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ほとんどの心霊写真がコレ。モノが顔に見えるシミュラクラ現象とは

例えばコンセントや野菜の切り口など、わたしたちは様々なものに「人間の顔」を見るものです。言われてみれば判るといった程度の「心霊写真」などはその最たるものですが、なぜこのような「錯覚」は起きるのでしょうか。今回のメルマガ『富田隆のお気楽心理学』では著者で心理学者の富田隆さんが、簡単な要素の集合に顔を見てしまう「シミュラクラ現象」を解説しています。

なぜ私たち人間は、いろいろなモノに「顔」を見てしまうのか?

【玄関の妖怪】

私は幼い頃、幽霊や妖怪を見やすい子供だったようです。

家の玄関の壁に、父のレインコートと帽子がかけられていたのですが、幼い私には、それが宙に浮いた妖怪か何かのように見えたのです。廊下の端からそのコートを指さしては、「見てるよ、見てるよ」と怯え、何度も母に訴えていたのだそうです。

母は、首をひねりながら、そのコートと帽子をいろいろな角度から眺めてみて、ようやく「なるほど」と納得しました。帽子の下にかけられたレインコートの左右の襟が、見ようによっては二つの眼のように見えなくもない、と気づいたのです。電灯をつけていない時の玄関は薄暗く、白い壁にかけられた黒いレインコートは、確かに化け物じみて見えたかもしれないと母は言っていました。

お化けの正体がレインコートであったことを教えられた幼児期の体験が原因となっているかどうかはわかりませんが、大人になってからの私は、いわゆる「心霊写真」というものに対してかなり懐疑的になりました。

もちろん、妙なところから誰のものでもない手が出ている記念写真とか、列の後ろに亡くなったはずの友人が写っている集合写真とか、いわゆる「心霊写真」の中には、どう考えても不思議な、怪奇現象としか言いようのないものも少なくありません。私も、そうした種類の不思議な写真の神秘を否定するつもりはありません。

【見做(みな)し】

私が疑問に思うのは、「見ようによっては顔に見える」といった種類の「心霊写真」です。そして、身の回りにはこの種の写真が多いのです。

たとえば、大学で女子学生が、クラブ合宿の記念写真を囲んで大騒ぎしていたりすることがあります。興奮した彼女たちの話によれば、背景の森の中に気味の悪い顔が写っている、というのです。そう言われても、最初は、そんな顔は見えないのですが、「ほら、ここに眼があるでしょ」「もうひとつはここです」「その下にあるのは口じゃないでしょうか」と一点一点説明されると、確かに、なるほど、「顔」と見えなくもありません。

しかし、このような「心霊写真」はどちらかと言えば「見做(みな)し」の産物なのです。三つの点をひとつの集まりとして見ると、顔に見ることもできる、というわけです。つまり、空に浮かんだ雲が龍に見えるとか、海岸にそびえる岩が犬の顔に見えるといった種類の現象と同じようなものと考えて良いでしょう。

その昔、こうしたものも含めて、「心霊写真」が流行した時代がありました。テレビでも、視聴者から寄せられた「心霊写真」(と称するもの)を、「霊能力者」?がもっともらしく解説する番組を、各局が競って放映していました。

最初の内こそ、誰が見ても不思議と感じるような質の高い?神秘的写真が送られてきたものですが、当然、時間が経つにつれ投稿の質は低下し、「見ようによってはそう見えなくもない」というような「見做し」の写真が多くなってしまいました。

それにつれて、自称「霊能力者」の解説もかなり苦しくなってきて、次第に創作ではないかと思うようなありふれたお話が増えていったのを憶えています。ぼんやりした顔らしきものから、よくもそんな因縁話を考えられるものだと感心したものです。因縁話の陳腐化とマンネリ化につれて、番組自体も少なくなっていきました。ところが、心霊写真のブームが下火になって来ると、今度は「人面石」とか「人面魚」といった形で、見做し系?のバリエーションが次々に登場することになりました。

【シミュラクラ】

なぜ私たち人間は、いろいろなモノに「顔」を見てしまうのでしょう。

白紙の上に、丸を三つ描いてみます。上に二つ、その下にひとつ、逆三角形になるように描けば、顔ができ上がります。正確には、「顔と見做すことのできるようなパタン」を描くことができる、と言うべきでしょう。

このように、人間がそうした簡単な要素の集合に顔を見てしまう傾向を「シミュラクラ(simulacra)現象(類像現象)」と呼びます。

私たちが「シミュラクラ現象」を起こしやすいのは、脳も含めた人間の「視覚系」に、顔を認識する「パタン認識のプログラム」が生まれつき組み込まれているからです。

人間だけではなく、ネコなども、線画で描いたネコの絵をネコとして認識することができるので、どうやら動物には、生まれつき、いくつかの「パタン認識の傾向」が組み込まれているようです。

そして、周囲の雑多な刺激が溢れる視覚環境の中に、いち早く「顔」を認識する能力を備えていることは、生存上とても有利です。ブッシュの葉陰に、猛獣などの顔を見つける能力は、危険を察知し生き延びる上で役に立つだけでなく、それは、仲間の顔を認識することにも役立ち、群を作り共生する際の社会性を支えるために必要なベイシックな能力でもあるのです。

現代では、こうした「シミュラクラ能力」が、省略され簡略化されて描かれるコミックやアニメのキャラクターを認識する能力としても役立っています。我々の文化は、人間における動物としての「天性」を土台として構築されているのです。

【火星の人面岩】

時代と共に、こうした「シミュラクラ現象」の対象は、宇宙にまで飛び出すようになりました。20世紀には、NASAが発表した火星表面の写真の中に、巨大な「人面像」が見つかったと話題になったことがあります。

それは、1976年7月、NASAの火星探査機「バイキング1号」が送って来た火星のシドニア地域を上空から撮った写真に写っていました。その岩は、長さ3km、幅1.5kmほどの大きさで、眼、鼻、口を備えた巨大な人の顔のように見えました。

周囲にピラミッドのような地形も複数あることから、これは「古代に火星で生活していた人々が造ったモニュメント」ではないかといった仮説が飛び交い、雑誌『ムー』などでは何度も「火星古代文明」の特集が組まれました。

しかしNASAは、「自然の岩山が、たまたまの光と影の具合で人の顔のように見えたもの」という見解を押し通しました。人工のものではなく、偶然の産物だと言うのです。

その後、2001年に発表されたNASAの「マーズ・グローバル・サーベイヤー」による高解像度の写真や地形図を見る限り、人工的に造られた顔の像とすることには無理があるように感じられます。もちろん、こうした新たな証拠に対しては、NASAが事実を「隠蔽」するために画像に手を加えたとする主張もあり、真実は「藪の中」なのかもしれません。

そして、さらにその後2006年にESA(ヨーロッパ宇宙機関)が発表した火星探査機「マーズエクスプレス」の撮影した鮮明で立体的な写真にも、シドニアの人面岩はいくつかの山や丘から成る自然な地形という感じで写っています。「顔」を取り囲む土手状の「額縁」が人工物っぽく見えるという疑問は残るものの、おそらく、自然に形成された岩石の地形であるとするNASAの見解は妥当なものであり、以前の不鮮明な写真が「シミュラクラ現象」を引き起こしたと考えても良いでしょう。

【古代への情熱】

とは言うものの、30年以上続いたこうした一連の「騒ぎ」がまったく無駄だったのかと言えば、そう簡単に否定的な総括をするわけにはいかないと思うのです。

少なくとも、「火星の古代遺跡」をめぐる様々な議論は、人々の火星への好奇心を刺激し、未知の惑星に対する想像力を書き立てました。

例えるならば、古代ギリシャの伝説や叙事詩がシュリーマン(Johann Ludwig Heinrich Julius Schliemann 1822-1890)のイマジネーションと情熱を刺激し、伝説の古代都市トロイアの遺跡を発掘させるのに至ったのと同じような「力」がそこには働いているのです。

仮に、人面岩そのものは「シミュラクラ現象」によるロマンチックな幻(vision)であったにしても、「火星の古代文明」のヴィジョンは人々の脳の中に、多種多様な「仮説」を生み出しました。それらが、ヒント(hint 暗示)となって、将来、重要な科学的発見が導き出される可能性は充分に考えられます。

人面岩発見以前の火星のイメージは、その生成以来一貫して「不毛な乾いた惑星」といったものでした。しかし、近年、火星の表面に帯状に刻まれた宇宙レベルの「大災害」の爪跡が明らかになるにつれて、火星がかつては豊富な水と厚い大気層を備えた、生命の揺りかごと成り得る豊かな星だったのではないかという新たなイメージが生まれてきました。

たとえば、火星の衛星であるフォボス(Phobos)とダイモス(Deimos)が、妙に歪んだ形をしているのも、火星を襲った大災厄の結果ではないか、といった仮説も現在では語られています。ちなみに、フォボスの意味は「狼狽」、ダイモスの意味は「恐怖」です。今になってみると、なかなか意味深な名前ですね。

【非合理の合理化】

つまり、私が指摘したいことのひとつは、先天的に人間の脳にプログラムされた「シミュラクラ現象」のような「パタン認識の傾向」は、確かに一方では「錯覚」を生み出し、事実誤認を引き起こします。しかし、一方でそれは、創造的なモティベーションを生み出すものでもあるということです。

かつてユング(Carl Gustav Jung 1875-1961)が指摘した「グレートマザー」「老賢人」「シャドー」「トリックスター」「アニマ、アニムス」といった「元型(Archetype)」の概念も、人類に共通した「パタン認識の傾向」であり、私たちの脳に先天的にプログラムされているものと考えられます。ただ、元型の場合は、認識の対象が視覚的な形態ではなく、人々の行動に表れる「人格的なパタン」であるという点が違うだけです。各々の認識の階層ごとに、私たちの脳には、生まれつき、様々な「パタン認識の傾向」が組み込まれているのです。

こうした、さまざまな「認識の傾向」は、「シミュラクラ現象」と同様に、多様な「錯視」や「錯覚」を生み出します。たとえば、環境世界を「三次元空間」として認識する視覚的傾向は、矢羽根の向きによって軸の長さを短く、あるいは長く感じさせる「ミューラー・リア─の錯視」を生み出します。同じように、視覚対象を主観的な三次元空間のどこかに定位させて見ようとする傾向は、地平線近くに登って来た月を大きく感じさせ、頭上にまで登った月を小さく感じさせます。

啓蒙主義の時代、つまり産業革命以降の合理性と論理性を中心に据えた社会においては、こうした人間の主観的「傾向」は「客観的現実」を歪める「錯誤」とされました。この時代、人間の主観を超えて、客観的で科学的な計測法により「現実」を認識できるようになったことは、確かに人類の偉大な進化と言えるでしょう。

しかし、脱産業化の進んだ現代においては、さらにその先に進む必要があるのではないでしょうか。人類の脳に先天的に組み込まれている、諸々の「パタン認識の傾向」は、確かに、対象を客観的に計測するという点においては自然科学的な技法に劣ります。しかし、そうした「傾向」は人間に与えられた「能力」でもあるのです。これらを人類の集団がマスのレベルで展開する「生存戦略」にいかに組み入れるかが、今日的な課題ではないでしょうか。

たとえば、火星上の人面岩に古代の火星文明を幻視し、火星地表に残された小惑星激突の爪跡に、豊かな生命の星を襲った大惨劇を幻視することは、将来、我々の地球を襲うかもしれない小惑星や彗星衝突の危険を認識することでもあります。そうした大災厄のヴィジョンは、これをいかに察知し回避するかという、地球規模の重大な課題を真剣に考えるための「動機づけ」を高めてくれるはずです。

「非合理の合理化」、一見、非合理に見える無駄なものを、いかに合理的な世界の摂理と融合させるか、それは現代の私たちに与えられた大切な課題のひとつだと思います。

image by: Shutterstock.com

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