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大きなクスノキが語る師弟の絆。天台宗の門跡・青蓮院を巡る

現代日本仏教の二大宗派である浄土宗と浄土真宗ですが、その「生き残り」には天台宗が大きく関係していたようです。今回の無料メルマガ『おもしろい京都案内』では著者の英 学(はなぶさ がく)さんが、天台宗の門跡である青蓮院について、座主である慈円の寛大な人となりも併せて紹介しています。

青蓮院門跡

青蓮院(しょうれんいん)は、京都市東山区にある天台宗の門跡(もんせき)です。門跡とは皇族や貴族が代々住持する格式高い寺院です。三千院、妙法院と共に、天台宗の総本山・比叡山延暦寺の三門跡の一つに数えられています。また、江戸時代の1788年に、後桜町天皇の内裏が焼失した時に仮の御所になりました。そのため「粟田御所」とも呼ばれていました。境内全体は「青蓮院旧仮御所」という名目で国の史跡に指定されています。

青蓮院は広くて落ち着いた雰囲気の境内が魅力です。

青蓮院の歴史は平安時代に遡ります。天台宗の祖・最澄が奈良時代に比叡山延暦寺を開基した際に、僧侶の宿坊として「青蓮坊」という寺院をこの地に建立しました。そして、平安時代の1150年に、天台宗の第12代座主・行玄(ぎょうげん)がこのお寺の門主となった時に青蓮院となったのです。

明治時代の1893年には大規模な火災に遭い、ほぼ全ての建物を消失しました。このお寺の建物は、残念ながらそのほとんどが明治時代以降に再建されたものとなっています。

青蓮院には国宝「青不動明王二童子像」があります。通称「青不動」と呼ばれるこの不動画は高野山明王院の「赤不動」、三井寺の「黄不動」とともに日本三不動の一つに数えられています。現在は東山山頂に建立された「青龍殿(せいりゅうでん)」にて祀られています。

鎌倉時代初期には、愚管抄を著した慈円が天台座主となりました。また伏見天皇の皇子である尊円法親王が入寺して大いに栄えたが、応仁の乱で焼失しています。

慈円は厳格な延暦寺を総本山に持つ天台宗のお寺の座主でしたが、他の宗教に対して寛大でした。当時延暦寺や朝廷に迫害を受けていた、浄土宗の開祖・法然やその弟子の親鸞の味方をしたのです。そして法然に青蓮院の境内の一部を授けたのです。この時慈円から分け与えられた土地に法然が建てたお寺が知恩院です。今でも知恩院は青蓮院のすぐ隣にあるのはそのためです。

浄土真宗の開祖・親鸞は幼少の頃、慈円の元で出家しています。だから、青蓮院は天台宗でありながら、浄土真宗の聖地の一つでもあるのです。

青蓮院の正面には大きなクスノキが立っています。12世紀末に親鸞が植えたものと伝えられています。樹齢は約800年とのことです。

現代の日本の仏教の中で浄土宗と浄土真宗は二大宗派です。法難の時代を天台宗の慈円が他宗派に対して寛容でなければその後の日本仏教はどうなっていたのでしょう?歴史のイフは至る所にあるのですが、とりわけこのようなことは日本人の生き方や考え方に大きく影響を与えたことだと思います。今度京都に行ったら、慈円を思い出しながら青蓮院と知恩院を比べながら見学してみるとおもしろいのではないでしょうか。

京都は日本人の知識と教養の宝庫です。これからもそのほんの一部でも皆さまにお伝え出来ればと思っています。

image by: 京都フリー写真素材

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【著者】 英学(はなぶさ がく) 【発行周期】 ほぼ週刊

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