「働く女は、結局中身、オスである」という女性誌の広告コピーが多くの批判を浴びています。ネット上でも大炎上の様相を呈していますが、「ワーキングウーマンを読者とする女性誌が使ったことが残念すぎる」とするのは、健康社会学者の河合薫さん。河合さんは自身のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』で、このコピーを入り口に「企業における女性活躍の壁」等について考察しています。
※本記事は有料メルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』2019年3月6日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。
プロフィール:河合薫(かわい・かおる)
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。
働く女の中身はスカートを履いたおっさん?
まるでレギュラー番組のように、連日連夜“炎上ネタ”が報じられていますが、今度は女性誌の広告が物議をかもしています。
「働く女は、結局中身、オスである」――。
こんなキャッチコピーが2月28日、東京メトロ・表参道駅にデカデカと掲載されたのです。
広告主は、小学館の女性誌『Domani(ドマーニ)』。
最新号を宣伝するためのもので、
「今さらモテても迷惑なだけ」
「忙しくても、ママ感出してかない!」
「“ママに見えない”が最高のほめ言葉」
「ちょっと不良なママでごめんね」
といったコピーの最後に、
「働く女は、結局中身、オスである」
という、少々刺激的なフレーズが並んでいたのです。
男なのか女なのか、おっさんなのかおばさんなのか、性別不能になってしまった私からすると、「いやぁ~~、ソコ行きますか??!」という感じなのですが、「怒るのが仕事」になっている現代社会では批判が殺到。
「時代遅れ」「なんでママに見えちゃダメなの?」「意識古すぎ」「“オス”って男性に失礼じゃん」「働く女性は男として生きなきゃダメなのか?」などなど、識者や専門家も参戦して“盛り上がりました”。
「おい!盛り上がるとはなんだ!」と口を尖らせている人もいるかもしれませんね。でも、ほとほとこの手の言葉尻を捉えた炎上は食傷気味。「だったら取り上げるな!」と怒られてしまうかもしれませんが、思うことがあり、今回あえて考えてみようと思った次第です。
まず、一つ目は、「働く女は、結局中身、オスである」というフレーズを、ワーキングウーマンを読者とする女性誌が使ったことが残念すぎる。「これじゃあ、スカートを履いたオッサンだよ」と。
女性活躍が叫ばれて久しいですが、女性管理職は一向に増えず、その一方で「管理職になりたがらない」女性社員が増え、いろいろな企業が「女性活躍の壁」にぶつかっています。
その原因の一つが「0」より「1」の功罪です。
男性だけの集団に1人でも女性が入ると、男性たち自分たちが“男”という同質な集団だったことを意識するようになります。すると、その一枚岩を壊したくない、壊されたくないという意識が無意識に働き、異物である女性に厳しくあたるようになります。
紅一点の女性は、排除されるか、同化するか。はたまた、屈辱的な扱いをされることに耐えるか。究極の選択を迫られる事態が生じてしまうのです。
つまり、「女性の部長が1人います」とか、「女性役員が1人います」という組織の「紅一点女性」は、男社会に同化した人たち。いわゆるバリキャリであり、スーパーエリートの「スカートを履いたオッサン」です。
そんな女性上司の存在は、低層階の女性の脅威でしかない。
「私にはムリ。あんな風にはなれない」と若い女性たちはひるみ、「バリキャリにならないとダメなの?」と未婚女性たちは悩みます。
私はそういう女性たちの声や悩みを聞くたびに「いいんだよ、そのままで」「自分らしく、きちんと一つ一つ目の前の仕事をやればいい」と、声をかけてきました。なので、本当に残念で仕方がないのです。
そしてもう一つは、個人的な話で申し訳ないのですが、私は紛れもなく女だし、男になりたいと思ったことは一度もありません。でも、周りから、「女だから」と制限をつけられてしまうことは何度もありました。
良い意味でも悪い意味でも「女だから」と。
そして、その「女だから」の私が何か発言すると、内容に関係なく「フェミニスト」と言われる。
「1人の人」として仕事してるだけなのに、自分ではどうすることもできない「属性のメガネ」を通してみられるのは、決して嬉しいことではありませんでした。
1人の人間の中には、「男性的な部分」もあれば「女性的な部分」もある。それらは相反するものではなく、共存するものです
さきほど「いやぁ~~、ソコ行きますか??!」という感じ、と書きましたとおり、批判する気はありません。でも、「ソコにいってほしくなかったなぁ」という思いは正直あります。
「働く女は、ママであり、パパであり、娘であり、息子であり、おっさんにであり、おばさんであり、結局中身は、玉手箱!」
…長いし、おとぎ話風ではありますが、これだったら、「うん、がんばろう!」ともっとたくさんの人が思えたのではないでしょうか。
image by: Shutterstock.com
※本記事は有料メルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』2019年3月6日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会にバックナンバー含め初月無料のお試し購読をどうぞ。
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※『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』(2019年3月6日号)より一部抜粋