神戸市で起きた女子中学生の自殺をめぐり、神戸市教育委員会の課長級という立場にあった人物が、女子中学生の通う中学の校長に対して、「いじめ」の有無に関する聞き取りメモの存在を隠蔽するよう指示していた事件が波紋を呼んでいます。新聞の報道では、同市教育委員会のある幹部が「タテ割りなど組織的風土の問題」とコメントしていますが、アメリカ在住の作家・冷泉彰彦さんは自身のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』の中で、「この事件は『タテ割り風土』の問題ではない」とバッサリ。同市教育委員会という組織が抱える「本当の問題点」を鋭く指弾しています。
いじめ隠蔽問題は、『タテ割り風土』のせいではない
神戸市で2016年に起きた当時中学3年の女子生徒の自殺を巡って、神戸市教育委員会の首席指導主事が当時の校長に、直後の聞き取りメモの存在を隠蔽するよう指示したという信じられないような事件がありました。
隠蔽したと言う事実も驚きですが、その理由もまた驚くべきものでした。公表された理由というのは、「メモの存在が明るみに出ると遺族との関係が悪化する」とか「事務処理の煩雑さなどを危惧した」というものだったのです。報道によれば、何度も訂正する機会はありながら「うそにうそを重ねた」対応になっており、市教委幹部らは「縦割りなど組織的風土の問題」と「うなだれ
た」(神戸新聞)そうです。
現時点では、隠蔽をしたのは教委の指導主事(当時、課長級)であって、上司は知らないという話になっています。また、再三に渡って公開を主張した校長に対しては、この指導主事は「先生、腹をくくってください」などと隠蔽を強制していたという報道もあります。
この事件ですが、「タテ割り風土」というのは間違いだと思います。「タテ割り」の問題というのは、同じような土地取引について、国有財産だと金融庁、国道や空港関連だと国交省というように、お役所の組織が「縦に割られていて」それぞれが独立して横の連絡が上手くいかないケースのことを言います。
そうではなくて、今回の問題は「リーダーシップ」の問題です。
どうして「いじめ報告書」という制度があるのかというと、それは、
「被害があった場合には、徹底的に事実を究明する」
「類似の事件の再発を防止する」
という目的があるからです。ですから、報告書の運用に当たっては、
「事実関係は細大漏らさず記録する」
「疑わしきは調査を徹底する」
ということになるはずです。それが、「遺族対応が大変だから」とか「事務が煩雑になる」ということで「事実を記した文書の隠蔽」が起きてしまうというのは、次のような原因があると思われます。
「組織に必要なノウハウとパワーが足りない」
「責任者がネガティブ情報を受け付けない」
ということです。これは完全にリーダーシップの問題であると思います。その指導主事も困った人物ですが、その人物をそのように追い込んだのは教育長でしょう。それはその人がいい人だとか、悪い人だという問題ではなく、リーダーシップの意味を全く分かっていないということだと思います。
日本社会が変革期を迎える中で、親も子も、そして教師も含めてどのように子供を育てていいのか、子供はどのように自分が成長すればいいのか、大変な試行錯誤をしているわけです。そのような教育現場に対して、教育委員会というのは、それこそ現場が働きやすいように縁の下の力持ちとして必死の努力をしていかなくてはならない、そのような組織であると思います。そして、全国の多くの教委はそのような姿勢で仕事をしていると思います。
ですが、この組織はそうではなかったのです。ということは、この組織が抱えている問題は「タテ割り」組織の弊害というのではなく、「タテ組織」の弊害、つまりリーダーシップの問題ではないかと思うのです。
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