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テレビ、ラジオ、新聞、雑誌ではなかなか語ることのできない日本を取り巻く国際情勢、特に日中、日露、日韓、日朝関係を軸とするアジア情勢、さらには朝鮮半島の動向に関する知られざる情報を提供し、かつ日本の安全、平和の観点から論じます。

著者プロフィール

辺真一

1947年東京生まれ、明治学院大学英文科卒業後、新聞記者(10年)を経て、フリージャーナリストへ。朝鮮半島問題専門誌「コリア・レポート」創刊、現編集長。著書に「金正恩の北朝鮮と日本」(小学館)、「韓国経済ハンドブック」(全日出版)、「北朝鮮知識人からの内部告発」(三笠書房)など。

サンプル号
2013年11月7日(木)

アントニオ猪木が仕掛ける日朝スポーツ交流の狙いは?


 参議院議員となったアントニオ猪木氏がまたまた訪朝(11月3-7日)した。関係者によれば、今回で27回目の訪朝となるらしい。

 これまでと違い、今回は国会議員としての訪朝だ。国会会期中に、それも許可を得ないまま訪朝を強行した。さらに公務でなく、私用によるものだ。どうやら懲罰を免れそうにもない。そこまでリスクを犯して、懲罰を覚悟してまでもなぜ、訪朝を決行したのか?

 猪木氏が朝鮮問題に関心を持ち始めたのは、今から22年前の1991年、韓国と北朝鮮の南北国連同時加盟を祝う祝賀宴に俳優の菅原文太氏や評論家の田原総一郎氏らと共に発起人として名を連ねてからだ。初訪朝は、それから3年後の1994年9月。

 猪木氏は筆者とのインタビュー(1995年3月)で訪朝理由についてこう語っていた。

 「祝賀宴に出席して、恩師である力道山の娘が北朝鮮にいることを知った。それまで私にとって朝鮮半島の印象は薄かった。北朝鮮で出版された『力道山物語』を読んで、力道山が60年代に一度韓国を訪問した際に板門店で北側に向かって何か大声で叫んでいたことが書かれてあった。金も地位もある力道山にとって唯一出来なかったことは故郷に帰れないことだったのかもしれないと思った。
 力道山の望郷の念に心を打たれた。力道山は生まれ故郷に帰ることなく亡くなった(1963年暴漢に刺殺される)が、30年経った今、力道山の弟子として、恩師の夢を叶えてあげたいと思った。言わば「オヤジ」への恩返しだ。力道山先生がいるから、今日の私があるわけだから」

 訪朝前に朝鮮総連本部を表敬訪問し、李珍珪第一副議長に挨拶していたことから初訪朝は朝鮮総連を介していたようだ。猪木氏がいつの時点で、誰を通じて朝鮮総連とパイプを持ったのかは不明だが、平壌で応対した金正日総書記の最側近である対日・対南担当の金容淳書記(故人)は、猪木氏との会談で当時副議長だった許宗萬現議長の名前を口にしていた。猪木氏の訪朝が「許宗萬ルート」によることがわかった。

 猪木氏は翌年の95年4月、金容淳党書記が委員長を兼務していた朝鮮・アジア太平洋平和委員会との共催によるプロレスをメインイベントとした「平和スポーツ祭典」を平壌で開催(28-30日)したが、その動機についてもこう語っていた。

 「私はイラクでもプロレスをやったこともあるし、旧ソ連でも五輪選手であるアマレスラーやボクサーをプロに転向させたこともある。政治では難しいこともあるが、イベントを通じて国民の声を伝えることは素晴らしいことだと北朝鮮側に提言した。彼らはプロレスを一度も見たことがないと言うので、ならば本物のプロレスをお見せしようと言うことになったわけだ」

 北朝鮮は猪木氏の提案に当初、難色を示していた。建国の父、金日成主席が94年7月に亡くなって、まだ一周忌も終わってない言わば喪中期間中に祭典の開催は不謹慎であったからだ。しかし、金容淳書記からの報告を受けた金正日書記(後に総書記)の「ひと声」で決まった。

 猪木氏はこの年、スポーツ祭典だけでなく、南北の仲介役も買って出ていた。

 金主席の突然の死去で流れてしまった南北首脳会談を何としてでも実現させようとしていた韓国の金泳三政権は対南担当の金容淳書記とパイプのある猪木氏にアプローチし、南北関係改善の「橋渡し」を頼んでいた。

 韓国側の依頼を受け入れた猪木氏は来日した金泳三政権の密使と接触し、祭典準備のため訪朝した4月8日、金容淳書記に韓国側の口頭によるメッセージを伝え、さらに祭典期間中には「南北のホットラインを再開させることを条件にコメ20万トンを提供する」との韓国側の正式なメッセージを伝達している。仲介が功を奏し、2か月後に北京で南北秘密接触(6月18日)が行われたのは公然たる事実だ。

 猪木氏の今回の訪朝も目的は「日本スポーツ平和交流協会」の平壌事務所設立にある。スポーツを通じて日朝間の交流を促進するだけでなく、北朝鮮と外国のスポーツ交流の「受け皿」となり、仲介もするようだ。

 一般には知られてないが、モハメッド・アリーやマイク・タイソンなど世界ヘビー級タイトルマッチを手掛けていた世界的なプロモーターとして名高いドン・キング氏が「北朝鮮プロジェクト」という名称のイベントを計画している。昨年8月にはニューヨークで北朝鮮の外交官と接触し、平壌での興行を打診していた。

 金正恩夫妻出席の下、昨年7月初旬に平壌開かれたモランボン楽団の公演でロッキーのテーマソングが演奏され、バックスクリーンにロッキーの映画のワンシーンが登場したことを耳にし、「北朝鮮プロジェクト」を発案、計画したようだ。

 「スポーツ平和祭典」を成功させただけでなく、過去にモハメッド・アリーの訪朝を実現させた実績もある猪木氏がこの「北朝鮮プロジェクト」と無縁であるはずはない。

 南北の仲介や米朝の仲介はやって、肝心の日朝の仲介をやらないはずはない。猪木氏自身も「(日朝)双方に望まれれば、橋渡しの用意がある」と再三にわたって言明している。

 参議員当選直後に休戦協定60周年式典(7月27日)に出席するため訪朝したアントニオ猪木氏は帰国後、外国特派員協会での「訪朝報告」(8月8日)で古屋圭司拉致担当大臣が拉致問題でモンゴルやベトナムを巡回し、協力を要請していることについて「拉致は2国間の問題だから、世界を回って訴える話ではない」と一刀両断だった。

 猪木氏は前回の訪朝の際に会談した張成沢国防副委員長が「(日朝は)このままではありません」と改善への意欲を示していたことも明らかにしていた。

 金正恩第一書記の後見人である張国防副委員長及び直に報告できる立場にある金英日国際担当書記と太いパイプを構築した猪木氏は「サプライズ外交によって、問題を解決する」と豪語している。

 拉致問題で課せられた人的往来の規制が解除されなければ、猪木氏が描く日朝スポーツ交流を促進するには限界がある。そのことを誰よりも痛感している猪木氏が次に仕掛ける業が何か、その一点に注目したい。

 
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