主義主張をすぐに変える人はあまり信用されなくなりますが、国家の付き合いの場合、それは許されることなのでしょうか。世界情勢や経済戦争でも、常に勝利できる側を見極め俊敏に渡り歩くことが、国の繁栄に繋がることもままあります。国際ジャーナリストの北野幸伯さんは、自身の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』で、世界最悪の独裁者の1人、旧ソ連のスターリンの戦略・戦術を分析しながら、「勝ち組」の思考・行動パターンを解説しています。
スターリンはなぜ勝てたのか?
皆さん、「世界最悪の独裁者をあげろ」といわれたら、誰をあげますか?結構悩むと思いますが、だいたい出てくる面子は同じでしょう。
ヒトラー、スターリン、毛沢東。
この3人は、「自国民を大量虐殺した」という特徴があります。だから、「善悪論」で、「彼らは最悪の独裁者」ということで、評価が定まっている。
ちなみに毛沢東は、「チャイナマネー」に遠慮してか、あまり批判されませんね。今の習近平さんは、「毛沢東にあこがれて、彼のようになりたい」と考えているそうです。恐ろしいことです。
ちなみに「善悪論」ではなく、「勝敗論」で見ると、この3人は違います。
- ヒトラー=負け組(第2次大戦で負けた)
- スターリン=勝ち組(第2次大戦で勝った。東欧、中国、北朝鮮を共産化させた)
- 毛沢東=勝ち組(国共内戦に勝利して、中華人民共和国を建国した)
まあ、スターリン、毛沢東が勝ち組であること、日本にとってうれしいことではありません。しかし、今回は、「善悪論」「道徳論」とは別の話です。
スターリンが勝てた理由は?
スターリンが勝てた理由はなんでしょうか?「戦略的に物事を考えることができたから」です。どういうこと?
1939年8月、スターリンは、ヒトラーと「独ソ不可侵条約」を結びました。ヒトラーは、「ソ連共産主義を根絶する」ことを目標にしていた。だから(不可侵条約締結は)驚くべきことです。
ヒトラーはなぜ、ソ連と「不可侵条約」を結びたがったのか?彼は、ポーランドに侵攻しようとしていた。すると、イギリス、フランスがだまっていないでしょう。西からイギリス、フランスが攻めてくる。東からソ連が攻めてくる。そうなると、ドイツは困ってしまう。だからソ連と和解して、西、つまりイギリス、フランスとの戦いに専念できるようにした。
スターリンがヒトラーと組んだ理由
では、スターリンは、なぜヒトラーと組んだのでしょうか?
「ドイツがイギリス、フランスと戦ってくれれば、ドイツ、イギリス、フランスがみんな疲弊する。ソ連は漁夫の利を得て、欧州をすべて共産化できるチャンスがめぐってくるかもしれない」と戦略的に考えた。実際、ソ連は、東欧を共産化することに成功しました。
ところが、1940年に入るとソ連とドイツの仲が悪くなってきた。ルーマニア問題、フィンランド問題でもめたのです。それで、スターリンはどうしたか?なんと、1941年4月、日本と中立条約を結ぶことにした。
なぜ日本は、これを望んだのでしょうか?1941年といえば、12月に日米戦争がはじまっています。当時、日本最大の問題は、アメリカでした。日本は、ドイツ、イタリアとの同盟にソ連を加え、「4大国でアメリカをけん制しよう」と考えていた。それで、日ソ中立条約となった。
スターリンは、どう読んだのでしょうか?
「ドイツが近々ソ連を攻めてくる。西からドイツが攻め、東から日本が攻めてきたらたまらんな。だから日本ととりあえず和解しておこう」と。こう、「戦略的」「現実主義的」に考えたのです。おかげで、東にいた戦力を西に戻し、ドイツとの戦いにふりむけることができた。
1941年6月、ドイツがソ連を攻撃し、独ソ戦がはじまりました。1941年12月、日米戦争がはじまりました。ヒトラーはアメリカに宣戦布告し、米独戦もはじまった。ヒトラーは、スターリンとは違い、物事を戦略的に考えることができなかった。それで、愚かにもアメリカ、イギリス、ソ連3大国を敵にした。アメリカが参戦した1941年12月時点で、ドイツの負けはきまったのです。
1945年2月、ヤルタ会談が開かれた。ここで、戦後の秩序について話し合われました。国際連合創設や、「拒否権をもつ安保理常任理事国」のことも決まった。
スターリンは、「ドイツ降伏後3か月以内に、対日戦に参戦する」と約束しました。そう、彼は、「日ソ中立条約を破りますよ」と確約したのです。これは、「善悪論」でいえば、どう考えても「悪」でしょう。しかし、「勝敗論」でいえばどうでしょうか?
スターリンは、戦争最末期(1945年8月)に参戦し、樺太と千島を奪った。「極限まで楽して、最大の戦果をあげた」といえるでしょう。繰り返しますが、道徳論、善悪論でいえば、ソ連の行いは絶対悪です。
というわけで、スターリンは、まずヒトラーと組み、その後日本と和解し、最後に米英と組んだ。この、日本人的感覚では「節操ゼロ」の行動により、ソ連は勝者になったのです。もちろん、1991年末にソ連は崩壊したわけですが、それとスターリンは関係ありません。
私は、何がいいたいのか?
スターリンは、敵ヒトラーと組み、敵日本と和解し、敵米英と組んで勝者になった。同じようにアメリカも、敵ソ連と組んでナチスドイツを打倒した。その後、かつての敵日本、ドイツ(西ドイツ)と和解し、今度はソ連を打倒した。これが、「勝ち組」の思考パターン、行動パターンです。
ところが、日本ではどうでしょうか?「戦略論」「勝敗論」はまったく語られることがなく、「善悪論」「道徳論」の話ばかりです。
私は、「善悪論」も「道徳論」も大事だとは思います。どんな国でも「道徳的に正しいことをする」のは大事でしょう。しかし、「戦略」「勝敗」も大事です。
敗戦国日本は、今も「どうすれば勝てるかな?」「この局面で戦略的にはどう動くべきかな?」といった問いかけをまったくしていないようです。
日本は今、米中覇権争奪戦の「戦勝国側」にいます。しかし、戦略的に「戦勝国側」にいるのではなく、「たまたま」いるのかもしれない。それで、またもや敗戦国になる可能性もあります。敗戦国になるとは、要するに「中国についてしまう」という意味です。
image by: 首相官邸