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何ひとつ説明せぬ菅政権の異常事態。日本の政治風土を破壊した真犯人

世界中から反対の声が挙がる中、トリチウム汚染水の海洋放出を決定した菅政権。国の未来に大きく関わると言っても過言ではないこの政治判断は、なぜ自国民に対して十分な説明もなされぬまま進められてしまったのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では米国在住作家の冷泉彰彦さんが、当問題に限らず日本の政治が「説明から逃げている」と指摘しそう判断せざるを得ない理由を列挙。さらに我が国の政治風土がここまでの状況に陥ってしまった原因を考察しています。

政治はどうして「説明」ができなくなったのか?

日本では、どうにも時代が閉塞した雰囲気へとジリジリと追い詰められているように思います。勿論、コロナの感染拡大「第4波」という状況があり、また菅政権の支持が低迷しているとか、色々な懸念があるわけですが、こうした閉塞感の中心にあるのは、政治が「説明から逃げている」という問題だと思います。

最初にお断りしておきますが、現在の日本の政権が途方もなく悪いことをしていたり、隠したりしていて、そのために説明を拒否し、あわよくば民主主義を停止したり、国民に対して暴力を向けたりしようとしているかというと、それは全く違うと思います。

そう申し上げると、前政権における森友、加計、桜、広島の4大疑惑があるではないか、とか、現政権でも総務省と電波行政の疑惑があるし、明らかに政権はこれを隠しているという声が出てきそうです。勿論、それはそうなのですが、少なくともどの問題も「小粒」であり、しかも事実関係はだいたい国民の知るところとなっています。ですから、安倍前総理は、どんなに待望論があっても再登板は難しいし、菅総理も、もう一つ何か大きな材料が出たら、苦しくなる、それは事実だと思います。

深刻なのはもう少し全国的な政策レベルの政策についてです。

今回は2つお話をしたいと思います。

まず、「どうして日本は水素エネルギーにこだわっているのか?」という問題があります。この点に関しては、政府は全く説明していません。具体的には経産省がチョロチョロPRをしていたのと、世界に冠たるトヨタが、「水素燃料電池車ミライ」というプロジェクトにこだわっていたことは知られています。

トヨタに関しては、いつになってもEV(電気自動車)を発売しないで、HV(ハイブリッド)、PHVP(プラグイン・ハイブリッド)にプラスして、この「ミライ」を販売し、しかも今年になってフルモデルチェンジまでしています。

ですから、漠然と「水素」をやっているとか、それが「国策」らしいということは、知られていました。ですが、安倍政権の間は「どうして水素なのか?」「代替エネルギーとして、どうやって大量の水素を調達するのか?」といった議論は回避されてきました。

状況が変わったのは菅政権になってからです。菅総理は、堂々と「排出ガスのゼロ化」を国策にすると表明しました。これは態度としては立派ですが、問題は、その手段です。

非常に単純化して述べるのならば、このまま化石燃料依存体質をモクモク続けることはできなくなりました。そこで考えられる国策は3つあります。「原発再稼働」「製造業の放棄による省エネ社会」「代替エネルギー」という3つです。

この中で、製造業を放棄する勇気は自民党にはありそうもありません。GDPが半減するだけでなく、仮に金融、バイオ、コンピュータといった知的産業にシフトするとなると、教育から文化、価値観などの大革命(英語公用語化を含む)が必要となり、自民党政治家の想像力、実行力では追いつかない話だからです。

そこで、恐らく現在の国策としては、この3つをミックスすることになっているのだと思われます。ある程度は原発を稼働させる。その間に、できるだけ代替エネルギーを調達する。その間に、支持者が驚かない範囲で知的産業へのシフトを図るという考え方です。

ですが、原発稼働は世論が許さないし、代替エネといっても、風力や太陽はどんなに頑張っても蓄電池が必要、また地熱は火山が観光資源なのでムリということで、「せっぱ詰まった中で」の選択として「水素」が出てきたのだと思います。

そして、この4月に入ったあたりから、実は水素の調達はオーストラリアとの共同でやっており、岩谷産業などが主導して「水素サプライチェーン構想」というのをやっている、その全貌が公開されるようになってきました。

私は、エナジー・ミックスをやって、排出ガスゼロに持って行くのは当然と思いますが、この「水素サプライチェーン」という考え方には疑問を持っています。技術的に低品位の「褐炭」から水素を取り出す研究をするのは良いことです。オーストラリアで進めるのもいいでしょう。

ですが、問題は水素の生成にあたって出てくる大量の二酸化炭素を、オーストラリアで地層処分するという構想です。まず、二酸化炭素は、使用済み核燃料などと違って半減期というのがありません。ですから、保管は永久になります。百歩譲って、相手が良いというのなら豪州の地下に地層処分をするのも良いかもしれません。

ですが、本格稼働がされて、二酸化炭素の処分が永久、大量となると話が別です。私は、豪州政府がそんな超長期、超大規模な二酸化炭素の地層処分などという話に「永久コミットする」とはどうしても思えないのです。第一に、資源のない他国に代わって、二酸化炭素を抱え込むということが、永久に政治的に成り立つわけがありません。第二に、そこをカネで越えるということになると、天文学的な資金が必要になります。豪州は潤っても、日本の経済力が支えられるのかという問題があります。第三に、二酸化炭素の地層処分というのは、地球への負荷になるわけで、排出権と同様に処分する権利というものが今後は高騰する可能性もあるわけです。

ですから、このプロジェクトに関しては、悪いアイディアではないと思うものの、国策として大規模に傾斜するのはリスクが大きすぎると思うのです。その辺りについて、どう考えても情報公開が少なすぎます。もっともっとオープンな議論をしないといけないのですが、政府としては、世論は感情的に流されるので、そもそも「1+1=1」だとか「1+1=3」だというようなことを言ってくる、だから「マトモに説明しても分かってもらえない」として、サザエのように身を潜めている感じがあります。

2点目は、これもエネルギー政策の関係ですが「どうして今、日本では福島第一のトリチウム水の放出を急ぐのか?」という問題があります。勿論、海洋放出をしなくては、福島第一の汚染水タンクはそろそろ増設が限界に近づいています。ですから放出が必要なのは分かります。

ですが、安倍政権はダンマリを決め込んでいて、どうして菅政権は踏み切ることができているのか、どうも政治的に良く分からないのです。確かに、水素プロジェクトが、決して安定的な話ではない中で、日本の製造業をある程度は続けて行くためには、原発再稼働は避けて通れません。そのためにも、福島第一の廃炉は粛々と進めなくてはならず、そうなるとディストピア映画のような、あの汚染水タンクの林立は止めたい、それは分かります。

それはそうなのですが、それでも何故、今なのでしょう?これも憶測を重ねるしかありません。

1つは、安倍政権がどうしても嫌がって先送りしていたという説です。例えばですが、前総理に「こだわり」がなくても、夫人が強硬に反対していたとか、選挙を考えて踏み切れなかったという可能性はあります。五輪招致、五輪実施にも影響があると心配していたのかもしれません。ですから、その安倍政権が終わったというのは1つの理由と考えられます。

2つ目はその五輪です。「福島復興五輪」と銘打って開催する以上、国際的に理解が得られないかもしれないトリチウム汚染水を福島で流すのは、さすがに躊躇されると思います。ということは、4月に入って突然に内閣が「放出」を言い始めたのは、五輪の開催を断念し始めた兆候なのかもしれません。

3つ目は選挙です。長野や広島などの補選・再選挙は、「どうせ負ける」と腹を括っており、その上で、国民に不人気の「汚染水放出」をこのタイミングで表明すれば、どうせ選挙には負けるので「一種のガス抜き」にすることができる、そこで次の衆院選には影響させないという計算があるのかもしれません。

4つ目は、小泉進次郎氏の位置づけです。奇々怪々なのは、今回の放出については、菅総理が前面に出てきており、主管大臣である小泉進次郎氏はあまり出てきていません。彼は、この汚染水問題を背負わされていた格好でしたが、菅総理が進次郎氏を「かばって」自分が「盾になって」中央突破する構えに見えます。こうなると、仮に菅総理が退陣して、その次か次の次になった際に、菅氏は小泉氏の後見人としてのキングメーカーの地位を狙っているようにも見えます。

その他にも、この欄で何度かお話したように「どうして日本では、PCR検査の拡大に時間がかかったのか?」「どうして日本では、ワクチン接種が先進国で1番遅れたのか?」といったコロナ関連の政策についても、良く分からないことばかりです。こちらは改めて詳しい議論をしたいと思います。

とにかく、こうした現状は異常だと思います。確かに、水素エネルギーの問題も、汚染水の問題も複雑なテーマです。ですが、どんなに複雑でも、今後の日本の社会を大きく左右する重要な問題であることには変わりません。汚染水の問題は、とにかく徹底的に希釈してやるので、実行あるのみと思っているのかもしれませんが、風評被害が都市型世論や周辺国も巻き込んで暴風のように吹き荒れる危険性もある中で、やはり拙速な印象を与えます。

では、どうして政治がここまで「説明不足」に陥っているのでしょうか?

まず思うのは、メディアの伝える力が弱っているということです。政府の意向を汲んで適当な報道をすれば炎上する、かといって徹底して批判報道に撤すれば政府から弾圧が来る、一方で地上波ビジネスモデルは風前の灯といった中で、まずTVが弱体化しています。また新興のネットも感情論の点火と爆発は得意ですが、複雑さを抱えた問題を丁寧に議論するメディアには育っていません。

加えて、野党の問題があります。ここへ来てハッキリ分かったのは、鳩山=菅直人=野田の「民主党政権」がどうして潰れたのかという原因です。あれは、改革の運動でもなく、汚職撲滅のクリーンな運動でもなく、リーマンショックからの経済再建の運動でもなかったのです。

そうではなくて、あれは「感情論のお好み食堂」だったということです。何となく、八ッ場ダムはイヤ、辺野古の基地建設はイヤ、巨額の技術予算もイヤ、中道だけど右派から叩かれるのはイヤだから尖閣は国有化、当初は原発依存の環境政策だったのが震災で180度転換…など彼等のやろうとした「政策」のほとんどが、それこそ都知事選で泡沫候補が言いそうな「感情論」のオンパレードで、その羅列にはイデオロギー的にも、政策論的にも「こうした組み合わせパッケージ」にするという必然性はなかったわけです。

あの民主党時代が、日本の政治風土を大きく壊しました。更に、その後の安倍政権というのは、別の意味で日本の政治風土を弱めました。それは、「表面的には右派ポピュリスト」のフリをしながら実体としては「実行可能な、そして実施が必要とされる中道政策」を淡々と進めたということです。

財政はリベラル、韓国とは日韓合意、アメリカのオバマとは相互献花外交、更に原発再稼働には慎重、ということで、特に第2次安倍政権というのは中道というよりも、政策としては中道左派政権だったとも言えるわけです。ですが、「右派政権」だという看板はかけ続けたし、モメた時の安倍晋三のパフォーマンスだけを見ていると、ネトウヨは「左派をやっつけてくれて痛快」と思ってしまう、でも、実際の政策は中道左派というウルトラCを続けたのです。この長い長い安倍政権時代にも、政治と民意の「騙し合い」は悪化したと思います。

つまり、「感情論のお好み食堂」だった民主党政権、そして「看板は右派だが出てくる料理は中道左派」という安倍政権の手品、この2つがここ10年続いたことで、政治が民意に対して正直に「実行可能な、そして実行が必要な」政策を説明することができなくなっているのだと思います。

政治が「説明」できなくなっている、これは大変な問題です。まずは、メディアがもう少しまともな報道や議論を主導することから、政治も民意も学び直さなくてはなりません。(メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』より一部抜粋)

image by: 首相官邸

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東京都生まれ。東京大学文学部卒業、コロンビア大学大学院卒。1993年より米国在住。メールマガジンJMM(村上龍編集長)に「FROM911、USAレポート」を寄稿。米国と日本を行き来する冷泉さんだからこその鋭い記事が人気のメルマガは第1~第4火曜日配信。

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