高市首相から「やなちゃん」と呼ばれるほどの親密さを誇りながら、農水相の座を追われた簗和生氏。『週刊文春』が報じた「運動員買収疑惑」についても公職選挙法違反の疑いで逮捕にまで至るのか、今後の動向が注目されています。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、簗氏と地元の有力支援者たちとの確執を紹介。その上で、「恩人」を遠ざけ敵と味方を峻別してきた政治姿勢が、いかに自身の支持基盤を崩していったのかを詳らかにしています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:恩人を切り捨てた「やなちゃん」報復政治の落日
報復政治が招いた落日。恩人を切り捨てた「やなちゃん」が払った大きな代償
農林水産大臣・簗和生氏が14日夜、辞表を提出した。事実上の更迭である。簗氏に対しては少数与党の参議院で、野党6党が問責決議案を提出する方向で足並みを揃えていた。
メディアの批判もいっこうにおさまらず、当初は頑として簗大臣を守る姿勢だった高市首相も「簗大臣の発言は不適切で、本当にダサい。その人が行政の運営をしていっていいのかどうか」(13日、衆院予算委員会)と方針変更の兆しを見せ、辞任は時間の問題となっていた。
それにしても、簗和生とはいったい何者なのか。あたかも戦国時代のように、政敵をつぶしにかかる。総理に「やなちゃん」と呼ばれるほど親しいのを笠に着て、選挙で自分を支持しなかった首長の自治体への道路予算をばっさり削り、それを手柄のように地元で触れ回る。住民がどんなに困ろうとおかまいなしで、選挙と出世しか頭にない。
「常在戦場」の心構えが必要な衆院議員とはいえ、敵と味方を峻別する偏狭な人間観は驚くばかりだ。どうしてこのような志の低い政治家が生み出されるのか。彼の衆院選挙区「栃木3区」の政治事情からひも解いてみたい。
大田原市(67,686人)▽矢板市(28,571人)▽那須塩原市(111,695人)▽那須烏山市(21,585人)▽那須郡那珂川町(13,048人)▽那須郡那須町(21,820人)からなるこの選挙区は、かつて「渡辺王国」と呼ばれ、自民党の大物、渡辺美智雄氏と、その後を継いだ息子の渡辺喜美氏が強固な支持基盤を築いていた。
平穏な王国に異変が起きたのは2009年1月のことだった。渡辺喜美氏が麻生政権に反旗を翻し、党内で孤立無援となって離党したのだ。このため自民党栃木3区支部長は空席となり、次期衆院選の候補予定者が決まらぬまま時が過ぎた。
民主党政権が力を失いつつあった12年2月になって、自民県連は栃木3区の支部長を募集した。応募者の中から選考し、同年12月の衆院選に擁立されたのが簗氏だった。シンクタンクの研究員や国会議員秘書の経歴があるとはいえ、素人同然の簗氏が、みんなの党を結成して出馬した渡辺氏に立ち向かう選挙だ。結果として、渡辺氏に敗れ、比例復活で議席を得たが、5万票近くを集めたのは党所属の国会議員や県議らが簗氏を強力に支援したからだった。
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「有権者は神様です」から「俺を応援するのかしないのか」に
地縁も血縁も経験もない簗氏に政治の手ほどきをした人物が二人いる。一人は2010年まで20年間にもわたって大田原市長をつとめた千保一夫氏。もう一人は県議会自民会派の実力者だった三森文徳氏だ。
千保氏は簗氏の後援会で最高顧問をつとめていたが、2017年10月、簗氏が衆院選で3選を果たした後、突然、簗氏に最高顧問の役職を解かれた。以下は、10月9日の「ABEMA Prime」における千保氏の発言だ。
3期目までは一生懸命にやったんですが、終わったときに私、首切られたんです。簗大臣の後援会は初代の会長、幹事長、事務局長が辞め、最高顧問だった私も首を切られた。
簗氏は恩義を感じるべき千保氏をなぜ後援会から追い出したのか。千保氏はこう推測する。
簗さんにしてみれば、私が現職の大田原市長に大差で敗れたという思いがあったでしょうから、千保よりも私の次の市長の支援をもらったほうが、はるかに有利だと思ったんでしょうね。
千保氏は2010年3月14日の大田原市長選で、約8,000票差で津久井富雄氏に敗れ6選を阻まれている。その津久井氏が簗氏に接近し、市長在職中の19年2月以降、後援会総連合会長におさまっている。
「ある日突然、いままで敵だった私の次の市長が総連合会長になって、最高顧問の私には何一つ話もなく…」と千保氏は唇をかんだ。
もう一人の重要人物、三森文徳氏は県議会自民会派の実力者だった。初当選以来、簗陣営の選対本部長を務めていたが、こちらも簗氏が三選を果たした後、関係が悪化した。三森氏はこう語る。
簗氏は非常に独善的で、地域の人たちの要望を知る地方議員を大事にしない。秘書にも昼夜を問わずに仕事をさせて、これまでに20人ほど入れ替わっているんです。そういう政治姿勢だったので、反りが合わなくなり決別しました。
(アエラ・デジタルより)
最初こそ「有権者は神様です。私に働かせてください」と頭を下げるが、当選を繰り返して地盤も固まってくると、「俺を応援するのかしないのか」となってきた。千保氏はそう言って嘆く。
千保氏や三森氏が遠ざかった後、簗氏は自分を支持する首長を栃木3区に配置すべく、保守分裂選挙となるのもかまわぬ積極的な候補者擁立作戦を進めたが、その目論見は必ずしもうまくいかなかった。
19年4月の那須塩原市長選。自民の佐藤勉元総務相や関谷暢之県議の支援を受けた渡辺美知太郎氏の対抗馬として簗氏は市議会前議長を擁立した。保守分裂の一騎打ちとなり、渡辺氏が初当選した。
22年3月の大田原市長選。簗氏の後援会長である津久井富雄氏の4選をめざしたが、簗氏と距離がある前県議会議長、相馬憲一氏の初当選により阻まれた。
23年4月の県議選那須烏山市・那珂川町選挙区(定数1)では、7期目を狙う三森氏の対抗馬として、簗氏の那須烏山市後援会幹事長、沼田邦彦氏を担ぎ出した。沼田氏が勝利し三森氏は引退に追い込まれたが、なぜかその後、沼田氏もまた簗氏から離れていった。
恩人たちを切り捨てた末に崩れ落ちていった選挙基盤
三森氏は言う。
簗氏は言うことを聞かない者は全部退治するという気持ちで政治をやっているんです。いわゆる仕返しですよね。その一つの表れが今回の発言だと思います。
17年8月、安倍一強時代の安倍派に所属する簗氏は国土交通政務官に就任し、官僚にかしずかれて尊大さを増していった。千保氏や三森氏を軽く見るようになったのもこの頃からだ。恩義のある彼らは、簗氏からみれば煙たい存在でもあったのだろう。
しかし、世話になった人々を切り捨て、そんなやり方に反発する秘書たちが次々と去っていくうちに、いつの間にか人の力の結集とでもいうべき選挙基盤が崩れ落ちていっていることに、あまりにも簗氏は無頓着だった。
今年2月の衆院選。高市人気が沸騰している中で、小選挙区を落とした事実は簗氏の行き詰りを示していた。ところが、簗氏はそれを自分自身の問題としてとらえず、支持してくれなかった首長や、政権中枢に近い自分の価値を認めようとしないその自治体の有権者のせいだと短絡的に考え、予算カットという仕返しにおよんだのではないか。
敵味方を分ける政治判断は、わかりやすいしエネルギーの結集にも役立つことがある。しかしそれは、しばしば大局観を失う原因となりやすい。地盤も看板も資金力もなかった簗氏が激戦区で生き残ろうとする過程で、より権力志向になっていくのは仕方なかった面もあるだろうが、そのために視野狭窄に陥っていたのは間違いない。
自分を過信し、支援してくれた恩人を軽く見て、思い通りにならない人々を遠ざけてゆく。その行きつく果てに待っていたのは、高市ブームの波に乗れないほどに脆弱化した選挙基盤だった。
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image by: やな 和生 - Home | Facebook