親日感情が高いことで知られる台湾。統治時代に日本があらゆる「先進的なシステム」をもたらしたためとも言われていますが、当時を知る由もない若者たちまでもが日本に対して好感情を持つのはなぜなのでしょうか。台湾出身の評論家・黄文雄さんは、メルマガ『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』の中でこの現象を分析しています。
【台湾】日本懐古ブームに見る台湾の「戦後からの脱却」
● 一体なぜ?台湾で日本の統治時代を「懐古」する映画が続々登場【懐日映画】
台湾のドキュメンタリー映画『湾生回家』が東京で上映されています。台湾では、ドキュメンタリー映画にしては異例のヒット作となり、金馬奨にノミネートされるなど話題を呼びました。
注目すべきは、この映画の支持層が若者だということです。日本統治時代を描いた台湾映画は、近年何かと話題になっています。その発端は、2009年に日本でも公開された『海角七号~君思う国境の南~』でした。この映画は、台湾で大ヒットし、当時の台湾では『タイタニック』に次ぐ人気映画としてランクインされたほどです。
その後も、『海角七号』の監督による霧社事件を描いた『セデック・バレ』、戦前に甲子園に準優勝した台湾の野球チームを描いた『KANO 1931 海の向こうの甲子園』、日本統治時代にタイムスリップした大学生を描いたコメディ映画『大稲埕』などが次々と公開されました。
● KANO 1931 海の向こうの甲子園
● 台湾シネマ・コレクション
これらの映画で注目を浴びた俳優は女優もいました。『海角七号』では、台湾で活躍する日本人女優の田中千絵が、この映画をきっかけとして中華圏で名を馳せました。『KANO』は、日本側の俳優陣も豪華に揃え、永瀬正敏や大沢たかお、坂井真紀などが出演しています。
なぜ、日本統治時代を描いた映画が続けて台湾でヒットするのか。そして、これらのヒット作を支えているのは、なぜ日本統治時代を知らない若者たちなのか。答えは簡単です。
台湾人は蔡政権を迎えて、アイデンティティーの見直しを迫られました。自分たちは中国人なのか台湾人なのか。「92共識」を受け入れていない蔡政権を支持すべきかどうか。その答えを探すためには、日本統治時代は避けて通れない道だったのです。
私もこれまで多くの著書で述べてきましたが、日本統治時代、日本は数え切れないほどの恩恵を台湾にもたらしました。それは、いわゆる植民地統治とは一線を画すものです。
メルマガの読者の皆様には、今更言うまでもありませんが、日本は台湾に教育、衛生、医療、インフラなど、近代社会として不可欠なものをすべて揃えました。その中で、台湾人と日本人との素晴らしい交流も数知れず生まれました。
日本時代を消極的に評価する人は、日本が去った後に来た国民党があまりにひどい統治をしたから、日本統治時代が美化されていると言いますが、それは違います。日本は台湾を植民地としてではなく、内地同様に扱い統治したのです。
そして今回、当時を知る生き証人たちにスポットが当てられたのが『湾生回家』でした。台湾生まれの日本人が、終戦とともに日本に引き揚げたけれど、故郷は台湾との思いを持っている人々。離れ離れになった台湾の友人をいつまでも気にかけていた台湾生まれの日本人たち。そうした人々にスポットを当てて、彼らの交流と人生に思いを馳せる映画。
その映画を、台湾の若者が見て、彼らは日本統治時代へと思いを馳せるというわけです。湾生たちが高齢ながらも、自らの体験を語れる今のうちに、こうした映画が登場したことは本当にいいことだと思います。歴史的な証言として、後世に残すことができます。
こうした歴史を再検証するムードは大歓迎です。台湾人は、台湾の歴史を再認識して自信を持って「台湾人」を名乗って頂きたい。そうすれば、その後の選択も自ずと決まってくるからです。
私は11月1日から5日まで、ロスアンゼルスの日本人会と二つの台湾人会で「蔡英文政権と日米中関係」をテーマに講演をしました。その際、『湾生回家』を見たという方がとても多かったのが印象的でした。
かつて、私は台湾で『海角七号』をはじめとするヒット作を手掛けた魏徳聖監督兼プロデューサーを訪ね、ヒット作の製作過程について聞いたことがあります。『セデック・バレ』の製作費用の捻出に苦しんだけれど、企業界で資金援助を得ることができたとの苦労話も聞きました。
1903年、第19回帝国会議での桂太郎の発言をめぐって、第21回、第22回の帝国議会で、台湾は植民地かどうかの大論争が起こりました。議論は帝国議会の枠を越え、あらゆる分野に波及し、憲法論争にまで発展したのです。
「法的」な見解としては、台湾は「臨時立法」の時限法としての「六三法」において、台湾の第8代総督であった田健治郎は「植民地」であることを否定しました。第18代総督の長谷川清海軍大将は、帝国議会の衆議院選挙を台湾でも開催することを予定し、台湾の内地化を促進しようとしていました。1945年、第19代総督の安藤利吉の代で終戦を迎え、その後の中国軍の進駐で台湾の日本時代は終わったのです。
そして、今なぜ「懐日」「慕日」映画がヒットしているのかということですが、台湾の50年に及ぶ日本統治時代は、日本時代を知らない若者層にとっても「よき時代」というイメージが強いからです。
戦後の日本は、戦前の「大日本帝国」を教育やマスメディアが率先して悪魔のように扱ってきたため、極悪非道なイメージが作られてしまいましたが、台湾では「明るい」イメージが強く残っています。
もちろん台湾でも国民党独裁時代は、日本時代を「非道」とする教育がなされてきました。しかし、日本時代を経験した人々から下の世代へと「真実」が受け継がれ、台湾人の日本に対する親愛の情が醸成されたのです。
台湾で日本時代が「昔は良かった」と憧れを持って言われることについては、政治的な解釈よりも台湾人の「日常生活」に視点を移すことで理解できるのです。
日本でもいま、憲法論議をはじめとして「戦後からの脱却」が重要なテーマとなっていますが、台湾でも蔡英文政権のもとで、戦後の国民党支配からの脱却、そして「ひとつの中国」からの脱却が進んでいるのです。
image by: Takkystock
『黄文雄の「日本人に教えたい本当の歴史、中国・韓国の真実」』より一部抜粋
著者/黄文雄
台湾出身の評論家・黄文雄が、歪められた日本の歴史を正し、中国・韓国・台湾などアジアの最新情報を解説。歴史を見る目が変われば、いま日本周辺で何が起きているかがわかる!
<<無料サンプルはこちら>>