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地元民との触れ合いも旅の醍醐味。京都の台所「錦市場」をぶらり

せっかく出向いた旅先で雨に降られてしまっては、意気消沈してしまいますよね。しかし日本が誇る観光都市・京都には、いくら天気が悪くても楽しめるスポットが存在します。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者の英学(はなぶさ がく)さんが、そんな中から錦商店街(錦市場)を紹介しています。

錦市場

観光は天気に左右されるものです。雨が降って傘が必要な時は気分も晴れません。でも京都の中心部にはいくつもアーケード街があります。四条商店街河原町商店街祇園商店街新京極や寺町商店街など傘をささずに歩ける場所が沢山あります。

中でも是非立ち寄って頂きたいのは錦商店街錦市場)です。錦市場は400年の歴史を誇る京の台所です。雨の日でも傘をささずに散歩や買い物が楽しめます。京都のメインストリート・四条通より1筋北にある錦小路通にあります。東端は寺町通、西端は高倉通で、その長さは約400m。東西400mほどのアーケードの下には鮮魚、野菜、観物、惣菜、漬物などの専門店が130軒並んでいます。新鮮な旬の食材を豊富に品揃えているので高級京懐石の店主などからも支持されています。また、市民生活とも密着しているところが錦市場の最大の特徴となっています。

錦市場の由来

「錦小路通」という呼び名は平安時代からのもので、それ以前は、具足小路ぐそくこうじ)と呼ばれていました。具足とは、家具や調度品のことです。昔はそのようなものを売る店が並んでいたんでしょうね。

具足小路は長らく庶民からは具足がなまって「くそ小路」と呼ばれていたと伝えられています。平安時代、後冷泉天皇はそれを知ってあんまりだと思い錦小路と改めたと伝えられています。また、四条通の南にある「綾小路」に対して「錦小路」と呼ばれるようになったなど、いくつか由来はあるようです。

店舗の営業時間は、おおむね朝9時から午後5時までで、水曜日と日曜日に休業する店が多いようです。

錦市場の歴史

平安京に都が移された頃、すでに魚屋が開かれたのが起源だと言われています。しかし市場として本格的に活気づくのは江戸時代に入ってからです。この頃、幕府から魚問屋としてお墨付きを得ると、朝廷や社寺などへ献上品を納めるようになりました。

明治時代に都が東京へ移り、独占的な魚問屋としての特権がなくなると、錦市場は衰退してしまいます。しかし、時代のニーズに合わせて青果や乾物などの取り扱いを増やし、小売市場として再出発。今では観光客を相手に食べ歩き出来る店なども出来て賑わいを見せています。

名水「錦の水」

「錦の水」は錦市場の発展に欠かせない存在です。「錦の水」はくせのない軟水で、大豆のうまみを引き出す作用があると言われているようです(京都の水は基本軟水が多い)。豆腐やゆばなどの食材を売る店が多いのはそのためと言われています。

錦市場の地下を流れるこの水は、夏でも冬でも水温はあまり変わりません。だいたい15~18℃とほぼ一定だといいます。かつては各店に井戸が通されていたようです。井戸の水は、魚などを保存するための冷蔵庫として使われていたようです。今でも多くの店に地下水が引かれているとのことです。

錦市場は、時間帯によって客層が変わります。午前中は板前さんなど、プロの料理人が買いつけに訪れます。午後は、専業主婦が夕食の買物にやって来ます。夕方にはビジネスマンが仕事帰りにお総菜などを買い求める姿がみられます。

ちなみに江戸時代の絵師・伊藤若冲(じゃくちゅう)は、錦市場の青物問屋の出身です。長男として生まれたのですが、家業は継がず弟に譲り絵の世界へ。死して今もなお世界的に有名な画家となりました。

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いかがでしたか? 京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

image by: Phanu D Pongvanit / Shutterstock.com

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【著者】 英学(はなぶさ がく) 【発行周期】 ほぼ週刊

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