新型コロナウイルスの感染予防対策として発せられた、全国一律の休校要請が、安倍首相の独断であったと批判の声が高まっています。これに対し、ときに戦争よりも恐ろしい感染症に対し、法整備が間に合わないときには、首相が決断して然るべきと主張するのは、メルマガ『NEWSを疑え!』を主宰する軍事アナリストで危機管理の専門家でもある小川和久さんです。小川さんは、「独断」との批判が出るのは、日本人が危機に鈍感で「当事者意識が欠如」しているからだと、厳しく指摘しています。
決断するのは首相だ、専門家ではない
国会論戦やマスコミ報道、TwitterやFacebookなどSNSの投稿を眺めていると、つくづく日本人には危機についてのDNA的な欠陥があると思わざるを得なくなります。緊急事態ということについてまるっきり当事者意識がないからです。
安倍首相の全校休校の決定にしても、それが発令された直後の段階で科学的根拠を求めるなど、愚かな質問が国会で行われたりします。そして、専門家の意見をもとに決定したのではないと首相が正直に答弁すると、またまた非難の嵐です。それをマスコミが大きく書き立て、世論が安倍批判の方向に動いていきます。
しかし、よく考えて欲しい。安倍首相にしても、専門家の意見をないがしろにしているわけではないのです。それでも、批判を覚悟で全校休校という決断をしなければならなかった。それは、大抵の場合、専門家の議論が時間を必要とし、テーマによってはまとまらず、両論併記のようなことになる恐れすらあるからです。
その一方で、新型肺炎の感染範囲は拡大を続けています。一定の感染防止効果があると考えれば、そして、その一つが全校休校ではないかと頭に浮かべば、専門家でなくとも手を打つのは当たり前ではないでしょうか。そこから生まれる様々な国民生活の支障や副作用的な問題については、それこそ政府を挙げて手を打ち、全校休校の期間が終了するのを待たなくても、さらに効果的な対策が出てくれば、それを実行に移す。それが政治のリーダーシップということでしょう。
前にも編集後記で書きましたが、安倍首相の独断だという見出しが新聞に躍っています。安倍首相と今井首相補佐官(首相秘書官兼務)の2人だけの考えによって、萩生田文部科学大臣の意向さえ無視するような決定が行われたという内幕話も報じられています。
この場合は独断でよいのです。萩生田文部科学大臣は、学校現場の混乱や保護者の反発をだけを気にする文部科学省の官僚の考えに従って、全校休校などの首相の考えに否定的だっただけです。文部科学大臣の意向をもとに首相が逡巡すれば、いたずらに時間が経過し、感染は拡大します。独断の誹りは甘んじて受けつつ、ましな方向に動かしていくのは、首相の立場に立てば当然のことではないでしょうか。
私が、新型肺炎について武力攻撃を受けたのと同じ有事として対処すべきだとSNSに投稿したところ、「戦争も法律に則ってあるものでないか」とか、「法律を整えてから動くべきではないか」とか、「戦争と感染症を混同すべきではない」とか、色々な意見がSNSで飛び交いました。困ったことです。
日本全土が奇襲攻撃にさらされ、国民全員が最前線に立たされているのと同じ危機的状況にあるというのに、「法律に則って」とは何を考えているのでしょうか。よって立つべき法律が整備されていればよいのですが、それがないときは超法規的措置によって国民の安全を図り、その超法規状態を極力短期間に終わらせるために、国会が与野党を挙げて必要な法制度を整える、それが緊急事態における議会制民主主義というものです。これまでの特措法にも、恣意的に使わないよう歯止めをかけてあります。
戦争と感染症を混同すべきでない。そうかもしれません。戦争より感染症のほうが恐ろしい場合があるからです。そうであれば、なおさら感染症対策に危機感を持って向き合うべきではないでしょうか。
安倍首相を擁護するものではありませんが、必要な手を打っていることは認めるべきでしょう。初動の遅れやクルーズ客船の扱いなどについての批判は大いに行われるべきですが、それこそ専門家によって検証を同時進行で進め、今後の感染症対策に取り入れていってもらいたいものです。
当事者意識を欠いているのは、匿名をよいことにSNSで無責任な発言を吐き散らす人々ばかりでなく、国会議員やマスコミも同じであることを、政治家、ジャーナリストに自覚してもらいたいと思います。(小川和久)
image by: 首相官邸HP