僕が最近すること。それは、人知れず行う小さな善行。まあ、自分で「善行」っていうのも変なので、「ちょっと良いこと」というくらいがちょうどいいかな?仕事場やコンビニに行く途中に、道に落ちているゴミを拾うとか、そんな感じのこと。もちろん、冬の雪かきとか本格的に汚れている道の掃除をすることもあるけれど、それとは違う……気付いた時にする小さな良いこと。
これすると、自分の中で「イエーイ、良いことゲット♪これでまた少し、運が良くなるぞー」と、心の中でほくそ笑むんです(僕らしいでしょ)。ただこれだけのことなんだけど、本当に良いことが起きるんですよ。何よりも、見て見ぬふりをしなかった自分に気分がよくなるのです。
いいですか?もう一度言いますね。ちっちゃなゴミを一個拾ってゴミ箱に捨てる。それで「今日もひとつ良いことしたなあ、きっと良いことあるはずだ!」と、一人でうひょひょと喜ぶ。たったそれだけのことです。
はっきり言うけど、まあ言うまでもないけど、僕は慈善活動家でも特段いい人でもありません。少なくとも僕はそう思ってないです。正直「世のため人のために」という気持ちは、ほとんどないといっていい。こう書くと、自分のことしか考えないと思われちゃうので、もう少し説明すると。人様のお役には立ちたいですけど、自分を犠牲にしてまでする気がないという意味で。自分で「あ、やろう」と思うからやる。本当にただそれだけのことなんです。自分のためにね。「オレ、いいことしたぜー」って気持ちよくなるためにね。
だから、道でゴミを拾うのも全部自分のため。「これで運が良くなるぞ!」「一日一善で、これで今日の運もを確保したぜ!」という気持ちになるためにやっているんですよ、ほんと。
で、そんな考え、つまりはいい意味で自分勝手な考えでやっているから、それがずーっと続いているのも事実なんです。自己完結して気持ちよくなってるだけだから(だって、人のために、って頑張り続けたら疲れちゃうでしょ? 相手の反応も気になるし。「せっかくしてあげたのに!」とストレスになることもある)。
でも神様も運気を差配するどなたかも、「その人の心の中まで考慮して運気を分け与えるわけではない」んですよ。
つまりは目に見える行動がすべて。やったことがすべてになります。だから例え偽善だって、自分可愛さの行動だって、結果的に周りのためになればそれでいいんです。世の中ってそんなもので。だから僕は思うんですね。どんなに自分勝手な行動でも、それが世の中の役に立てばそれはそれで最高じゃねーかって。
好きに生きてるのにやたら運がいい人って、そういうカラクリがあるんだろうなと最近すごく感じてて(ワカさんなんてそうですよね。あんなやりたい放題なのに、とにかく好かれるし運がいい)。
そういうわけで、僕は誰も見ていなくても、自分可愛さで、自分が気分がよくなるからと、せっせとゴミを拾ってはゴミ箱で持っていく。別に大したことではない。だけど、そんな人知れずする「良いこと」というのは、現実的にも意外なメリットを生むんですよ。
アピールしていないのに、誰かに気付かれた時ほど好感度が上がることはありません。
一度そういう場面を誰かに見られたら「知らないところでそんなことをしてるんだ」という噂はたちまち広まって、あなたの好感度が一気に上がります。これは、これ見よがしにアピールする人では絶対に得られないこと。そして、さりげない善行は、――(この記事は約41分で読めます ※16,164文字)
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