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心が狭すぎる。「ギャン泣き」の赤ちゃんを迷惑がる日本人の末路

飛行機や電車等で赤ちゃんと乗り合わせた時、「泣いてうるさいから迷惑」と泣く前から思うか、それとも「かわいい赤ちゃん」と思うか…。現代社会の問題の本質は、そんなところに潜んでいるようです。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんが、「他者への狭量さ」に満ちる社会に警鐘を鳴らし、適正な人間関係の持ち方について論じています。

好きなものばかり

さて、本日は人間関係の真ん中にある問題のお話。

以前東京行きの飛行機で、前の座席が乳幼児連れの若夫婦だったことがありました。その座席の横を通り過ぎるときに赤ちゃんが目に入ったため、私は

何気なくつぶやいたんです。

すると、離陸間際に前の席の若い女性が立ち上がり、私たちを含め前後左右の乗客たちに

謝ってまわったのです。彼女はほとんど能面のような顔で血色も悪く、今にも泣き出しそうでした。

いや、その瞬間、一切を了解して、驚くとともに後悔もしいろいろ考えさせられてしまいましたよ( ̄∇ ̄)

推測ですが、私のつぶやきが彼女には

に聞こえたんじゃないかと思います。いや、そんなにイジワル顔じゃないつもりなんですが。実はイジワル顔なのかしら。びくびく。

私のつぶやき自体は、単に事実を適示しているだけで、良い意味も悪い意味も読み取れません。これをどのように解釈するかは受け手側の心理状態によるところが大きいでしょう。

若いママさんが能面のような顔で泣いてもいない赤ちゃんについて謝って回ったのは、それだけいつもいつも周囲から赤ちゃんの泣き声や振る舞いについて、迷惑そうにガミガミちくちく言われているため「赤ちゃんがいる」という言葉さえ、皮肉と迷惑が込められているように受け止めてしまったのです。

現代の日本は、極めて子育てがしにくい国になっていますよね。

● 日本がこれほど子供嫌いの国になった理由

一読の価値があります。是非読んでみてくださいね。この記事中にある

必要性は認めるが自分の居住地の近くに作られるのは困るという考え方をご存じでしたか?

この名前は知らなくても、考え方としては実に想像できるものです。

しかし、同意はできません。

そのようなものがある種迷惑だということ、あるいはそのように嫌悪感を感じるものであることは、誰の心にも生じるものでしょう。それ自体は、それほど問題ではないと思うんです。というか、それさえ生じないようにしようとするのは、ムリがあります。

ここで問題になっているのは、文中にもあるように、おそらく

です。自分とは違うもの関係が遠いものへの共感や親しみがない…百歩譲って薄いのです。

誰しも、自分に似ている人や近い人には、共感や親しみを持ちやすく地球の裏側の名前も知らない誰かについては、持ちにくいものですよね。その濃さ薄さは、

中心が濃く、徐々に薄くなっています。それがフツーです。そして、いわゆる「他者に対しては共感や親しみを持っていないものです。アカのタニンってヤツですからね。

難しいのは、中心にいる自分や家族みたいな存在ではなく、かといって同心円の外の端っこにいるアカのタニンみたいな存在でもない、

です。赤ちゃんや老人など自分の昔と将来に重なる人たちあるいは町内や地域のメンバーなど防犯や防災で関わりのある人たちなどです。

昔は、これを

と言ったんでしょう。家族や知り合いじゃないけどまあ身内感が持てるギリギリくらいの感じの人たち。それ以上に遠い他者になると、それはもうアカのタニンで、ま、もう「知ったこっちゃナイ」扱いになっちゃう。

共同体メンバーには「知ったこっちゃナイ」扱いをするのは気が引ける。でも、家族と同じほどのケアをするのはムリ。みたいな感じ。

なので、このメンバーがメリットを与えてくれるときには、もちろん受け取るけど、おカネこそ介在しないものの取引めいていて、それでいて無償や好意というわけじゃない

さらにデメリットがもたらされるときにはイヤだけど口には出さずにガマンするし、まあお互い様だよねと思う。こんな扱いです。

でね。おそらく現在は、この

になってしまっているんですよ。アカのタニンなので、共感も親しみも持てないし、なにか配慮してやることもない。迷惑をかけないでほしい自分とはカンケーないところにいてほしい。クールと言うより冷たい付き合い。

そして、どうしてこうなったのかといえば、ミもフタもない話ですが、その原因は共同体とおぼしきものが消滅したことにあると考えています。

自分ともタニンとも違って、ちょっと社会性の発揮が必要だった共同体が現代ではほぼなくなってしまったので、そのメンバーが「他者」に振り分けられてしまったのでしょう。

こういう狭量さが発揮されると

んですよ。当たり前ですが。自分とも家族ともアカのタニンとも違うちょっと繋がりがあるくらいの人って、実はたくさんいますよね。それをアカのタニン扱いすれば、そりゃやりにくいと思いませんか。

この狭量さは、共同体が消滅したこと以上に、二分論的な幼稚な、いや

が生み出しているのではないかと思います。

人とは、自分のことか、自分でなければタニンしかいない。みたいな話ですよ。幼すぎません?

さらに話を突き詰めると、話がビミョーに逆転し

感じになるんです。

うーん。ムリがある…。自分の「好き」のキャパシティってそんなに広くないですから好きじゃないものも当然出て来ちゃうわけですよ。それなのに好きなものとだけ付き合おうとすると、「好きじゃない大半のものとは付き合わない、「知ったこっちゃない」扱いをすることになってしまうんです。冷たくない?ソレ。

コレ、いわゆるダイバーシティから遠い考えですよね。ダイバーシティって、好きなものだけ集めることでも好きなものを増やすことでもなく、大して好きじゃないけどその存在を認めて、

ことだと思うからです。

難しいこと言っているように思えるかもしれませんが、要はね。

ということですよ。

好きなものばかり集めようとしても、ムリ。好きでも嫌いでもない自分でもタニンでもない中間くらい。世の中にいるそんな中間さんとは、テキトーに適切に寛大に付き合いましょう。もっと生きやすくなると思うんですよね。

image by: Shutterstock.com

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食べるのは大好きだけど、作るのは超苦手。棚拭きとアイロンがけが何より嫌い。そんな家事オンチだった私がソレナリに家事をこなせるようになったワケ。家事全体を見渡して、最小の手間で最大のリターンを得る、具体的なシステムをお知らせするメールマガジンです。

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【著者】 真井花(まないはな) 【発行周期】 週3回(月水金)刊

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