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【追悼・今井雅之氏】かつてNYでの舞台公演に共に挑んだ後輩が明かした、末期がん公表前日の本気

今年5月28日、ガンとの壮絶な闘いの末、多くの人に惜しまれつつ亡くなられた俳優の今井雅之さん。その今井さんのライフワークともいうべき舞台「THE WINDS OF GOD」の公演(98年・99年)で計3ヶ月間に亘ってNYオフ・ブロードウェイに共にキャストとして挑み、現在はハリウッド俳優として映画「ラストサムライ」「硫黄島からの手紙」や数々の海外ドラマにも出演している尾崎英二郎さんが、『ハリウッドで俳優として生きる!尾崎英二郎の「夢」を掴むプロセス』の中で、今井さんとの濃密な時間を語っています。

今回は、「ひとりでも多くの方々に、今井さんの俳優人生の、最後の渾身の闘いを知って頂きたい」という思いから、本まぐまぐニュースに全文を掲載し、広くご紹介させていただく運びとなりました。

今井雅之さんから教えてもらった、比類なき「熱」

今井雅之さんが、逝ってしまいました。

あまりにも早く。

54才でした。

もう少し長く、生きていてくれると思っていました。映画を撮りたいと言っていた秋まで…、いや、5月31日の沖縄公演の日までは…。

しかし、闘病中の今井さんの姿を見ると、もう本当にギリギリのところ、限界の状態で辛抱していたのだと思います。

今井さんの周囲の方々の言葉によれば、この1ヶ月間も、生きてられたことが「奇跡」だったと。

1ヶ月前の4月29日。僕は、東京都三鷹市の某稽古場に向かっていました。

舞台「THE WINDS OF GOD」の陣中見舞い、というのが理由ですが、今井さんに会うために、急遽、帰国したのです。

この日は、おそらく皆さんがテレビでご覧になった、今井さんの「末期がん公表会見」の前日でした。

渾身の会見でした。降板の悔しさが滲む、辛さが胸に突き刺さるほどに伝わる、しかししっかりと責任を果たそうという、渾身の会見でした。

今井さんは冒頭、会見の席に歩み出る際、律儀に立礼をしましたが、本当は、もう立てないほどの状態だったのです。

声も、しっかりと出し、モルヒネの痛み止めを射ちながらも、言葉も明瞭でした。

プロの意地と、責任と、誠意に溢れた、すべてを振り絞る会見だったことは、皆さんにも伝わったはずです。

前日の三鷹市の、最後の通し稽古リハーサルでは、ほとんど声を出すのは抑え、静かに俳優たちを見つめていました。

声を出すのも大変なほど、ガンとの闘い、で体力を奪われていたのです。抗がん剤による治療は、睡眠と食欲を奪ってしまっていたそうです。

かつての想い出の中にある、あの強靭で、ごつい、力強い肉体と声量と迫力の今井さんとは見紛うほどに痩せ細っていました。

それでも、会見で語っていたように、ガンを克服し、身体を良くして、俳優業を続けていく、という決意は本物で、僕が少し早い時間に稽古場に到着した時には、他の俳優たち(出演キャスト)よりも早く、すでに今井さんは姿がありました。稽古場の端に置いてあった自転車を漕いでいたんです。

立っているのも辛いはずなのに、首からタオルをかけて。

本気でリハビリしていたんです、もう一度舞台に復帰するために。

本気」でした。

僕が今井さんにお会いするのは、実に、15年ぶりでした。

「THE WINDS OF GOD」の舞台(1999年)を去り、たしか翌年だったか、Vシネマの「餓狼の掟」という作品で共演させて頂いて以来でした。

それだけの時間が過ぎていました。

「今井さん、ロサンゼルスから戻ってきました。稽古と、初日の公演も見せて頂こうと思っています」

と伝えると、

「もっと元気な時に会いたかったよ…」

と、おっしゃいました。声の細さにも、少し驚きました。

「これで99年のメンバーはみんな来たな…」(※ 99年は、NY公演に2ヶ月間挑んだ年)

「頑張ってくれよ、俺も頑張るよ」

と、続けて話してくれました。

この日はじっくり、奈良橋陽子さん(今井さんの演技の師であり、僕の師でもあります)と今井さんが2人で「THE WINDS OF GOD」の現メンバーの稽古の演出をされる姿を見学させて頂きました。

今井さんは、ほとんどの時間を静かに、あまり動かず、時折、痛さが伝わるような咳を堪えながら、稽古を見つめて座っていました。それでも、重要な局面では、しっかりと指示の声を俳優たちやスタッフさんらにかけながら、通し稽古を進めていきました。

稽古が始まる前には、偶然同日に訪問していた過去の出演メンバーの僕たち数人を、ひとりひとり、現・出演メンバーの皆さんに紹介までしてくれました。

今井さんの優しさと、現・メンバーたちの熱い空気と気迫、懐かしい俳優たちの再会の喜びが、稽古場に満ちていました。

>>次ページ 今井雅之さんがすべての日本人に遺した信念とは?

5月1日、東京、新国立劇場の公演初日

舞台の開演直前、暗転から、照明が灯され、明るくなると、舞台には今井さんの姿がありました。

大きな拍手が湧き起こりました。

舞台中央の小道具の椅子に座っていました。

舞台に立ちたいという思いが、伝わってくる光景です。

「今井さんっ!!」

という声が、何度となく場内からかかります。

今井さんは、しっかりと観客の皆さんにご挨拶されました。多くの方々が今井さんが降板した舞台を、それでも観に来て下さったことへ、心から感謝を込めて。ここでも今井さんは、渾身の力で声を上げ、マイクで思いを語ってくれました。そして、きっと舞台に復帰する!! と、決意を新たにしたのです。

ガンはステージ4。体内の臓器のあちこちに、病魔は転移し、医師は「ここまでに至るのに10年はかかったはず…」と言ったそうです。

常人ではありえない忍耐力、執念、体力、と気概の強さで、ここまでキャリアを突き進んできた今井さんを知る者は、「ひょっとして、もしかしたら、末期ガンをも克服する奇跡を起こすのではないか…」と感じていました。本当に、それが可能な人なのではないかと。

でも、その強さがあったからこそ、きっとこの10年、そしてこの1ヶ月を、一歩も立ち止まらずに走って来れたのでしょう。

完全に、フルの100%、「精一杯!」生きて、生きて、生きてきたのだと、今、思います。

今井さんは、「」という言葉が誰よりも似合う人です。

それも、真っ赤に燃えるような「熱」。

1993年に、僕が生まれて初めて挑んだオーディションで出会い、今井さんと「THE WINDS OF GOD」という作品は、僕にとって、俳優キャリアのスタートと、初期の人脈のすべて、そして経験を与えてくれました。

もし、NYのオフ・ブロードウェイ公演で、現地の観客と批評家たちの目の前で演じるチャンスを頂くことがなかったら、その後の僕の、アメリカ業界への道のりは始まってもいなかったのかもしれません。

「THE WINDS OF GOD」という舞台は、まぎれもなく、僕にとって「教科書」、そして、「青春」です。

そこから僕は、演技と、日本にとって重要な(戦争の)歴史の1ページと、のちの生き様にも通ずる、「やりたいと思うことに、全力で、本気で、挑んでみる!」という在り方を学んだと思います。

今井さんは、最後まで、本当に最後の瞬間まで生きて闘う自身の姿で、僕のような俳優にだけではなく、社会の皆さんに、演劇や映画ファンの皆さんに、「夢」を持つことの大切さをおしえてくれたのではないでしょうか。

27年間、彼がライフワークとして続けた「THE WINDS OF GOD」は、きっと誰かが引き継いでいくことでしょう。

俳優なら、一度見たら、誰もが

「自分も演じてみたい!」

と思える作品ですから。

そして、今井さんが伝えた「熱」を、彼といっしょに演じた僕らは、きっと無意識でも、引き継いでいくと思います。

そういう財産を、今井雅之さんという先輩は、僕らの胸に遺して、先に、走っていってしまいました。

何倍もの速さと、何倍ものエネルギーで。

image by:shutterstock , Amazon

『ハリウッドで俳優として生きる! 尾崎英二郎の「夢」を掴むプロセス』 より一部抜粋

著者/尾崎英二郎(俳優)
アメリカの映画・TV業界で活躍、出演作に「ラストサムライ」「硫黄島からの手紙」などがある。メルマガには、やりたいことを志す人、進路に迷う人、仕事に活路を見出したい人全ての方々へのヒントが満載。
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