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著者プロフィール

小名木善行(HN:ねず)

静岡県出身。国史研究家。倭塾塾長。日本の心をつたえる会代表。日本史検定講座講師&教務。
インターネットでブログ「ねずさんのひとりごと」を毎日配信。
著書に「ねずさんの昔も今もすごいぞ日本人」第1巻~第3巻。
「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首」がある。

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Vol.000 サンプル号

リンゴの心
太平洋に架けられた日米友情の橋

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http://www.mag2.com/m/0001335031.html

※発行日は毎週平日のみです。
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今週の目次

1.リンゴの心ー太平洋に架けられた日米友情の橋
2.編集後記

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リンゴの心
太平洋に架けられた日米友情の橋
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太平洋の両端に位置する、青森県の三沢市とアメリカのウェナッチ市は、
ともにリンゴの産地として有名です。
姉妹都市にもなっている両市を結びつけたのは、
太平洋無着陸横断飛行という世界記録に挑戦した二人のアメリカ人と、
その偉業達成に惜しみない協力をした三沢村の人々、
そして、おいしい真っ赤なリンゴでした。
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■真心を運んだリンゴの物語
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「リンゴがあれば医者いらず」と言われるくらい、リンゴは身近な果物ですが、
ひとくちにリンゴといっても、なんと七千五百種類もあるそうです。
「リンゴなんてどれも似たような味だろう」なんて言っている方は、ぜひ一度、食べ比べてみてください。
種類によって味がぜんぜん違いますから。

今回ご紹介するのは、普通のリンゴとはひと味もふた味も違う、特別なリンゴのお話です。

太平洋の両端に位置する、青森県三沢市とワシントン州ウェナッチ市は、ともにリンゴの産地として有名です。
このふたつのリンゴの産地が姉妹都市になったのは、いまから八十年ほど前、
太平洋無着陸横断飛行がきっかけでした。


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■離陸地となった三沢村
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明治三十六(一九〇三)年、ライト兄弟が人類初の有人飛行に成功すると、
飛行機はまたたく間に世界に普及し、性能も飛躍的に向上していきました。

昭和六(一九三一)年頃には、五百馬力近いエンジンの飛行機が開発され市販されています。
科学技術の進歩とはすさまじいものです。

その象徴となった出来事が、昭和二(一九二七)年のチャールズ・リンドバーグによる大西洋無着陸横断飛行です。
このエピソードは、『翼よ!あれが巴里の灯だ』という映画にもなり、世界的に有名になりました。

リンドバーグが大西洋を征服すると、世界の冒険飛行家たちの目は太平洋にそそがれました。
しかしニューヨーク〜パリ間の大西洋横断は約六千キロメートル。
それに対し、太平洋となると約八千キロメートルです。距離が三割も長くなります。

しかも、当時の通信手段といえば、「トン・ツー」のモールス無線のみ。
途中でエンジンが不調になって海に不時着したら、まず助かりません。
まさに命がけの大冒険です。

実際、昭和七年に太平洋横断飛行に挑戦した日本機は、択捉島あたりで消息を絶ち、行方不明になっています。

昭和六年、朝日新聞社が、太平洋無着陸横断飛行の最初の成功者に、日本人であれば十万円、外国人であれば五万円の懸賞金を出すと発表しました。
離陸場所には、青森県三沢村(現在は三沢市)の淋代海岸が選ばれました。

日本のなかでは北アメリカ大陸に近く、南北に長くのびた砂浜は、粘土と砂鉄を多く含んでいるため、砂地が硬く締まっていました。
舗装しなくても、滑走路として使えたのです。

三沢村の人たちは、自分たちの村が世界記録の挑戦の場所に選ばれたことに大喜びします。
しかし、それはそれで大変なことでした。
海岸に平らな滑走路をつくるのは大変な労力です。燃料を運ぶ道路も必要です。
ことばの通じない飛行士のお世話もしなければなりません。

加えて三沢村は雪国です。
冬場に飛行機は飛ばせません。
そして、飛行機を飛ばせる春と夏は、三沢村の人たちにとって農繁期なのです。
それでも村人たちは自分たちの仕事を犠牲にして、滑走路や道路など必要な設備を整えました。

最初の挑戦者は、アメリカ人の二人組が乗った「タコマ市号」という飛行機でした。
三沢村の人たちは、海岸に舞い降りる飛行機を見て、「轟音とともに空から大きな鳥がやって来た」とびっくりしたそうです。

村では前村長、小比類巻要人氏の指導のもと、村人総出で、機体の保管や飛行士のお世話などを行いました。もちろん、すべて無報酬です。
村の人たちは一丸となって、この大イベントを支えたのです。

当時のエンジンは、燃費が良くありませんでした。
太平洋を無着陸で横断するには、飛行機が飛び立てる限界までの燃料を積み込まなければなりません。
当然飛行機は重くなり、離陸が難しくなります。

離陸を成功させるには、できるだけ平らで長い滑走路が必要だったのです。
もちろん飛行士たちは命がけです。
村人たちは、横断飛行の成功と飛行士の無事を祈り、みんなで協力しあいました。


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■世界記録への挑戦者たち
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昭和五年九月十四日、いよいよ第一号「タコマ市号」の出発です。
ハロルド・ブロムリー、ハロルド・ゲッティ の二人を乗せた飛行機は、村人たちが固唾を飲んで見守る中、見事離陸に成功しました。
ところが、離陸から間もなく、排気管から漏れた有毒ガスが操縦席に充満したため飛行を断念。
カムチャッカ沖から霧の中を引き返し、下北半島の東通村に不時着してしまいました。

二番目の挑戦者は、トーマス・アッシュ中尉。アメリカ人です。
中尉の「パシフィック号」は、ガソリンの積み過ぎで機体を浮上させることができず、二千メートル滑走しただけで終わってしまいます。

三番目の挑戦者も、セシル・アレン、ドン・モイルという若い二人のアメリカ人。
二人が乗った「クラシナマッジ号」は、離陸後にガソリン漏れを起こし、そのまま数日間、消息を絶ってしまいます。
そして、カムチャッカ東北端の無人島に不時着していたところを、ロシア船に救助されました。


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■ミス・ビードル号の登場
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昭和六年九月、ハバロフスク市にいたアメリカ人の冒険飛行家、クライド・パングボーン三十五歳とヒュー・ハーンドン二十六歳の二人が、この朝日新聞社の企画を聞きつけます。

飛行機による世界一周速度記録の記録更新に失敗して落胆していた二人は、この企画にとびつきました。
彼らは東京の立川飛行場に、愛機「ミス・ビードル号」で飛んできます。
ところが急な来日で入国許可証が間に合わなかったうえ、知らずに軍の飛行禁止区域を飛んでしまったため、二人はスパイと間違われて身柄を拘束されてしまいました。

しかし、来日中だったリンドバークからアメリカ大使館を通してのとりなしなどもあり、二人は、罰金だけで、ようやく釈放されたのです。
一方、朝日新聞社もこの情報を聞きつけ、日本に滞在していたアメリカ人たちに協力してもらい、立川飛行場に押収されていた飛行機を改造しました。

燃料タンクを増設し、八百ガロン搭載のところを、九百五十ガロンのガソリンを積めるようにしました。
また、燃料節約のために離陸後に車輪を落とせるよう改造し、胴体着陸できるように補強材も装着しました。
そして、その「ミス・ビードル号」がいよいよ三沢村にやって来ました。


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■人々の思いとリンゴを乗せて
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「こんどこそ成功させたい」
小比類巻前村長を筆頭に村の青年団は、二人の宿や食事の世話をしたり、機体の不寝番をしたり、ガソリンの輸送や積込み、掃除といった献身的な協力を惜しみませんでした。
砂地の滑走路にも、加速しやすいように厚い杉板を敷き並べて傾斜をつけた、長さ三十メートルの助走台を造りました。
離陸地を選定した元海軍少佐の太田常利氏(新渡戸稲造博士の従兄弟)も、通訳やアドバイザーとして協力しました。

出発に際しては、二人の飛行士のために、当時はなかなか手に入らなかったパンも調達しました。
そして、前村長の娘さん小比類巻チヨさんは、両飛行士に「日本のお土産に」と三沢産のリンゴ、紅玉を二十個手渡しました。

昭和六(一九三一)年十月四日午前七時一分、ドラム缶十八本分ものガソリンを積み込んで重くなった「ミス・ビードル号」のエンジンがかかります。

村人たちが手を振って見送る中、杉板の滑走路で助走した「ミス・ビードル号」は徐々に加速し、ながいながい滑走をしたあと、大空に舞いあがりました。
離陸に成功した「ミス・ビードル号」は、予定どおり途中で車輪を捨てて飛行を続けます。

北太平洋の海原を舞うこと四十時間、太平洋沿岸時間の五日午前一時に、カナダのバンクーバー島標識灯を確認しました。
そして、着陸のためにスポケーン市へ向かいました。
しかし、霧が深くて着陸できません。

やむをえず、さらに西のパスコ市を目指しましたが、ここも厚い雲に覆われていて着陸不可能でした。
翼は凍り付いています。燃料も残り少なくなっていました。

困った二人は、パングボーンの故郷に近いウェナッチ市に着陸しようと決心します。
ウェナッチ市なら、霧の心配がないことを分かっていたからです。


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■赤い飛行機と真っ赤なリンゴ
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ウェナッチ着陸の情報がもたらされると、地元の人々は大喜びです。
丘の上には、地元の人々、朝日新聞社を含む新聞記者たちが集まりました。
その中には、パングボーンの母親や弟、いとこたちもいました。

みんなが見守る中、昭和六年十月五日の朝七時十四分過ぎ、低空飛行の「ミス・ビードル号」がウェナッチ東部の丘から小さな赤い機体を現わします。
そして、着陸体制に入りました。

車輪はありませんから、胴体着陸です。
失速寸前までスピードを下げ、滑走路に入ります。

人々が固唾を飲んで見守る中、機体は左翼を地面にこすりながら、ようやく止まりました。
中から、笑顔のパングボーンとハーンドンが降りてくると、拍手喝采が起こりました。
四十一時間十三分をかけた、人類初の太平洋無着陸横断飛行の成功です。

その日のウェナッチ市は、大変な騒ぎになりました。
飛行場に集まった人々は、はるか太平洋のかなたから飛んできた小さな赤い飛行機を取り囲み、口々にその偉業を称えました。

飛行機の中には、真っ赤なリンゴが五個残されていたそうです。

パングボーンが、「日本からのお土産はこれだけ」と、おどけた調子で、そのリンゴを母親に渡しました。
リンゴの産地三沢村から、同じくリンゴの産地ウェナッチ市へ、真っ赤なリンゴの贈り物です。

この話は、たちまち町中に広がりました。
ウェナッチ市では記念のパレードが盛大に行われ、シアトル市でもパレードが開催されました。
ニューヨーク市では市長主催の歓迎会も行われました。

実は、二人が飛行に成功した一カ月前には、満州事変が起こっています。
満州の制圧を開始した日本に対し、アメリカは否定的な見解を出し、日米間には険悪な空気が漂っていました。
しかし、パングボーンとハーンドンは、機会あるごとに日本人が親切であったこと、特に三沢村の人々の献身的な協力について話しました。

その結果、アメリカの新聞の論調も「日本は近い国」「友情の橋がかけられた」等、好意的な記事がたくさん見られるように変わっていきました。


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■いまも続く温かな心の連鎖
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その年の十一月、ウェナッチ商業会議所は、お世話になったお礼にと、リンゴの新品種リチャードデリシャス一箱を船便で朝日新聞社宛に贈りました。
ところが、その前年から輸出入植物取締法の適用が厳しくなっていて、リンゴの上陸が認められません。
青森県リンゴ試験場長の須佐寅三郎氏たちは、せめてリンゴを研究用に提供して欲しいと懇願します。
しかし、これも断られてしまいます。
結局、日本の港まで来たリンゴは、送り返されてしまいました。

須佐試験場長は、ウェナッチ商業会議所会頭あてに、お詫びの手紙を書きました。
そして、できれば穂木を送ってくれないかとお願いしたのです。

ウェナッチ商工会議所は快くこれに応じ、昭和七年四月、一メートルほどのリチャードデリシャスの穂木を五本、青森県リンゴ試験場に送りました。
穂木が届いた試験場では、生産者代表と関係者が、なんと六十八名も出席して、盛大な接木式を行ったそうです。

この接ぎ木はすくすくと成長し、昭和十年頃から青森県内各地に接穂として配布されました。
そして、九年後の昭和十六年には、五本だった穂木がなんと一万二百二十七本ものリンゴの木になりました。
しかもこのリンゴの評判は高く、試験場の樹から枝が盗まれることもあったといいます。

このような心温まる交流も、昭和十六年に始まった戦争で一度中断してしまいますが、太平洋無着陸横断飛行から五十年後の昭和五十六年、ウェナッチ市と三沢市は姉妹都市となりました。

いま三沢市の淋代海岸には、太平洋無着陸横断を讃える「記念碑」が建っています。
そして近くには、「ミス・ビードル号」の復元機が展示されています。
「ミス・ビードル号」の復元機は、平成十五(二〇〇三)年四月に完成しました。
再現飛行のための準備も進められているそうです。

太平洋無着陸横断飛行のときの、三沢村の人々の心遣いや少女が贈ったリンゴ、そしてウェナッチ市からの贈り物。
これらの温かな心の連鎖は、八十年たった今も続いており、その美しいお話は物語として語り継がれているのです。

もし今、私たちの地元で、こうしたイベントが開かれることになったらどうでしょう。
もちろん進んでボランティアに参加される方はいらっしゃると思います。

しかし「国はいくら出せ」「県はいくら出せ」「日当を払え」「飛行場周辺の住宅への補償は出るのか」「そもそも予算の無駄遣いではないのか」等、反対の声は確実に聞こえてくると思います。
こんな自己中心的な考え方をする日本人が増えたのは、一体どうしてでしょう。

世界初の偉業を、村のみんなで力を合わせて無償でサポートした日本人。
公徳心を持ち、みんなのため、地元のため、お国のために力をあわせた日本人。

日本人は本来、こういった素晴らしい心を皆持っているのです。
少しでも多くの日本人が、その心に気づいて、温かい心の連鎖が日本全国に広がっていくことを願っています。

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【編集後記】
いかがでしたか?
りんごを見たら、食べたら、是非、周囲の人にこのお話しをしてあげてください。
このメルマガを転送してあげるだけでもOKです。
そうすればきっと、日本が大好きな仲間がひとり増えます。

最近では、現代人の視点で、歴史上の様々な事件をともすれば「批判」や「評価」しがちだといわれています。
けれど、「歴史は学ぶためにある」というのが、ねずブロの主張です。
大きな歴史ではなく、小さな歴史、身近な歴史。そんな歴史が日本には数多くあります。
知れば知るほど日本が好きになる。
知れば知るほど、日本人として誇りが持てるようになる。
そんな歴史を、これからも発掘していきたいと思います。
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ご意見、ご感想は↓まで。
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