西行辞典

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「西行の京師」の姉妹紙として発行します。内容は西行の歌・詞書、その他を網羅する、西行についての辞典としての発行をしたいと思っています。

 

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      ◆◆◆◆  西行辞典  ◆◆◆◆
                        
                  vol・350(不定期発行)
                   2017年06月10日号

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         今号のことば    

       1 まつり・まつる・奉る(02)
        2 まだ・・・(01)

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       ◆ まつり・まつる・奉る(02) ◆

【まつり・まつる・奉る】

「奉(たてまつ)る」こと。自動詞、他動詞ともにラ行四段活用。

「差し上げる、与える」などの謙譲語で、その動作の及ぶ範囲内の
相手を敬って言う場合に使われます。
人物だけでなく神や仏、故人などに対しても用いられます。

また、相手の食べる・飲む・見る・着るなどの動作に対しても用いる
言葉です。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     そのかみこころざしつかうまつりけるならひに、世を
     のがれて後も、賀茂に参りける、年たかくなりて四国の
     かた修行しけるに、又帰りまゐらぬこともやとて、
     仁和二年十月十日の夜まゐりて幤まゐらせけり。内へも
     まゐらぬことなれば、たなうの社にとりつぎてまゐらせ
     給へとて、こころざしけるに、木間の月ほのぼのと
     常よりも神さび、あはれにおぼえてよみける

04 かしこまるしでに涙のかかるかな又いつかはとおもふ心に
           (岩波文庫山家集198P雑歌・新潮1095番・ 
         西行上人集・山家心中集・玉葉集・万代集・
          閑月集・拾遺風体集・夫木抄・西行物語) 

○そのかみ

まだ出家していない頃。在俗の頃。

○こころざしつかうまつりけるならひ

幣を奉ることです。
まだ僧侶にはなっていなかったので、何度も加茂社に行く機会が
あって奉幣したものと思います。
当時、加茂社は京都で一番の神社であり葵祭も勅祭でしたから、
徳大寺家の随身としても、また鳥羽院の北面としても加茂社に
参詣する機会は多かったものと思います。
出家後は、僧侶は普通は神域に入ることはできませんでした。
出家してからは「幤まゐらせ」てはいなかったということ。

○帰りまゐらぬことも

ある程度の長い旅になりますから、再び都に帰ってこれるかどうか
という不安もあったということを表しています。

この詞書によって四国旅行に出発した時の西行の年齢が分かります。
旅立ちに際して上賀茂社に参詣したのですが、「又帰りまゐらぬ
こともやとて」とあるように、自分で再び帰ることのできない
大変な旅になるかも知れないという覚悟があったことがわかります。

○仁和二年

仁和二年とは886年です。西行は出生していない年ですから誤りです。
誤写でしょう。ここは仁安です。仁安ニ年は1167年、西行50歳の頃。
西行法師歌集では仁安三年とあります。

○たなうの社

上賀茂神社の末社の棚尾社のこと。

「たなうの社」は現在は楼門の中の本殿の前にあるのですが、詞書
から類推すると西行の時代は本殿と棚尾社は離れていたのかもしれ
ません。僧侶の身では本殿の神前までは入られないから、幣を
神前に奉納してくれるように、棚尾社に取り次いでもらったと
いうことです。
現在は小さな祠状のものですが、西行時代の「たなうの社」は僧侶が
常駐できるほどの社だったものでしょう。

○幣

へい・ぬさ=緑の葉のある榊に白地の布や紙を垂らしたもの。

○しで

四手=注連縄や玉ぐしにつける白地の紙。昔は白布も用いました。

(04番歌の解釈)

「かしこまり謹んで奉る幣に涙がかかるよ。四国行脚へ出かける
自分はいつまたお参りできることか、もしかしたら出来ないの
ではと思うと。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     美福門院の御骨、高野の菩提心院へわたされけるを
     見たてまつりて

05 今日や君おほふ五つの雲はれて心の月をみがき出づらむ
    (岩波文庫山家集201P哀傷歌・新潮欠番・西行上人集)


○美福門院

1117年から1160年在世。11月23日没。44歳。藤原長実の娘、
得子のこと。
鳥羽天皇の女御。八条院暲子内親王や近衛天皇の母。二条天皇の
准母。1141年12月皇后、1149年8月院号宣下。
美福門院の遺言により、1160年12月4日(2日とも)に遺骨は高野
山の菩提心院(蓮台院とも。窪田章一郎氏「西行の研究」)に
納められました。この遺骨の移送に、藤原成道や藤原隆信も供奉
したとのことです。西行は高野山で、美福門院の遺骨を迎えたこと
になります。この日、高野山は大雪に見舞われていたそうです。
鳥羽の安楽寿院の近衛天皇陵は、もともとは美福門院陵として
造営がなされました。1155年に崩御した近衛天皇は船岡山の東に
あった知足院に葬られていましたが、1163年に現在地に改葬され
ました。

○菩提心院

高野山にあった寺院ですが現在はありません。

○見たてまつりて

この言葉によって美福門院の遺骨が高野山に葬られ、西行もその場に
いたことが分かります。
1160年のこの時、藤原成通と藤原隆信は美福門院の遺骨を高野山に
持って行って納めています。

○君

死亡している美福門院への呼びかけ。

○五つの雲

(五つの障)(五つの某)と同義。五障のこと。

「五障」

1 女性が持たされている五つの障礙(しょうげ)のこと。
 帝釈天、梵天王、魔王、転輪聖王、仏身となりえぬこと。

2 修道上の五つの障りのこと。
 煩悩、業、生、法、所知の五つの障礙。

3 五善根の障礙となるもの。
 欺、恨、怨、怠、瞋(いからす・いかる)の五つの障礙。
                 (広辞苑第二版を参考)

今の時代であれば明らかな女性蔑視と言われそうです。仏教の包摂
する頑迷固陋さを思わせますが、当時はこういうことが疑いも無い
真実として受け入れられていたものでしょう。

○心の月
 
仏教の信仰上のことで、比喩的に心の中にあるとする架空の月を
言います。仏教でいう悟りの境地を指すための比喩表現です。

(05番歌の解釈)

「女人の五障の雲が晴れて、菩提を得られるだろうというのが
歌意であるが、型にはまったもので、儀礼の域を出ない。」
          (窪田章一郎氏著「西行の研究」から抜粋)

「今日女院は五障の雲も晴れて、お心のうちに宿していられた月
(仏性)を輝き出させるのであろうか。」
                 (和歌文学大系21から抜粋)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     さて扉ひらくはざまより、けはしきほのほあらく出でて、
     罪人の身にあたる音のおびただしさ、申しあらはすべく
     もなし。炎にまくられて、罪人地獄へ入りぬ。扉たてて
     つよく固めつ。獄卒うちうなだれて帰るけしき、あらき
     みめには似ずあはれなり。悲しきかなや、いつ出づべし
     ともなくて苦をうけむことは。ただ、地獄菩薩をたのみ
     たてまつるべきなり。その御あはれみのみこそ、曉ごと
     にほむらの中にわけ入りて、悲しみをばとぶらうたまふ
     なれ。地獄菩薩とは地藏の御名なり

06 ほのほわけてとふあはれみの嬉しさをおもひしらるる心ともがな 
             (岩波文庫山家集254P聞書集220番)

○対ひて

「対ひて」は「対して」のことです。相対することです。
和歌文学大系21では「対ひて」は「むかひて」と読ませています。

○爪弾きを

指鳴らしのことです。親指の腹に中指をあてて強く弾けば大きな
音がします。不平不満や非難を表しているそうです。

○あらき目

獄卒自体は容貌怪異なのかどうか分かりませんが、地獄の役人で
あり、(鬼)とも解釈される以上は、もとから荒く猛々しい目を
しているのかもしれません。

○たのみたてまつるべき

ただひたすらに地蔵菩薩を崇め、頼みとすべきこと。

○地獄

仏教用語です。輪廻転生の一つで前世での悪業のために落ちる
地底の苦しみの世界だと言われます。
こういう架空の世界を生み出し人々に押し付けることは、仏教思想
の持つ犯罪性の一つだと私は思います。

○地獄菩薩

地蔵菩薩は日本では観世音菩薩や阿弥陀仏とともに親しまれている
菩薩だといえます。
釈迦が入寂してから弥勒菩薩が現れる56億7千万年後までの期間に
渡って、全ての人々の悩みや苦しみを救う菩薩だと言われます。
仏教の六道とは地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六世界を
言いますが、この全てに地蔵菩薩は関わっています。
    (松濤弘道氏著「仏像の見方がわかる小辞典」を参考)

(06番歌の解釈)

「暁ごとに地獄の炎を分けて罪人を見舞う地蔵菩薩の憐れみの
嬉しさを、おのずと思い知られる心であったらなあ。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

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     新院百首の歌召しけるに、奉るとて、右大将きんよしの
     もとより見せに遣したりける

07 家の風吹きつたへけるかひありてちることの葉のめづらしきかな
 (西行歌)(岩波文庫山家集179P雑歌・新潮933番・西行上人集)

この歌の後に藤原公能歌があります。

 家の風吹きつたふとも和歌の浦にかひあることの葉にてこそしれ
    (藤原公能歌)(岩波文庫山家集179P雑歌・新潮934番)

○新院百首

崇徳院が題を出して、14名の歌人に詠ませた久安百首のこと。
藤原公能も作者の一人に選ばれています。
崇徳院には別に百首歌がありましたが、散逸して現在には残って
いません。

○奉るとて

崇徳院に「久安100首」のための歌を差し出すこと。

○家の風

徳大寺家の歌の特質的なことを言います。
ただし徳大寺家は実能が興したものですから、家の風というほど
の歴史は無いと思います。実能以前にさかのぼって言っていると
解釈したほうが良いのかもしれません。

○和歌の浦

和歌の神と言われる「玉津島明神」が紀伊の国、紀の川河口の
和歌の浦にあります。和歌に関しての歌で、よく詠まれる歌枕です。

(07番歌の解釈)

「さすがに徳大寺の家風をよくお伝えになっていて、素晴らしい
歌をお詠みになられますね。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

(藤原公能歌の解釈)

「確かに徳大寺家は和歌の家であるが、和歌の浦に貝がある
ように、詠むだけの価値がある和歌なのかどうか、見ていた
だけませんか。」
                (和歌文学大系21から抜粋)

「この百首に公能の立場は重いものであったが、その作品をまず
西行に下見させたことは、徳大寺家に関係を持つ西行が、内部に
おいては歌人としてすでに大きく認められていたことを知る証拠
にもなる。」(中略)
          (窪田章一郎氏「西行の研究」から抜粋)

【藤原公能】=【右大将きんよし】

藤原実能の嫡男の藤原公能のこと。「徳大寺公能」とも言います。
1115年生。1161年、47歳で没。
最終官位は正二位右大臣。西行より三歳年長です。
第76代近衛天皇と第78代二条天皇の二代の皇后となった藤原多子の父。
その他に、後徳大寺実定や公衡(養子)などの父です。
藤原俊成の妹と結婚したため、俊成は公能の義兄にあたります。
「久安百首」歌人の一人。「学才あり、管弦に秀で…」と、寂超の
作と定説のある「今鏡」に記されています。

公能の右大将(右近衛大将)任官は1156年のこと。以後、公能は
権大納言、右大臣なども歴任していますが、終生、右大将を兼任
していたようです。

03番歌の「新院百首」とある崇徳院による「久安百首」が成立した
のは久安6年(1150年)であり、この時には公能はまだ右大将では
ない。公能の右大将任官は1156年のことですから書写した人のミス
ではないかとも思いますが、必ずしもミスとは言えないようです。
西行自筆稿に「右大将」と記されていたのであれば、西行よりも
30年ほど前に没した公能の最終官位を西行が記述したとしても、
少しも不思議なことではないと考えます。
これと似たことですが、慈円の場合は、「慈鎮」と諡号されたことを
西行は当然に知りません。「慈鎮」と諡号されたのは1237年ですから、
西行死亡後50年近くが過ぎています。それなのに山家集では「慈鎮」
とあるのは、西行自筆ではなくて、後世の人が加筆したことを意味
しています。

 下紐はとけずはとけず小夜衣そのうつり香にしむ身ともがな
                  (藤原公能 久安百首)

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     佛舎利おはします。「我さきだたば迎へ奉れ」とちぎら
     れけり

08 亡き跡のおもきかたみにわかちおきし名残のすゑを又つたへけり
             (岩波文庫山家集257P聞書集230番)

この歌の前に下の詞書と歌があります。

     申すべくもなきことなれども、いくさのをりのつづきな
     ればとて、かく申すほどに、兵衛の局、武者のをりふし
     うせられにけり。契りたまひしことありしものをとあは
     れにおぼえて

  さきだたばしるべせよとぞ契りしにおくれて思ふあとのあはれさ
             (岩波文庫山家集257P聞書集229番)

○佛舎利

釈迦の遺骨のことです。日本にも多数あるものと思われます。
五重塔は舎利を納める目的で造られました。
西行にとって兵衛は最も親しい女性歌人でしたし、その死後の
仏事を託されてもいました。貴重な遺産である仏舎利をも兵衛は
西行に委ねていたことがわかります。
この仏舎利は一説には待賢門院から兵衛に渡り、兵衛から西行
にと伝えられたものだそうです。
しかしその後、この仏舎利がどうなったのか聞きません。西行
死後にでも、どこかの舎利殿にでも納められているといいのですが、
どの資料にも触れられていないようですので、行方不明なのでしょう。

○おもきかたみ

「重き形見」のことで、釈迦の遺骨を言います。それが永く伝え
られて来た歴史を指しています。

○わかちおきし

兵衛局生前からの約束通り、仏舎利が西行に預けられたことを
言います。

○契りたまひしこと

前歌の詞書中の文言ですが、記述しておきます。

臨終に際して「しるべ」となることを、生前に兵衛の局と約束して
いたことを言います。それ以外にも兵衛の局が保管していた仏舎利の
問題もあったものでしょう。

(08番歌の解釈)

「仏が亡くなった後の貴重な形見に分けておいた遺骨の行く末を、
また改めて私に伝えたよ。」
               (和歌文学大系21から抜粋)

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09 佛には櫻の花をたてまつれわが後の世を人とぶらはば
            (岩波文庫山家集31P春歌・新潮78番・
        西行上人集・山家心中集・千載集・西行物語) 

○佛には

死亡した西行自身を「佛」として、客観的に詠んでいます。
この歌は西行の辞世の歌のようにも思われますが、そうではなくて
西行死亡年よりもはるかに早い年代に詠まれた歌です。

○花をたてまつれ

自分の死後は墓所に桜を供えてほしいという西行の希望。

○後の世

個人が死亡した後の世界。来世のこと。

(09番歌の解釈)

「自分の死後、後世を弔ってくれる人があるならば、自分の
最も愛する花である桜を供華として供えてほしい。」
            (新潮日本古典集成山家集より抜粋) 
 
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       ◆ まだ・・・(01) ◆

【まだ・・・】

山家集でも「まだ」という言葉は、下の用例歌でも理解できるように、
現在と同じ意味で用いられています。

 霞まずは何をか春と思はましまだ雪消えぬみ吉野の山
            (岩波文庫山家集19P春歌・新潮11番・
              西行上人集追而加書・続後撰集)

「まだ」は「今もなお・・・」「未だに」という意味で、現在時点
でも完結していず、前の状態が続いている続いている様子を表して
います。この言葉自体は平易な言葉でもあり、わざわざ項目化して
いないのですが、少し気になる言葉もあり、4首のみ記述します。

04番歌の「まだ」は岩波文庫山家集にたくさんあるミスの一つです。
正しくは濁点のない「また」であり、「又・再び」という言葉です。
濁点のあるなしの違いですが歌の意味は大きく異なってきます。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

     春の月あかかりけるに、花まだしき櫻の枝を
     風のゆるがしけるを見て

01 月みれば風に櫻の枝なべて花かとつぐるここちこそすれ
         (岩波文庫山家集25P春歌・新潮1069番・
              西行上人集追而加書・夫木抄)

○まだしき

事態が今までと同様であることを表す「まだ」は形容詞シク活用の
終止形「し」が接続して「まだし」となります。現在では「まだ」、
「まだし」は同時に語幹として扱われています。
語幹とは活用する言葉の、どのような活用形に対しても変化しない
部分を言います。
「まだし」に助動詞「き」が接続して「まだしき」です。

意味はまだその事態にはなっていない、ことを表します。ここでは
桜の花はまだ咲いていないという意味。

 五月来ば鳴きもふりなむほととぎすまだしきほどの声を聞かばや
                  (伊勢 古今集138番)

○枝なべて

(なべて)は「並べて」と書き、すべて、一帯に、全般にという意味
です。(枝なべて)で、枝のすべてが……ということになります。
和歌文学大系21及び新潮版山家集では「枝なべて」は「枝なえて」と
なっています。
(なえて)は萎える様を言い、ここでは枝がなよなよとなっている状態、
風で少し揺れている状態を言います。

(01番歌の解釈)

「月を見ると、月の光で春風に桜の枝がゆれているのが見え、
花が咲いたと告げているような心地がするよ。」
            (新潮日本古典集成山家集から抜粋)  

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  (後記)

時はすでに梅雨に入っているのですが、本日は真夏を思わせる良い
天気で、気温は部屋の中で30度越え。暑い一日です。
この号を仕上げるべく家に閉じこもってパソコンに向かっています。

2005年8月10日にこの西行辞典を始めてから、もうすぐ丸々12年。
2002年4月15日の「西行の京師」からは15年超。この間、ガン手術
などの紆余曲折もありましたが、筆を折らずに何とか続けてこられた
こと、奇跡的なことだとも思います。
読者の皆様方に感謝しながら最後までやり続ける覚悟です。

5月25日に大阪鶴見緑地。6月2日に比叡山。各一日を過ごしました。
あちこちに行くことはうれしいことです。意識せずして見聞を広めると
いうことにもなっているのでしょう。
できれば近いうちに滋賀県蒲生野あたり、高槻の伊勢寺あたり、その
他にも行こうと希望しています。
高野山や粉河寺にも歩ける今のうちに参詣したいものです。

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◎ 「西行辞典」第350号 2017年06月10日発行

◎ 発行責任者 阿部 和雄
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◎ 発行システム インターネットの本屋さん「まぐまぐ」を
 利用させていただいています。
  『まぐまぐ』 URL: http://www.mag2.com/

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メルマガ名
西行辞典
発行周期
不定期
最終発行日
2017年06月10日
 
発行部数
126部
メルマガID
0000165185
形式
PC・携帯向け/テキスト形式
カテゴリ
アート・文芸 > 文芸 > 古典

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