時価総額世界一を誇っていたNTTを、入社わずか1年足らずで辞めてマイクロソフトに転職する——当時、周囲の誰もが「正気か」と思ったはずです。しかしその決断は、結果として大正解でした。なぜエリートコースを自ら捨て、無名のベンチャーに飛び込んだのか。今回のメルマガ『週刊 Life is beautiful』では、著者で著名エンジニア・投資家の中島聡さんが、NTT研究所での幻滅体験と、情熱に従って動いた転職の真相を赤裸々に語っています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです
プロフィール:中島聡(なかじま・さとし)
ブロガー/起業家/ソフトウェア・エンジニア、工学修士(早稲田大学)/MBA(ワシントン大学)。NTT通信研究所/マイクロソフト日本法人/マイクロソフト本社勤務後、ソフトウェアベンチャーUIEvolution Inc.を米国シアトルで起業。現在は neu.Pen LLCでiPhone/iPadアプリの開発。
なぜ、私は当時「時価総額世界一」だったNTTを辞めたのか?
先日、とあるインタビューで、なぜ私がNTTを辞めてマイクロソフトに転職したかを尋ねられました。この質問は過去に何度もされたことがあるので、大体言うことは決まっていますが(プログラミングが大好きだったから)、いつも「ちゃんと説明できていない」と感じています。ちゃんと話すと長くなってしまうからです。
そこで今回は、この場を借りて、その前後の経緯から説明したいと思います。
そのためには、私が「NTTに入った理由」から説明しなければなりません。これまで正直に言うことはためらってきましたが、その大半は「エリート意識」でした。
私は高校から早稲田大学の附属(早稲田大学高等学院)で、成績も良かったので、希望の(理工学部の)電子通信学科に入ることができました。ギリギリまで物理学科とどちらにするかを悩んだのですが、その頃にはプログラミングにすっかりハマっていたので、半導体とかコンピュータの勉強をしたいと考えたのです(その頃の早稲田大学には情報学科はありませんでした)。
高等学院は必要な単位さえ取ることが出来れば、早稲田大学に入学できますが、成績に応じて、入れる学部や学科が決まります。当時、最も入るのが難しかった(=成績が良くなければ入れなかった)のが、理工学部の物理学科と電子通信学科だったのです。
理系の勉強をしたいことは決まっていましたが、「せっかく良い成績を持っていたのだから、その2つの学科のどちらかに入らなければ勿体無い」と感じ、結果として電子工学科を選んだのです。
修士課程を修了してNTTに入ったのも、同様の理由です。就職先の相談を教授とした時に、確かに「研究所」という響きには憧れていましたが、「君の成績ならばNTTの研究所に入れる」と言われたことがNTTを選んだ理由です。私の学科は、当時ひく手数多で、パナソニック、東芝、日立、NEC、ソニー、IBMなどの企業に望めば簡単に採用してもらえる時代でしたが、NTTの研究所だけは、成績の良い学生しか入れなかったのです。
つまり、電子通信学科を選んだのも、NTTの研究所を選んだのも「成績が良い学生しか入れないから」という下世話なエリート意識によるものだったのです。
ちなみに、学生時代、私はアスキー出版でアルバイトをしていましたが、就職先にアスキーを選ぶことは考えてもいませんでした。当時は、「一流大学を卒業して、一部上場企業に入る」のが常識だったので、アスキー出版のような無名のベンチャー企業に就職することは、「レールからわざわざ外れる」行動だったのです。
ただ、アスキーが総代理店を務めていた米国のマイクロソフトには一目置いていました。しばしば日本を訪れていたビル・ゲイツには何度か会い、ソフトウェアに関してのディスカッションも(カタコトの英語で)していたので、やたらと賢く、凄いエンジニアだと一目置いていました。アスキー出版に入る気には全くなれませんでしたが、米国のマイクロソフトなら働いても良いと、心のどこかで感じていたとも思います。
この記事の著者・中島聡さんのメルマガ
憧れの研究所で即座に幻滅した理由
理系のエリートコースの頂点に立つ「NTTの研究所」は私にとっては「憧れの場所」でしたが、入ってすぐに幻滅するようなことが複数ありました。思いついた順に箇条書きにすると、以下のようになります。
- 私の直属の上司(博士号所持者)の情報ソースが、論文ではなく日経エレクトロニクス
- CPUの処理速度を向上させる特許を申請しようとしたら「早すぎる」と却下された
- 研究者たちは自分でコードを書かず、仕様書だけ書いてコーディングは下請けに任せていた
- 年配の研究者たちは、自分たちの天下り先のことばかり考えて仕事をしている
- 誰もが会社にいる時間だけは長いけど、残業手当のためで、懸命に仕事をしているとは言い難い
- 研究そのものよりも、研究予算を確保するための資料作りに膨大な手間をかけている
- 研究室の室長は博士号保持者なのにも関わらず、管理職の仕事しかしていない
- 20年働くと年金が出るようになるので、誰もが「勤続20年」を目指して働いている
- 賢い人はたくさんいたけど「ものすごい仕事ができる人」には1人も出会わなかった
1年も経たないうちに、研究所に持っていた「憧れ」は「幻滅」に変わったし「こんなところに20年もいたいのか?」という疑問が湧いてきました。アスキー出版でのバイトの方がよほど刺激的でした。
一瞬で転職を決意した瞬間
そんな時に、新聞でマイクロソフトがアスキー出版との契約を打ち切り、アスキーから15人ほど(私の知り合いを)引き抜いて日本法人を設立したニュースを目にした私は、一瞬にして転職を決意しました。
当時、NTTの株価総額が世界一だったとか、マイクロソフトが吹けば飛ぶような小さなベンチャー企業だったことは全く気になりませんでした。純粋に、「思いっきりコードが書きたい」「将来は米国のマイクロソフトに行って賢い連中と働きたい」という思いが込み上げて来て、一切の迷いはありませんでした。
私が辞表を提出すると、NTTおよび大学の人たちが私の説得にかかりました。NTTの研究所がいかに恵まれたところか、ベンチャー企業がいかに危ういか、指導教授の推薦を受けてNTTを辞めることがどのくらい周りに迷惑をかけることになるか、20年働いてもらえる年金にどのくらい価値があるか、などなどです。
結局、全ての説得を聞き流し、マイクロソフトに転職した私ですが、当然ですが、その後マイクロソフトがあれほどの成長をするとは想像もしていませんでした。
英語には「たまたま良い場所に良いタイミングでいたから」という表現がありますが、まさにそんな感じです。
今考えてみると、NTTへの就職は「計算づく」のものでしたが、マイクロソフトへの転職は「情熱に基づく」ものでした。
この業界は、常に大きな変化に晒されているので、どんなに計算したところで先を読むことは不可能です。であれば、下手な計算をするよりは「自分が無我夢中で働ける場所」や「経営者の情熱が共感できるところ」を選んだ方が良いのではないかと思うのです。
(本記事は『週刊 Life is beautiful』2026年4月7日号を一部抜粋したものです。「私の目に止まった記事(中島氏によるニュース解説)」、読者質問コーナーなどメルマガ全文はご購読のうえお楽しみください。初月無料です )
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