戦争体験の風化が進み、先の大戦の「記憶」の継承すら困難となりつつある現代の日本。であるからこそ、国を率いる政治家が過去をどう捉え、いかなる言葉で未来へと伝えていくのかが重要な意味を持つとも言えるのではないでしょうか。今回のメルマガ『国家権力&メディア一刀両断』では元全国紙社会部記者の新 恭さんが、高市首相の全国戦没者追悼式における式辞と、これまでの発言を検証。さらに高市氏の靖国神社や教育勅語、憲法改正に対する姿勢を取り上げつつ、戦後日本が重ねてきた「反省」と平和主義の意味を問い直しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/原題:「戦争を繰り返させない」の真意は?高市首相の歴史認識と追悼式辞
消えた「反省」と「不戦の誓い」。高市首相の歴史認識と追悼式辞の真意
毎年8月15日の終戦記念日に行われる全国戦没者追悼式。戦没者の慰霊とともに平和を祈る式典かと思っていた。
ところが、高市首相は滔々とこんな式辞を読み上げた。
戦争の惨禍を、二度と繰り返させない。戦後81年がたちますが、歳月がいかに流れても、この決然たる誓いを、世代を超えて継承し、貫いてまいります。
奇妙な文章である。「戦争を繰り返させない」とは、誰に、どこの国に向かって言っているのか。日本が行った戦争なら、「繰り返さない」だろう。
高市首相は、先の大戦を「日本の自存自衛のための戦争だった」と発言してきた。欧米列強の植民地支配や、石油の全面禁輸などの経済封鎖(ABCD包囲網)によって生存を脅かされたため、やむを得ず立ち上がった。大戦当時の公式見解(天皇の詔書)、いわゆる「大東亜戦争」の目的論を正当化する立場だ。
つまり、日本は他国が仕掛けた戦争に巻き込まれたのであるから、戦争を「繰り返さない」ではなく、「繰り返させない」というのが、高市首相における“正解”なのであろう。
そうすると「この決然たる誓い」という言葉もまた、純粋な意味での「平和希求」とは異なる色彩を帯びてくる。他国が仕掛けてくる戦争を防ぐための“決然”なら、まさに高市氏がいまやろうとしている軍事力強化の方向と一致する。
新聞やテレビは、高市式辞に「反省」という言葉がなかったことを取り上げた。前首相の石破茂氏が「あの戦争の反省と教訓を、今改めて深く胸に刻まなければなりません」と式辞に「反省」を使っていたことと対比し、高市カラーが濃いことを強調した。
もともと戦死者を顕彰する性格が強かった戦没者追悼式の首相式辞は、1993年に細川護熙首相が初めてアジア諸国の犠牲者に触れて「哀悼の意」を示し、94年の村山富市首相が「深い反省」に言及したことから、時の総理の歴史認識を示す発言として注目を浴びてきた。
その後、自民党の歴代首相も「反省」「不戦の誓い」という言葉を使った。しかし、2013年の安倍晋三首相からそれらの語句を用いなくなり、菅義偉首相、岸田文雄首相も概ねそれにならったが、石破首相にいたって「反省」「不戦の誓い」が復活していた。
むろん、高市首相が「反省」を使わなかったことには全く意外性がない。「侵略戦争」ではない。だから反省する必要がない。この点で、高市首相の主張は一貫している。
「大義名分を掲げ無数の人命を犠牲にした」という事実
1994年10月、高市氏は衆院予算委員会で、当時の村山富市首相が同年8月に行った追悼式辞について質問した。
高市氏 「総理はさきの大戦への反省、侵略行為や植民地支配に触れ、私たちの過ちによって惨たんたる犠牲を強いられたアジアの隣人たちという言葉を使ったが、具体的にはどの行為を指して侵略行為と考えているのか」
村山首相が「日本の軍隊が中国本土や、南アジアの国に攻め込んでいった、それを指して侵略的な行為と申し上げている」と答えると、高市氏は「(あなたは)大戦当時、侵略行為への参加の自覚があったか」と切り返した。
「そういう教育を受けた。国のために一生懸命頑張ろうという気持ちで参加した」という村山首相に対して、高市氏は強い口調でこう述べた。
侵略行為への参加という自覚は持っていなかったということだが、50年前の政権の決定を断罪し、その決定による戦争を支えた納税者や、尊い命をささげた人々のしたことを過ちと決める権利が総理大臣にあるとお考えか。
勝手に代表して謝ってもらっちゃ困ると私は思う。
高市氏が何を言いたいのか、さぞかし村山首相は困惑したことだろう。そもそも、国家が起こした戦争の法的・歴史的な侵略性と、一兵士や個々の国民が抱いていた主観的な動機は次元が異なるのではないか。侵略行為は、個々の兵士が自覚していなかったことによって免責されるものではないはずだ。
たしかに、日中戦争や太平洋戦争をめぐる戦後の歴史観は、極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決や連合国側の認識に影響されていることは否定できない。それをもって、保守・右派層が「東京裁判史観」「自虐史観」と批判することも自由である。
戦争は、一方だけが加害者であるということはまずない。満州に進出した関東軍がいくつもの謀略的事件を起こし、満州国を建国したのは、もとをただせば南下をうかがうロシアの脅威があったからだ。真珠湾攻撃も、石油の全面禁輸で追いつめられ、日米交渉で打開をはかったが、「ハルノート」により決裂したためだった。日本側の見方とすれば、そういうことになる。
しかし、「統帥権」という“魔法の杖”で軍部が暴走、国を守るため、あるいは欧米列強の植民地となってきたアジア諸国を解放するためというような大義名分を掲げて大陸に兵を派遣し、米国と戦うため太平洋の島々に軍事拠点をつくって、無数の人命を犠牲にしたことも事実だ。
戦後の日本人は、それを「侵略」と呼ばれるのを受け入れ、「反省」することにより、再び軍事国家となる道を閉ざし、平和と経済を重んじる社会をつくってきたのではないだろうか。過去の歴史を誇るのもいいが、人も国家も、「反省」がなければ、進歩もありえない。「謝罪外交」をせよというのではなく、これからも平和国家を続けていくための心構えとして、戦争への「反省」が欠かせないと思うのだ。
高市首相に今一度かみしめてほしい日本国憲法の貴重さ
この日、高市首相は靖国神社への参拝を見送った。むろん、台湾をめぐる“存立危機事態”発言につむじを曲げたままの中国政府をこれ以上、刺激しないためである。だが、追悼式典会場の日本武道館に到着し、車を降りるさい、靖国神社の方角に向かって「遥拝」した。これまで「総理になっても参拝する」と言い続けてきただけに、保守層向けに、参拝見送りの“埋め合わせ”をしたかったのだろう。
天照大神を祖神とする天皇が、天皇のために戦って亡くなった人々を神として靖国に祀る。つまり、天皇のために、お国のために、命をささげた者は、靖国で神になれるという伝説を、明治政府はつくりあげた。裏を返せば、戦意高揚、戦争協力の仕組みだ。
高市首相は子供のころから、教育勅語を唱和する家庭環境で育ち、「(勅語は)子供も大人も心を合わせて道徳を実践する空気を醸成した」「現代においても尊重すべき正しい価値観だ」と主張している。だが、靖国神社にしても教育勅語にしても、天皇を中心として社会全体をまとめようとする戦前の国家主義的な政治イデオロギーの精神的支柱となっていたのは確かである。
国家の犠牲になって亡くなった数知れぬ人々のために祈りをささげたいという心は尊いし、大切なことだ。しかし、1978年以降、天皇が参拝を取りやめているのは、いわゆるA級戦犯が合祀されたからであり、戦争への深い「反省」をにじませるそのお気持ちも重んじるべきであろう。
高市首相は自衛隊明記や緊急事態条項など4項目を中心とする憲法改正をめざし、党大会などで「時は来た」と発言、「2027年春には改正発議のめどを立てたい」と強い意欲を示している。だが、たとえ80年以上昔のことであっても、一国の宰相として過去の戦争を「反省」するべきではないと主張する人物に、憲法改正を主導してもらいたくないのも正直なところだ。
戦後の民主主義や平和主義の問題点を見つけ出し、「権利偏重」だの「お花畑」だのと鬼の首を取ったかのようにはやし立てる人々がいる。どんな社会にも矛盾はある。だが、戦前の軍国主義、国家主義、全体主義よりはずっとましだということも考えておかねば、重要な価値観を見失うだろう。
戦時中の悲惨さや苦難を身をもって知っている世代は年々少なくなっている。「戦争体験の風化」という言葉も、今では当たり前すぎて死語になりつつある。この国にとって、戦争の記憶と深い反省こそが、平和の礎だった。それが失われつつあるこの時代、せめて国のリーダーには、戦争をしないと宣言している憲法の貴重さを、今一度かみしめてほしいものだ。
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