまま終わるとは思えません。
田中角栄の時代とは違います。小沢一郎はネット時代の最初の国民
政治家という意味で、貴重な存在です。逆に、マスコミには歓迎さ
れても、ネット世論の世界で嫌われる政治家は、これから生きてい
くことは出来ないでしょう。今、その転換期です。
★学問、思想、言論の世界でも同じような変化が起きています。佐
藤優、植草一秀、副島隆彦、宮崎学らの新著が店頭に並び、飛ぶよ
うに売れているようです。これに対して、これまで論壇やジャーズ
ムの主役だった思想家や評論家達の存在感が急に薄くなり、今にも
消えそうになってきました。テレビや雑誌でお馴染みの小林よしの
り、西部邁、中西輝政、桜井よしこ、宮崎哲弥、福田和也…、ある
いは姜尚中、田原総一郎、藤原帰一…等の言論に、誰も注目しなく
なりつつあります。彼等が、マスコミや論壇から消えるのも時間の
問題でしょう。これは、何を意味するのか。大きな変化が学問、思
想、言論の世界にも起りつつあるということです。たとえば、植草
一秀の新著『日本の独立』を出版した「飛鳥新社」は、以前は、さ
かんに小林よしのりや西部邁の本を出していた出版社です。出版社
も、商売ですから、いつまでも、売れなくなっている小林よしのり
や西部邁…とつきあっているわけにはいかないのでしょう。政治家
だけではなく、思想家や評論家、ジャーナリストも「主役交代」「
世代交代」の時代に突入しつつあるのです。私は、近く、『保守論
壇、メッタ斬り』(仮題)という本を出版します。ご期待ください。


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論考・小林秀雄と丸山真男
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■体験の思想化について……
小林秀雄の沈黙。 小林秀雄が、文壇にデビューする以前に父親の死
や、中原中也の「女」との恋愛や同棲、そして自殺未遂や家出など
、疾風怒濤の青春時代を送っていることは、よく知られているが、
そしてその青春時代の苛酷な体験や経験が、彼の文学的営為や思想
に少なからぬ影響を与えていることは、言うまでもないことだが、
小林秀雄自身はその体験や経験について、多くを語ろうとしなかっ
ただけでなく、むしろ徹底的に語ることを死ぬまで拒絶している。
われわれが、小林秀雄の波乱にとんだ青春時代の一端を知ることが
出来るのは、小林秀雄の年少の友人である作家の大岡昇平や、小林
秀雄の妹で、漫画『のらくろ』の作者として知られている田河水泡
と結婚した高見沢順子の「回想録」を通してである。ところで、早
い頃から、文芸雑誌の小林秀雄担当の編集者たちは、小林秀雄の回
想録を欲しがったが、小林秀雄自身は、それに対して決して首を縦
に振ることはなかった。つまり回想録の類の執筆を徹底的に拒絶し
続けた。それは、文学者としては、異常なほどである。むろん、小
林秀雄も、デビュー早々の頃は、まだ小説家として立つ意思を持っ
ていたので、小説のようなものを、たとえば『一つの脳髄』や『X
への手紙』等、幾つか残しているが、そこで、これらの波乱万丈な
青春時代について、書こうとしなかったというわけではない。いや
、むしろ積極的に書こうとしたと言っていいが、しかし書くことが
出来なかった。小林秀雄は、その頃の事をこう書いている。 ≪三年
前父が死んで間もなく、母が喀血した。私は、母の病気の心配、自
分の痛い神経衰弱、或る女との関係、家の物質上の不如意、等の事
で困憊してゐた。私はその当時の事を書きたいと思つた。然し書き
出して見ると自分が物事を判然と視てゐない事に驚いた。外界と区
切りをつけた幕の中で憂鬱を振り回してゐる自分の姿に腹を立てて
は失敗した。自分だけで呑み込んでゐる切れ切れの夢の様な断片が
出来上がると破り捨てた。≫(注一) 私は、小林秀雄の批評の成立に
とって、もっとも重要な内的体験の一つは、父親の死という体験で
あろうと思っているが、この『一つの脳髄』という作品でも父親の
死が重要な問題として描かれているわけだが、ついでに言うと、こ
こで語られている失敗した作品とは、実は『蛸の自殺』という小林
秀雄の実質的な小説の処女作で、そこでも、小林秀雄は、父親の死
や女との関係などを書こうとしていたらしい。では、その『蛸の自
殺』はどういう小説だったのだろうか。その小説の一部を引用して
みる。 ≪兎に角、父の死で一番参つたのは母である事は事実だつた
。謙吉か妹の兎もすれば墜入り勝の甘い感傷に比べれば、母の悲し
みはもつと深いものであつた。死といふ事実を目の前に見せつけら
れた事は同じであるが、其の感じ方は自ら異つて居なければならな
かつた。殊に病気になつてからは、死の影から逃れよう、先の事は
勉めて考へまい--と云ふ母の努力が痛ましく感ぜられて、よく妹が
無神経に母の前で父の話をするのをハラハラし乍ら聞いては母の前
で成可くさう云ふ話に触れまいと努める、謙吉も、時に依つて、「
死に度い」などと捨鉢な気持を露骨に表はす母に対しては、母がひ
そかに期待して居る月並な慰めの言葉も口に出す気になれず、唯、
厭な気持でむつつりとして居るより外仕方がなかつた。≫ ≪今夜は
母の咳が多い、---彼は晩く床に就いたが寝附かれ無かつた---咳の
音、黴菌が群をなして蚊帳の中で渦巻いて居る様だつた。謙吉は息
苦しさに、何度も寝返りを打つた。若し俺が伝染したら---俺みたい
な者に、落附いて養生するなんて云ふ事は不可能だ。だから必度死
ぬ---簡単に死ぬと定めて終つた空想が、単なる空想でない事に想到
してドキンとした。必度死ぬ---馬鹿、大体こんなに無闇と興奮する
のが善くないんだ、謙吉は蕎麦を食べた後で、自分の胃袋を想像し
て見る様な鮮かさで、興奮で充血した肺尖の形を頭に画いた。而し
て残忍な快感からその上に毛虫の様な黴菌を想像して這はせて見た
りした。≫ ( 注二) これらの文章から分かることは、小林秀雄が、
小説と言う形で、自分の体験や経験を忠実に再現しようと試みてい
ることである。おそらくここに書かれていることは、事実そのもの
に近いだろうが、小林秀雄はこれ以上、書き続けることが、つまり
小説家を目指しながら、小説を言語化し、完成することが出来なか
った。何故だろうか。それは、小林秀雄が、余りにも正確な、そし
て厳密な表現というものを目指していたからだろうと思われる。小
林秀雄は、ヴァレリーの『テスト氏』を翻訳しているが、そこにも
「正確という病を病んでいた ……」という重要なフレーズがあるが
、小林秀雄もまた、小説家になるには、余りにも研ぎ澄まされた、
鋭敏な、そして時には病的とも言うべき自意識の持ち主として「正
確という病を病んでいた……」のであり、そうであるが故に、その
病が、適当な、要するに安易な「体験の言語化」、つまり「体験の
思想化」を許さなかったのである。小林秀雄は、小説という「体験
の思想化」を断念することによって、やがて、近代日本で最初の独
創的な「批評家」になっていくのである。したがって、「自覚的な
批評家」(江藤淳)となった小林秀雄は、以後、体験や経験を安易に
語ることを、つまり体験や経験の思想化ということを、徹底的に拒
絶し、そして断念することになる。これに対して、近代小説は、ま
さしく体験や経験の安直な言語化であり、体験や経験の思想化に他
ならないが故に、小林秀雄は、それを拒絶し、そしてそれを厳しく
批判することで、批評というものを作り出していくのである。回想
録を書くこともまた、小説を断念した小林秀雄にとって、体験や経
験の安易な言語化であり、それは彼の感受性が許さなかったのであ
る。回想録を書いて、過去を回顧するぐらいなら、小説を書き、小
説家になればいい。小林秀雄が若くして断念したものとは、小説を
書くことであり、体験や経験を安易に思想化、言語化することだっ
たのである。 つまり、小林秀雄の批評の文章が燦然と輝く時がある
とすれば、それは、表面的には語られていないが、多くの苛酷な体
験や経験が沈黙の形でその文章に封じ込められている時である、と
いうことが出来よう。言い換えれば、言語化され、思想化されてい
ないだけに、その体験と経験は、作品の背後に封じ込まれ、やがて
文体を通して、激しい情熱とともに、われわれ読者の魂に迫ってく
るのである。それこそがは、厳密な意味での「体験の思想化」、あ
るいは「経験の思想化」ということであろう。小林秀雄は、大東亜
戦争開戦の前後に、時代論や情勢論から遠く離れるかのように、ド
ストエフスキー論に取り組んでいるが、『ドストエフスキーの生活
』という長編評論の序文「歴史について」で、こう書いている。 ≪
従つて次の事はどんなに逆説めいて聞こえようと真実である。偉大
な思想ほど亡び易いい、と。亡びないものが、どうして蘇生する事
が出来るか。亜流思想は亡びないのではない。それは生れ出もしな
いのである。≫(注三)

■丸山真男の原爆体験の思想化について。
丸山真男もまた、小林秀雄と同様に、語るに値する貴重な体験の持
ち主であるることが、今では、わかっている。それは、丸山真男の
原爆体験、ないしは被爆体験と言われるものである。だが丸山真男
は長い間、その原爆体験、ないしは被爆体験を誰にも語らず、隠し
続けた。戦後思想も戦後文学も、言うまでもなく、戦争体験を安直
に語ることから始まり、丸山真男はその思想潮流の頂点にいた人で
あるが、少なくとも丸山真男だけは、その戦争体験を、つまり原爆
体験を、みずから、積極的に語ろうとはしなかったように見える。
何故だろか。大いに疑問を感じるところだが、そこには、やはり他
人には言えないような何かが隠されているのだろうか。といよりも
、そこに、凡庸な戦後思想家、あるいは進歩思想家とは違うものが
、つまり丸山真男をして丸山真男たらしめたものの存在の秘密があ
ると言うべきかも知れない。われわれが、丸山真男に、他の凡庸な
戦後思想家とは違う、「何か」を感じるのは、そういうところかも
しれない。戦争体験を隠したまま、戦争体験を語らずに戦後思想を
先導してきた戦後思想家……。はたしてそんなことは可能なのだろ
うか。しかし、それを可能にしたのが丸山真男なのである。言い換
えれば、小林秀雄にもつながるような、「体験の思想化は可能か」
という問題がここに横たわっている。そして小林秀雄も丸山真男も
、素朴な「体験の思想化」を拒絶することによって、つまりメロド
ラマ(物語)としての素朴な体験を語らずに沈黙を守ることによって
、最高度の「体験の思想化」を達成したのではないだろうか。丸山
真男は、原爆体験を語り始めた頃、この問題を問うた藤高道也宛て
の書簡で、少し感情的になりながら、こう言っている。 ≪小生は「
体験」をストレートに出したり、ふりまわすような日本的風土(ナ
ルシズム!)が大きらいです。原爆体験が重ければ重いほどそうで
す。もし私の文章からその意識的抑制を感じとっていただけなけれ
ば、あなたにとって縁なき衆生とおぼしめし下さい。なお、私だけ
でなく、被爆者はヒロシマを訪れることさえ避けます。私は6年前、
勇をこして広島大学の平和科学研究所に被爆後はじめて訪れ、原爆
と平和の話をしました。しかし被爆者ヅラをするのがいやで、今も
って原爆手帖(ママ)の交付を申請していません。≫(注四) これは
、珍しく丸山真男らしくない感情的な物の言い方であるが、それ故
に、かえって丸山真男の思想的本質を露にした言葉だと言っていい
だろう。さて、この言葉から、丸山真男が、原爆体験を意識的に、
そして意図的に語らなかったのだ、ということがよくわかるのだが
、その上に、「被爆者ヅラをするのがいやで……」という過激な言
葉まで使って、「原爆手帖」の交付も受けていないと強調している
わけだが、これは解釈の仕方によっては、被爆体験や原爆体験を大
げさに語り、ヒロシマこそ平和運動の聖地として祭り上げようとす
る被爆体験者や原爆体験者、あるいはそういう戦後の平和思想を看
板にすえている政治勢力への内部批判と言う言葉とも受け取れるは
ずである。私が、丸山真男という思想家を、戦後思想や戦後民主主
義というイデオロギー的レベルで理解していては、丸山真男の存在
本質を見失うだけでなく、丸山真男の思想さえも見失うことになる
と思うのは、こういう点を考えているからである。丸山真男は、安
易に原爆体験を語ることを、「被爆者ヅラすること……」ととらえ
ていたのであり、「小生は『体験』をストレートに出したり、ふり
まわすような日本的風土(ナルシズム!)が大きらいです。」とい
う丸山真男の厳しい言葉の悪意は、原爆体験や原爆体験者にも、つ
まり凡庸な戦後思想にも戦後民主主義という思想にも向かっていた
はずである、と私は考える。丸山真男が、原爆体験を素朴に語るこ
とを拒絶し、沈黙した背景には、そういう丸山真男の思想的資質が
あったはずである。 凡庸な政治学者や思想家は、≪原爆体験という
ものを、わたしが自分の思想を練りあげる材料にしてきたかという
と、していないです。……≫(「普遍的原理の立場」―注五)という
丸山真男の告白を受けて、≪丸山は原爆体験の思想化を犠牲にして
でも、政治学者として戦争体験を思想化することにこだわり続けけ
だのとではないか。≫(平野敬和「丸山真男と原爆体験」―注六)と
か、あるいは≪丸山真男の謙遜な発言をそのままうけとることは危
険である。≫(石田雄「戦争体験の思想化と平和論」―注七)とか言
っているが、いずれも、どこかピントが外れているように見える。
それでは、何故、戦後二十数年も経ってから、≪小生は『体験』を
ストレートに出したり、ふりまわすような日本的風土(ナルシシズ
ム!)が大きらいです≫と言う一方で、頻繁に原爆体験を語り始め
ることになったのだろうか。何が、丸山真男に、沈黙し、抑圧して
いた原爆体験を語らせることになったのか。疑問である。年齢だろ
うか、病気だろうか。私は、ここに、小林秀雄と丸山真男の思想家
としての資質の「差異」があるように思うが、先走りは止めよう。

■八月七日の丸山真男……。 そこでまず、丸山真男の原爆体験につ
いて具体的に見てみよう。丸山真男は、敗戦間際の一九四五年三月
、東京帝国大学法学部の助教授の職にありながら、異例の再召集を
受け、そして、広島市宇品の陸軍船舶司令部(通称暁部隊)に配属さ
れた。そして八月六日の朝礼中に原爆に遭遇した。そして翌日、八
月七日のことであるが、これが、ちょっと微妙な問題を孕んでいる
ので、推測で語るのではなく、あくまでも丸山真男自身の証言をま
ず引用してみよう。丸山真男は、その翌日の事を次のように語って
いる。 ≪救護及び死体収容のため、兵隊は全部出動しろ、というあ
れが下ったわけです。本来なら僕は、これに行くはずなんですけれ
ども、情報班長が「お前は留守で残っていろ」と。それで、一人留
守になっちゃったのです。そのとき出ていたら、もっと悲惨な光景
を見ていたわけですけれども、まさに火が収まった直後、翌日の朝
ですから。その日一日、兵隊が、生々しい死体を片付け、破壊の後
片付けをやったところは全く知ら ないのです。僕が出たときには、
少なくとも通りはきれいに清掃されていました。(中略)あの兵隊の
中からも相当放射能に当たって発病した人がいるんじゃないでしょ
うか。直後ですから。≫(注八) 丸山真男は被爆の翌日、他の兵隊が
全員、後片付けに出かけたにもかかわらず、情報班長の命令で外出
せずに兵舎に残り、部屋に閉じこもっていいた。何故か。何故、丸
山真男だけが残ったのか。実は、この被爆者・丸山真男の「その翌
日」の、つまり「八月七日の丸山真男」にこだわったのは、私の知
る限り、作家の佐川光晴が最初で最後である。佐川光晴の結論、な
いしは予想は、漠然とだが、私にはわかる。佐川光晴は、こう言っ
ている。 ≪『卑怯だぞ!』という罵りが思わず口をつきかけるが、
それはやはり謹まねばならないだろう。しかし、やはり、このイン
タビューで最も強い印象を残すのは、部隊の全兵士が出動した兵舎
でひとり留守番をする丸山の姿である。上官がなぜ丸山ひとりに留
守を命じたのかはわからない。ただ、かれがそれに素直に従ったの
も事実である。(中略)投下の翌日にひとり兵舎で留守番をしていた
ことまでは語らなかっただろう。それは思いかけず口走るか、小説
として書く以外に言いあらわ しようもない事柄だからだ。(中略)八
月七日の丸山真男に、私は限りない愛惜の念を抱いている。本人は
どこまで意識していたかどうかわからないが、この一日がなければ
、その後の丸山はなかったとさえ、思っている。いつか、この日の
丸山に焦点を当てた作品を書いてみたい。≫(注九) 佐川光晴のこの
読みは、まことに鋭い。佐川光晴のこの丸山真男論は、どのような
丸山真男論よりも丸山真男の思想的急所を突いているとと言ってい
いだろうと思う。この分析は、丸山真男を崇拝する政治学者や思想
史家が、あるいは丸山真男を批判し否定する政治学者や思想史家が
遠く及ばない丸山真男の思想的本質の内部に踏み込んでいる。丸山
真男にとっての原爆体験とは、「八月六日」の体験ではなく、翌日
の「八月七日」の体験である。そこで、何が起こったのだろうか。
おそらく丸山真男の原爆体験にこだわる政治学者や思想史家は少な
くないだろうが、こういう問題の本質に迫る人は、一人もいないだ
ろう。少なくとも、これまでのところ、私は読んでいない。これは
佐川光晴も言う様に、小説的な問題、ないしは文学的な問題である
。そこで、私もまた、佐川光晴にしたがって、≪八月七日の丸山真
男に、私は限りない愛惜の念を抱いている。本人はどこまで意識し
ていたかどうかわからないが、この一日がなければ、その後の丸山
はなかったとさえ、思っている。≫と言っておこう。 ところで、丸
山真男自身は、別の発言では、意識的か意識的かはわからないが、
八月七日をたいして重視していないように見える。むしろ翌々日の
、八月八日の体験を強調している。たとえば、こんな具合に……。
≪私は戦後、なにかの折に「ああ、おれは生きているんだなあ」と
ふっと思うことがあります。というのは、なにか間一髪の偶然によ
って、戦後まで生きのびているという感じがするのです。…私の場
合とくにその実感を支えておりますのは、なんといっても敗戦の直
前の原爆であります。…そのときの状況をお話すればきりがありま
せんし、またその直後に私がこの目で見た光景をここでお話する気
にもなれません。ただ私は非常に多くの「もしも」-もしもこうで
あったら私の生命はなかった、したがって私の戦後はなかったであ
ろうという感じ、いわば無数の「もしも」のあいだをぬって今日生
きのびているという感じを禁じ得ないのであります。(中略)翌々
日、私は外出してみて、宇品町でも死傷者が多いのにおどろきまし
た。しかも私は放射能などということに無知なものですから、その
日一日爆心地近辺をさまよい歩いたりしました。その他、その他の
「もしも」を考えますと、私は今日まで生きているというのは、ま
ったく偶然の結果としか思えない。ですから虚妄という言葉をこの
ごろよくききますが、実は私の自然的生命自身が、なにか虚妄のよ
うな気がしてならないのです。けれども私は現に生きています。あ
あ俺は生きているんだなとフト思うにつけて、紙一重の差で、生き
残った私は、紙一重の差で死んでいった戦友に対して、いったいな
にをしたらいいのかということを考えないではいられません。≫(注
十) これが、丸山真男が原爆体験について公的な場所で語った最初
の文献らしいが、丸山真男はここで、「翌日」ではなく、「翌々日
」の体験を詳しく話している。丸山真男は、翌日は、やはり、戦友
のほとんどが被災地の後片付けに出掛けていつた後の留守の部屋に
一人、留守番として閉じこもっていたのだろうか。そして、≪翌々
日、私は外出してみて、宇品町でも死傷者が多いのにおどろきまし
た。しかも私は放射能などということに無知なものですから、その
日一日爆心地近辺をさまよい歩いたりしました。≫という発言だけ
から見ると、丸山真男は、翌日のことは、たいして気にも留めてい
ないかのようにみえるが、はたして、どうだったのだろうか。被爆
の「翌日」、つまり「八月七日」のことについては、敢えて避けて
、何事もなかったかのように「とぼけて……」いるのだろうか。む
ろん私は、丸山真男は、やはり「八月七日」にこだわっているのだ
と思う。だから、≪紙一重の差で、生き残った私は、紙一重の差で
死んでいった戦友に対して、いったいなにをしたらいいのかという
ことを考えないではいられません。≫と言うのであろうと思う。 こ
こから、丸山真男と小林秀雄の思想的体質の「差異」が、かすかに
見えてくる。小林秀雄が、その死まで沈黙を貫き通したのに対して
、丸山真男は…… 。おそらく、敢えて、丸山真男が、「八月十五日
」という特別な日に死んだことになっているように、丸山真男は、
癌発病から死を迎える段階において、「原爆体験を語ること……」
を選択したのであろう。しかし、あらゆる体験や経験の言語化がそ
うであるように、そこには記憶違いや嘘や虚偽が混入していないは
ずはない。丸山真男の原爆体験にも、「八月七日」の体験が、隠蔽
されている。「八月七日」に、丸山真男は、兵舎に残り、留守番を
していた。そのこと対して、丸山真男が「引け目」、あるいは「自
責」を感じなかったはずはない。≪紙一重の差で、生き残った私は
、紙一重の差で死んでいった戦友に対して、いったいなにをしたら
いいのかということを考えないではいられません。 ≫という自責の
言葉が、丸山真男の思想を支えているのである。丸山真男が、他の
凡庸な政治学者とはレベルの違う存在論的な政治学者になりえたの
は、そこに根拠がある。だが、言うまでもなく小林秀雄の沈黙とは
対照的である。
注一、1924/07 小林秀雄『一ツの脳髄』 『青銅時代』(第六號)
注二、1922/11 小林秀雄『蛸の自殺』 『跫音』(第三輯)
注三、1938/10 小林秀雄「歴史について」『ドストエフスキーの生活』
注四、1983年7月11日、丸山真男「藤高道也宛のはがき」『丸山眞男書簡集第3 巻』
注五、1967/5 丸山真男「普遍的原理の立場」『思想の科学』
注六、2006/4 平野敬和「丸山真男と原爆体験」『丸山真男 没後十年、民主主義の神話を超えて』
注七、1998 石田雄「戦争体験の思想化と平和論」『丸山真男座談』月報
注八、1998/7 丸山真男「24年目に語る被爆体験」『丸山真男手帖』
注九、2006/8佐川光晴「八月七日の丸山真男」『新潮』
注十、1965/8 丸山真男「20世紀最大のパラドックス」『丸山真男集九』



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三島事件の「事件性」を取り戻せ。(「月刊日本」連載『月刊文藝時評』)
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■三島事件の「事件性」とは何か。
 私は、学生時代、三島由紀夫の文学ではなく、三島事件に強い強
い衝撃を受け、それ以後、ひそかに三島事件に関心を持っていたが
、作家・三島由紀夫や、三島由紀夫の文学作品の解釈や研究にはそ
れほどの深い関心を持つことは出来なかった。しかし、たまたま「
三田文学」が復刊され、文藝評論を書く機会が訪れた時、不思議な
ことだが、私は躊躇することなく「三島由紀夫論」を書くことにし
た。私は、文藝評論家としての自分の本格的なデビュー作となるか
もしれない最初の作家論を、当時、私がもっとも関心を持っていた
のは小林秀雄であり江藤淳であり、大江健三郎であったにもかかわ
らず、つまり三島文学にそれほど深い関心を持っていたわけではな
いにもかかわらず、「三島由紀夫論」から始めた。やはり三島事件
のインパクトが大きかったのである。私は、文藝評論家を自称して
いながら、文学の本質が政治的なものであり、政治的な事件として
の三島事件にこそ三島文学の核心があると考えていた。むろん、私
の三島由紀夫に対する関心の持ち方は正統的なものではなく、きわ
めて偏ったものだと言っていいだろう。しかし私は、私の三島由紀
夫論が「的外れ」だと思ったことは一度もない。むしろ、文壇や文
芸誌によく見られるような、いわゆる文学的な三島由紀夫論こそ、
文学的にも思想的にも的外れだと考える。
 さて、三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊駐屯地で切腹、自決して以来
、今年で四十年がたつ。『憂国忌の四十年』(並木書房)という本が
送られてきたので、それを知ったのだが、この『憂国忌の四十年』
という本は、いわゆる文学的、文壇的な本ではない。三島事件後、
文壇や文学関係者たちが三島事件から逃げる中で、故人・三島由紀
夫の慰霊祭と鎮魂祭、いわゆる憂国忌を敢然と執り行ってきた「三
島由紀夫研究会」の人たちの記録である。彼等の多くは世間的には
それほど名の知れた人たちとは言いがたい。しかし、私は、この本
をきわめて文学的な書物として読み、そして文学的に高く評価する
。ここにこそ、「生きた文学」があり、「生きた政治」があると考
えるからだ。ここには、まだ三島事件が生々しい現実として、つま
り「事件性」がそのまま生きている。物語や懐メロになっていない
。たとえば、長い間、憂国忌を取りしきってきた「三浦重周」の話
が私の眼を引いた。三浦は、学生時代から右翼民族運動に打ち込み
、大学卒業後も、就職せずに民族運動一筋に生き、そして「三島由
紀夫研究会」の実質的な責任者として憂国忌を主催しつづけた人で
ある。その三浦重周は、平成17年、私も出席したのだが、第35回憂
国忌を終えた直後、故郷の新潟の岸壁で自決した。私は、思想のた
めに自決できる人間が現実に存在すると言うことに驚いた。私が、
三島事件は今なお生きていると考える根拠はここにある。思想や文
学のために自決できる人間がいるということは、その文学や思想が
生きていてるということ、つまり事件の事件性を意味する。『憂国
忌の四十年』という本は、三島事件が未だに歴史でも物語でもなく
、「事件」であり続けていることを物語る書物である。
 ■座談会「2010年の三島由紀夫」には、何故、リアリティが欠如
しているのか。
 さて、その一方では、「文学界」12月号が、「没後40年、2010
年の三島由紀夫」という座談会を掲載しているが、こちらは明らか
に三島事件を封印し、隠蔽し、そして忘却しようとしているように
しか見えない。つまり三島文学や三島事件の「事件性」から逃げて
いるようにしか見えない。この座談会の出席者は横尾忠則、平野啓
一郎、田中慎弥、中村文則の四人だが、横尾忠則だけが、生前の三
島由紀夫本人とかなり深い交流があった人で、他の作家たちは、三
島事件後に、つまり三島由紀夫の自決後に生まれた人たちらしく、
三島由紀夫を作品や情報を通してしか知らない。そのせいもあるだ
ろうが、三島由紀夫に対する彼等の態度は、きわめて観念的・抽象
的で、解説的・分析的な話に終始している。言い換えれば、三島由
紀夫の文学作品を絶賛し、さかんに強く影響を受けたと言うわりに
、その語り方にリアリティーがまったく感じられない。私は、そこ
に現代日本文学の文学的、思想的劣化を感じないわけにはいかない
。やはり、現在の作家たちにとっては、三島由紀夫という存在の「
身体性」や「事件性」は忘却され、隠蔽されたままだと思われる。
とりわけ平野啓一郎という作家の、三島文学や三島事件に対する過
剰ともいえる「解説」と「解釈」には、文学的な貧しさしか感じら
れなかった。小林秀雄は、「解釈を拒絶したものだけが美しい」と
言い、「美は人を沈黙させる」と言ったが、三島文学にも三島事件
にも、「人を沈黙させるもの」があり、「解釈を拒絶するもの」が
あるはずである。三島文学が「今なお生きている」のは、そこに理
由がある。平野のように凡庸な、すでに常識化した解釈に、さらに
紋切り型の解釈を重ねたところで、三島文学も三島事件も理解でき
るはずはない。平野は、単なる「物知り」や「情報通」の枠を一歩
も出ていない。だから私は、横尾忠則の次の言葉に、もっとも文学
的なものを感得する。平野啓一郎が「ご本人に出会う前から、三島
作品は読まれていたんですか。」という問いに対して、横尾はこう
答えている。
 ≪一冊も読んでいなかったですね。(中略)僕が興味を持ったのは
、三島文学ではなく、行動する作家としての三島さんでした。それ
までああいう作家はいなかった。そこで、憧れの対象としての三島
さんに近づくための手段として、本を読んでいたという感じですね
。(中略)全く頭に入らないので面白いはずがない(笑)。≫
 私は、三島文学は読んでいなかったと言う横尾忠則にもっとも三
島由紀夫のよき理解者を感じてしまうのだが、それは何故だろうか
。横尾忠則には三島文学や三島事件に対する素朴な「驚き」と「畏
怖」があるが、平野啓一郎等にはそれがないからだろう。それは、
三島文学や三島事件を「事件」として捉えようとせず、解釈や解説
の対象としての「物語」や「作品」としてしか捉えようとしていな
いことと無縁ではない。三島由紀夫が異常な関心を寄せていた「空
飛ぶ円盤」についても、中村文則や平野啓一郎が「取材」や小説の
「材料」の次元でしか考えていないのに対して、横尾忠則はこう言
っている。
 ≪空飛ぶ円盤の愛好会があったんですが、三島さんはそれに入会
していたはずです。(中略)いや、取材とは関ないですよ。隠れたオ
カルチストなんじゃないですか。本当に好きなんです。あの頃、黒
沼健という人が、地底帝国やアトランティスや古代文明などの、超
常現象ものの本をいっぱい書いていて、三島さんも澁澤さんも、黒
沼さんに非常に興味を持っていたはずです。僕も刺激されて、その
後鎌倉の黒沼さんの家を訪ねたことがあります。≫
ところが、この話を受けて、平野啓一郎は、≪彼の小説のベースは
やはり十九世紀的リアリズムなんです。だから、どこかからそうい
う面白いものを調達してくる必要があって、そのイメージの源泉を
、たとえば、エロチシズムや、最後は天皇を中心とした日本の文化
的な伝統に求めた。オカルト的なものも、三島にとってはそういう
ものだったんだと思います。≫と解説している。たとえこの解説が
正しかったとしても、私は、平野は三島文学からはかなり遠い人だ
と思わないわけにはいかない。三島由紀夫は信じていようと信じて
いまいと、空飛ぶ円盤を必死で求めた人であって、小説を書くため
の面白い素材として空飛ぶ円盤なるものを取材した人では、おそら
くない。神の存在を徹底的に信じるが故に無神論にたどりついたド
ストエフスキーのように、空飛ぶ円盤という存在を深く信じた人だ
ったと言っていい。
■三島文学は文学だけの問題ではない。
 さて、再び、『憂国忌の四十年』という本にもどる。この本に登
場する民族運動の学生達も、そして年月を経て壮年となった人達も
、三島事件のリアリティ、つまり事件性から、未だに無縁ではない
。当然ながら、憂国忌は、慰霊と鎮魂の宗教的儀式である。たとえ
ば、三島由紀夫と同様に切腹して自決した「三浦重周」の事件は、
ポスト・モダン的な擬似イベントでも、あるいは「スノビズム」(ゴ
ジェーヴ)でも「シニシズム」(スラヴォイ・ジジェク)でもない。文
字通り悲劇である。彼等の中には、三島由紀夫と三島事件が生きて
いる。
 ところが、≪三島由紀夫の作品は素晴らしいですから、純粋に、
文学作品として読めばいいと思います。一番入りやすい作品は『金
閣寺』でしょうか。≫(中村文則)とか、≪僕も、純粋に文学作品と
して、おもしろく読めばいいと思います。僕は、三島の行動自体に
興味があるのではなく、僕等の世代が持たなくなってしまった日本
語の感覚や教養を持っている作家として、三島さんが好きなのです
。行動ということになると、作家はとにかく作品を書くことが最大
の行動なので……≫(田中慎弥)と語る「文学界」の座談会「没後4
0年、2010の三島由紀夫」には、現場感覚、事件性の感覚というも
のが欠如している。ならば、むしろ、三島由紀夫との距離感や違和
感を語るべきである。そしてそこから始めるべきではないのか。そ
の意味で、三島文学との距離感や違和感を語る中村文則の次の発言
にちょっと関心を持つ。
 ≪三島由紀夫は僕の中でとても複雑な存在なんです。(中略)作家
全体を通して論じるとなると、なかなか難しい。なぜかというと、
三島の文学の核にある三島ならではの「美」に、距離を感じてしま
うからなんです。(中略)分かりやすい例を挙げると、『憂国』とい
う作品に僕はどうも距離を感じるんです。短編として見事で、大傑
作だと思う。特に切腹のシーンなんて、描写が神がかっている。で
も距離を感じてしまう。≫
 私は、この中村の発言にむしろリアリティを感じる。何故、座談
会の冒頭でこの話をしなかったのか、私には不可解である。私は、
最近の若手作家たちが、何故、素直に三島文学との距離感や違和感
を語ることから始めようとしないのかが不思議でならない。
 最後に、『憂国忌の四十年』で見つけた福田恒存の言葉を引用し
ておく。≪わからない、私には永遠にわからない。≫(P17)






 
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ブログ「毒蛇山荘日記」から
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2010-12-08 編集
植草氏の『日本の独立』論を読みながら……。
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一昨日の『日本の独立』出版記念講演会は、副島隆彦氏の登場の影
響もあったのかもしれないが、大成功のうちに終わったらしく、第
二回目の講演会も企画されているらしい。さて、その植草氏の『日
本の独立』だが、発売早々からベストセラー街道を驀進中らしく、
度々在庫切れになり、増刷を繰り返しているようだ。それにしても
、植草氏の『日本の独立』が、今、売れているということは、それ
だけ多くの読者に支持され、読まれ、そして思想的影響を与えてい
るということだから、植草氏が、所謂、「植草事件」に巻き込まれ
、マスコミや世間から「白い眼」で見られていた頃から較べると、
やはり隔世の感があり、当初から「植草事件」の政治的謀略性に注
目してきた者としては、感慨深いものがある。これは、やはり、あ
の頃とは思想状況が大きく変わりつつあることを示しているように
思われる。あの頃のマスコミ、論壇、ジャーナリズムは、「小泉・
竹中構造改革」路線一色であり、たとえば宮崎哲弥や三宅某、田原
総一郎等のような、「官房機密費」まみれ疑惑の御用文化人や御用
ジャーナリストばかりが我が物顔でのさばり、それに逆らったり反
論するものは、「鈴木宗男事件」や「植草事件」が象徴するように
、社会的に抹殺されることを覚悟せざるをえなかった。さて僕も、
植草氏から『日本の独立』の贈呈を受けたので、誰よりも早く読ん
だが、かなり分厚い本だったにもかかわらず、一気に読み終えるこ
とが出来た。そして、この本には、植草氏の人生と運命が深くかか
わっていることを感じないわけにはいかなかった。ところで、「小
泉・竹中構造改革」一派の御用経済学者、御用ジャーナリストの一
人と思われる池田信夫による『日本の独立』に対する感想文を「ツ
イッター」で見つけたので、ここに引用してみよう。

==========ここから引用============
ikedanob 仮説の少ない理論がすぐれているという「オッカムの剃刀
」を基準にすると、「小泉=竹中が日本経済のすべての問題の原因
だ」という植草理論は最もすぐれている。簡単に反例が見つかると
いうのも、新古典派と同じだし。
===========引用ここまで===========

なるほど、こういうくだらない感想文もあるのかという見本のよう
なシロモノであるが、これが「小泉・竹中構造改革」一派残党の御
用文化人のものとして読み返すとなかなか面白い。そもそも、池田
が言う、「『小泉=竹中が日本経済のすべての問題の原因だ』とい
う植草理論……」なるものは、文字通り、「小泉・竹中構造改革」
一派残党のとしての池田の被害妄想であって、そんな経済理論は存
在しない。植草氏の『日本の独立』論に「植草理論」なるものがあ
るとすれば、「悪徳ペンタゴン理論」だろうが、これは別に池田が
期待するような経済理論ではなく、むしろどちらかと言えば、政治
学的、思想的理論だろう。植草氏の『日本の独立』論が、今、よく
読まれているとすれば、それはこの本が、きわめて政治的、思想的
書物として読まれているということだろう。しかし、池田信夫のよ
うな経済バカには、気の毒なことにそれがまったく見えていない。
この植草氏の『日本の独立』論が、今、多くの読者を獲得し、多く
のファンを講演会に集めることが出来るのは、この本の持つ思想的
価値ゆえであろう。その思想的価値とは、植草氏が、「植草事件」
と言われる不幸な政治的謀略事件に巻き込まれたという体験なくし
ては、ありえなかったものであろう。「エコノミックス」とは、も
ともと「政治経済学」と翻訳すべき概念だったと言われているが、
植草氏の最近の仕事は、まさしく「政治経済学」と呼ぶべきものだ
ろうと僕は思う。僕は、以前、『エコノミスト亡国論』なるものを
書いて、いわゆる「小泉・竹中改革」時代に大手を振って闊歩して
いた能天気な済学者やエコノミストたちを批判したことがあるが、
それは、彼等が、経済や経済政策が、政治や国家に支配、操作され
ていることを隠蔽し、忘却し、あたかも経済や経済政策で全てが語
りつくせるかのように錯覚し、自己欺瞞に陥っていることと無縁で
はなかった。(続)

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2010-12-07 編集
鈴木宗男事件と佐藤優事件とは何だったのか?
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ここ五、六年の思想状況の変化はかなりは激しい。昨日、一昨日に
行われた「反検察」「小沢一郎支援」のデモや、ウォルフレン講演
会や植草講演会、そして昨日の鈴木宗男氏の収監騒動等に象徴され
る、この思想状況の変化は決して表層だけのものではなく、そこで
は現代社会の思想状況の根底を揺り動かし、現代社会の隅々に構造
的変化をもたらすような大きな変動が起きていると言うべきだろう
。たとえば、今、「マスコミ」「検察」「アメリカ」……というよ
うな既存の権力構造の闇が次々と暴露されているわけだが、それは
単に、「マスコミ」「検察」「アメリカ」……の問題にとどまらな
い。何か大きな思想的変化が起きている。もはや学者も思想家も、
そしてジャーナリストや各種文化人や芸能人達も、今までどおりに
は通用しなくなっている。先日、日曜日のテレビ朝日の番組に、お
馴染みの藤原ナニガシと姜尚中等が出演して、深刻そうな顔をして
北朝鮮問題とやらを解説・論評していたが、それを見ながら僕は、
この連中も、新聞記者上がりの政治評論家達と同様に、「もう終わ
ったな(笑)」と思わないわけにはいかなかった。何かが「ズレ」て
いるというか、何も「見えていない」のである。要するに、緊急に
論ずべき本当の問題は、まったく別の場所で起きているのである。
つまり、何か大きな思想的変化が起きているのだが、しかし残念な
がら、それが、彼等には見えていない。彼等の言論に無関心になっ
ていくのも当然だろう。さて、それでは、思想的な現場で、何が起
っているのだろう。僕は、その思想的変化を端的に象徴するのが「
思想家・佐藤優」の登場であろうと思う。言うまでもなく、佐藤優
は、元外務省情報分析官であり、鈴木宗男の片腕としてロシア外交
の裏舞台で活躍していたために、鈴木宗男事件との関連で逮捕され
、およそ一年間の拘留生活を経て社会復帰し、それと同時に、堰を
切ったかのように言論・思想活動を開始した人である。つまり、鈴
木宗男事件と佐藤優事件がなければ、現代社会の思想状況の根底を
揺り動かし、現代社会の隅々に構造的変化をもたらすような大きな
変動が起きていなかったかもしれない。いわゆる、「マスコミ」「
検察」「アメリカ」……というような既存の権力構造の闇が次々と
暴露されていくこともなかったであろう。むろん、今では誰もが常
識のように語る「国策捜査」「検察の暴走」「官僚の暴走」という
問題だが、おそらく佐藤優の登場がなければ、話題にすらならなか
ったであろう。要するに、佐藤優の登場によって、既存の学者、思
想家、ジャーナリスト等は、ことごとに、その存在意義を失い、消
えていかざるをえなくなったと言っていい。姜尚中東大教授は、売
れっ子の学者文化人として、どれだけテレビで顔を売ろうが売るま
いが、決してテレビに登場しようとしない佐藤優と比較すれば、も
はや出番を間違えた「哀れなピエロ」でしかない。その意味で、鈴
木宗男事件と佐藤優事件は現代の思想状況の変化の原点であり、昨
日の鈴木宗男収監騒動は、鈴木氏には申し訳ないけれども、やはり
歴史に残る記念すべき出来事であったと言わなければならない。


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2010-12-06 編集
鈴木宗男氏の収監の日に思うこと。
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衆議院議員・鈴木宗男氏が、とうとう収監される日がやってきた。
小泉政権時代、鈴木氏は、政治的謀略に巻き込まれ、そして同時に
激しいメディアバッシングを受け、やがて「やまりん事件」という
冤罪で逮捕され、裁判の結果、有罪が確定し、ついに収監の日とな
ったわけだが、その間に、鈴木宗男氏を取り巻く状況に大きな変化
があったことは、特筆されるべきであろう。鈴木宗男氏も言うよう
に、逮捕当時、鈴木宗男を擁護するものは、、ほぼ絶無であったと
言っていい。むしろ誰もが、新聞やテレビ、雑誌、週刊誌など、様
々なメディアが垂れ流す情報を鵜呑みにし、鈴木宗男という悪徳政
治家が逮捕され、有罪になることを歓迎し、拍手喝采していたはず
である。鈴木宗男バッシング情報が、政治的な謀略に基づくもので
あることを主張したり、分析したものは、私の知る限り、なかった
。しかし、今、つまり鈴木宗男氏が収監されようとしている現在、
「鈴木宗男は冤罪だ……」「鈴木宗男は被害者だ……」という鈴木
宗男擁護論は、ほぼ同時に逮捕された鈴木宗男氏の盟友、元外務省
情報分析官・佐藤優氏らの活発な言論活動の影響もあってか、巷に
溢れている。まさに隔世の感があるわけだが、鈴木宗男逮捕の日か
ら収監の日までの間に、日本で、いったい、何が起ったのか。実は
、僕は、鈴木宗男逮捕事件が起った当時、「月刊自由」という雑誌
にコラムを連載していたが、そこで、僕は、ほとんど問題にもされ
ず、ほぼ黙殺されたけれども、鈴木宗男バッシングにも鈴木宗男逮
捕にも反対し、抗議するコラムを、何回かにわたって書いていた。
先見の明を誇りたいわけではないが、これは、僕の言論活動におけ
る忘れられない場面の一つである。僕は、今、収監の日を迎えた鈴
木宗男氏が、多くの支援と激励の声に包まれていることを書いてい
る「ムネオ日記」(鈴木宗男ブログ)を読みながら、喜びと共に、少
し複雑なものをも感じている。その意味で、僕は、バッシングを受
けようと受けまいと、獄に繋がれようと繋がれまいと、無位無冠に
なろうとなるまいと、有罪であろうと無罪であろうと、そんなこと
に関係なしに、終始一貫して鈴木宗男を支援し続けている松山千春
と佐藤優のような男が好きである。僕は、鈴木宗男に対する、損得
勘定抜きの、底知れない二人の「男の友情」に、思想的に感動せず
にはおれない。思想の精髄というものがあるとすれば、そういうと
ころにしかないと僕は確信する。



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2010-12-02 編集
「小沢復権」なくして「民主党再生」なし。 
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菅直人や仙谷由人を中心とする現在の民主党政権の支持率急落と各
種の選挙における相次ぐ民主党系候補の惨敗、そして解散総選挙の
「風」が吹き始めると共に、急激に浮上してきたのが、全国的な規
模で同時多発的に繰り広げられた「小沢支援デモ」に象徴されるよ
うな、異常とも言える「小沢一郎人気」である。先日は、小沢一郎
支援のシンポジウムが豊島公会堂で開かれ僕も出席したが、会場の
雰囲気は異様であり、仙谷由人批判や菅直人批判に熱狂的に拍手し
、一方では小沢無罪の話になると拍手が鳴り止まないなど、ほぼ満
員の観客のほとんどが、今や小沢一郎支持者、小沢一郎ファンであ
るように見えた。これは、決して世間の片隅で起った一部の現象と
は思えない。当日は、産経新聞を初め、大手新聞の新聞記者たちも
出席したようだから、肌で感じたはずである。メインゲストとして
出席した民主党の川内議員や辻議員も、二人とも小沢支持の民主党
議員であるにもかかわらず、「小沢支持」の観客席から「民主党は
何をしているんだ……」というような、激しい野次に見舞われて、
絶句するほどだった。僕も、あらためて、「小沢復権」なくして「
民主党再生」なし、と思った次第である。そもそも民主党の迷走と
転落は、歴史的な政権交代を成し遂げたにもかかわらず、その最大
の功労者である小沢一郎を、マスコミや自民党など野党の戦略的「
小沢一郎批判」に引きずられて、つまり敵勢力の政治的謀略にまん
まと引っかかって、政権運営から排除しようとしたところにある。
つまり、「脱小沢」とか「小沢切り」で、政権交代を支持しないは
ずのマスコミや国民世論に迎合したところにある。これは菅直人や
仙谷由人だけではなく、鳩山由紀夫から始まっていたことである。
今は、鳩山由紀夫も、やっと目が覚めたのか、「菅直人に裏切られ
た」とか「仙谷由人に裏切られた」とか言っているらしいが、それ
も元をたどれば、鳩山政権の発足の時点から始まっている「小沢排
除」路線にあることは言うまでもない。小沢一郎という政治家の台
頭を恐れていたマスコミと自民党、官僚等の旧支配層が構築した「
小沢一郎包囲網」による「小沢一郎つぶし」、つまり小沢秘書逮捕
事件による小沢一郎から鳩山由紀夫への代表交替を利用して小沢を
政権中枢から排除するという旧勢力の政治的謀略に乗せられて、我
こそは政権交代の主役だと勘違いし、小沢一郎を「党」に封じ込め
ると同時に仙谷由人や前原誠司ら、小沢一郎が密かに「彼等を警戒
せよ」と耳打ちしていたにもかかわらず、聞く耳を持たずに、強引
に重要閣僚に迎え入れた鳩山由紀夫の政治的な「盲目」にある。鳩
山由紀夫がもっとまともな政治家であったならば、民主党も政権交
代も、こんなに短時間に消耗するはずはなかっただろう。さて、現
在の民主党だが、党勢回復も支持率回復も、ことここにいたっては
もうほとんど困難だろうと僕は思う。前原誠司や仙谷由人らは、次
はオレの番だと思っているかもしれないが、残念ながらその前に民
主党が消滅しているはずである。後は、民主党も自民党も解党する
ような政界大再編しかない。小沢一郎は、若手の民主党議員たちの
集会で、「党を割るな」と言っているらしいが、それがはたして民
主党再生に期待しているということかどうか、あるいは民主党を解
党するような形での民主党再生戦略なのか、いずれにしろ政界は一
寸先は闇であって、要するに天才的な政治戦略と実行力を持つ小沢
一郎にしか、それはわからない。いずれにしろ、歴史は動いている
。結果はいずれ判明するはずであり、小沢一郎の民主党再生戦略を
見守りたい。ところで、岡田民主党幹事長は、相次ぐ地方選挙の敗
北の原因の一つに「小沢国会招致問題」があると言ったらしいが、
今頃、何を寝ぼけたことを言っているのか。岡田には、「死ぬまで
寝ていろ」と言っておきたい。小沢一郎の「政治とカネ」問題など
どうでもいい。そんなくだらない低次元の問題は、馬鹿と阿呆の溜
まり場になっている論壇やマスコミに棲息するタボハゼどもにまか
せておけ。


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