あなたは何かを成し遂げたとき、その成果や自分の実力を誰に評価してほしいと思いますか? 実は、一番認めてあげなくてはいけないのが自分自身、つまりそれが「自信」なのです。学歴やコネが無くても年収1,000万円になれるスキルをセミナー等で多くの人に伝えている佐藤しょ~おんさんは、自身の無料メルマガ『サラリーマンで年収1000万円を目指せ。』で、自己評価を高く保ち続けることの大切さを力説します。
自己評価と他者評価のギャップ
日本人には謙遜の美徳というのがあるせいか、日本人的価値観に染まって育つと、自己評価がどうしても低くなりがちなんです。
- 私なんてそれほどでも
- 今回はたまたま上手く行っただけで
- まだまだ修行しなきゃと反省してます
- 褒められるほどのことではありません
みたいな反応をするのがオトナで、
- どうだ参ったか!
- オレってやっぱり天才だよね
- オレよりスゴいヤツはいないのよ
- 偶然じゃ無くて実力なのよ
と反応する人は大人げないと感じるわけです。そして後者の人たちに対してはこころのどこかで、
- いつまでも調子に乗ってるんじゃないぞ
- そのうちに痛い思いをするんだよ
- まったく、これだからガキってのは…
と考えるわけですよ。それって完全に怨念波動なので、賢い人はこれを浴びないように注意深く自分を律しているわけですね。それを先人は、
● 実るほど頭を垂れる稲穂かな
という格言で表したわけですね。しかしそれによって、実際よりも自分を低く査定してしまうことに慣れてしまったのが日本人なんです。
そういう思考習慣が自己認識と他者評価のギャップを生むんです。これってホントに勿体ないですから。人前で謙虚に振る舞う事と、自分で自分の能力や実績を正しく、正当に評価するかというのは別の話ですから。これもまた客観視のひとつで、舞い上がることなく、冷静に自分のやったことを振り返って、これが他者よりも高いモノだと分かったら、ひっそり、こっそり鏡の前で、
● 私には実力があるのだ!
と自分の目を見て、自分に宣言した方が良いですよ。このネタがたくさん集まると、自分に対する自信が高まってきますから。これを自尊心と呼ぶのです。
こっちはまだ救いがあるんですが、この逆バージョンの人はご注意あれ。
外資系ではたまにいるんですが、全然実力がないクセに、自分は大物だと勘違いして、他者の実力を過小評価して、自己のそれを過大評価する人って、他者からは嘲笑の的になりますから。
でもこのタイプの人は治りません。そして我々が考えるほど悪い人生を送らないんですよね。これまた価値観が人生を作るという法則の証明になるんですが、ホントは実力なんてないのに、
● 私にはものすごい実力があるのだ
と考える人は、その結果これからの人生も良くなると考えがちです。そしてそんな人にはホントに実力以上の良いことが起こってしまうのも良くある事なんです。もしその人が、こころの底からホントにそう思い込めるレベルで、自分を評価しているのならね。
我々一般人から見たら、こういう人には神様からのキツいお叱りが頻繁にあって然るべきだと思うんですが、神様って優しいんですね。よっぽどのレベルにならないと我々が期待するようなことは起こらないんです。
ただしこういう人は人生のどこかで、一度は強烈などんでん返しを体験するみたいです。今までの高飛車な態度、傲慢な思考を一気に精算させられるような痛い思いを一度はするんです。この時に、世界があなたに突きつけた現実に幻滅せず、悲観せず、ふて腐れずに、それでもまだ自分の能力を信じられるかどうかなんです。
ほとんどの人はここで悪い方向に覚醒しちゃうんです。悪い方向というのは、
■ 私なんてホントは全く生きる価値が無かったんだ
的な自己卑下に宗旨替えをしちゃうということです。この価値観の変化はウツを生み出しますからね。もう世界を信じられないくらいにショックなことが起こっても、これを引っ繰り返すくらいの勘違い力を持たなきゃダメですよ。それが大物たるあなたに求められる振る舞いですから。それが出来たら、ホントの意味での実力が備わって来ますから。
だから一番損をしているのは、実力があるのにそれを卑下して、過小評価するタイプの人なんですよ。
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