2005年、5つの町と村が合併して長野県中部に誕生した安曇野市ですが、「あづみの」なのか「あずみの」なのか、その「ひらがな表記」を巡っては、熱い議論が交わされていたようです。今回の無料メルマガ『安曇野(あづみの)通信』では著者のUNCLE TELLさんが、「づ」と「ず」に表記が別れた背景と、自身のメルマガタイトルに「あづみの」を採用した理由を紹介しています。
あずみのとあづみの
私のメールマガジン「安曇野通信」は括弧して(あづみの)としているので、あずみのじゃないのですかと質問を受けたことがある。安曇野の平仮名表記には確かにあずみのとあづみのの二つある。かって安曇野市が誕生した当時の安曇野の表記方法の住民アンケートでもあずみのとあづみのの両方出ていたようである。
「ず」と「づ」の使い分けについて、濁音を付けないで発音して音の響きも含めて本来の意味用法に近い、また沿う方を使うというようなことも学校で習った覚えもある。すなわちこれによれば、掴むの場合はツカムで鷲掴みと濁る場合でもワシヅカミ、数はスウで、人数と濁る場合もニンズウである。
それでは、安曇の場合はアスミか、アツミか、音の響きからいえばアツミの方が近い。安曇族など決して確定的なことではないのだが、それをとりまく歴史的なことからは、今日ではアツミの方が旗色がいいようだ。それ故か、公的な機関でもあづみのを使う方が多くなっている状況なので、私も、“あづみの”とした。
過去の覚えに、長野県の地方紙「信濃毎日新聞」2004.12.09版に、「あづみの?、あずみの?」と題して興味ある記事が載っていたとある。
安曇野地域合併協議会は12月14日に開く会合で、事務局が提案した新市の名称「安曇野市」の是非とともに。漢字の平仮名表記についても協議する。平仮名表記をめぐっては住民の間でも折りに触れて話題になるが、事務局は歴史的経緯などから「あづみの」を推している。
「安曇」の由来について事務局は合併協議会に提出した資料で、海の神を祭る北九州の有力豪族・安曇氏がこの地を開いた?―――とする説を紹介。さらに海の神を意味する「アマツミ」「ワタツミ」がなまって「アツミ」「アヅミ」になったとの見方を「づ」の根拠としている。
一方、事務局によると、「あずみの」説の根拠となるのは1946年の内閣告示による「現代仮名遣い」。旧仮名遣いの「づ」は原則として「ず」とするように定めている。ただ86年の「改定」で「歴史的仮名遣いが、わが国の歴史や文化に深いかかわりをもつものとして。尊重されるべきことは言うまでもない」とされており、事務局も「歴史を踏まえ、『づ』の表記が望ましいのではないないか」とする。
● 安曇野地域合併協 新市のひらがな表記、協議へ 「あづみの」か「あずみの」か
昭和40年代以来の安曇野ブームももちろんあるが、安曇野地域の穂高や豊科地区では、企業や店の名に「安曇野」を取り入れるところも多いが、平仮名表記ではインターネットを検索しても「づ」の方が多い。「づ」の例は、JAあづみ、あづみ野テレビ、あづみの森、信州あづみ野穂高温泉旅館組合、最近開園した国営公園も、国営アルプスあづみの公園、一方、「ず」ではあずみ野南安タクシー、ビラあずみの、あずみのライダーハウス、あずみ野花園、あずみ野の朝など。少し発行は古いが日本の二大地名辞典の角川版と平凡社版でも「あずみ・の」としている。また国語辞典類も「あずみの」としているものも多いようだ。
この年(04年)12月14日開かれた安曇野地域合併協議会第7回会議は、新市の名称を「安曇野市」に決定し、平仮名表記については、事務局提案どおり「あづみの」にすることに異論は出なかったと、新聞は伝えている。
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