西行辞典

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「西行の京師」の姉妹紙として発行します。内容は西行の歌・詞書、その他を網羅する、西行についての辞典としての発行をしたいと思っています。

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メルマガ名
西行辞典
発行周期
不定期
最終発行日
2017年12月17日
 
発行部数
124部
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0000165185
形式
PC・携帯向け/テキスト形式
カテゴリ
アート・文芸 > 文芸 > 古典

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      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・359(不定期発行)
                   2017年12月17日号

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         今号のことば    

         1 みたけ・御嶽 02
         2 みたらし
         3 道芝の露
         4 みちのくに・陸奥国 01

      通親の宰相→第221号「勅・勅使」参照

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       ◆ みたけ・御嶽 02 ◆

【みたけ・御嶽】

奈良県から三重県に渡る大峰奥駆道にあり、大峰修験道の聖地で
ある山上が岳を指します。山上が岳自体は奈良県吉野郡天川村に
あります。
吉野山から山上が岳に続く連峰を総称して「金峯山=きんぶせん」と
言い、別称として「金の御岳」とも言うようです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

      宮の法印高野にこもらせ給ひて、おぼろけにては
      出でじと思ふに、修行せまほしきよし、語らせ給ひ
      けり。千日果てて御嶽にまゐらせ給ひて、いひ
      つかはしける

02 あくがれし心を道のしるべにて雲にともなふ身とぞ成りぬる
    (宮法印歌)(岩波文庫山家集135P羈旅歌・新潮1084番) 

(西行の返し歌)

03 山の端に月すむまじと知られにき心の空になると見しより
     (西行歌)(岩波文庫山家集135P羈旅歌・新潮1085番) 

○宮の法印

宮の法印とは元性法印のこと。崇徳天皇第二皇子のため、「宮」を
つけて呼びます。1151年出生、1184年の没。母は源師経の娘。
兄に重仁親王がいますが1162年に病没しました。

初めは仁和寺で叔父の覚性法親王の元で修行、1169年以降に高野山
に入ったそうです。
崇徳天皇の関係で西行とは親しかったともいえます。

○法印
         
「法印」とは僧侶の僧位最高の位階を表し、法印大和尚を略して
法印と言います。僧位では法橋、法眼、法印があり、僧官では律師、
僧都、僧正があります。

山家集に出てくる「法印」は「宮の法印」のみです。崇徳天皇の
皇子としての特例による法印位でしょう。

○高野

真言密教の聖地である高野山のこと。

○おぼろけにては出でじ

修行の成果が自分ではっきりと確認できる、自分で納得できる
までは高野山から下山しないということ。

○千日果てて御嶽にまゐらせ

金峯山修行の前に行う精進潔斎を「御嶽精進」というそうです。
当時は普通で50日から100日間の精進期間だったようです。
宮の法印の場合は千日、約3年間の精進潔斎を果たしたという
ことになります。その後に大峰修行に出発することになります。

○雲にともなふ

高野山を出てから、大峰修行の地における宮の宝印の歌のフレーズ。
行雲流水のように、ごくごく自然な心境を表しています。

○山の端に月すむまじ

宮の法印を月に見立てていて、山の端という一か所だけに月は留ど
まらないということ。高野山よりは深い山である大峰に入り修行する
という、その仏教心と覚悟を持っていることを称える言葉。

○心の空

心の中にある空のこと。
同じ仏教者として修業を極めて行き、大きな広がりと深さを持った
空のように、仏教の真髄にまで到達するという意思や願望。

(02番歌の解釈)

「金峯山への憧れを道しるべにして、大峯山中を雲とともに
さまよい歩く修行の日々を送っています。」
                (和歌文学大系21から抜粋) 

(03番歌の解釈)

「山の端に澄んだ月がとどまっていないように、中途半端な状態で
高野にお過ごしになる法印様ではないとよく存じておりました。
心も空に仏道修行を志しておいでになるのを見申し上げました
時から。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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       ◆ みたらし ◆

【みたらし】

(みたらし)は「御手洗」と表記して、普通名詞としては神社の側を
流れていて、参拝者が神社の神域に入る前に身を浄める川です。
また、手や口を浄めるために設置されている設備も「御手洗」と
言います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     ふけ行くままに、みたらしのおと神さびてきこえければ

01 みたらしの流はいつもかはらぬを末にしなればあさましの世や
          (岩波文庫山家集224P神祇歌・新潮1222番)

○みたらしのおと

この歌では前歌の詞書によって、京都の上賀茂神社の御手洗川と
特定できます。
(みたらしのおと)で上賀茂神社の御手洗川の流れの水音をいいます。

○神さびて

長い歴史があって、大変厳かであること。敬虔さを感じさせる
ような雰囲気のこと。
「神さび」は他に歌に2例、詞書に1例あります。

01 ときはなる松の緑も神さびて紅葉ぞ秋はあけの玉垣
          (岩波文庫山家集130P羈旅歌・新潮482番)

02 かずかくる波にしづ枝の色染めて神さびまさる住の江の松
          (岩波文庫山家集142P賀歌・新潮1180番)

03    そのかみこころざしつかうまつりけるならひに、世を
     のがれて後も、賀茂に参りける、年たかくなりて四国の
     かた修行しけるに、又帰りまゐらぬこともやとて、
     仁和二年十月十日の夜まゐりて幤まゐらせけり。内へも
     まゐらぬことなれば、たなうの社にとりつぎてまゐらせ
     給へとて、こころざしけるに、木間の月ほのぼのと
     常よりも神さび、あはれにおぼえてよみける
           (岩波文庫山家集198P雑歌・新潮1095番・ 
         西行上人集・山家心中集・玉葉集・万代集・
          閑月集・拾遺風体集・夫木抄・西行物語) 

○末にしなれば

仏教でいう「末法」と御手洗川の下流ということを掛けています。

釈迦入滅後、正法、像法と続いてから末法の時代になり、仏教は
すたれ信仰する人、悟りを得る人はいない時代だと言われています。
日本では藤原頼通が関白の頃の1052年から末法の時代に入ったと
言われています。
末法の時代は長く続き、釈迦入滅後57億6千万年の後に弥勒菩薩が
出現して衆生を救うとされています。
藤原頼通も末法を強く意識していました。藤原頼通の宇治平等院は
浄土思想に基づいて建立されています。

○あさましの世や

呆れるほどに情けない時代のこと。礼節は軽くなり、いやしく、
さもしさの強い世の中のこと。

(01番歌の解釈) 

「上賀茂神域を流れる御手洗川は太古より少しも変わって
いないが、一歩境内を出ると下流は流れが浅くなるように、
末代になってしまったので人の心も浅くなり、呆れ返る
ようなことが現実に行われる世の中になったのだ。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

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02 みたらしにわかなすすぎて宮人のま手にささげてみと開くめる
         (岩波文庫山家集225P神祇歌・新潮1525番)

○わかなすすぎて

この場合は正月七日の七草の日のために摘んだ若菜のことでしょう。

○宮人

賀茂社に仕える人のこと。

○ま手

左右の手のこと。両手を言います。「真手」と表記します。

○みと

「御戸・御扉」のことです。

○開くめる

「める」は推量の助動詞「めり」の連体形。「めり」は実際に目で
見た、あるいは見えたようなことを表す助動詞なので、西行は実際に
その場を目撃したこともあるものと思います。

(02番歌の解釈)

「正月七日には賀茂神社境内の御手洗川で若菜を洗い清め、神官
が両手に捧げて本殿の御扉を開いて供えるように見えた。」
              (和歌文学大系21から抜粋)

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       ◆ 道芝の露 ◆

【道芝の露】

道端に生えている葉の細い雑草のこと。平安時代はイネ科の芝の
事ではなくて、葉の細い雑草の総称として用いられたものでしょう。
その雑草に付く露のこと。

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01 あふことをしのばざりせば道芝の露よりさきにおきてこましや
           (岩波文庫山家集144P恋・新潮585番)

○あふことをしのばざりせば

現在で言う不倫の関係とも思わせます。その時点では公認され
そうもない関係を言うものでしょう。
この言葉は当時の男女のありようを言い、男性が女性の家に夜に
通って、翌朝早くに後朝の別れをするという風習でした。

○露よりさき

「さき」は時間的な概念を表します。露が草の葉に付くよりも早くに、
という意味です。

○おきてこましや

「起きて来ましや」で、「おきて」は自身が起床してということと、
露が置いて、ということを掛け合わせていますが、おもしろい掛詞
ではないように思います。

(01番歌の解釈)

「人目を忍ぶ恋でなかったら、このように、道端の草に置く
露よりも早く起きて、帰りの家路を急ごうか、もっとゆっくり
逢う瀬を楽しもうものを。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

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      無常の歌あまたよみける中に

02  いづくにかねぶりねぶりてたふれふさむと思ふ悲しき道芝の露
         (岩波文庫山家集212P哀傷歌・新潮844番)

○無常の歌

岩波文庫山家集中には「無常の歌あまたよみける中に」と「百首の
歌の中に無常十首」の詞書があります。前者には8首と校訂者が
他系統誌から補入した5首の計13首、後者には10首があります。
他に「諸行無常のこころを」「暁無常を」「無常のこころを」の
詞書のついた歌一首ずつがあります。
ですから「無常の歌」は合計26首になります。
しかしながら「哀傷歌」も無常性の高い歌が多いので、ことさらに
「無常の歌」ということに注意する必要もないと考えます。

○いづく

(いづく・いづこ)ば同義です。方向や場所を指す言葉で「何処=
どこ」という意味。(いづく)が初めに使われ、平安時代末頃から
は(いづこ)と併用されました。
場所とは、具体的な地点だけでなく、不確かな場所や人の心の中と
いう抽象的な場所をも含みます。
(いづかた)(いづくんぞ)などは(いづく)の変化した用い方です。
                 (岩波古語辞典を参考)

岩波文庫山家集では(いづく)が11首と1詞書。(いづこ)が2首
あります。

(02番歌の解釈)

「私は一体、どこで眠りこけ、どこで行き倒れるかわからない。
道芝の露を見ると、自分もいつかこのようにはかなく消えるの
かと悲しくなってしまう。」      
                 (和歌文学大系21から抜粋)

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       ◆ みちのくに・陸奥国 ◆

【みちのくに・陸奥国】

「道の奥の国」という意味で陸奥の国のことです。陸奥(むつ)は
当初は(道奥=みちのく)と読まれていました。
927年完成の延喜式では陸奥路が岩手県紫波郡矢巾町まで、出羽路が
秋田県秋田市まで伸びていますが、初期東山道の終点は白河の関
でした。白河の関までが道(東山道の)で、「道奥」は白河の関
よりも奥という意味です。

ここでは「陸奥」という名詞の入っている詞書と歌も同時に取り
上げます。加えて、最後に陸奥の国で詠んだ歌、陸奥の国を詠んだ
歌も紹介します。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

      あひ知りたりける人の、みちのくにへまかりけるに、
      別の歌よむとて

01 君いなば月待つとてもながめやらむあづまのかたの夕暮の空
    (岩波文庫山家集105P離別歌・新潮1046番・西行上人集・
              山家心中集・新古今集・西行物語) 

○あひ知りたりける人

誰か個人名は不明です。作歌年代も不明です。西行の知遇のある人が
陸奥まで旅をするということ。

○別の歌

旅立つ人との別れの歌ということ。

○君いなば

(いなば)は「往ぬ・去ぬ」の漢字を用います。どこかに行くこと。
去ること。死亡することも「去ぬ」と言います。

○あづまのかた

陸奥の国及びそれまでの道中のこと。

(01番歌の解釈)

「あなたがみちのくへの旅に出発したならば、月の出を待つのだと
でもいって、東の方の夕暮の空をながめやりましょう。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

      みちのくににまかりたりけるに、野中に、常よりもと
      おぼしき塚の見えけるを、人に問ひければ、中将の
      御墓と申すはこれが事なりと申しければ、中将とは
      誰がことぞと又問ひければ、實方の御ことなりと申し
      ける、いと悲しかりけり。さらぬだにものあはれに
      おぼえけるに、霜がれの薄ほのぼの見え渡りて、後に
      かたらむも、詞なきやうにおぼえて

02 朽ちもせぬ其名ばかりをとどめ置きて枯野の薄かたみにぞ見る
           (岩波文庫山家集129P羈旅歌・新潮800番・
         西行上人集・山家心中集・新古今集・西行物語)

○みちのくに

前述参照。

○まかりたる

出向いて行くこと。

○常よりもとおぼしき

普通より、ということ。野中にはありえない立派な塚・・・と
いう意味になります。
没後150年ほどを経ても実方の墓として誰かに管理されていたと
解釈していいものと思います。

○中将の御墓
    
藤原実方の墓のこと。現在も宮城県名取市愛島の野中にあります。
「朽ちもせぬ」歌の石碑も立っていますが文面は風化していて
判読できません。
現在の歌碑は藤原実方800年遠忌のために1798年に建立されました。

○さらぬだに

そうでなくとも・・・という意味。墓は他の場所よりも哀感を
覚えさせるということを言っています。

○朽ちもせぬ

藤原実方の歌の名声は不朽のものであり、歌人としての名前は
いつまでも忘れられないものであるということ。

○枯野の薄

現在も藤原実方のお墓に行く前に薄が植えられています。いかにも
とって付けたようで笑ってしまいました。
あろうことか、外国産の薄のようです。

○あだに命の露

(あだ)は誠意がない、空しい、意味がない…などを表す言葉。
(命の露)は短く、はかないことを言う「露の命」と同義です。

○知られず知らぬ人

自分が死亡した後の事だから当然に事後のことは自分では知る
ことができないし、かつ、ずっと後の世の人も自分が生きてきた
ことなどは知ることもないという意味です。

(02番歌の解釈)

「不朽の名声だけをこの世に残して、実方中将はこの枯野に骨を
埋めたというが、その形見には霜枯れの薄があるばかりだ。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

【藤原実方】

生年不詳、没年は998年11月とも12月とも言われます。陸奥守として
陸奥に赴任中に客死しました。40歳に満たない年齢と思われます。
藤原北家流師尹(もろただ)の孫。父の定時が早世したので叔父の
済時の援助を受けて育ったといわれます。
左近将監、侍従、左近少将、右馬頭などを歴任して、994年に左近
中将。翌年に陸奥守として陸奥に赴任。

「古事談」によると、藤原行成との軋轢があり「歌枕見て参れ」
と一条天皇から命を受けて陸奥守に左遷されたとあります。
実方が陸奥に赴任したのは、その説以外にも自発説ほかいくつか
の説があります。どれが本当か分かりません。
「源平盛衰記」によると陸奥国笠島の道祖神社の前を下馬せずに
通り過ぎたために、道祖神の怒りに触れて、落馬して命を落としたと
書かれています。
お墓は現在の宮城県名取市愛島にあります。1798年建立の西行の
「朽ちもせぬ」歌の歌碑も建っています。ただし碑文は殆ど読み
取れません。
家集に「実方朝臣集」があります。中古三十六歌仙の一人です。

この歌は確実に初度の旅の時の歌ですが、同じ旅の時の一連の
歌から離れて一首のみ、ぽつんと採録されています。そのことが
気にはなります。

なお、芭蕉の「おくのほそ道」では、芭蕉は行き過ぎて実方の墓
には行かなかったのですが、人から聞いたこととして、「形見の
薄今にあり」と書いています。
「おくのほそ道」は脚色が多くて、そのままでは信用できません。
ですが、同行した曽良随行日記と照らし合わせると旅の実際の
様子が分かります。曽良は「行過テ不見」とのみしたためて
います。従って芭蕉が行った当時は「形見の薄」があったのか
どうかは不明です。

白州正子氏は「西行」の中で以下のように記述しています。
「竹林の入り口に、勅使河原流の外国産の枯尾花が植えてあり、
大げさに(かたみの薄)と記してある。いうまでもなく「奥の
細道」の「かた見の薄今にあり」の薄で、歌枕もここまでリアリ
ズムに徹すれば何をかいわんや。」

実方は死後に雀に姿を変えて都に戻ってきたという伝説があり
ます。もとは中京区にありましたが移転して現在は左京区にある
「更雀寺」が、その伝説を留めています。

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  (後記)

本日は2017年12月17日。今年もはや暮れようとしています。年の瀬
のあわただしい感覚はいまだ感じませんが、師などではないのに、
そろそろ走らなくてはならないのでしょう。年末のなせる業ですね。

マガジンを急いで発行するという、やらなくてはならないことを
後回しにして、11月後半から今月前半にかけては紅葉の追っかけで
大忙しでもありました。撮りためた画像整理もやっと一段落して、
気持の急くままにマガジン発行に向かっています。

それにしても今年の紅葉は良かったのか悪かったのか、未だに良く
分からず判じかねています。確かに言えることは11月20日過ぎ、
それも25日頃からは素晴らしい紅葉にしばしば出会えたことです。
葉の色素と光の具合で紅葉の良しあしが決まるはずですが、その頃は
比較的天候が安定もしていたのでしょう。
来年も観られる状況でしたら、また良い紅葉を見たいものです。

今号から陸奥の国について触れます。西行時代当時は陸奥という
地に対しての憧憬のような感覚を歌人たちは共有していたもので
しょう。私の中にも少しばかりはあこがれめいた気持ちはありま
すし、再びかの地を訪れることができればと儚く思っています。

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◎ 「西行辞典」第359号 2017年12月17日発行

◎ 発行責任者 阿部 和雄
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 利用させていただいています。
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