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ナチス・ドイツのロケット開発者は、なぜディズニーのTV番組に出たのか?

前回の記事でロケットの父であるフォン・ブラウンを紹介していた、時代小説の名手として知られ『歴史時代作家 早見俊の無料メルマガ」』の著者である作家の早見俊さん。今回は、そのブラウンがあのウォルト・ディズニーに協力したこともあったというエピソードを紹介。その目的とは?

ヒトラー支配下のドイツに生きたロケットの父フォン・ブラウン

ブラウンに限らずナチスに協力したとみなされた多くの学者、文化人が誹謗中傷されました。ヒトラー支配下のドイツに生きた者たちには避けられない事態ではありました。

ブラウン自身は、「宇宙に行くためなら悪魔に魂を売り渡してもいいと思った」と語っています。これは彼の本音でしょう。ロケット開発のできる環境があれば迷うことなくそこで働く、決して出世とかお金が欲しかったわけではないと想像できます。

ブラウンはアメリカ陸軍の弾道ミサイル開発に従事する一方、ロケットの平和利用を構想します。宇宙ステーションの構想です。この構想は彼の宇宙への夢と情熱を物語るものです。また、ブラウンは子供たちの宇宙への興味をかきたてるためにウオルト・ディズニーに協力します。

ディズニーはディズニーランド建設のための費用を稼ぐためにABCテレビで、「ディズニーランド」という番組を製作していました。デイズニーに誘われ、ブラウンは出演しました。この番組は子供向けに夢と魔法の国を構成する四つのテーマランド、すなわちアドベンチャーランド、フロンティアランド、フアンタジーランド、トゥモローランドについて語られた。

この内のトゥモローランドにブラウンは出演しました。ブラウンは子供たちに向かって宇宙旅行について解説をしました。自分が設計した四段式ロケットの模型を見せながら、熱っぽく宇宙への夢を語りました。ブラウンは言います。

十分なサポートと組織があれば、十年以内に有人ロケットが開発できる、まだ、人工衛星すら飛んでいない時代、ブラウンは真剣に宇宙ロケットについて語ったのです。

これを見た子供たちの中には将来科学者になって宇宙ロケットの開発に従事したい、あるいは宇宙飛行士になりたい、月や火星に旅行したいと夢見る子供たちも大勢出たことでしょう。宇宙などまさにデイズニー映画、漫画の世界だと思われていたのがブラウンによって現実となるのではと思わせたに違いありません。

こうして子供たちの宇宙への夢を喚起しつつも、ブラウンは陸軍弾道ミサイル局の開発オペレーション部長として西側諸国初の人工衛星エクスプローラ一号の打ち上げに成功しました。これが、アメリカにおける宇宙開発計画の出発となりました。1960年ブランはアメリカ航空宇宙局NASAが新設したマーシャル宇宙飛行センターを設立、初代センター長に就任します。

折しもアメリカは若きジョン・F・ケネディが大統領に就任、人類を月に送る計画が発足します。責任者となったブラウンは低軌道、月軌道飛行用有人打ち上げ機、サターンロケットの開発に従事します。サターンロケットは使い捨ての三段式液体燃料打ち上げロケットでした。のそして、1969年サターンVロケットで打ち上げたアポロ十一号が月面着陸に成功します。

ブラウンは夢に見た月ロケットを実現させたのです。彼が月ロケットについて語ったのは第二次世界大戦の最中でした。そう、V2号ロケットを開発している時です。熱を込めて月ロケットについて語り過ぎたため、国家非常時に不遜な言動だとゲシュタポに逮捕されてしまいました。

ゲシュタポに彼を釈放させたのはヒトラーです。ヒトラーは何もブラウンの月ロケットに興味をひかれたわけではなく、あくまで戦局挽回のための秘密兵器V2号へ期待したためです。

V2号ロケットがロンドンに着弾した時、ヒトラーは大いに喜びましたが、「ロケットは正確に動作したが、間違った惑星に着地した」とブラウンは複雑な心境を吐露しました。
「私は宇宙へ人間を飛ばすためなら、悪魔と手を握ってでも働き続けたと思う」この言葉がブラウンの人生を語っています。

image by: Shutterstock.com

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歴史、ミステリー四方山話、思いつくまま日本史、世界史、国内、海外のミステリーを語ります。また、自作の裏話なども披露致します。

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【著者】 早見俊 【発行周期】 週刊

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