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クレムリンで繰り広げられる熾烈な勢力争いに決着か。反逆を恐れたプーチンが降格させた「ロシア実質ナンバー2の権力者」

3月17日に行われたロシア大統領選で、過去最高となる87%の得票率で圧勝したプーチン氏。5月14日に発表された通算5期目の高官人事ではショイグ国防相の退任が明らかとなり、我が国でも大きく報じられました。しかし、この人事最大の衝撃は「ショイグ退任」ではないとするのは、国際関係ジャーナリストの北野幸伯さん。北野さんは自身の無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』で今回、安全保障理事会書記のニコライ・パトルシェフ氏が降格となったことこそが注目すべき最大のポイントだと断言し、その理由を詳細に解説しています。

※本記事のタイトルはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:プーチン人事、本当の衝撃は?

プーチン人事、本当の衝撃は?

今回は、まさに「ロシア政治経済ジャーナル」といった内容です。プーチン人事の衝撃について。

2024年3月、プーチンは、大統領選に勝利しました。2024年5月7日、大統領就任式が行われ、プーチン【 5期目 】がスタートしました。そして、現在人事が行われています。

日本の報道で一番騒がれているのは、ショイグ国防相が交代したことでしょう。ショイグは、プーチンの側近中の側近で、2012年から2024年まで12年間国防相を務めました。

なぜ彼は解任されたのか?二つの理由が語られています。

一つは、ショイグ国防相の右腕だった国防次官が4月、収賄容疑で逮捕されたこと。『NHK NEWS WEB』4月24日付。

ロシアでは、ショイグ国防相の側近でもある国防次官が収賄の疑いで逮捕されました。プーチン政権は、ウクライナ侵攻が長期化する中、国防省の綱紀粛正を図ろうとしているとみられます。

 

ロシアで重大事件を扱う連邦捜査委員会は23日夜、ロシア国防省のイワノフ国防次官を収賄の疑いで拘束したと発表し、モスクワの裁判所は24日、イワノフ氏は逮捕されたと明らかにしました。

二つ目の理由は、ショイグが「ウクライナ戦争に勝てない国防相だから」です。

わりと広く知られていることですが、ショイグは「軍人出身の国防相」ではありません。彼は、クラスノヤルスク工業大学を卒業し、専門は「建築学」です。

ショイグは1994年、エリツィン大統領から「非常事態相」に任命されました。「自然災害があった時に、ショイグが助けに来てくれる!」と人気者になっていきます。

政治的野心が薄い人と思われ、大統領がエリツィンからプーチンに代わっても、非常事態相のポジションにとどまりました。彼は、1994年から2012年まで、18年間このポストにありました。

2012年、国防大臣に就任。ショイグは軍事の素人である。それで、国民の支持は高くても、軍人は彼を支持しませんでした。それでも、大きな戦争が起こらなかったので、それほど問題にはなりませんでした。

プーチンは、ショイグが2012年に国防相に就任して以降、「シリア内戦介入」「クリミア併合」「ウクライナ内戦介入」「ISとの戦い」など、戦争を続けていきます。しかし、どれも「大きな戦争」とは言えず、ショイグの「素人さ」が目立つことはなかったのです。

ショイグの「素人さ」が目立つようになったのは、やはり2022年2月にウクライナ戦争がはじまってからです。当時国営メディアは、「3日でキエフを落とせる」などとはしゃいでいましたが、実際は2年経っても戦争の終わりは見えません。それで、プーチンは、「軍事の素人」ショイグを交代させたのでしょう。

ちなみにプーチンは、独裁者ですが、「実力主義者」「成果主義者」ではありません。彼には、「実力」「成果」以上に、重要視しているファクターがあるのです。

それは、「忠誠心」です。忠誠心さえあれば、どんなに失敗しても、どんなに無能でも、悪いようにはしません。

ちなみに国防相を解任されたショイグは、「安全保障理事会書記」という重要なポジションにつきました。その意味については、後述します。

さて、ショイグに代わって国防相に任命されたのは、アンドレイ・ベロウソフです。ベロウソフも、軍人ではありません。経済学者です。

彼は1981年、モスクワ大学経済学部を卒業しました。2012年に経済開発大臣に就任。2013年、経済政策担当大統領補佐官。2020年、第一副首相。2024年、国防相に就任。

なぜ、経済の専門家が、国防相に任命されたのでしょうか?

国防次官が逮捕されていることからもわかるように、「国防省の汚職がすごい!」と言われています。プーチンは、ベロウソフを国防相にすることで、資金の流れを把握し、汚職を一掃し、ロシアが長期戦に耐えられるようにしたいのでしょう。

ショイグ国防相が辞めさせられて、経済学者のベロウソフが代わった。日本では、このことばかりが報道されています。しかし、プーチン人事最大の衝撃は、「ショイグ交代」ではありません。最大の衝撃は、安全保障理事会書記のニコライ・パトルシェフが首になったことです。

彼は、「大統領補佐官」に任命されました。安全保障会議書記の後任は、既述のようにショイグ国防相です。なぜ、これが「最大の衝撃」なのでしょうか?

クレムリン、今の権力争い

クレムリンでは今、二つの勢力が争っています。すなわち、「パトルシェフ派」と「チェメゾフ派」です。

チェメゾフとは誰でしょうか?

プーチンと同じ1952年生まれ。元KGBのエージェントで1980年から8年間、東ドイツのドレスデンに赴任していました。プーチンは1985年から1990年までドレスデンにいた。ここで、チェメゾフとプーチンは、親友になったのでした。

2007年、チェメゾフは、国営軍事会社ロステックのCEOに就任。今もその地位にあります。

もう一人のパトルシェフは、誰でしょうか?

彼は1951年、レニングラードに生まれました。プーチンと同郷で、1歳年上です。レニングラード造船大学卒業後、KGBに入りました。

1999年、FSB長官だったプーチンが首相に任命されます。パトルシェフは、プーチンの後任としてFSBの長官に就任しました。2008年、パトルシェフは安全保障会議書記に就任しました。以後、2024年まで16年間この地位にありました。

「チェメゾフ派」と「パトルシェフ派」の権力争い。どちらが優勢なのでしょうか?今回の人事で、「チェメゾフ派が優勢」であることがはっきりしました。

ちなみにパトルシェフは、息子のドミトリー農業大臣を首相にしたかった。今回の人事で、ドミトリーは、副首相に任命されました。それでも、パトルシェフの勝利とは言えません。

パトルシェフは少し前まで、「ロシアの実質ナンバー2の権力者」と思われていました。FSB長官、安全保障会議書記の彼は、「ロシアの全諜報機関を操ることができる」と言われていた。

ところが今回、プーチンはパトルシェフを解任し、「大統領補佐官」にしました。これは、明らかに「なんの権限も権力もないポスト」です。パトルシェフの諜報機関に対する影響力は、ほとんどなくなるでしょう。

なぜ、プーチンは、盟友パトルシェフから権力を奪ったのでしょうか?

「反逆を恐れた」のでしょう。

ロシアの中で、プーチンを失脚させることのできるリアルな力を持っていたのは、パトルシェフだけだからです。

ちなみに、パトルシェフがいなくなり、ショイグがトップになった安全保障会議は、「ただのお飾り」になるでしょう。

では、勝利したチェメゾフは、どうしたいのでしょうか?彼がコントロールしているのが、再任したミシュスティン首相です。そして、中国も、ミシュスティンをプーチンの後継者と見ている。

今後、ロシアの中国属国化は、ますます進んでいきそうです。中ロの一体化を進めてしまったアメリカの政策は、明らかに失敗だったといえるでしょう。

「ロシアを引き込んで、米日ロで中国封じ込めを」

ミアシャイマー教授や世界一の戦略家ルトワックさんの提言を、アメリカ政府が無視しつづけた結果が現在の惨状です。

以上、久しぶりに「ロシア政治経済ジャーナル」っぽいお話でした。

(無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』2024年5月15日号より一部抜粋)

image by: Evgenii Sribnyi / Shutterstock.com

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【著者】 北野幸伯 【発行周期】 不定期

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