もしもすべての家事を外注したとして、それでも残るものについて思いを巡らせたことはあるでしょうか。この「残るもの」こそ、人間が家庭という居場所に留まる根源的な理由となっているようです。今回の無料メルマガ『システマティックな「ま、いっか」家事術』では著者の真井花さんが、お金で買えない「安心や信頼」の重要性について考察しています。
ナデナデは独りじゃできない
さて、本日は家庭からなくならないもののお話。
我が家では、よくこんな会話をしています(^0^)
- もう、ご飯作ってあげないからね!
- もう、クルマ運転してやらないぞ!
……( ̄∇ ̄) ツマラナイことで言い争い(?)になったときのお互いの決め台詞です。これには、返しがあって
- それなら、どっかに食べにいくからな
- それなら、タクシー呼んじゃうもんね
……いや、実にクダラナイ。おのおの「自分で作るんじゃないのか」「自分で運転するんじゃないのか」っていうツッコミはあるんですが、お互い数回はできても、毎回は無理だろうって思うから言わないんですよね。言ったらやらされそうだし。
いや、ホホエマシイように思えますが、これがホホエマシイじゃすまないかもしれないんですよね。
ここからが本題です。料理もクルマの運転(?)も家事の一種でしょうが、世には家事の効率化に関するノウハウに溢れていますね。もっといえば、あらゆる家電は家事の効率化や時短化を目指しているわけですから、ノウハウどころか一大産業にさえなっているんです。洗濯機や掃除機、冷蔵庫など戦後に登場した家電は、さらなる進化を遂げていますからね。
これはとどのつまり
- 家庭内にあった家事を外注すること
だと思うんです。家庭内のメンバーがその労力を提供しないわけですから、こう言ってみても構わないでしょう。実際に、ちょっとご家庭の中を見回してみてください。
- 料理は、レストランやウチ飯
- クルマの運転は(!)、タクシーやバス(*゚∀゚*)
- 掃除は、ルンバやブラーバ、プロのハウスクリーニング
- 裁縫は、既成品の購入やお直しサービス
- 洗濯は、宅配クリーニング
- 買い物は、ネットスーパーなどの宅配サービスやアマゾン
- 育児は、幼稚園やシッターサービス
- 介護は、デイサービスや特養老人ホーム
…うーん、他になにかあるかな。躾は、あんまり外注されないですかねえ。保育園とかどうなんだろ。
うん、でね(◆_◆)
ってことはさ、ちょっと考えちゃいませんか。
- 全部を外注したら、家庭はどうなるんだろう?
って。もちろんおカネのことは度外視しているんですよ。考えるだけ。というか、超富裕層だったら、マジでこれはあり得る話だと思いますが。
家庭の機能だ役割だと言われているものは、家電やサービスの進展でどんどん外注可能になってきているんです。そうだとするとそれらすべてを外注した場合、
- 残るものは何か?
と思いませんか。そもそも何か残るんでしょうか。なにも残らないんでしょうか。もし、残るんだとしたら、それは超富裕層の家庭に最後まで残るもの、おカネを出しても買えないもの、ですよね。
……ここからは、私の個人的な見解です。いや、ここまでも個人的な意見だけども( ̄∇ ̄)
おカネの心配はしなくていいとして、すべての家事を外注したとしてそれでもヒトに
- 家に帰りたい…
と思わせるもの。それってきっと根源的ななにかでしょう。本能に関わるようななにかなんでしょう。
本能っていうと、食欲とか性欲とか睡眠欲とかいいますが、これらのうち、食が一番外注が進んでいますね。でも、残りのふたつはあんまり外注されませんねえ。性欲は外注しようとすればできますが、そんなことを続けていると、家族から信頼されなくなって、家族ごと失いかねません( ̄∇ ̄) 睡眠も旅行先でホテルに泊まることはありますが、それは旅行に付随しているだけで、睡眠自体が外注されるわけではないですね。「ちょっと今夜の睡眠、買ってこようよ」みたいな話にならないですもんね。
この辺が外注の限界なんでしょうか。
このふたつに共通しているのは、
- 安心や信頼
のように思います。信頼する相手や安心できる場所が、これらの欲求の充足のためには必須の条件なんだと思うんです。
そして、この安心や信頼は自分独りでは生み出せないものです。ヒトは群れて生活してきた種族ですから、他のヒトと群れることで本能的に安心するんでしょう。群れて一緒に時間を過ごし、モノを食べたり固まって寝たりするわけです。そうだとすると、最後に残る家庭の機能とは
- 家族といる安心
なんじゃないでしょうか。頼ったり頼られたりできる、食べ物を分け合える、病気やケガのときに労ってもらえる、こういうことを自然に期待できることを安心というのだと思うんです。
そうだとすると
- 独りで暮らすのは、ヒトにとってとてもストレスフル
- 安心して暮らせない場所は、家庭とは言えない
ということにもなると思います。
タイトルを忘れてしまいましたが、主人公の恋多き女が
- ハグってひとりじゃできないのね
と悟って自分の孤独に気がつく小説を読んだことがあります。そう、誰かに名前を呼ばれたり、見つめられたり、ハグされたりすることは
- 信頼する誰か
にやってもらうしかないことです。Siriに名前を読んでもらってぬいぐるみと抱き合っても、なかなか難しいところがあるでしょう(*゚∀゚*)
家庭があるということは、信頼できる相手と安心できる場所があるということで、これが家庭の根源的な機能なのです。
…ということはさ。私が体調不良のときにオットがよくやってくれる
- ナデナデナデ♪
は私の安心感を高め、ひいては免疫力を向上させる有効な手段なんでしょうね。
みなさんは、今日家族の誰かの名前をちゃんと呼んだり、見つめたりハグしたりしましたか?外注できる家事なんて、おカネで買っちゃって空いた時間は
- マジマジとナデナデ
に費やした方がいいですよ。
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