古代史探求レポート

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メルマガ名
古代史探求レポート
発行周期
ほぼ 週刊
最終発行日
2017年11月21日
 
発行部数
579部
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0001587982
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PC・携帯向け/テキスト形式
カテゴリ
ニュース・情報源 > 一般ニュース > 文化・芸能

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古代史探求レポート 2017年11月22日号
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皆様にとって、日本を代表する「神社」とはどこですか?という質問がなされたとしたら、ほとんどの人が「伊勢神宮」と答えると思います。二十年毎に遷宮を行う、皇祖神である天照大神を祀る神社です。
では、その次はどこですか?という質問がなされたとするなら、皆さんはどこの神社と答えられるでしょうか。もちろん、いくつかの回答に別れるのかもしれません。日本書紀の中で神宮という名称がつけられている石上神宮や、現在は出雲大社と言われる出雲大神宮、三種の神器の天叢雲剣を祀る熱田神宮、延喜式の中で名称に神宮とつく香取神宮と鹿島神宮などが存在します。
神宮という名がつくと、格の違いがあるように感じます。神武天皇の橿原神宮、応神天皇の宇佐神宮、天智天皇の近江神宮、桓武天皇の平安神宮、明治天皇の明治神宮などは、実在した天皇を祀る神社の中では別格の尊厳と格式を備えています。
しかし、日本における神話の大きさから考えても、やはり二番目の神社と言われると出雲大社になるのかもしれません。遷宮が六十年毎に行われていること、出雲国造の子孫が八十代以上に渡り世襲制で宮司を守り続けていること、そして何より日本で最も大きい建造物であったことからも、伊勢神宮以外には出雲大社に勝る神社は存在しないのかもしれません。見方によれば、全国の神が一堂に集まる唯一の神社でもあるわけです。
出雲大社という名前になったのは、なんと明治時代になってからのことです。それ以前は、杵築大社(きづきたいしゃ)と呼ばれていました。祭神は、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)です。大国主命に関しては、皆様がよくご存知の通り、因幡の素兎の物語や、国譲りの神話が語り継がれています。
今回は、この国譲りとは何だったのかを歴史探求社の視点で考えて見たいと思います。
まずは、古事記に記載されている話を、もう一度確認したいと思います。今回は、出雲観光ガイドの内容を使わせていただきます。
『昔々、出雲の国は大国主大神という神様が治めていました。しかし高天原を治めていた天照大神はその様子をご覧になり、「葦原中国(あしはらのなかつくに)は我が子が統治すべき」とお思いになりました。
そこで天照大神は「先に行って地上の神たちを服従させなさい」とおっしゃってアメノホヒを遣わし下しましたが、アメノホヒは大国主を尊敬し家来になってしまい、そのまま帰ってくることはありませんでした。天照大神は新たにアメノワカヒコを遣わしましたが、この神は大国主の娘に心を奪われ、御殿を建てて住みついてしまいました。天照大神は様子を見てくるようにと鳴女(なきめ)と呼ばれるキジを送りましたが、キジはアメノワカヒコに射殺されてしまいました。
使者が誰も帰ってこないので、アマテラスは力自慢のタケミカヅチと足の速いアメノトリフネ(日本書紀ではフツヌシ)の二神を差し向け、武力で解決しようと考えました。二人の神は出雲の国の伊耶佐(いざさ)の小浜に降り立つと、剣を抜き逆さまにして柄を下にして突き立て、その剣の切っ先の上にあぐらを組んで座りました。そして大国主に「私たちは天照様の命令できた。葦原中国は我が子が統治すべきだと天照様はおっしゃっているが、お前はどう思うか?」と強い口調で言いました。
大国主は「私の一存ではお答えできません。息子の事代主がお答えいたしましょう。ですがあいにく美保の岬に鳥や魚を取りに遊びに行っております。」と答えました。タケミカヅチはアメノトリフネを迎えに行かせ、国譲りについて尋ねたところ、事代主は「おっしゃるように、天照のお子様に差し上げましょう」と答えました。
するとそこへ大国主のもう一人の息子で力持ちの建御名方(タケミナカタ)が大きな岩を抱えて戻ってきました。 建御名方は「この国が欲しいのなら力比べだ」と言って大岩を投げ捨て、タケミカヅチの腕をぐいとつかみました。するとタケミカヅチの腕が氷の柱や鋭い剣に変わりました。建御名方が驚きひるんでいると、今度はタケミカヅチが建御名方の腕をつかみ、葦の若茎のように軽くひねって投げ飛ばしてしまいました。 建御名方は恐ろしくなり、逃げ出しました。
タケミカヅチは逃げるタケミナカタを追いかけ、とうとう信濃の国(現在の長野県)の諏訪湖辺りまで追いつめて組み伏せてしまいました。建御名方は「私は諏訪の地から外には出ません。葦原中国は全部お譲りしますから助けてください」と命乞いをしました。
タケミカヅチが出雲に帰り、大国主にそのことを伝えると、大国主は「仰せのとおりこの国をお譲りします。そのかわり、高天原の大御神様の御殿のような神殿を建てていただきたい。」と答えました。 タケミカヅチは願いを聞き、大国主のために大きな神殿を建てました。』
皆さんはこのお話、どう思われます?いろんな見方があると思います。そもそも天照大神は非常に勝手です。他人の国が魅力的に見えたので、自分の子供にあげたいとなど、本来なら許されるべき行いではありません。天照大神の長男はアメノオシホミミで、瓊瓊杵尊や神武天皇に繋がって行きます。このオシホミミの弟が登場するアメノホヒで、出雲国造の祖先であるとされています。大切なのは、天照大神の我儘から始まり結果的に大国主という国津神の土地を天津神が武力で奪ってしまった話だという事です。
もともとこの土地は、高天原を追い出された暴れん坊のスサノオノミコトが治めた土地でした。そして、その子孫の大国主が国を大きくした時点で、今度は天照大神が武力で取り上げようというわけです。天照大神というのは、聖人であるわけではないのです。親となっては子供のためには悪人にもなるということを、神話は語っているのかもしれません。
なかなか、思い通りにことが運ばなかったことや、大国主の子供達の同意と抵抗があった話が出てくるのですが、最終的には取引になります。大きな御殿を建てる代わりに、国を譲るというわけです。何とも不可解な話です。
その上、もらった御殿は、天にも通じるような高さを誇る建物でした。家の中に入るのに、どれほどの階段を登らなければならないのか。高速エレベータが完備したマンションであれば、高層階は見晴らしも良く人気が出ますが、歩いて階段を登らなければならない時代に高層建築を喜ぶ人が実在したのでしょうか。
出雲国の一宮といえば、出雲大社であろうと思っておられる方も多いかもしれませんが、正確には出雲大社とともに一宮とされる熊野大社があります。日本三代実録によりますと、貞観元年(859年)熊野神の神階は従二位勲七等ですが、杵築神の神階は従二位勲八等に序列されています。つまり、熊野大社の方が、出雲大社よりも格上なのです。出雲の世界の中でさへ、出雲大社は一番ではありませんでした。
熊野大社があるのは松江市八雲町熊野であり、松江市の南の山の中です。出雲大社が島根半島の西の端に建っているのとは大きく異なります。祭神は「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命」という非常に長い名前です。意味は、イザナギが可愛がる御子である神聖なる祖先熊野大神こと、櫛御気野命(くしみけのみこと)ということになるようです。どうしてて、こんなにわかりにくい祭神名をつけているのでしょうか。
日本海に沿って北陸に目を向けてみたいと思います。北陸道総鎮守越前一宮は気比神宮です。ここの祭神は伊奢沙別命(いざさわけ)であり、別名御食津大神(みけつおおかみ)です。熊野大社の現在の祭神は、スサノオノミコトであり、別名櫛御気野命(くしみけのみこと)というのは、同じであるのかもしれません。別名の中に隠された本来の神がいるのではないでしょうか。
しかし、国譲りの神話はもともと大国主命が治めていた国を、天照大神に派遣されたタケミカヅチに譲ると約束するものです。この話がそのままであるなら、イザナギの子供である櫛御気野命とは天照大神のことになります。御気が御食であるなら豊かな食の神であったはずとも考えられます。元が天照大神であったとするなら、格上の地位に置かれるのは当然なのです。
一方で、出雲の東側にある意宇六社として尊敬を集める六つの歴史ある神社では、ほとんどの神社がイザナギを祀り、八重垣神社のみがスサノオと櫛稲田姫を祀ります。天照大神を祀る神社が存在しないことに、天照大神の我儘を受け入れなかった出雲の人々の怒りを見ることができるのです。
天照大神を祀りたい大和の人々が、それができずに別名でひっそりと祀らなければならないところに、日本海側の国々と大和政権との間に大いなる確執があったことを物語っているのです。
考えてみれば、大和の出雲への気の使い方は異常な程です。大国主という名前にしても、これ以上は無い偉大な名前です。相撲の元祖と言われる、大和の当麻蹴速(たいまのけはや)と、出雲の野見宿禰(のみのすくね)との戦いは、野見宿禰が勝ちました。国譲りではまともに戦うこともできなかったのに、どうしたと言うのでしょう。大和の側に、大いなる負い目があったのではないでしょうか。私には、大和に自責の念を感じるのです。
もともと、大国主命が出雲の西の端に住んでいたとは考えられません。神殿を建てるにあたって、出雲の西の端に追いやられたのではないかと考えます。だとすれば、元は熊野大社に住んでいたものこそが、大国主命であったのかもしれません。
では、大国主命は、なぜ高い建物を望んだのでしょうか。稲田浜の西には大海が広がります。九州から陸伝いに船を漕いだとするなら出雲大社は灯台の役割を担っていたのかもしれません。
またそれ以上に、日本に土着の縄文人が高い建物を好んだのは、多くの遺跡が教えてくれます。三内丸山で発見された六本の大木で組まれた櫓も、本当はどのような建物であったのかはわかりませんが高い建造物でした。石川県で見つかったチカモリ遺跡も高木を使った円形の建物が作られていました。ここもまた、対馬海流にのって西からやってくる船が辿り着く場所であるのです。
神話の世界の中で、なぜか取り上げられ重視される出雲の話。それは、出雲が縄文人が作っていた国を渡来人の弥生人が乗っ取った象徴的な場所であったからではないでしょうか。彼らは、戦うことをせず天照大神である渡来人を受け入れました。唯一、反抗したタケミナカタは、遠く諏訪の地に逃げ込み忠誠を誓います。こうして、大和に従うことの正当性、国譲りの方法を教えたのが神話であったように思うのです。
国を譲った者には、縄文人が信じた高い場所に神が宿るという信仰を尊重するというのが杵築大社であったのかもしれません。そこは人が住む場所ではなく、神が住む場所。もしくは、神と対面できる場所であったのだと思います。古事記では、最初に生まれたのが天之御中主神(あめのみなかぬし)、それに続いて神産巣日神(かみむすび)と高御産巣日神(たかみむすび)の神が生まれます。私は、この高御産巣日神(たかみむすび)の神、別名高木神に通じるのが縄文人の信仰であったのではないかと考えるのです。
出雲、チカモリ、三内丸山と海に住んだ縄文人の国々に対し、大和政権は同化政策に手間取ったのかもしれません。彼らの神話や伝承をできる限り取り入れることで、彼らを尊重し、その反乱を防いでいたのかもしれません。出雲国造であり、歴代の出雲大社の宮司である千家ならびに北島家は、国譲り以降、ずっと杵築大社を支えてきたのです。
その高層建築がゆえに、何度も倒壊したとされる杵築大社ですが、その度に立て直し現在に繋いでいるのです。これ程までの長期にわたり約束を守り続けているのも珍しいのではないでしょうか。
天津神は国津神との約束を反故にすることなく、守り続けているのです。大和政権の成功の陰には、征服者が征服地に残る文化や伝承を尊重したことにあったのではないかとも考えるのです。また、そうせざるをえなかった程に、自責の念を感じていたのかもしれません。
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<<編集後記>>
上司が部下に命令するのは当たり前。また、部下に教育するのも上司の務めなのかもしれません。それが仕事においては当たり前のことでも、それがプライベートに及ぶとパワハラに変わります。プライベートといえど、仕事仲間との飲み会にはパワハラというものは当てはまらないのかもしれません。パワハラで訴えられた上司が、会社にとってなくてはならない存在だとしたら、会社はパワハラ社員を庇うでしょうね。
パワハラ許さじの市民運動の勝利を喜ぶのは第三者だけで、当事者達は誰も幸せにならないのです。パワハラを受けた本人も、その会社には入れなくなりますしね。特殊技術の会社であればある程、本人のためを考えるなら引き時を間違えない方が良いようにも思います。


<発行者> 株式会社歴史探求社
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