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教育委員会の小言すら喜んで聞けぬ学校側の危機管理意識の低さ

児童を狙った事件の頻発で、学校側の危機管理への意識が高まっています。今回の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』では現役教師の松尾英明さんが、現場であまり歓迎されない「教育委員会の訪問」を、学校の危機管理意識の再点検の契機にするという考え方を紹介しています。

危機管理と教育委員会訪問

大学の授業で、教育委員会の役割について学んだ。その中の、教育委員会による学校訪問と危機管理の関連について。

最近連続して起きている物騒な事件のこともあり、危機管理への意識が高まっている。ただ、これ自体は、常日頃から言われていることである。

学校の危機管理意識の点検、というと、日常の安全点検や避難訓練の他に、教育委員会の学校訪問が思い浮かぶ。そして、教育委員会の訪問というのは、教員からすると、嫌がる人も結構多いかと思う(実際「教育委員会が訪問しに来てくれてわくわくする!」という話はあまり聞かない)。

なぜ嫌がるかというと、結構細かいことを指摘されるからである。「普段内輪でなあなあにしていた痛いところを突かれる」という感じである。不祥事もこれに当たる。普段内輪がなあなあになっていると、ある日不意に起きる。日常点検のラインが甘いのである。

しかし、これは親や教師が普段から、自分の子どもに言っていることと同じである。要は、普段から口うるさいぐらいに言わないと、身に付かないからである。「トイレに行ったら手を洗いなさい」ぐらいの当たり前のことでも、繰り返し声をかけないと、やらない。自主的にやってくれるなら苦労はないが、当人はすぐに忘れるものである(ちなみに、高学年以降は確信犯である)。

危機意識の話に戻ると、例えば床のタイル一枚が剥がれてめくれ上がっているとする。これを放置しているということは、子どもが躓くかもしれないということを見逃している、という判断になるという。つまり、児童の安全を守る意識全般が低いことが想定される。

「そんなことぐらいで」と思ってはいけない。結局、一回の訪問ではそういったことでしか判断できないし、そこにはある程度妥当性がある。「訪問に来る」とわかっているのにまだ放置しているぐらいだから、普段から相当意識が低いと判断される。

家に客が来るとわかっているのに掃除をする気がしないでそのまま、というのと同じである。普段から家の掃除をしていないから、客が来るという時に妙な気合いがいるのである。

つまり、本来細かいことを言いたいのではないということ。そこから始めて、全体の安全意識を高めて、子どもを守りたいということである(警察が軽微な交通違反を取り締まるのと同じである。結局他の重大な違反も減る)。

教育委員会というのは、学校の親のような立場である。直接に手出しはできないが、保護・監督する責任がある。乱れているのに、放置はできない。

危機管理の話に戻ると、学校の不祥事は教育委員会の責任でもある。教師と子どもの関係にたとえると、いじめなどの子どもの不適切な状態を教師が放置したとみなされる。全力で事態を収拾するとともに、関係者に頭を下げることになる。「子どものやったことで自分には関係ない」とは当然言えない。

嫌われ役」「泥被り役」ともいえる。いざとなったら、たとえ自分が全く悪くなくても頭を下げるということも辞さない。それが、立場である。上の立場にあるから偉いようで、なかなかに辛い立場のようである。

そう考えると、学校訪問というのは、ピンチをチャンスに変える契機である。なあなあでない、フラットな目でチェックしてもらえる。学校内が何か乱れている、という時の立て直しの機会にもなる。

もしこれから訪問がある、という場合、自分のこれまでの総点検のチャンスだと思って迎えられるといいかもしれない。

image by: Shutterstock.com

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【著者】 松尾英明 【発行周期】 2日に1回ずつ発行します。

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