相手が子供であろうと大人であろうと、人を育てるには「心」がなくてはならない…、とするのは現役教師の松尾英明さん。これまでも「一流に触れることの大切さ」を説いてきた松尾さんは今回、自身の無料メルマガ『「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術』で、とある一流の職人の工房見学で気づくに至った「教育の根幹」について記しています。
人を育てるのは心
以前から、一流に触れるという大切さについて、何度か書いてきた。今回、とあるつながりで、日本を代表する一流の職人の方に直接お話を伺う機会を得た。工房には見習い職人の方々がたくさんいて、我々訪問者に社訓をはじめ、様々なことを丁寧に教えてくださった。
見習い職人の方々は、中卒から大卒、社会人経験者まで年齢構成は実に様々である。そして、年齢にかかわらず先輩が後輩の面倒を見るのが当たり前のシステムで、かつ全員が親方に忠実である。
曰く「下を入れるのは上のため」とのこと。下が入らないと、上が育たない。そして下が育てば、やがてその人も上になる。即ち、互恵の関係である。
修行に際しては当然一筋縄ではいかず、一つの技術を習得するのにも、気の遠くなるような長時間を要する。これをネット上では「ブラック」と称されていたが、とんでもない。単に時間の長短や業務内容等を見て「ブラック」とするのは浅はかである。条件や表面的なことしか見ていない。
本人の意思を無視して、強制するから「ブラック」になるのである。私なぞはその典型で、意味が感じられずに強制されることは、たかが5分の作業でも嫌で本当に苦痛である。逆に、主体性をもってやれることなら、時間がどんなにかかっても全く関係ない。この境目は「目的意識の有無」である。極端な話、自分の夢のためなら無限に努力できるという人間は一定数存在する(それを努力とすら感じない)。これは、対大人だけでなく、対子どもにもいえる。
主体性をもって行っていることは「ブラック」になり得ない。例えば寝食を忘れて研究に没頭している研究者を「ブラック労働者」と呼ぶことはない。本人が本当に好きでやっているのである。誰にも止めることはできない。
この親方のところへの修行は、初日から終始一貫して「心づくり」が中心である。日誌も毎日書く。その過程で、技術も格段に向上していく。
これを見て、東京教師塾の原田隆史先生の部活動指導と根幹が同じだと感じた。ご存知、大谷翔平選手も学んで実践している手法である。
心づくりがまずある。そのために書く。大量に書く。自身を磨く時間は、誰に指示される訳でもなく、際限がない。毎日素振りを何時間やっても、苦痛ではない。
そして周囲の人々やあらゆる事物への感謝を伝え続ける。活動の先に「利他」の精神がある。技術はそこに附随してついてくる。
面白かったのは、親方の言葉の一つ一つである。単に文面にすると、これがかなりきつい。多分、教育現場で使ったとしたら「子どもにそんなひどいことを!」というクレーム殺到は間違いない(なのでここにも書けない)。
これが、実は全くきつくないのである。むしろ嬉しい。なぜか。「愛情」が感じられるからである。一見きつい言葉の裏に、深い愛情が感じられるからである。傍から見ていても、師弟の深い信頼関係が感じられた。
逆に言えば、どんなに良い言葉であっても、心が入っていないものは空虚であり、害悪である。思ってもいないことを「お世辞」「おべんちゃら」などというが、その類である。それで人が育つ訳がない。本当に相手を思うならば、相手の成長のためになることを伝えるべきである。
ちなみに「お客さん」である私たち一行も、初対面だがズバズバ言ってもらえた。私がいただいた言葉で、差支えのなさそうな範囲で紹介すると「なるほどね。で、明日から日本の教育は良くなりそう?」「いえ、今は夏休み中なので、明日からというのはまだ…」「ふーん。言い訳ばっかりだねぇ」
こんな感じで、もう遠慮がないのである。そして、ぐうの音も出ない。理屈で言い返すほどに、「実践」と「証拠」を求められる。職人なのである。
最後にご自宅からお見送りをいただく際にも、とびっきりの笑顔で握手をしながら「君は理屈っぽいから、次はそこだな!」と言っていただいた。つまりは「次会うまでに日本の教育が少しでも良くなったという事実を示せ」という宿題である。
他にもたくさんの教えをいただいたが、刺激的すぎて書けない。文面だと、恐らくマイナス面として伝わってしまうためである。話す言葉というのは温度があり、文面だとそこがフラットになってしまう。
本などにすると、伝えるのが難しいのがそこのニュアンスである。実際の授業や子どもの姿を見てもらう方が圧倒的に伝わる。
夢を語り、事実を示す。感謝をし、他人様のお役に立つ。教育の根本について考える機会をいただけた、有意義な学びの場だった。
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