西行辞典

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「西行の京師」の姉妹紙として発行します。内容は西行の歌・詞書、その他を網羅する、西行についての辞典としての発行をしたいと思っています。

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メルマガ名
西行辞典
発行周期
不定期
最終発行日
2019年03月09日
 
発行部数
134部
メルマガID
0000165185
形式
PC・携帯向け/テキスト形式
カテゴリ
アート・文芸 > 文芸 > 古典

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      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・392(不定期発行)
                   2019年03月09日号

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         今号のことば    

       1 夕暮・夕ぐれ (02)
                  
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       ◆ 夕暮・夕ぐれ (02) ◆

【夕暮・夕ぐれ】

日が沈みかかって徐々に暗さを増しつつある時間帯。
日暮れ時、黄昏時のこと。

「夕暮れ」の名詞を暗喩的に使っている歌はなくて、すべての歌が
自然現象としての「夕暮れ」をそのままモチーフとしています。

「夕暮れ」までは項目化することもないと迷いましたが、触れて
おくことにします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

07 花もちり涙ももろき春なれや又やはとおもふ夕暮の空
      (岩波文庫山家集38P春歌・新潮欠番・西行上人集)

※山家集には補入された歌で、西行上人集にしかない歌です。

〇涙ももろき

満開の桜を味わい、そして花が散っていくことの喪失感が涙を流す
原因となっているのでしょう。

〇又やはと

西行の生きた時代の、ことに無常感が強いこの世であることから、
次の春の桜の花を見ることができるだろうかと危ぶむ心情が出て
いる表現であり言葉です。
夕暮れという情景やその時間が「又やはと」と思わせもするはず
です。もしも陽の光が燦々と降り注いでいる情景であり時間帯で
あれば、「又やはと」という言葉はふさわしくないでしょう。

(07番歌の解釈)

「花も散り、涙ももろく散る春だなあ。また見ることが果たして
あるだろうかと思うこの夕暮れの空よ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

08 ふねよする天の川べの夕ぐれは凉しき風や吹きわたるらむ
(岩波文庫山家集56P秋歌・新潮261番・西行上人集・山家心中集)

○ふねよする
 
舟を寄せること。日本に渡って来た七夕伝説はさまざまに脚色
されています。
原型は織姫が彦星に逢いに行くということらしいですが、日本では
彦星が織姫に逢いに行くようになり、橋を渡ったり、歩いて渡川
したり、舟で渡ったりしています。和歌では舟で渡るということが
もっとも多いそうです。

 久方の天の川辺に舟寄せて今夜か君が渡り来まさん
                 (山上憶良 後撰集)

 08番歌は上記の山上憶良の歌を踏まえていると思われます。

○天の川

銀河のこと。天球を一周する帯状の天域に微光星が集まって、
光って川のように見える部分。(日本語大辞典を参考)
一年に一度、7月7日の夜に織女星と牽牛星が、天の川で出会うと
いう七夕伝説があります。
中国を発祥とする伝説であり、日本には600年代に入ってきました。

(08番歌の解釈)

「彦星が舟をこぎ寄せる天の川の岸辺の夕暮は、涼しい風が
吹きわたっていることであろう。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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09 何ごとをいかに思ふとなけれども袂かわかぬ秋の夕ぐれ
    (岩波文庫山家集62P秋歌・新潮291番・西行上人集・
    山家心中集・西行上人集追而加書・続後撰集・言葉集)

○何ごとを

具体的な事物ではないこと。取るに足らない漠然としたことごと。

○いかに思ふと

どのように…。一つのことを、きちんと道筋を立てて思うと
いうのではなくて…という意味。

○袂かわかぬ

深い悲しみなどが原因ではないのに、秋の夕暮れは理由もはっきり
しないままに涙が流れ続ける。秋の夕暮れが人々にもたらす現象を
言います。平安時代にも秋の夕暮れは理由もなく悲しくなるという
共通の認識があったものでしょう。

(09番歌の解釈)

「格別何をどのように思うというわけではないが、秋の夕暮は涙に
袂が濡れて、乾くことがないよ。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

10 荻の葉を吹き過ぎて行く風の音に心みだるる秋の夕ぐれ
      (岩波文庫山家集62P秋歌・新潮299番・新後撰集)

○荻

イネ科の大形多年草。湿地に群生。高さ約二メートル。ススキに
似るが、より豪壮。葉は扁平な線形。秋に銀白色・穂状の花序を
つける。」
                (日本語大辞典から抜粋)
 
 草の名もところによりてかはるなり難波の芦は伊勢の浜荻
                      (つくば集)

オギとアシの区別は難しい。アシの茎は中空、葉は下からほぼ
均等に開き、花時の穂は紫褐色をおびているのに対し、オギの
茎は中空でなく、葉は下方寄りに出て、穂は真っ白であること。
ススキの仲間だが、ススキは株立ちになるし、小穂から長い芒
(のぎ)が出る。
          (朝日新聞社刊「草木花歳時記」を参考)

薄に似た感じもするが、葉が大きく広く、下部はサヤとなって
棹(かん)をつける。万葉集にもよまれているが、平安時代にも、
その大きな葉に風を感じ、その葉ずれによって秋を知るという
把握が多かった。
いずれにせよ、荻は風に関連してよまれることが圧倒的に多い。
        (片桐洋一氏著「歌枕歌ことば辞典」を参考)

〇心みだるる

秋の夕暮れはいろんな物事を思わせて心が千々に乱れやすいことを
言っています。

(10番歌の解釈)

「荻の葉を吹いてそのまま通り過ぎて行く秋風の音を夕暮れに聞くと、
人の訪れのなかったことを思い出したり、心は落ち着かない。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

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11 なにとなくものがなしくぞ見え渡る鳥羽田の面の秋の夕暮
     (岩波文庫山家集62P秋歌・新潮292番・西行上人集・
                   山家心中集・風雅集)

〇なにとなく

西行の愛用した言葉とも言えます。
原因がない、理由もはっきりしないのに…、なんということはない
のに…ということ。

○ものがなしくぞ見え渡る

夕日が沈んでから、刻々と暗くなるまでの鳥羽田の情景は本当に
牧歌的でもの悲しくさせたであろうことは、非常に共感できます。

○鳥羽田

現在の京都市伏見区鳥羽にある田のことです。「鳥羽田」という
地名ではありません。
鳥羽には白河院と鳥羽院が院政を執り行った鳥羽離宮がありました。
西行の鳥羽の邸宅も安楽寿院の東側にあったと伝えられています。
現在は「西行寺跡」として小さな祠のみがあります。
一説には鳥羽にあった西行のこの邸宅が、西行の出家した場所で
あるとも言われています。

しかし新潮版山家集の説明では、
「鳥羽田=山城国紀伊郡(現在京都市左京区)の歌枕。」
とあり、これはおかしいなと思います。古い時代の京都の紀伊郡は
現在の伏見区や南区あたりが該当します。
なぜ左京区とされたのか・・・?。私の独善的な解釈なのですが、
豊臣秀吉の血縁関係にある武将であり歌人である木下長嘯子が北の
政所の援助を受けて高台寺あたりに山荘を造り住みました。その山荘
内に「鳥羽観」と呼ぶ建物を築いたのです。長嘯子にはこの鳥羽観から
詠んだ「鳥羽田」の入った歌もあります。
そのことによって「鳥羽田」は左京区にあると誤って解釈されたの
かもしれません。

 「見はたせば鳥羽田の面の霧の海に沖の小島は秋の山かな」
             (木下長嘯子「挙白集」)

(11番歌の解釈)

「鳥羽の稲田に行き渡った秋の夕暮れは、どこまでも何ということ
なく何かしらもの悲しく見える。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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12 吹き過ぐる風さへことに身にぞしむ山田の庵の秋の夕ぐれ
            (岩波文庫山家集63秋歌・新潮465番)

〇身にぞしむ

現在の10月末頃から11月にかけての、いよいよ冬が近い季節に吹く
風だろうと思います。皮膚感覚による言葉なのでしょう。

〇山田の庵

山を切り開いて開墾した田。山付近の田。そのそばに構えた庵という
解釈で良いと思います。

(12番歌の解釈)

「秋の夕暮の山田の庵では、吹き過ぎる風さえもが、
格別身にしみて感じられるよ。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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13 風の音に物思ふ我が色そめて身にしみわたる秋の夕暮
       (岩波文庫山家集63P秋歌・新潮1038番・万代集)

○我が色そめて

秋風に吹かれ続けていると、風の音の中にある「物悲しいもの」に
自分も染められているようだとする感覚。

〇身にしみわたる

その「物悲しい」感覚が全身にしみ渡っているということ。
「しみ」は(染み・沁み)の掛詞。

(13番歌の解釈)

「風の音を聞いて私は物思いに耽っていたのだろうか。いつしか
秋は夕暮れの時を迎えて、寂しさが私に染みつき、染みわたり、
全身を包み込んでしまう。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

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14 山おろしに鹿の音たぐふ夕暮を物がなしとはいふにやあるらむ
            (岩波文庫山家集69P秋歌・新潮433番)

○山おろし

山から吹きおろす風の事ですが、普通は冬季の強く冷たい
風を指します。

○たぐふ
    
自動詞ハ行四段活用及び他動詞ハ行下二段活用です。
「たぐふ」は連体形と終止形、「たぐへ」は未然形と命令形です。
「類ふ・比ふ」「類へ・比へ」と表記し、並ぶ、一緒になる、共に
行動する、合わせる、などの意味合いを持つ言葉です。

〇いふにやあるらむ

「言うのだろうか」という意で、前の言葉を受けて「物悲しいとでも
言うのだろうか…」となります。 

(14番歌の解釈)

「山おろしの風に伴って鹿の哀音の聞えて来る夕暮にこそ、
他はものの数でなく、もの悲しいとはいうのであろう。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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15 あはぢ潟せとの汐干の夕ぐれに須磨よりかよふ千鳥なくなり
(岩波文庫山家集94P冬歌・新潮549番・西行上人集・山家心中集)

○あはぢ潟

淡路島にある干潟のこと。特定の場所を指定していませんが、
15番歌では須磨と近い淡路島北方の干潟のはずです。神戸市の須磨と
淡路島の北端はそれほど離れてはいません。

〇せと

「瀬戸」と表記し、流れの速い海峡のことです。
「せと」の名詞のある歌は8首あります。「迫門」と表記された
歌もあります。

○汐干

明石海峡の干潮のこと。潮が引いてくれば沖合いに向かって浜が
長くなります。

○須磨

神戸市の西部にある地名。瀬戸内海に面していて、淡路島とは指呼の
近い距離にあります。
古代は須磨に関がありました。須磨までは摂津の国、それ以遠は
播磨の国でした。
万葉集にも詠まれ、また源氏物語にも「須磨」の巻があって、
古い時代から有名な所です。

○千鳥
    
全長15センチほどのチドリ科の鳥の総称です。
海辺や河原などに群棲していて、日本には10種類ほどの千鳥が
いるようです。

(15番歌の解釈)

「淡路島と須磨との間の瀬戸(海峡)の潮が引いて、その間の
狭くなった夕暮に須磨から通うてくる千鳥が鳴いているよ。」
          (渡部保氏著「山家集全注解」から抜粋)

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16 とへな君夕ぐれになる庭の雪を跡なきよりはあはれならまし
           (岩波文庫山家集99P冬歌・新潮543番)

〇とへな君

「訪えな君」のこと。君に訪ねてきて欲しいという願望。

〇あはれなるまし

「あはれ」という言葉は様々な状況に触れての感情を表しますが、
ここでは足跡がないことと対比して「趣がある・様になっている」と
解釈できます。

(16番歌の解釈)

「夕暮になる庭の雪に跡をつけて訪れてほしい。人の通った
跡がないのよりも、あなたが訪れて足跡をつけて下さった
方が趣深いことでしょう。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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17 秋暮るる月なみわかぬ山がつの心うらやむ今日の夕暮
          (岩波文庫山家集89P秋歌・新潮489番)

 下は新潮版山家集です。

 秋暮るる 月なみ分くる やまがつの 心うらやむ 今日の夕暮
            (新潮日本古典集成山家集489番)

○月なみわかぬ

(月なみ)は月次、月波のこと。
(わかぬ)で、月の推移など関係なく・・・という意味になり
ます。秋が終わって冬が始まろうが、これまでと同じように自然
な気持で生活するということです。
新潮版では「月なみ分くる」となっています。(わかぬ)の方が
ふさわしい気がします。

○山がつ

山間に住んで樵などの職業をしている人々を指します。
身分的には蔑まれていた人々でした。

○うらやむ

羨ましいこと。
人を自分と比べてみて、人が環境や能力や結果などが優れている
と思う場合に、その人のそれらにあこがれ、自分もそのように
なりたいと思う気持のこと。
同時に、自分が劣っていることを認めて、人をねたましく思う
気持のこと。
              (講談社 日本語大辞典を参考)

(17番歌の解釈)

「今日のこの夕暮れで秋が終わる。この悲しさと無関係に生きて
いる山人の心が今日はとっても羨ましい。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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18 あはれしりて誰か分けこむ山里の雪降り埋む庭の夕ぐれ
          (岩波文庫山家集100P冬歌・新潮1485番)

○あはれしりて

雪が深く積もっていて、人々との交流も途絶えている庵に住む。
一人で粗末な庵に住むしかない、その孤絶した世界であることを
自嘲とも達観とも受け止められる「ははれしりて」の言葉で表して
います。他者から見た時には、その環境の大変さを言う言葉。

〇誰か分けこむ

誰かが雪を分けて訪ねてきてほしいけれど…という願望。周りから
隔絶された山里に一人で住んでいるからこそ、どうしても人恋しい
気分になるものと思います。

(18番歌の解釈)

「雪に埋められた山里の庭の夕暮のあわれ深いことを知って、誰が
雪を分けて尋ねて来ようか、誰も訪れて来るものはない。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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19 物思ひはまだ夕ぐれのままなるに明けぬとつぐるには鳥の聲
           (岩波文庫山家集154P恋歌・新潮699番)

新潮版では以下のようになっており、少し異同があります。

もの思へば まだ夕暮れの ままなるに 明けぬと告ぐる しば鳥の声
             (新潮日本古典集成山家集699番)

〇夕ぐれのまま

時間が立つのを忘れて、物思いに集中していた状態を言います。

○明けぬとつぐる

「夜が明けたと告げる」ということです。
「明けぬ」の「ぬ」は強意の助動詞で、「夏は来(き)ぬ=夏は来た」
と同等に、「明けた」という意味になります。
ちなみに、夏がまだ来ないことをいう場合は「夏は来(こ)ず」と
なります。

「鶏鳴」という言葉もあるように、午前二時頃には一番鶏が鳴き
出し、それはそのまま夜明け、明け方を意味しています。
それにしても丑三つ時である午前二時頃が明け方との解釈もある
のは、かなり不自然です。暁闇は普通は4時から5時頃でしょう。

○には鳥

キジ科の家禽です。頭の上に赤いトサカがあります。
鶏卵用、食肉用として世界中で最も多く飼育されている家禽です。

新潮版の山家集、和歌文学大系21、山家集類題では「には鳥」では
なく「しば鳥」となっています。「しば鳥」とは「しば鳴き鳥」を
短くした呼称で、「には鳥」の古名です。

平安時代当時は獣肉以外の肉食は禁じられていたという説もあり、
鶏の場合も肉ではなく卵を食用にしていたものと推察します。

(19番歌の解釈)

「逢えないことを嘆きつつもの思いにふけっていると、まだ自分は
夕暮れの折と同じ心持なのに、もうしば鳥(鶏)が夜明けを告げる
ことであるよ。」
           (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

「夕暮れも夜明けも自分には意味なく通り過ぎる時間に過ぎないと
嘆く。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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  (後記)

昨日の8日、奈良に行ってきました。今年二度目の奈良行きです。
近鉄電車「橿原神宮前駅」で乗り換えて「二上神社口」下車。歩いて
10分ほどの「石光寺」拝観。石光寺は40年ほど前に自転車で京都の
拙宅から奈良一周した折に初めて拝観したお寺です。昨年は秋に3度
程、訪ねました。石光寺から当麻寺と回り、その後に奈良公園に移動。
片岡梅林の梅を見てから二月堂。二月堂は修二会の「お松明」を見る
ためでした。やはり、ちょっとした見ものでした。

松明は長さ6メートル以上もあるという竹の先に設えられています。
練行衆の方々によって、燃えている松明は登楼を上がって二月堂の
舞台の高欄からせり出す形でクライマックスを迎えます。時刻は19時
過ぎ。暗い夜に舞台の四囲を照らしながら、つかの間見られるドラマ。
すぐに過ぎ去ってしまうドラマですが、一見の価値はありました。

「記憶の引き出し」という言葉があります。この一夜は私の記憶に
残ることでしょう。ただしもう「引き出し」が多すぎて、その中に
ある草々のことではなくて「引き出し」そのものが断片化して脳内を
ぐるぐると浮遊しているようです。そのためか、言葉や事物は具体的
な像を結ぶのも困難にもなっていることを自覚します。おそらくは、
これを老化と呼ぶのでしょう。
それは仕方ないことだとしても、心して鮮烈な記憶としてとどめて
おきたいものです。

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◎ 「西行辞典」第392号 2019年03月09日発行

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◎ 発行責任者 阿部 和雄
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