黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編

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    黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編
      Vol.058  H29.05.17

        http://rocky96.blog10.fc2.com/

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こんにちは!黒田裕樹です。
通史でたどる歴史講座は、今回から「昭和・戦前編」に入ります。第1
回目は「昭和の始まりと金融恐慌」と題して、始まったばかりの昭和時
代が迎えた「大きな試練」を中心に紹介します。

(※文章中の「◎」は、教科書において太字などで強調された重要語句
です。文末にもまとめて掲載しています)

「昭和の始まりと金融恐慌」
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-category-529.html

大正15(1926)年12月25日、かねてより病気療養中であられ
た大正天皇が47歳で崩御(ほうぎょ)されました。深いお悲しみの中
、摂政宮(せっしょうのみや)で皇太子の裕仁(ひろひと)親王が直ち
に践祚(せんそ、皇位の継承のこと)されて第124代天皇(=◎昭和
天皇)となられ、元号も昭和と改められました。

こうして始まった昭和時代でしたが、いきなり大きな試練を迎えること
になってしまいました。大正12(1923)年に発生した関東大震災
によって多額の民間手形が支払い不能となった際、災害地を支払地とす
る手形は政府が信用保証して支払いを延長しました。

しかし、それらは問題の先延ばしに過ぎず、支払いの猶予(ゆうよ)が
昭和2(1927)年で切れることから政府はその整理に着手すること
になりました。なお、当時の内閣は病死した加藤高明(かとうたかあき
)にかわって成立した、憲政会を与党とする第一次若槻礼次郎(わかつ
きれいじろう)内閣でした。

第一次若槻内閣は新たに公債を発行していわゆる震災手形を整理しよう
と考え、そのための法案を議会に提出しましたが、議会では銀行の放漫
な貸し出しが今回の事態を招いたなどという非難の声が挙がり、なかな
か前へ進みません。そうこうしているうちに、経営難に苦しむ中小銀行
の資金繰(しきんぐ)りが限界に達しつつありました。

昭和2(1927)年3月14日、当日の決済のための資金繰りに苦し
んでいた東京渡辺銀行の関係者が午後に大蔵次官を訪問して「何らかの
救済がなければ今日中にも休業を発表せざるを得ない」と陳情しました


次官は大蔵大臣の片岡直温(かたおかなおはる)に対応を相談しようと
しましたが、議会で審議中のため面会できず、事情を書面に記して蔵相
に言付けました。

一方、大蔵省からの助力が得られないと判断した東京渡辺銀行は改めて
金策に走り、別の銀行の資金援助を受けて辛うじて決済を行い、その旨
を大蔵省に伝えようとしましたが、担当の次官が不在ですぐには連絡で
きませんでした。

その頃、片岡蔵相は議会から厳しい追及を受けていましたが、そんな折
に次官から書面で「東京渡辺銀行休業」の報告を受けた蔵相は、追及を
かわしたい一心からつい口走ってしまいました。

「東京渡辺銀行がとうとう破綻(はたん)を致しました」。

片岡蔵相が「東京渡辺銀行の破綻」を口走ったのには、遅々(ちち)と
して進まない審議に業(ごう)を煮やしたことで、「対応が遅れれば遅
れるほど、東京渡辺銀行のように破綻に追い込まれる金融機関が出てく
ることになる」と牽制(けんせい)する狙(ねら)いがあったとされて
います。

しかし、当日の決済を終えていた東京渡辺銀行は、現実には破綻してい
なかったのです。にもかかわらず、議会において「破綻した」と口走っ
たのは、片岡蔵相による「痛恨の失言」以外の何物でもありませんでし
た。

かくして、大蔵大臣に「破綻」を宣告された東京渡辺銀行に預金者が引
き出しに詰めかけたことで、翌日には「本当に」休業に追い込まれただ
けでなく、東京渡辺銀行の破綻を不安に思った人々が、他の中小銀行に
も預金引き出しに殺到するという「取り付け騒ぎ」を起こしたため、他
の銀行も、連鎖反応のように次々と休業を余儀(よぎ)なくされてしま
いました。

これらの動きは、今日では「◎金融恐慌(きんゆうきょうこう)」と呼
ばれています。政府は日本銀行による非常貸し出しでこの騒ぎを何とか
沈めましたが、金融恐慌の流れは「別の大手銀行」の経営破綻によって
、さらに拍車をかけることになってしまうのです。

貿易商として出発した総合商社の鈴木商店は、第一次世界大戦がもたら
した大戦景気において急激に業績を伸ばし、三井や三菱などの財閥(ざ
いばつ)と肩を並べるまでに成長しましたが、大戦が終わると戦後恐慌
のあおりを受けて経営難に陥り、昭和2(1927)年4月に倒産して
しまいました。

鈴木商店の倒産は、同社に巨額の金銭を貸し付けていた台湾銀行(たい
わんぎんこう)にも資金繰りに苦しむようになるなどの深刻な影響を与
えましたが、他の中小銀行と違って、台湾における紙幣発行権を持って
いた特殊銀行である台湾銀行が、もし休業の憂き目を見れば、治まりか
けていた金融恐慌がさらに広がりを見せるようになるのは必至でした。

あわてた政府は緊急勅令(きんきゅうちょくれい)によって台湾銀行を
救済しようと考え、枢密院(すうみついん)に働きかけましたが、これ
を第一次若槻礼次郎内閣打倒の好機と見た立憲政友会は、枢密院に働き
かけて議案を否決させました。

議案を否決された第一次若槻内閣は総辞職し、また台湾銀行は休業に追
い込まれ、金融恐慌が最高潮に達してしまったのです。

第一次若槻内閣の総辞職を受けて、陸軍大将で立憲政友会総裁の田中義
一(たなかぎいち)が内閣を組織しました。

田中内閣の大蔵大臣となった高橋是清(たかはしこれきよ)は、手形の
決済や預金の払い戻しなどを一時的に猶予する支払猶予令(しはらいゆ
うよれい、別名を「◎モラトリアム」)を出すための緊急勅令を直ちに
枢密院(すうみついん)に諮問(しもん、意見を求めること)しました


今度は枢密院も勅令を許可して、3週間のモラトリアムが発せられると
、高橋蔵相が日本銀行に巨額の特別融資を行わせたことで、金融恐慌は
ようやく収拾へ向かいました。

ちなみに、日本銀行は特別融資のために急きょ大量の200円札を発行
しましたが、余りに巨額であったために準備が間に合わず、裏面が白紙
のままでした。

なお、休業した台湾銀行についても議会で審議され、2億円の救済法案
が成立して再建されています。

金融恐慌における台湾銀行の救済を含む様々な政策は、憲政会の第一次
若槻礼次郎内閣では認められず、政権交代後の立憲政友会の田中義一内
閣でようやく成立しましたが、その裏には、二大政党制による政党内閣
の宿命ともいえる「政争」がありました。

恐慌を起こした政権の責任はともかくとして、金融政策は本来であれば
一刻も早く実施しなければならないものです。しかし、現実には野党の
立憲政友会が「政争の具」として枢密院に「待った」をかけさせたこと
で、政策の実現が遅れただけでなく、台湾銀行も休業に追い込まれてし
まいました。

また、枢密院は第一次若槻内閣の失政の一つとして「幣原(しではら)
外相による協調外交の失敗」を非難していますが、外交問題を国内の政
争に利用するという姿勢にも、疑問符を付けざるを得ないのではないで
しょうか。

いずれにせよ、政争のためには「何でもあり」という当時の政党の手法
が、後述する「統帥権干犯(とうすいけんかんぱん)」の問題を引き起
こし、我が国を苦境へと追い込むことになったのは間違いないでしょう


もっとも、政権交代で高橋是清が大蔵大臣になったからこそ、金融恐慌
が早く収拾できたともいえますし、また第一次若槻内閣の幣原外相から
田中義一内閣に代わったことで、それまでの協調外交の姿勢が改まった
(詳しくはいずれ後述します)というメリットがあったのも事実ではあ
ります。

大正末期から昭和初期にかけての日本経済は、第一次世界大戦後の戦後
恐慌を始めとして、関東大震災による恐慌や金融恐慌も重なり、いわば
慢性的な不況が続いていました。

度重なる恐慌で銀行の休業や倒産が相次いだことや、政府が弱小銀行や
不良銀行の整理に着手したことによって、いわゆる大銀行に多くの預金
が集中することになりました。三井・三菱・安田・住友・第一のいわゆ
る五大銀行への預金は、昭和4(1929)年には全体の35%にまで
達しています。

これらの大銀行は財閥との結びつきが強く、金融恐慌でも大きな打撃を
受けなかった財閥は経済界において大きな地位を占めることとなり、や
がて独占資本を形成するようになりました。

なお、不況時における弱小銀行の整理や大銀行への統合は他の分野にお
ける企業の集中をもたらし、日本の紡績業が第一次世界大戦後に中国の
紡績工場を次々と建設するなど(これらは「◎在華紡(ざいかぼう)」
と呼ばれました)、産業資本の輸出も促進されるようになりました。

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  今回の重要語句(教科書において太字などで強調されたもの)

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◎昭和天皇
◎金融恐慌
◎モラトリアム
◎在華紡

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  最後までお読みいただき、有難うございました。
  次回(Vol.059)は5月24日に発行します。
  「積極外交への転換」

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黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編

◎発行責任者:黒田裕樹(大阪府内の公立高校非常勤講師)

◎公式サイト:黒田裕樹の歴史講座
http://rocky96.blog10.fc2.com/
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メルマガ名
黒田裕樹の歴史講座・メルマガ編
発行周期
ほぼ 週刊
最終発行日
2017年05月17日
 
発行部数
293部
メルマガID
0001672748
形式
PC・携帯向け/テキスト・HTML形式
カテゴリ
教育・研究 > 高校生向け > 歴史

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