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「稲田切り」だけでは済まぬ。改めて露呈した安倍官邸の隠蔽体質

南スーダンのPKO日報隠蔽問題を受け、責任を取る形で辞任した稲田朋美前防衛大臣。メルマガ『国家権力&メディア一刀両断』の著者・新 恭さんは、本騒動の経緯を説明し「お粗末な防衛大臣であったことは間違いない」と総括する一方で、「日報の隠蔽問題は別の問題である」と断言しています。新さんは、問題の本質は安倍官邸の隠蔽体質にあると指摘。稲田氏の辞任くらいで安倍首相の任命責任を逃れられるわけではないと厳しく批判しています。

防衛省混乱の元凶は安倍官邸

防衛省内部から漏れ聞くところ、稲田朋美氏がお粗末な防衛大臣であったことは間違いない。なにより人心掌握ができていなかった。「姫」と呼ばれるほど、わがままで、自己中心的。この大臣のためなら、という気分にはならない。

だが、そんな個人的資質と情報の隠ぺいとは、全く別の問題ではないか。安倍官邸の意向を官僚や大臣が忖度したり斟酌して行政が歪んでいくという構図は、防衛省、自衛隊とて同じだろう。

南スーダンに派遣された自衛隊が日々の出来事などを記録した日報。これは、ありのままを書かなければ意味がない。活動の重要な参考情報であり、隊員の訓練のテキストを作成するさいの基礎的な資料ともなるからだ。

昨年7月、南スーダンの首都ジュバで150人以上が死亡する激しい戦いがあった。リエク・マチャル副大統領とサルバ・キール大統領のそれぞれの武装勢力が全面的に交戦したのだ。そのころの状況が日報に「戦闘」と正直な表現で記録されているのは当然のことである。

PKOに自衛隊が参加するには、五つの原則を守らなければならない。そのうちの一つが「紛争当事者の間で停戦合意が成立していること」だ。憲法で戦争を放棄しているため、自衛隊は「非戦闘地域」でしか行動できない。

「戦闘」の状況が記された日報は、自衛隊がPKO法にも憲法にも反してジュバに駐在していることを示していた。

本来なら、「戦闘」を確認した時点でPKOに基づいて部隊を撤収しなければならない。それをしなかった理由は、安倍官邸から許可、あるいは指示がなかったからだろう。

この日報が世に知れるきっかけをつくったのは、ジャーナリスト、布施祐仁氏だった。昨年10月3日、布施氏は7月7日~12日の日報を開示するよう防衛省に請求した。

しかし12月2日、防衛省から布施氏に届いたのは「不開示決定通知書」だった。

本件開示請求に係る行政文書について存否を確認した結果、既に廃棄しており、保有していなかったことから、文書不存在につき不開示としました

特別防衛監察の報告書によると、陸自の中央即応集団司令部が日報の開示に難色を示し、陸上幕僚監部から統合幕僚監部に不開示とする意見を上申、統幕は「意見なし」と回答し、不開示が決まったという。

文書が廃棄されて存在しないというのはもちろんウソである。「情報公開法違反につながり、自衛隊法違反に該当し、不適切」と 特別防衛監察の 報告書は指摘している。

PKO部隊の教育や指揮を行う中央即応集団司令部が何を気にしていたかというと、11月15日の閣議決定であろう。南スーダンに派遣する自衛隊の部隊に駆け付け警護の新任務を付与するというのが決定の内容だ。

11月30日には新任務を帯びた第11次隊が青森から出国することになっており、その前にジュバにおける「戦闘」の記された日報がマスコミに流れることを避けたいと考えたに違いない。もし情報を開示して、南スーダンへのPKO派遣が政治問題化すれば、安倍官邸からきつく叱られるのは確実だ。

12月2日の不開示までの経緯を稲田防衛相は知らなかったことになっているが、きわめて政治的な判断を迫られる問題を大臣に報告しないということがありうるだろうか。

その後、日報は奇妙な経過をたどって、陸自ではなく、統幕から開示されることになった。昨年12月10日、布施氏の以下のツイートをきっかけに、一転して日報開示への動きがはじまる。

今年7月に南スーダンのジュバで大規模戦闘が勃発した時の自衛隊の状況を知りたくて、当時の業務日誌を情報公開請求したら、すでに廃棄したから不存在だって…。まだ半年も経っていないのに。これ、公文書の扱い方あんまりだよ。検証できないじゃん。

このツイートが拡散され、ネット上で防衛省の対応に批判の声が湧き上がった。
12月12日に、自民党行政改革本部の河野太郎議員が、不開示の理由を説明するよう防衛省に要求すると、にわかに防衛省は慌てはじめた。

12月16日、稲田防衛大臣は統幕に日報を捜すよう指示。10日後には統幕内のコンピューターで日報のデータが見つかった。そのことが稲田大臣に報告されたのが1月27日とされているが、これも疑問だ。その間、何をしていたのか。

想像するに、河野議員らが問題視し、メディアも関心を持ちはじめたことから、稲田大臣はそれを逆手にとり、自分のリーダーシップによってようやく日報を発見したという手柄話にすり替えようとしたのではないだろうか。

最初から日報隠しの件を稲田大臣が知っていた疑いもぬぐいきれないのだ。危険が迫っているのを承知で、駆け付け警護を新任務とする部隊を派遣したのも官邸主導なら、今年4月になって突然、部隊の撤収を決めたのも官邸主導である。安倍首相の“秘蔵っ子”とさえ言われてきた稲田氏が、蚊帳の外に置かれていたとは信じがたい。

陸自にもあるのを隠し、統幕で保管されていたことにして2月7日に日報は公表されたが、翌2月8日の衆議院予算委員会で、さっそくこの問題が取り上げられた。

「日報について、これまで廃棄をしていたと説明してきたものが存在していたことが明らかになりました。なぜ、これまでないとしてきたものがあったのか。
情報公開法に対する違法行為であり、稲田大臣の責任は極めて重い」 (民進党、小山展弘議員)

日報の中身は驚くべきものだった。

宿営地周辺での流れ弾、突発的な戦闘への巻き込まれに注意が必要。砲迫含む激しい銃撃戦。ジュバでの衝突激化に伴う国連活動の停止…などとある。国連活動をストップせざるを得ないほどの戦闘が繰り広げられていたのだ。

昨年9月30日の衆院予算委員会において稲田大臣は、7月のジュバの状況をこう説明していた。

「国同士、国と国に準ずるものとの間の戦争があったということではない、戦闘行為というか、武力紛争があったということではないということです」

稲田大臣の「戦闘」ではなく、「武力衝突」だという、まやかしが始まっていた。同じ状況を表現する言葉として「戦闘」を使えば憲法に抵触する。「武力衝突」なら大丈夫。まさに、本質論とかけ離れた言葉の悪戯である。

公開された日報はその答弁の欺瞞性を暴きだしていた。現場の隊員たちは「戦闘」が行われていると認識していた。

しかし戦闘地域にPKO部隊を派遣している事実を知られてはまずい。陸自の中央即応集団司令部が「破棄して不存在」という理由のもとに日報の公開を拒否した理由はそこにある。

この判断が、安倍官邸の意思と無関係であるとは思えない。稲田大臣が知らないうちに、情報隠ぺい工作が勝手に行われていたと考えるのも不自然であろう。

3月15日にNHKがこれに関連する以下の報道をした。

南スーダンで大規模な武力衝突が起きた際のPKO部隊の日報について、防衛省は、陸上自衛隊が破棄し、その後、別の部署で見つかったと説明していますが、実際には陸上自衛隊が日報のデータを一貫して保管していたことが複数の防衛省幹部への取材でわかりました。

防衛官僚の反乱ともいわれるリークが始まったのだ。

3月16日の衆院安全保障委員会で、今井雅人議員(民進)は「稲田大臣はこれまでずっと、自分が指揮して、日報がないか調査しろ、調査しろと言ってきたと豪語されておられました。こういう事実は報告されなかったんですか」と質問した。

稲田大臣は一瞬言葉に詰まりながら答えた。「報告されなかったところでございます」。実に奇妙な言葉づかい。歯切れの悪さは隠しようがない。

7月19日には、稲田大臣が2月13日と同15日の2回にわたり、陸上自衛隊から、電子データを保管していたと報告を受けていたことが報じられた。

「今さら陸自にあったとは言えない」という判断を稲田大臣は了承し、その事実は伏せられた。今井議員への答弁は虚偽であった疑いが濃いということだ。

特別監察の報告書では、情報隠ぺいへの稲田大臣の関与について言及されているかどうかが注目された。2月15日について次のような記述がある。

平成29年2月15日の事務次官室での打合せ後に、事務次官、陸幕長、大臣官房長、統幕総括官が、防衛大臣に対し、陸自における日報の情報公開業務の流れ等について説明した際に、陸自における日報データの存在について何らかの発言があった可能性は否定できないものの、陸自における日報データの存在を示す書面を用いた報告がなされた事実や、非公表の了承を求める報告がなされた事実はなかった。また、防衛大臣により公表の是非に関する何らかの方針の決定や了承がなされた事実もなかった。

日報データが陸自に存在すると稲田大臣に口頭で報告された可能性は否定できないが、書面での報告ではなかったというのである。

これについて弁護士 で元自民党衆院議員、早川忠孝氏は自身のブログにこう書いている。

稲田さんがどんなに否定しても、陸上自衛隊が日報を保管していたことの報告は大臣にまで上がっていたことは確実で、ただそれが書面での報告ではなかった、というだけの話である。書面が残っていない場合は、聞かなかったことにする、という扱いにすることはしばしばあることで、稲田さんは如何にも弁護士らしい対処をしたということだろう。

弁護士で政務官をつとめたこともある早川氏だけに、「聞かなかったことにする」というテクニックの開陳には一定の説得力がある。

しかし、こうしたテクニックが「責任逃れ」に使われやすいのも確かだ。稲田氏の一連の発言からはそういうところも感じられる。

「聞いていない」「知らなかった」と、大臣としての責任を棚に上げ、「特別防衛監察で調べる」と、部下の責任を追及する。黒江事務次官と岡部俊哉陸上幕僚長を引責辞任させ、自らは「世間をお騒がせしていることについて、管理・監督者としての責任は免れない」との理由をあげて辞任した。

いちおう責任をとった形だが、あくまで「管理・監督者として」である。情報隠しについては、陸自のトップなり実務の統括者である事務次官に責任があるというスタンスだ。

週刊文春8月3日号「防衛官僚覆面座談会」で防衛官僚たちが稲田氏について語っている

官僚A:ごく近い側近の言う事しか聞かない感じはある。大臣レクも「少人数で来い」と言うのは人見知りな性格の現れ。そのレクでも、防衛実務小六法を秘書官に携帯させ、「法的根拠は何?」と細かく聞いてくるから、民事裁判の事前打ち合わせみたいな空気でゲンナリ。そりゃ徐々にモノも言えなくなるわな。

官僚B:防衛省が他の役所と違うのは、行政組織の「防衛省」に加え、運用組織の「自衛隊」の長でもあること。部下を信頼しないといけないし、物の言い方も含め、人の痛みをもう少し感じながら職務をこなす配慮がほしかった。

防衛大臣を辞任したにもかかわらず、稲田氏は解放された気分になっているかもしれない。 辞任直後の感想を記者に問われ、「空です」と答えたが、政治的野心を捨てた心境に達しているのだとしたら、一人の人間としてはある種の進歩だろう。

ただし責任は最後まで、まっとうしてもらわねばならない。大臣を辞めたからといって、免れるものではない

特別防衛監察をめぐる閉会中審査への出席を野党から求められているのに、もはや大臣ではないという理由で、これを拒否するのは、政治家のとるべき姿勢ではない。

疑惑の解明からとことん逃れ、ひたすらほとぼりがさめるのを待つという安倍政権流の危機回避法は、もはや通用しないのではないか。

image by:Drop of Light / Shutterstock.com

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