世界の目がウクライナに向いている間隙を突き、アルメニアとの係争地ナゴルノカラバフを電撃的に奪取したアゼルバイジャン。かような紛争の火種は、他の地域でもくすぶっているようです。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦の『無敵の交渉・コミュニケーション術』』では元国連紛争調停官の島田さんが、米中ロという大国の影響力低下により「新たな世界の火薬庫」となりうる地域を挙げ、その注視すべき動向を詳細に解説。最悪の場合、世界を巻き込む終わりの見えない戦争に突入する可能性もあるとの見方を示しています。
次なる戦火はどこで上がるのか?各地でくすぶる紛争の火種
【世界の火薬庫】と聞いて、どの国・どの地域を思い浮かべるでしょうか?
私は旧ユーゴスラビアを含むバルカン半島をすぐに思い浮かべます(実際には「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれることが多いですが)。
実際に紛争調停の初めてのケースはコソボでしたし、紛争調停の世界に入るきっかけになったのは、先の旧ユーゴスラビアの崩壊とボスニア・ヘルツェゴビナにおける紛争でした。
また過去には「オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝がサラエボで暗殺され(サラエボ事件)、そこから第1次世界大戦が勃発することになった」という“史実”も存在します。
しかし、そのバルカン半島諸国も、火薬庫と揶揄されるほどの不安定な緊張関係は現時点では存在せず、先のユーゴスラビア崩壊の悲劇以降、コソボ紛争を除けば、大きな武力紛争に発展していません。
ただそのコソボでまたセルビアとの武力紛争の可能性が急浮上してきました。アルメニアがナゴルノカラバフ紛争における完全敗北を認めざるを得なかったのとほぼ時を同じくして、9月24日にコソボ北部バニスカにかかる橋をセルビア系の武装勢力が封鎖し、コソボの警官を射殺したことに端を発し、コソボ特殊部隊と武装勢力との間で激しい戦闘が行われました。
セルビア政府は国境線沿いに重火器を装備した部隊を展開したのに対し、NATOはKFOR(コソボ治安維持部隊)を4,500人増派して対応に当たっていますが、コソボでの紛争ぼっ発以来、最大級の軍事的な対峙となっています。
今後、コソボ問題が大きな戦争に再度発展するかどうかは、コソボの後ろ盾である欧米諸国(国家承認してコソボの独立を承認)がセルビアを制裁対象にし、軍事的な行動を慎むように圧力をかけるかどうかにかかっているかもしれません。
元調停担当者として、本件の解決(できれば予防)にすでにお声がかかっておりますが、しっかりと状況を見極めたいと思います。
コソボを除けば比較的安定してきているバルカン半島情勢に代わり、ユーラシアがかなりきな臭くなってきました。
この地域の危うい安定は、すでに1917年のロシア革命によってできたソビエト連邦の成立以降、何度も民族問題・独立問題によって脅かされ、1991年のソビエト連邦崩壊と共和国の独立の連発に繋がり、“帝国”は崩壊しています。
その中には今、ロシアによる侵攻を受けているウクライナ(2022年から)、チェチェン(2000年)、ジョージア(2008年当時はグルジア)などが含まれ、さらにはロシアと微妙な距離感を保つスタン系の国々(カザフスタン、キルギスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタンなど)や、ナゴルノカラバフ紛争の主役であるアゼルバイジャンとアルメニアも含まれます。
それらは各国が抱く飽くなき領土とコントロールへの欲望の表れであり、ユーラシア諸国を常に悩ませる民族問題でもあります。
ナゴルノカラバフ紛争やウクライナでの戦争は、地域内のみならず、中東欧諸国の内政問題をクローズアップし、世界を分断する要素になっています。
この記事の著者・島田久仁彦さんのメルマガ
ロシア革命以前に遡るナゴルノカラバフ紛争の芽
まずナゴルノカラバフ紛争ですが、僅か4,400平方キロメートルほどの地域の領有権を巡って長く争われてきています。
その争いの芽はもうロシア革命以前に遡ることができるようですが、ロシア革命後、ソビエト連邦の中央集権国家システムの“おかげ”で、一応は平静を保っていたように思います。
ただ、この時期にアルメニア系の住民の移住が盛んになり、1988年にゴルバチョフ政権下でのペレストロイカで共和国の自治権を拡大する方針が執られたのを機に、アルメニア住民が数にものを言わせてナゴルノカラバフ共和国(アルツァフ共和国)を設立し、実効支配体制を敷きます。
しかし、ここで問題となるのは、国際法上、ナゴルノカラバフ地域はアゼルバイジャン領とされており、それは今も変わりませんが、ナゴルノカラバフ共和国の一方的な設立と自治権の確立を狙っていたアルメニアが戦闘を開始し、アゼルバイジャンと激しい戦闘を行ったのが、1988年から1994年まで続いた第1次ナゴルノカラバフ紛争です。
そこでは100万人超の難民が発生し、双方合わせて3万人を超す死者がでましたが、その際、一般市民の多くも犠牲になったと言われています。
1994年に実質ソビエト連邦の後継者を自任したロシアが仲介し、ビシュケク議定書という停戦合意が結ばれましたが、戦争はアルメニア側の勝利だったがゆえにナゴルノカラバフ共和国の存在は黙認される代わりに、領有権は変わらずアゼルバイジャンが持つという不可思議な内容となりました。
それゆえでしょうか。アゼルバイジャンとアルメニア間で平和条約は締結できず、次第にアゼルバイジャンとナゴルノカラバフ共和国との接触線(軍事境界線)が武装化され、第2次ナゴルノカラバフ紛争が2020年9月に勃発する頃には、世界でも三本の指に入る武装軍事境界線になっていました。
1994年のビシュケク議定書で屈辱的な扱いを受けたと感じているアゼルバイジャンは、バクーの油田の開発を通じて経済力を一気に高めたのと同時に、民族そして宗教的にも近い隣国トルコの支援を受け、軍事力も大幅にupした結果、第2次ナゴルノカラバフ紛争では圧勝し、面目躍如となったのは皆さんもご記憶に新しいかと思います。
私はこの際の停戦合意の作成に関わりましたが、ここでも残念ながら終戦を意味する平和条約は締結できず、その後も、トルコとロシアの平和維持部隊の駐留を受けても、アゼルバイジャンとアルメニア側(ナゴルノカラバフ共和国)の小競り合いは続いていました。残念ながら、2022年2月24日以降は、ロシアによるウクライナ侵攻を機に、欧米諸国の関心が失われることにつながり、効果的な抑止力は働かない事態に陥りました。
その結果、ウクライナ戦争に忙殺されているロシアも欧米諸国も手出しできないと判断したのか、アゼルバイジャン側が今年9月19日に一気にナゴルノカラバフ共和国を攻撃し、次の日にはアルメニア側の全面降伏と武装解除を受けて、一応武力衝突は終結し、9月28日には9月1日付でナゴルノカラバフ共和国の大統領になったサンベル・シャラフラマニャン氏が「2024年1月1日をもってすべての行政機関を解散する」と宣言したことで、アゼルバイジャン側の全面勝利に終わりました。
これで【ナゴルノカラバフ紛争はついに終結し、幕を閉じる】という見込みが示されました。
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またも「傍観するだけ」のロシアを非難したアルメニア
9月30日までの3日間で全12万人のアルメニア系住民のうち、10万人以上が本国アルメニアに向けてナゴルノカラバフを脱出し、来年の元旦を待つことなく、事態が収束するとの期待が示されたのですが、10月1日にアゼルバイジャン側がハルトゥニャン前大統領を含む300人以上を国際手配し、犯罪者として訴追するという行動に出たことで、再度、アルメニアとの緊張が高まっています。
アルメニアのパシニャン首相は「これはアルメニア系勢力を根絶やしにするためのアゼルバイジャン側の企て、テロである」と非難すると同時に、軍事同盟国であるロシアが“今回も”アルメニアを助けてくれなかったことを非難する声明を出しました。
これは今回の完全敗北を受けて、再度パシニャン首相への非難が国内で高まってきていることに対する対応と割り引くことは可能ですが、9月11日にはすでに小規模ながらアメリカ軍との軍事演習を敢行し、加えて隣国イランに接近して、アゼルバイジャン側に圧力をかける動きに出ています。
ちなみにイランは、皆さんもご存じの通り、アゼルバイジャンとは非常に近く、イランのシーア派の起こりはアゼルバイジャンであることが分かっており、今でもイラン国民の25%ほどがアゼルバイジャン系であることから、アルメニアがイランと接近することは、アゼルバイジャンに対して大きな疑念と心理的プレッシャーをかけることに繋がります。
でもどうしてイランはアルメニアに接近したのでしょうか?それはアゼルバイジャン政府が、イランにとっては宿敵のイスラエルからの軍事支援を(トルコの仲介で)受けることになり、それがイラン政府に「イスラエルは隣国アゼルバイジャンを通じてイランを攻撃する気ではないか」とイランを激怒させたからであると分析できます。
ナゴルノカラバフ紛争はアゼルバイジャン側の勝利に終わりそうですが、今後、アゼルバイジャンを核にトルコ、イランなどの地域大国を巻き込んだ情勢の不安定化につながることが懸念されます。
ちなみにナゴルノカラバフは、先述の通り、4,400平方キロメートルと決して広くはないのですが、石油と天然ガスパイプラインの回廊に近く、またロシア・トルコ・イランという強国の間に位置するため、コーカサス・中央アジア・欧州にまたがる地政学リスク・利害関係は自ずと大きくなることがお分かりになるかと思います。
少しこじつけと言えるかもしれませんが、今後、バルカン半島に並ぶ世界・地域の火薬庫になりそうです。
緊張に油を注ぐような真似に出たカザフスタン
コーカサスを世界の火薬庫にかえてしまう一端を担いそうなのが、スタン系の雄であるカザフスタンです。
トカエフ大統領が国内でデモに攻撃された際、プーチン大統領はロシア軍を派遣してトカエフ大統領の窮地を救ったため、トカエフ大統領はプーチン大統領に借りがあるため、無条件でプーチン大統領支持かと思いきや、ウクライナ侵攻を巡っては決してそうとは言えず、欧米諸国とその仲間たちによる対ロ制裁には加わらないものの、ロシアによるウクライナ東南部4州の併合は承認せず、これまでにもプーチン大統領が招集する会議でもあからさまに拒絶するそぶりを見せて、ロシアとの緊張を高めているように見えます。
その緊張に油に火を注ぐような真似に出たのが、先週9月28日にベルリンを訪問した際、ショルツ独首相に対して「カザフスタンはロシアの制裁回避・迂回を支持しない。そしてカザフスタンは対ロ制裁の方針に沿った行動を取る」と述べ、「カザフスタンは制裁を遵守するために関係機関と連絡を取っていて、制裁回避を目的とした行動が起きる可能性について、ドイツが心配する必要はない」と言ってのけ、ロシア、そしてプーチン大統領への決別を演出してみました。
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トカエフに対するプーチンの不思議な対応
しかし、トカエフ大統領、そしてカザフスタンの本心はどこにあるのでしょうか?
表面的には【経済発展と海外投資の獲得を目指した改革路線のアピール】ではないかと考えます。
ロシアとの近すぎるイメージを払しょくするともに、“ロシアはもう単独では、カザフスタンを含む中央アジア・コーカサスという旧ソ連圏の面倒を見ることが出来ない”という現実を受けてのカザフスタン生存のための策と考えます。
ちなみにコーカサスの地図を今一度見ていただければと思いますが、カザフスタンはヨーロッパとアジアの交差点に位置し、輸送と貿易の要衝地であり、中国と中央アジア諸国と欧州各国を結ぶ貨物の80%以上がカザフスタンを経由するという戦略的な位置づけにあります。それは例えるならば、ボスポラス海峡を擁するトルコに似た位置づけでしょうか。
そして今、計画中のインドから欧州への輸送ルート(南北アジア回廊)と、カスピ海を基点としたトルコ・ジョージア・アゼルバイジャンを経由する中国と欧州とを結びつけるカスピ海横断ルートの中心に位置するという【アジア・コーカサス・欧州の要衝】になり、地域におけるパワーハウスになろうという意図があります。
ロシアとは7,500キロメートルの国境線で接しており、軍事・経済両面で非常に密接なつながりを持つ“同盟国”であるため、このような態度はプーチン大統領を刺激し、「ウクライナの後はカザフスタンではないか」と予想する勢力もありますが、不思議とプーチン大統領はトカエフ大統領を虐めておらず、どちらかというとスタン系の国々を纏める立場を推奨しているようです。
スタン系の国々からすると、カザフスタンの経済的な興隆は自国への経済的な利益のspill over(おこぼれ)を期待できますし、ロシアにとってはスタン系の国々をまとめてくれることで、中央アジアの安定を今は保つことが出来るという利益を感じているようです。
中央アジアに進出してきていた中国が現在、経済的なスランプで停滞しており、アメリカもつながりは持つものの、ウクライナ問題と中国への対応、そして国内の政治情勢に忙殺されているため、中央アジアとコーカサスへの介入が低下していることを受け、今はカザフスタンに中央アジア・コーカサスの守りの固めを依頼しているようです。
とはいえ、プーチン大統領のことですから、裏切られたと感じ始めたら、トカエフ大統領の命運も分かりませんが。
対ロ包囲網とウクライナ支援から離脱するNATO加盟国
そしてその混乱は中東欧にも及んできているようです。
その典型例が9月30日に実施されたスロバキアの議会選挙において、対ウクライナ支援の停止とロシアとの関係の回復を旗印にするスメルが第一党となり、親EUでウクライナ支援を進めてきたプログレッシブ・スロバキア(PS)が第二党となったことで、NATO加盟国でありEUのメンバーでもあるスロバキアが、対ロ包囲網とウクライナ支援から離脱するのではないかとの懸念が広がっています。
このまま行けば、第1党となったスメルの党首で元首相のフィツォ氏に対し、大統領が組閣指令を与えることとなりますが、スメルも、第2党のPSもこの度の総選挙で過半数を取っていないため、必然的に今後、連立協議が行われることになります。
対ウクライナ支援疲れとロシア制裁による経済的なスランプと国民生活の困窮、そして資源国であるロシアとの関係修復という国民生活に密着した主張に、インフラによる生活苦に不満を持つ有権者の支持が集まったことになりますが、今後、成立する連立政権の性格によっては、EUとNATOにとって、対ロ政策とウクライナ支援の結束を一気に崩し乱す要素になるかもしれません。
連立協議は、フィツォ氏の主張と過去の犯罪歴の存在から混迷すると言われていますが、ウクライナの隣国の一つで内政上の混乱と反転が起き、ロシア・ウクライナ戦争の趨勢を決めかねない事態が起きていることは、まさにコーカサスから中央アジア、そして中東欧が新たな世界の火薬庫になりかねない危険を提示していることにつながるのではないかと思われます。
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新旧の大国が国際情勢の緊迫化に対応できぬ危機的状況
欧米諸国は実質的にナゴルノカラバフで起きたことに関与せず、結果を黙認する態度に出たことで、アゼルバイジャンが一気にアルメニア人系勢力の追い出しに出ました。
もしコソボで高まる非常に危険な緊張と戦いに対して、欧州各国が無関心を貫くようなことがあれば、もしかしたらセルビアによるコソボへの攻撃を誘発し、再度、バルカン半島を欧州のみならず、世界の火薬庫に変える可能性が高まります。
その場合、中央アジア・コーカサスで高まる紛争に向けた緊張感と共鳴して、コーカサスとバルカン半島が火薬庫となり、再度、世界を巻き込む終わりの見えない紛争に突入することになるかもしれません。
期せずしてナゴルノカラバフとコソボ、そしてロシア・ウクライナの問題に関与することになっていますが、とても大変な状況になってきていることを実感しています。
アメリカの影響力が下がり、欧州は根本的に停滞に陥っていて他地域に構っていられない中、その好敵手となるはずの中国も国内経済のスランプゆえに積極的に他国の面倒を見ることが出来ず、ロシアはウクライナとの戦争に掛かり切りという状況下で、新旧の大国たちが国際情勢の緊迫化に有効に対応できない危機的な状況になっているように感じます。
今後、世界はどうなるのか?対応を見誤らないようにしないといけないと感じています。
以上、今週の国際情勢の裏側でした。
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