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「若者の活字離れ」という大ウソ。あの『週刊朝日』が休刊に追い込まれた訳

日本最古の総合週刊誌として知られ、昨年2月に創刊100周年を迎えた「週刊朝日」の5月末での休刊が発表され、業界に衝撃が広がっています。その理由として「若者の活字離れ」を上げる声も聞かれますが、果たしてそれは正答なのでしょうか。今回のメルマガ『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』ではジャーナリスト・作家として活躍中の宇田川敬介さんが、現代の若者は「活字を使う形態が変わっただけ」であり、決して活字から離れてしまったわけではないという事実を実例を上げつつ解説。その上で、「週刊朝日」が休刊に追い込まれた真の理由を考察しています。

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週刊朝日の休刊に関しての一言 活字文化はなくなるの?

活字文化が無くなってきた、若者が活字を読まなくなってきたということを言われるようになって、かなり時間が経ちました。もう「活字文化」などと言うこと自体が「何をいまさら言っているのか」というような感じになっています。

実際に活字文化そのものというか「本」の売れ行きは悪くなっており、同時に、本屋もほとんど潰れてしまっています。

またほとんどが漫画になってしまい、営業している本屋においても活字の本の占める割合が徐々に少なくなっているということになるのではないでしょうか。

では、本当に「活字文化」はなくなってしまっているのでしょうか。

あえて申し上げて、私の肌感覚であり、なおかつ、正式な数字などがあるわけではありませんが、実際に私の感覚としては若者は「活字は読んでいる」という気がします。

実際に本は読まななくなったのではないでしょうか。電車やバスの中で、スマホでゲームをしている若者を見ることはそれほど難しくはありませんが、現在文庫本で本を読んでいる学生を見ることはほとんどありません。

私ごとで恐縮ですが、学生服の左ポケットには、ちょうど文庫本が入る大きさだったので、電車の中の時間は非常に楽しい時間で常に本を読んでいたという記憶があります。

中学生当時は司馬遼太郎や山岡荘八の歴史小説を常に読んでいました。

今、歴史小説作家をやっていられるのも、この時の「遺産」ではないかという気がします。

しかし、残念ながら、今の若者はそのような本を読んでいないという気がします。

しかし、では歴史を知らないのか、または勉強をしていないのかというとそうではありません。

現在の若者は現在の若者なりに知識を蓄え勉強しているのではないかと思います。

現在大学の仕事を手伝っていて、その仕事の中で、残念ながら偏差値的にはそれほど高くない学生と話す機会が少なくありません。

しかし、偏差値的に高くないとはいえ、彼らが何も考えていないというのであありませんし、また勉強していないというのとも異なるのでないでしょうか。

実際に「学び」とは「何から学ぶか」といういうように「学ぶ対象」を制限するものではありません。

そのような話ではなく「森羅万象統べてから学ぶ」ということがあり、その学びにおいて、特に大きな違いはないということになるのです。

では、現代の若者は何から学んでいるのでしょうか。それは「YouTubeなどの動画」であり「漫画」であり「アニメーション」であり、そして「ゲーム」の中から学んでいるのです。

このように書くと「ゲームから学べるはずがない。遊んでいるだけだ」というようなことを言う人がいます。本当にそうでしょうか。

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実際に学ぶことという事をシミュレートしてみましょう。

ある意味で、「学ぶ」というのは、「その内容に興味を持ち、そしてその内容を自分なりに解釈して理解し、そしてそれをきっかけにして自分で調べて知識を深める」ということになります。

最近ではそれだけでは足りず「その知識を使って自分なりに加工し応用力をもって新しい事項に対処できる能力を付ける」ということが重要になってきています。

では皆さん自身も含めて「教科書で興味を持った」という人はどれくらいいるのでしょうか。

少なくとも私の場合、日本史などは教科書では全く面白くなかったし、また、それで興味を持つことはなかったと思います。

何度も書いていますが、日本史に一番初めに興味を持ったのは幼稚園の頃、あれを学びといってよいかどうかはわかりませんが、『宇宙戦艦ヤマト』をみて、その第一階の放送で「あれが男の船だ」という言葉を聞き、「宇宙戦艦になる前の戦艦大和」興味を持ったのが初めであると思います。

そのようにして「過去」ということに非常に脅威を持つようになり、その後、小学校4年生の時に、NHK大河ドラマの『おんな太閤記』(佐久間良子さん・西田敏行さんが主演)を見て、戦国時代のロマンを感じ、その翌年TBSのドラマ『関ケ原』(森繁久彌さん・加藤剛さん主演)で司馬遼太郎先生の本にはまったのが私の歴史のきっかけであると思います。

私でなくても、例えば司馬遼太郎先生の『龍馬がゆく』を読んで坂本龍馬と幕末にはまった人は少なくありません。

では、私のように宇宙戦艦ヤマトや大河ドラマ、または龍馬がゆくなどから歴史に興味を持った人は、「教科書ではないから」ということで遊びの一部でしかなく学んでいないということになるのでしょうか。それは何かが違うのではないかと思います。

もちろんその物語で止まっている人もいますし、また、その後調べて歴史学者になる人もいます。

見ている人が全て学んでいる人とも思えませんが、しかし、それは学びの一つの形態であり、特に「興味を持つきっかけ」としては、何でもよいのではないかという気がします。

そのうえで、その感想を書く時にはどうするでしょうか。

ドラマの感想などを、現在の若者はSNSに投稿しますが、その投稿は「総て活字」になります。

他の人の投稿を読むのも活字ですし、自分も活字で投稿を挙げます。

もちろん正確な日本語ではなく、暗号や略語を使うこともあるでしょう。

文章になっていないような感想も少なくありません。「ああ」しかかけないような感想もあると思います。

では、それを批判する人にあえて聞きますが、松尾芭蕉の「松島や ああ松島や 松島や」は愚にもつかない感想なのでしょうか。松尾芭蕉ならば「ああ」だけでよくて現在の若者では「ああ」だけでは活字とは言えないというのは差別ではないかと思います。

このように言えば、どんどんと続くのですが、まあこの辺にしておきましょう。

実際に「本でなければならない」「本が売れないのは若者がおかしい」というのは、単なる偏見です。

もちろん、本屋の経営者がそのように言うのは、自分の商売のことがあるので批判はしませんが、一般の人がそのように言うのは、何かおかしいのではないでしょうか。

要するに若者は「活字離れ」をしているのではなく、「活字を使う形態が変わった」ということになります。

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若者に受け入れられなくなった週刊朝日

活字文化はそのまま残っているのに、なぜ週刊朝日は休刊に追い込まれたのでしょうか。

朝日新聞社はこの事態になって朝日新聞社のサイトには「刊誌市場の販売部数・広告費が縮小するなか、今後はウェブのニュースサイトAERA dot.や書籍部門に、より一層注力していく判断をしました」とその理由を書いています。

このニュースを受けて「紙の雑誌は3年後にはほとんどなくなる」などという記事が出てきていたのです。

実際のところはどのような感じでしょうか。

確かに「スマホ」で何でもできてしまう時代になっています。

要するに雑誌などもすべてスマホで読めてしまうということになり、わざわざ雑誌を買う必要がないということになります。

朝日新聞社や他の雑誌社の多くは、その内容がほとんどで言われているのです。

では実際に「紙の本はなくなる」のでしょうか。

これは基本的にはなくならないという感じになるのではないでしょうか。

紙でなければできないような事もあります。もちろんスマホなどもかなり改良がされていますが、私のような人間には「サイン本」などはできなということになります。

実際に「紙の本とデジタルの本」と二つあって、どちらかという時でも、それは読む人の「選択肢」でしかなく、デジタルになったからと言ってなくなるというものではないのではないでしょうか。

では、なぜ「紙の週刊誌」は読まれなくなったのでしょうか。

あえて、「本」と書いていたものを「週刊誌」に変えました。これは、「週刊誌特有」の問題があるからにほかなりません。

週刊誌というのは、「毎週発行される」と言ことで、一つには「毎日発行される新聞などと異なり一つの内容を深堀した記事ができる」という特徴と「単行本とは異なって毎週出ることによって連載記事が書ける」ということの二つの特徴があります。

しかし、その二つの特徴があるということから「一冊の中に読みたくない記事も存在する」ということになってしまいますので、一冊分の中に面白くないということになるのです。

要するに「週刊誌」そのものの存在が「単行本などの本」とは異なるジャンルであり、その中に「無駄」が存在する事、そして、「中途半端」であることが、最も大きな問題になってくるのです。

よって「週刊誌」が読まれるようになるためには、「読みたい記事」がその中に入っていなければならないということになりますので、その「一般の人々(読者)が読みたい記事を常に提供し続ける取材力とトレンドの察知力」がなければ、基本的には週刊誌は続けることができないということになるのです。

そのようなことが出来なくなったということが、現在の週刊朝日であるというようなことになります。

もう少し詳しい分析もできるのですが、基本的に「休刊」になるという状況においては、このレベルで十分ではないかと思います。

つまり、「必要性が無くなった」「週刊誌代金が無駄に感じるようになった」ということであり、その週刊誌の特徴も基本的には阻害要件になったということになるのではないでしょうか。

時代の流れと、世代による好みの違い、そして取材力、それらの総合力で物事が決まってゆくのですが、それが足りなくなったということになります。
時代というのはそのようなものなのかもしれません。

(メルマガ『宇田川敬介の日本の裏側の見えない世界の話』2023年1月30日号より一部抜粋。続きはご登録の上お楽しみください。初月無料です)

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image by: red mango / Shutterstock.com

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