菅首相の総裁選不出馬表明を受け、自民党とメディアは蜂の巣をつついたような大騒ぎ。「コロナ対策に専念」する菅首相の動向など気にも留めなくなっているようです。メルマガ『8人ばなし』著者の山崎勝義さんは、政局が大嫌いだからこそ気づいたこととして、不出馬表明時の小泉環境大臣の暗躍の気持ち悪さを記した上で、次を諦めた政治家ほど恐ろしいものはないと警戒。ワクチン抗力の高さが指摘されるミュー株出現にも関わらず、やる気をなくした菅首相が経団連の提言そのままにアクセルを踏む可能性があると不安を表明しています。
政局のこと
菅政権が終わる。最後の最後まで何がしたいのか、何が言いたいのか良く分からない総理であったが、ここに来て終わるということだけは確かなようで、幸か不幸か、この決意に関してははっきりと全国民にそれが伝わった。表向きには、コロナ対策だけでも莫大なエネルギーを必要とするため、自民党総裁選挙との同時進行は不可能と判断したということであるが、誰がどう見ても不戦敗の類である。負けた側に対しての感想なので当然と言えば当然だが、まったく惨めなものである。
自分は個人的に政局というものが大嫌いである。それは政治家の最もいやしい部分が最もいやらしく出て来る局面だからである。もちろんこのパワーゲームこそ永田町の醍醐味という向きも多かろう。実際、政治部の記者はここからが腕の見せ所でもあろう。逆説的に言えば、好き嫌いのうち、嫌いに関してはよく分かる局面ということでもある。
今回、まず目についたのが小泉進次郎環境相の暗躍である。首相との会談後、官邸での囲み取材の時「息子ほども年の離れた…(中略)…感謝しかない」と、時折涙声になりながら話していたのが印象的であったが、冷静になってよくよく考えてみるとそんな大恩人に詰め腹を迫って来たということを如何にも忠義者の美談のように話しているのがどうにも気持ち悪かった。
政界のプリンスに対してそれは言い過ぎだと言うなら、違和感を覚えたくらいにトーンダウンしても構わない。プリンスついでに言うけれども進次郎氏は並の政治家血統ではない。遡れば5代も続く政治家一族の出である。しかも環境相たる本人も含め、その5人ともがすべて閣僚経験者である。世襲もここまで来るとちょっと恐ろしい。
それにしても菅内閣の閣内にいながら、それも環境相という大役を任されておきながら、その最高責任者である内閣総理大臣に対して、極端な言い方にはなるが退陣を要求した訳である。やはりおかしくはないだろうか。というのも、この約1年間に及ぶ失策は菅内閣の失策であり、閣僚のうち何人もこの責任から逃れることはできない筈だからだ。百歩譲って国民のための進言と解釈してみても「それならもっと早く言えよ」ということになるし、党のためというなら出馬表明の前に言うべきだろう。
いずれにしろ非世襲の総理が、同じ閣内の世襲の若手筆頭の大臣に引導を渡される様は見ていてあまり気分のいいものではなかった。
それに総理の発言をそのままに受け取ると、総裁選を諦める代わりにコロナ対策に100%の力を傾けるということになる。こんな剣呑なことはない。次を諦めた政治家ほど恐ろしいものはないからだ。
そもそも総理会見の場に、分科会会長を同席させるような人である。己の言葉、現代風に言えば発信力に自信のない証左である。総理会見の場と言えば少なくとも政治家にとっては最も格調高い空間である筈だ。日の丸を背に五七の桐を前に立つ人は、それだけで特別なのである。
それを台無しにした張本人の口から今後どういう言葉が語られるか、我々国民は油断することなく耳を傾けなければならない。現総理は、アクセルは踏むがブレーキングがとにかくダメな人である。経団連の提言が翌日にはそのまま政策に、といった事態もあり得ぬ話ではない。
ミュー株の出現によりギリシャ文字も12番目まで進んだ。国内においても空港検疫で発見されているこの変異株について先行研究ではそのワクチン抗力の高さが指摘されている。戦いはいつ振り出しに戻っても不思議ではないのである。然るに、行政府はレイムダック状態、立法府は閉会中。これが有事における我が国の陣構えかと思うとやはり不安を覚えざるを得ない。このように感じるのは、きっと自分だけではない筈である。
image by: 首相官邸