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ABU DHABI, UAE - NOV 26, 2016: Ford company logo on a car illuminated at night

黎明期にはガソリン車の勝利。王座をEV車に明け渡す日はくるのか?

EV車が普及されるようになり、ガソリン車は今後、王座を譲ることになるのか?話題となっています。今回、メルマガ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ』では、時代小説の名手として知られる作家の早見さんが、 自動車王と呼ばれたヘンリー・フォードのエピソードを紹介。エジソンとの関係やフォード社の理念についても語っています。

自動車王の栄枯盛衰

EV車の普及が話題になっています。

自動車の普及に大きく貢献したのはご存じ自動車王ヘンリー・フォードです。

1896年、エジソン照明会社のチーフエンジニアであったヘンリー・フォードは自作四輪自動車の製作に成功、尊敬する発明王トーマス・エジソンに自動車への夢を熱っぽく語り、励ましの言葉をかけられました。時にフォード、33歳、自動車王への道を踏み出した瞬間です。

「努力が効果をあらわすまでには時間がかかる。多くの人はそれまでに飽き、迷い、挫折する」とは、フォードの名言です。たゆまぬ努力を続け、成功を手にしたフォードならではの言葉です。

彼の人生はその言葉を実践したものでした。

1891年、エジソン照明会社の技術者となり、2年後にチーフエンジニアに昇進すると内燃機関の実験に携わり、自作四輪自動車の製作に繋がったのです。彼は一日12時間勤務して帰宅してから、自宅に作った作業場でエンジンの研究に没頭しました。

まさしく飽きず、迷わず、挫折することなく努力を続けたのです。

エジソンは自動車開発にも強い関心を抱いていました。自作四輪自動車を製作した後、フォードは会社内の幹部社員の親睦食事会に呼ばれました。そこでの話題は乗物用蓄電池の充電でした。電気を扱う会社としては大いなるビジネスチャンスです。

当時も自動車のエンジンについては議論が分かれていました。すなわち、電気自動車、蒸気自動車、ガソリン自動車、いずれがよいのか結論が出ていなかったのです。その食事会では当然のように電気自動車の優位性が語られました。すると、エジソンはフォードがガソリン自動車の製作に成功したと耳にし、大いに興味を示し、次々と質問を繰り出します。

4ストロークなのか、点火はどうするのだ、等々、フォードは的確、且つ丁寧に答えました。質問を終えたエジソンはテーブルを叩きました。彼が発明した白熱電灯さながらの白熱ぶりに会場は静まり帰ります。フォードも肝を冷やしました。

発明王を怒らせてしまったのか。

すると、エジソンはわが意を得たりとフォードを絶賛し、今後も自動車開発の道を進むよう励ましたのでした上で自分の考えを披露しました。電気自動車は発電所の近くでないと動かず、バッテリーが重いのも実用的ではない。蒸気自動車はボイラーと火元を運ばなければならないため非実用的である。フォードが製作したガソリン自動車は自前の動力装置を備えている、これは大いなる可能性を秘めている、と評したのです。

それまで、ただただ夢中で試行錯誤を繰り返してきたフォード、ガソリンエンジンの方がモーターエンジンよりも自動車に適していると発明王に評価され、大いなる自信を得たのです。

1908年に製作されたT型フォードは、フォードが理想とした安価で操作が楽、そして修理も容易とあって大ヒットしました。売り上げ急増となったのは、優れた技術力だけではありません。フォードは一流のエンジニアであったばかりか、超一流の経営者でもあったのです。大々的な広告を新聞に載せ、全米のほとんどの都市に販売店を展開しました。

そして、ベルトコンベアによるライン生産方式の導入。これによってコスト削減を図り、大量生産が可能になりました。この生産方式は自動車ばかりか他の工業生産にも取り入れられ、20世紀の工業化社会に革命をもたらしました。1918年までに、全米で走る自動車の半分はT型フォードが占め、最終的には全世界で1,500万台を売ります。

フォードは莫大な富を得ますが、従業員にも還元しました。これまでのアメリカの工場労働者の平均賃金は日給2ドルでした。フォードは自社の労働者の最低賃金を日給5ドルに引き上げました。彼は賃金の引き上げではない、利益を分配しているのだと言いました。労働者の生活を豊かにし、彼らも自動車のユーザーにしていったのです。

労働者の生活が豊かになること、すなわちアメリカの繁栄だとフォードは信じていたのも事実です。彼は言っています。

「私たちが繁栄しているから自動車を持てたのではない。私たちは、自動車を持っているからこそ繁栄したのだ」

自動車産業の興隆イコールアメリカの繁栄だと信じて疑わなかったのです。フォード・モーター・カンパニーは20万人を超える従業員を抱えるエクセレントカンパニーとなりました。

それでも、永久に続く繁栄などありません。フォードの凋落は、皮肉にもT型フォードが売れすぎたがために始まりました。全米に自動車が普及し、市場は飽和状態になります。すると、T型フォードは消費者から飽きられてゆきました。頑なにT型フォードを生産し続けるフォードに対し、ゼネラルモーターズは製作したシボレーのモデルチェンジを毎年繰り返しました。

T型フォードはシボレーに押され、1927年、ついに生産中止になりました。そして試行錯誤の末、同年の12月A型フォードを生産、ゼネラルモーターズに倣って毎年モデルチェンジをするようになります。

ビジネスに競合はつきものです。自動車黎明期にはガソリン車が勝利しましたが21世紀はどうなるのでしょう

image by: Philip Lange / Shutterstock.com

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歴史、ミステリー四方山話、思いつくまま日本史、世界史、国内、海外のミステリーを語ります。また、自作の裏話なども披露致します。

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【著者】 早見俊 【発行周期】 週刊

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