仁平 宏
仁平 宏

ベトナム半世紀の歩みと未来~ある現地定住者より~

仁平 宏

¥220/月(税込)  初月無料!

初月無料とは

※創刊前のメルマガに登録した場合は創刊前月と創刊当月が無料期間

毎月 第1月曜日・第3月曜日・第5月曜日 発行予定
創刊日: 2016年3月7日

日本は大きな分岐点に立っている。 それ故、これは日本の次世代を担う若者と女性に問いかけたい。 私は、ホーチミン市(旧、サイゴン市)に定住する孤老である。 初めてのベトナム入りは、ベトナム戦争初期の1962年。 以来、半世紀以上ベトナムに係わってきた。枯葉剤の上も歩いた。 サイゴン陥落時の1975年4月30日午前11時、大統領府に北の戦車 が突入した瞬間に遭遇した唯一の日本人である。 現存するベトナム通の第一人者であろう。 これは私のエンディングノートのつもりである。 なお、地球的体験をしてきた。IBM在職30年。


著者プロフィール

1943年、茨城県西茨城郡岩瀬生れ。1962年、インドに入る。サイゴンへ。1963年、慶大経済入学。    再度インドに入る。サイゴンへ。1964年、コルカタ大学入学、慶大中退。1965年、慶大商入学、コルカタ大中退。     サイゴンへ。1968年、マーケティング論専攻。  1970年、慶大商卒業、日本IBM入社。  IBM A/P HQ(極東司令部)に抜擢。1971年、IBM南ベトナムへ。1975年、5月4日、米大使館から米第7艦隊へ脱出。1994年、IBM-Vietnam設立サポート。1999年、IBM勇退。2001年、大和コンピューター入社。2003年、SW CMM 3を達成(中小企業で初)。    2006年、サイゴンに同社100%子会社設立、運営。2013年、同社退職、翌月よりサイゴンに定住。

青春時代はジクザク行進を重ねてきた。私がサイゴン市に初めて入ったのは1962年(昭和37年)、ヒッピーであった。1971年(昭和46年)に、4度目のサイゴン入りはIBM社員であった。恋人の仏系越人をサイゴン陥落時の米軍基地でVCに殺されている。私がここに留まるのは、私の青春時代と同じく、若者に溢れ活気ある世界がここに存在するからだ。残生を第二の故郷であるサイゴンで閉じるつもりだ。現在、サイゴン早慶大学連合会会長。慶応大学には通算7年在籍、27歳で卒業。通常より5年遅れた。40歳で、18歳下の日本人妻と結婚(初婚)。3人娘(既婚)が日本在。平将門の末裔を自認している反逆児であり、憂国の自恃がある。

今月の配信号

  • 今月はまだ配信がありません。