こうじ神父の説教

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メルマガ名
こうじ神父の説教
発行周期
不定期
最終発行日
2017年12月09日
 
発行部数
34部
メルマガID
M0012750
形式
PC・携帯向け/テキスト形式
カテゴリ
生活情報 > こころ > その他

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‥‥‥†‥‥‥‥
ID:M0012750
(2000字縮小版)
こうじ神父
「今週のお説教」
2017/12/10(No.916)
‥‥‥†‥‥‥‥
待降節第2主日
(マルコ1:1-8)
主に向き直る道が唯一の道
‥‥‥†‥‥‥‥
●待降節第2主日と第3主日は洗礼者ヨハネが取り上げられています。洗礼者ヨ
ハネは「荒れ野で叫ぶ者の声」です。声に耳を傾け、声の促すほうに向きを変え
るよう努めましょう
●かつての太田尾小教区時代や前任地の上五島地区、古くは福岡での大神学生時
代に、街頭に出てクリスマス募金の呼びかけをしていました。商店街に出かけた
り、大都会の目抜き通りだったり、いろんなところでクリスマス募金の呼びかけ
をしました
●当時は「荒れ野に叫ぶ者の声」を文字通りに考え、反応がなくても、とにかく
声を限りに叫んだことに意味があるのだと思っていました。当時の考え方は少し
足りなかったなぁと思っています
●洗礼者ヨハネは預言者イザヤの言葉を用いて言いました。「わたしは荒れ野で
叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」(1・23)荒れ野に叫び声が
響くだけでは働きは十分ではなくて、叫び声を聞いた人が主に向き直るように働
く必要があります
●教会の中で行われる礼拝において、司祭の説教は「荒れ野で叫ぶ者の声」にな
らなければならないと、常々思っています。何とかして、持ち帰ってもらって、
生活を主に向き直らせる。その思いだけが毎週の説教を準備させる原動力です
●「荒れ野に叫ぶ者の声」は、洗礼者ヨハネに限ったことでしょうか。洗礼者ヨ
ハネのように、人々の前で語る人だけが、「荒れ野に叫ぶ者の声」なのでしょう
か。わたしはもっと、「荒れ野に叫ぶ者の声」を聞いた人は、人々の中に入って、
「声」となる使命があるのではないかと思います。わたしたちは誰もが、ミサの
中でイエスの声を聞いて、その声を人々に届けるための「荒れ野に叫ぶ者の声」
になる必要があります
●「声」となるといっても、「主に向き直る」その助けをしてあげるなら、十分
「声」の働きを果たしています。少しずつ、わたしたちの声が人々の中で聞き取
れるくらいの声になり、はっきり聞こえる声になっていくよう努力したいもので

●一つ原理原則を持っていれば助けになります。それは、「ぶれない」というこ
と、主に向き直る「声」を曲げないということです。出来事をどのように受け止
め、理解するのか。わたしはこう考えるという姿勢を「声」としてあらわすため
には、わたしは一歩近づいて、「声」にならなければならないと思っています。
しかし、人より一歩近づいて考えを述べるのは並大抵のことではありません
●それは場合によっては火中の栗を拾うといった勇気が必要です。「わたしはカ
トリック信者だから、いのちをそのはじまりから守ります。」学校の先生も踏み
込んで言えないことを、カトリック信者であるわたしたちは「声」で表明する必
要があります
●いのちの終わりについても一歩踏み込んで意見を表明する場合があります。裁
判員裁判という制度があります。多くは重大事件。死刑を言い渡すような裁判の
ケースもあります。しかしカトリック司祭は、人に死刑を言い渡す裁判員の任務
に就くことは認められていません
●もちろん社会的には、国が求める任務を拒否することになります。それでもカ
トリック司祭は人に死刑を言い渡すことは許されないので、一歩踏み込んで、
「引き受けることはできない。辞退する」と表明するわけです
●いのちの始まりについて、いのちを刑罰によって終わらせることについて、人
間には権利がないので、「荒れ野で叫ぶ声」になって、主の道である「いのちの
始まりと終わりは、神の手の中にある」と、向き直らせる。これはカトリック教
会に委ねられた大切な使命だと思います
●わたしたちはこの待降節中特に「主に向き直る」という回心が求められていま
す。ぶれないで「主に向き直る道が唯一の道」ただこの一つの声を、持ち帰って
社会に響かせましょう。わたしたちは「声」にすぎませんが、わたしたちの響か
せるただ一つの声を、まもなくおいでになる主は「声の持ち主」として実現させ
てくださいます

‥‥‥†‥‥‥‥
‥次の説教は‥‥
待降節第3主日
(ヨハネ1:6-8,19-28)
‥‥‥†‥‥‥‥

‥‥‥†‥‥‥‥
ちょっとひとやすみ
‥‥‥†‥‥‥‥

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