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「トランプと習近平の握手」と「一度も“台湾”の文字が出なかった」の裏側。米中首脳会談で先送りされた争点が迎える“次の期限”

外交交渉で決着がつかず、「次の機会」へと先送りされる数々の問題。現時点の国際情勢に目をやれば、米中間の懸念からホルムズ海峡を巡る攻防まで、積み残された争点は枚挙に暇がない上に、それぞれが新たな期限を迎えようともしています。今回のメルマガ『最後の調停官 島田久仁彦が読み解く国際情勢の裏側戦略インテリジェンス・レポート』では元国連紛争調停官の島田久仁彦さんが、米中首脳会談を詳細に検証するとともに、米国とイランの交渉が直面する「順番の壁」を自身の調停経験をもとに解説。さらにエネルギー供給を支える「信頼」の重要性や、中東で進む米国の覇権後退について論考しています。
※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:書かれなかった一行-握手の陰で先送りされた争点と、迫りくる期限

書かれなかった一行-握手の陰で先送りされた争点と、迫りくる期限

「80年以上前、中国と米国の人々は、日本軍国主義の侵略者との戦いで肩を並べた」

9月24日の夜、ホワイトハウスの国賓晩餐会で、習近平国家主席は乾杯のあいさつにこの一節を盛り込みました。その日、トランプ大統領も歓迎式典で、共通の利益の追求が「第2次世界大戦では私たちを同盟国にすらした」と語っていたのです。

私はこの二つの言葉を並べて読んだとき、外交の世界で最も怖いのは、相手が何を言ったかより、「誰も反論しないまま言葉が記録に残っていくことだ」と、あらためて感じました。

皆さんもお気づきのように、当時、米国と同盟関係にあった中国の政府は中華民国政府であり、中華人民共和国が成立したのは戦後の1949年のことです。

中国の人々が日本の侵略と戦った歴史そのものは、紛れもない事実です。しかし、米大統領の口から出た「同盟国」という言葉は、中国の「抗日」の物語を補強する材料として、これから何度も引用されることになるでしょう。

その一方で、この首脳会談には「書かれなかった一行」がいくつもありました。

ホワイトハウスが翌25日に出したファクトシートには、台湾という言葉が一度も出てきません。また、米国が提案したとする米中ロ三カ国の軍備管理交渉は、中国側の記録には一行もありません。

確認できる事実は、双方の発表文がそれぞれ異なる論点を記し、共通の記述が限られていたということです。それが意図的な選択だったのか、会談を決裂させずに済んだ理由なのかは、公開された情報からは分かりません。

ただ、私にとっては見覚えのある光景でもあります。

私は気候変動交渉の現場で長く首席交渉官を務めましたが、深夜の交渉会場で、合意文書から争点の文言をあえて外して会議の決裂を避ける場面を何度も見てきました。それは知恵でもありますが、問題を次の会議に先送りすることでもあります。

書かれなかった一行は、主張の内容や懸念が消えたわけではありません。いずれ形を変えて、誰かの机の上に戻ってきます。そして今、先送りされてきた争点が、10月から11月にかけての日程の上に一斉に並び始めています。

米国とイランは、ホルムズ海峡の再開と封鎖の解除のどちらを先にするかで綱を引き合い、その背後では11月3日の米国の中間選挙が近づいています。

イスラエルは10月27日の総選挙を控え、ヨルダン川西岸のE1入植地の入札は10月19日に締め切られます。

アフリカの角では、和平合意の外に置かれてきた勢力が手を組み、エチオピア北部が再び戦火に包まれつつあります。

「握手の陰で先送りされた争点と、待ってくれない期限」

その交点で、日本の立ち位置もまた問われています。

【1.米中首脳会談の答え合わせ-台湾、取引、AIと核】

前号は、米中首脳会談の結果が出る前に配信しました。その際、配信後に確かめるべき点として、台湾をめぐる言葉、関税をめぐる取引、AIをめぐる通報の仕組み、そしてイランへの働きかけの四つを挙げました。まずは、その答え合わせから始めます。

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【1-1.台湾:言葉は変わらず、武器は止まったまま】

最大の注目点だった台湾をめぐる米国の言葉は、少なくとも公開された情報の範囲では変わりませんでした。

中国外交部の記録によれば、習主席は米国に対し、台湾独立に反対するという立場を守り、台湾問題を慎重に扱うよう求めています。

これに対してトランプ大統領は、会談後に台湾が話題になったかを問われても「素晴らしい会談だった」と述べるにとどめたと台北タイムズは伝えていますが、私が確認した公開報道の範囲では、この発言を裏付ける別の報道は見つかっていません。

米ブルッキングス研究所の分析も、トランプ大統領は台湾独立に「反対する」という言葉を求めた習主席の要求には応じなかったと見ています。

前号で私が最も懸念したのは、米国の表現が「独立を支持しない」から「独立に反対する」へと一歩踏み込むことでしたが、その一線は、少なくとも今回は越えられていません。

ただ、ファクトシートに台湾の記述がないことは、会談で台湾が話題にならなかったことを意味しません。中国側の記録が示すとおり、台湾は会談の議題に上っており、米国がそれを自らの記録に載せなかったというのが正確な姿です。

とはいえ、それで安心してよいわけではありません。約140億ドル規模とされる台湾への武器売却のパッケージは、5月の北京での首脳会談以降、保留されたままだからです。台湾の顧立雄国防部長も9月29日、米側から計画の変更について通知は受けていないと述べました。

「言葉は動かさず、行動だけを止めておく」

これは、相手に「次の会談まで待てば、もっと得られるかもしれない」と思わせる、交渉上の含みを残したやり方だとも言えます。

また、気になる発言もありました。

パデュー駐中国米大使は9月27日の米FOXニュースの番組で、トランプ大統領が習主席に「(武器を)買いたいか」と尋ねたと語りました。トランプ大統領は翌28日、「大使は台湾のことを言ったのだろう」と述べ、国務省は米国の法律で中国への武器売却は禁じられていると説明しています。

大使の発言は、会談で台湾への武器売却が話題になった可能性をうかがわせますが、実際に何を指していたのかは、現時点では確定できません。

ただ、政権の内側から出てくる言葉がこれほど揺れていること自体が、台湾をめぐる米国の意思決定の不透明さを物語っていると、私は受け止めています。

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【1-2.取引:大豆は前進、牛肉は記載なし】

会談前、米国の農業州の議員からは、大豆(Beans)、牛肉(Beef)、ボーイング(Boeing)の頭文字をとった「3B」への期待が語られていました。

しかし、フタを開けてみると、ファクトシートに並んだのは、もう少し地味な項目でした。

米中の貿易委員会が、双方それぞれ300億ドル分の「非センシティブな品目」の関税を優遇する勧告で合意したこと。中国が2027年と2028年に、それぞれ1,000万トン以上の米国産石炭を輸入すること。そして、レアアースと重要鉱物の出荷を「適切な水準」に戻すことや、フェンタニルの原料となる化学物質の輸出規制などです。

大豆については、年2,500万トンを2028年まで買い続ける約束が守られているとベッセント財務長官は説明しましたが、そのほかの農産品の約170億ドルの購入は「やや遅れている」と認めています。牛肉はファクトシートに記載がなく、ボーイングについても新しい大型の発注は出ていません。

貿易休戦の期限を11月10日から2027年1月10日まで延ばす措置も、会談の成果ではなく、前日の閣僚級協議を経て発表されたものでした。

前号で私は、この延長を首脳会談の「決裂」を避けるための保険だと読みましたが、結果を見る限り、会談は予定どおり「管理された安定」の演出として終わったと言えます。

晩餐会には、マスク氏、フアン氏、クック氏らを含む30人を超える米国の企業トップが顔をそろえましたが、中国の企業トップの姿はありませんでした。2015年の習主席の訪米では、アリババ創業者のジャック・マー氏らが同席していたことを思えば、対照的な光景です。

これが対米投資をめぐる協議の難航を示すものだという見方もありますが、現時点では憶測の域を出ないと申し上げておきたいと思います。

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【1-3.AIと核:事故時の連絡窓口と、語られなかった軍縮】

前号で注目点として挙げたAIをめぐる通報の仕組みは、形になりました。ファクトシートによれば、両国は「米中超知能(SI)対話」を設けて11月までに初会合を開き、超知能に関わる事故が起きたときに互いに伝え合う連絡の窓口も設けます。

日本経済新聞の秋田浩之本社コメンテーターは「対話の開催を決めたが、議論は深まらなかった」と評しており、私もこの評価に同意します。

それでも、たとえば一方の国のAIエージェントが相手国の電力網や金融システムに入り込んだとき、それが意図した攻撃なのか、制御を外れた事故なのかを確かめる手段がなければ、報復の応酬が始まりかねません。

米ソがホットラインを設けたのは、1962年のキューバ危機で核戦争の瀬戸際まで行った翌年のことでした。危機が起きてから電話線を引くのでは遅いということを、私たちは歴史から学んでいるはずです。

今回の連絡窓口は、米ソ間のホットラインのような常設の危機通信網ではありませんが、惨事の前に設けられた最初の連絡の回路になる可能性があります。

AIエージェントが、人間の意図しない場所にまで入り込んでしまうことも、すでに現実の話です。

オーストラリアのアルバニージー首相は9月24日、OpenAIのAIエージェントが6月に、同国の「メディケア統計報告サービス」で、公開されたデータだけでなく非公開のデータにもアクセスしていたと公表しました。

これは、公的医療保険の支出を集計した統計を一般に公開するためのサービスで、個人の診療記録や保険請求を扱うシステムとは別のものです。OpenAIは患者の記録にアクセスした証拠はないと説明しており、調査はなお続いています。

ここで問われているのは、個人の医療情報や重要インフラへの侵入ではなく、与えられた権限の外にあるファイルにまでAIエージェントがたどり着き得るという事実です。

ところが、多国間のルールづくりとなると、米国の姿勢は大きく異なります。9月23日の国連安保理のAIに関する会合で、米国の科学技術政策局のクラツィオス局長は、超知能を統制しようとする世界的な枠組みは拒否すると明言しました。

この発言と首脳会談での合意を並べると、米国は少なくとも、超知能に対する世界的な統制の枠組みには反対しつつ、二国間の連絡窓口には応じる姿勢だとうかがえます。

同じ会合で、AnthropicのアモデイCEOは、生物兵器の開発への悪用やAIモデルが開発者の制御を超えることを主要なリスクとして挙げ、AI事故の通報制度や国際的な評価の仕組みを求めました。AI開発企業の経営者が自ら国際的な仕組みを求める光景は、現在のAI論議の特徴の一つです。

一方、核の軍備管理は、会談の成果として形になりませんでした。ファクトシートはトランプ大統領が米中ロ三カ国の軍備管理交渉を提唱したと記していますが、中国側の記録には、それに対応する記述がありません。

米軍備管理協会のダリル・キンボール事務局長は、中国は2019年以来この三カ国方式を拒み続け、代わりに核兵器を先に使わないという「先制不使用」の合意を提案していると指摘し、今回の会談を「またしても逃した機会」と評しました。

米ロ間の最後の核軍備管理条約だった新START(新戦略兵器削減条約)は2026年2月に失効し、トランプ大統領は「同等の基準で」核実験を再開すると警告しています。

今月11日から12日は、1986年にレーガン大統領とゴルバチョフ書記長がアイスランドのレイキャビクで会談してから、ちょうど40年にあたります。あの会談は最終的には合意に至らなかったものの、後の中距離核戦力全廃条約と大幅な戦略核削減への道を開きました。

「言うことと、行うことは違う」

キンボール氏がトランプ大統領に向けたこの指摘は、核を持つすべての国の指導者に向けられた言葉として読むべきでしょう。

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【1-4.「同盟」の演出と日本】

冒頭で触れた「第2次世界大戦の同盟」という言葉に戻ります。

木原官房長官は9月25日の記者会見で、習主席の発言そのものへの論評は控えつつ、日米は戦後に和解し、最も信頼し合える同盟国になったこと、そして日本が一貫して平和国家として歩んできたことを強調しました。

翌26日の夜には、高市首相とトランプ大統領が約20分間の電話会談を行い、中国をめぐる経済と安全保障について日米の連携を確認しています。米中首脳会談の直後に日米の首脳が電話で話したこと自体が、日本側の不安の大きさを物語っていると私は見ています。

その後も、日本にとって気がかりな動きは続きました。

中国の韓正国家副主席は9月26日の国連総会の一般討論で、日本への直接の言及は確認できていないものの、「戦後秩序を守れ」と訴えました。

中国外交部の郭嘉昆報道官は29日、日中共同声明の54周年にあわせて日本の歴史認識と台湾をめぐる発言を批判し、30日には小泉防衛相の「タブーなき核議論」をめぐる発言を「露骨な挑発」と非難しています。

前号で取り上げた国連憲章の旧敵国条項をめぐる応酬から、米中首脳の「同盟」の演出まで並べてみると、中国は日本を「戦後秩序に挑む国」として描く物語を、国際社会の場で着実に積み上げていると私は読んでいます。

これに対して日本が「誰と戦ったか」という過去の土俵で応じれば、相手の土俵に乗ることになります。

私がかつて国連の一員としてコソボやイラクの現場に立ったとき、日本の名前が現地の人々に信頼をもって受け止められたのは、軍事力のためではなく、道路や学校や病院を黙々とつくってきた実績のためでした。

「物語には、物語ではなく実績で応じること」が、日本が取り得る最も強い反論だと私は考えています。

習主席は9月25日朝の茶会で、年内にあと2回トランプ大統領と会う機会があると述べました。11月の深センでのAPEC首脳会議と、12月14日から15日のフロリダ州マイアミでのG20サミットです。

実現すれば、米中首脳は1年に4回会うという異例の頻度になります。会う回数が増えるほど、日本と台湾に関わる言葉が、両国の頭越しに書かれる機会も増えていきます。

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【2.どちらが先に動くか-米イラン交渉とホルムズ海峡】

米中首脳会談でイラン情勢が話題になったことは、双方が認めています。ファクトシートは、両首脳がイランに決して核兵器を持たせないことで一致したと記しました。

パデュー駐中国米大使は9月25日、トランプ大統領が習主席に対し、情報や部品、軍事装備を含む中国のイラン支援は「到底容認できない」と伝えたと明らかにしています。同大使は中国側から「そうしていない」との保証を得たとする一方、間接的な支援はあると思うが直接の証拠はないとも認めました。

中国は従来から、イランへの軍事的な支援を否定しています。そして9月30日、中国外交部の郭報道官は、米国とイランの双方に対話へ戻るよう呼び掛けました。

中国は仲介者の顔をしながら、自らの手札は一枚も切っていないように私には見えます。

【2-1.「7日間計画」と、その拒否】

米国とイランの交渉は、この一週間でフォローが困難なほど目まぐるしく動きました。

9月25日、イランのアラグチ外相は国連総会の場で、条件が満たされれば7日以内にホルムズ海峡を再開するという「7日間計画」を公表しました。

その実施条件としてイラン側が挙げたのは、レバノンを含むすべての戦線での停戦、米国による海上封鎖と原油制裁の解除、凍結資産の解放、そして核問題の協議を海峡の再開の後に回すことの四つです。これはあくまでイラン側の提案であり、合意された工程ではありません。

翌26日、トランプ大統領は記者団に対し、この提案を拒否したと明言しました。同じ日、米ウォール・ストリート・ジャーナル紙は、トランプ大統領が側近に中間選挙の後に爆撃を再開する意向を伝えたと報じましたが、これは米当局者を情報源とする単独の報道で、確認された事実ではありません。

27日、トランプ大統領は米アクシオスのインタビューで、イランは取引をしたがっているが、それは自分が望む取引ではないと語り、攻撃の再開については「いつも考えている」と答えました。

同じ日、アラグチ外相は米NBCの番組で、イランは戦争にも外交にも同時に備えており、どちらを選ぶかはトランプ大統領次第だと切り返しています。

28日には、カタールの仲介による協議が行われましたが、アクシオスによれば物別れに終わりました。同じ28日、ルビオ国務長官は、ニューヨークに滞在していたアラグチ外相の一行に早期の退去を命じています。アラグチ外相一行は29日の早朝に米国を離れ、帰国の途中に立ち寄ったカタールの首都ドーハで、仲介者を通じて米国の回答を受け取ったと、ロイター通信が関係者の話として伝えました。

30日、イラン政府の報道官は回答の受領を認めましたが、中身は明らかにしていません。

今回確認した公開資料の範囲では、イランが示した四つの条件のいずれかを米国が受け入れたことを示す発表も見当たりません。

「交渉を続けながら、相手の代表団を国外に出す」

「提案を拒否しながら、対案は返す」

硬軟を組み合わせた圧力は、トランプ政権の交渉の定番です。

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【2-2.順番の壁】

ロイター通信は協議に詳しい関係者の話として、双方の対立点は計画の中身そのものではなく、措置をどの順番で実施するかにあると伝えています。

イランの提案は、海峡の再開を先にし、核の問題は後回しにするものです。米国の具体的な対案は公表されていませんが、トランプ大統領はイランの提案を拒否し、封鎖を緩める姿勢は見せていません。

公開情報から見る限り、双方は何を先に実施するかで折り合えていないように見えます。先に動いた側は、相手が約束を守らなければ丸損になるからです。

私が調停の現場で何度も向き合ってきたのは、まさにこの順番の壁でした。

コソボやイラクの戦後復興、ナゴルノカラバフ紛争の調停、そして現在、各地で行っている調停・仲介でも、捕虜の交換や地雷原の地図の引き渡し、絶対に獲得しなくてはならない要素の提示といった小さな措置でさえ、どちらが(誰が)先に差し出すかで何日も止まることがありました。

こうした局面で調停者がすべきことは、どちらが正しいかを裁くことではありません。双方の措置を同時に動かすための「器」「仕組み」をつくることです。

捕虜の交換であれば、双方の名簿を第三者が先に預かり、同じ時刻に同じ場所で引き渡すように段取りを組むのが、現場でよく使われるやり方です。

前線からの部隊の撤退であれば、撤退をいくつの段階に分け、それぞれの段階を誰がどう確かめるのかを先に決めておき、一方が下がったことを相手方と第三者が確認してから、もう一方が下がるという手順を踏みます。

これをホルムズ海峡に当てはめるなら、私が提案したいのは、米国が封鎖の一部を緩めるのと同時に、イランが特定の航路の安全を保証し、その履行を中立の第三者が確かめるという形です。もちろん、これは現時点でどこにも合意されていない構想です。

ロイター通信が伝えたイランの計画には、4日から5日で最初の措置をとり、6日目に海峡を再開し、7日目に米国と直接協議するという段階的な工程が含まれていたとされます。これは未確認の情報ですが、もし事実であれば、イラン側にも同時履行の余地を探る意思があることになります。

米国の中間選挙までは、残り約1カ月です。大規模な軍事行動を選挙の前に避けたいという米国の事情は、交渉を続ける動機になる一方で、選挙の後には攻撃を再開するという観測も生んでいます。

つまり、イランの側から見れば、11月3日は「それまでに取れるものを取る」期限であり、同時に「それを過ぎれば何が起きるか分からない」期限でもあります。

交渉の外側でも、緊張は続いています。

9月27日には、イラン革命防衛隊がホルムズ海峡で米軍の無人潜水機を拿捕したと主張し、米側は否定しました。SNS上では、イランがホルムズ海峡やハールグ島の周辺で「イスラエルのモサドや米CIAの工作員を捕らえた」とする動画が拡散していますが、裏付けは取れていません。イランのメディアが報じた「イスラエル協力者」の逮捕は、場所が動画の説明とは一致しておらず、私は慎重に扱うべきだと考えています。

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【2-3.「闇タンカー」と、信頼という商品】

では、海峡の現実はどうなっているのでしょうか。

欧州の調査会社ケプラーの推計によると、9月にホルムズ海峡を通過したとみられる原油は日量936万バレルにのぼり、8月から356万バレル増えて、2月末の開戦後で最も多い水準になりました。

つまり、戦前に海峡を通っていた日量約1,500万バレルの、6割程度まで戻ったことになります。

ただし、これは位置情報を切った船の積み荷を推計で加えた原油だけの数字で、推計の手法によって幅が出る点には注意が必要です。

この回復を支えているのが、いわば「闇タンカー」と、オマーン沖での船から船への積み替えです。位置を知らせる信号を切って海峡を抜け、湾の外で待つアジア向けのタンカーに原油を移し替えるのです。

英アーガス・メディアによれば、長期契約を原則としてきたサウジアラムコも、9月から11月の渡し分で、オマーン沖での積み替えを経由した原油のスポット入札を始めました。

ペルシャ湾の奥に位置するイラクの国営石油販売公社は、9月29日付で10月積みの原油を指標より1バレル34.5ドルから37ドル安く設定し、値引きをさらに広げています。

9月30日の終値で見ると、北海ブレント原油の先物は、この日に最終取引日を迎えた11月限が1バレル103ドル台、米国産のWTIの11月限は90ドル台でした。2008年に記録した史上最高値の147ドル台には遠く及びません。

とはいえ、私はこれを「危機が去った」兆しとは見ていません。保険も監視も届かない灰色の物流は、一隻のタンカーの事故や一度の拿捕で、すぐに途切れてしまうからです。例えるならば、今の状況は、細く長い吊り橋を、大勢の人が息を殺しながら恐々渡っているような状態だと言えるでしょう。

IEA(国際エネルギー機関)のビロル事務局長は、日本経済新聞のインタビューで、「一度割れた花瓶は元には戻らない」というトルコのことわざを引き、2月28日以前の中東に戻ることはないと述べています。

危機的な状況にもかかわらず、これまで原油価格が1バレル100ドル前後で収まってきたのは、危機前の供給過剰、IEAの4億バレルの協調放出、中国の輸入削減という一度限りの要因が重なったからだとし、封鎖が続けばアジアが特に厳しくなると警告しました。

私が重く受け止めたのは、世界のエネルギー地図が描き直されるなかで、最も重要なコモディティーは石油でもウランでもなく「信頼」だという指摘です。

ビロル事務局長は単位を示さないたとえ話として、これまでは4ドルと5ドルの売り手がいれば4ドルを選んだが、これからは5ドルの売り手の方が安全で安定していると判断すればそちらを選ぶだろうと述べています。

交渉の世界の言葉に置き換えれば、価格ではなく「約束の信頼性」に値段がつく時代が来たということです。

闇タンカーが運ぶ原油は、安くても信頼がありません。

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【3.去りゆく覇権-イラクからの撤収と中東秩序の空白】

9月30日、米国防総省は、米軍主導の有志連合のイラクからの撤収が完了したと発表しました。最後に去ったのは、北部エルビルの基地にいた米軍と有志連合の約1,500人で、過激派組織「イスラム国(IS)」の掃討を掲げた「生来の決意作戦(Operation Inherent Resolve)」は、12年で幕を閉じました。対ISの任務部隊はヨルダンに移り、シリアには数百人の米兵が残るとのことです。

私は、イラク戦争後の混乱のなかで、国連の側からバグダッドの現場に関わりました。あのとき、米軍の存在はイラクの人々にとって、治安の支えであると同時に、反発の的でもありました。

有志連合の対IS任務が終わった後のイラクは、米国とイランへの複数の依存が併存する、危うい均衡の上に立っています。原油の輸出代金は米国のニューヨーク連邦準備銀行の口座を通る一方、電力や天然ガスの多くはイランからの輸入に頼ってきたからです。

前号で触れたとおり、サウジアラビアの東西パイプラインへのドローン攻撃について、サウジ当局はイラクから飛来したものだと非難し、イラク政府も発射地点が自国の南部だったと認めました。「撤収完了」という発表と「治安の空白」という現実の間に溝ができれば、その溝に最初に流れ込むのは武装勢力です。

【3-1.エコノミスト誌の問い:米国は中東から去るのか】

英エコノミスト誌は今週、イランとの戦争がどのような形で終わろうとも、それは米国が中東での覇権をついに断念する瞬間になると論じました。

1世紀前に欧州列強がオスマン帝国を解体して以来初めて、中東全体の秩序が遠方から押し付けられる時代が終わりを告げるというのです。なかなかショッキングな見立てです。

その兆候の一つとして同誌が挙げたのは、米国がフーシ派への攻撃でサウジアラビアに加わるのを拒み、代わりにサウジアラビアの背後でフーシ派と協議したことでした。

ロイター通信も、9月中旬にオマーンの首都マスカットで米国とフーシ派が接触し、フーシ派が米国やイスラエル、商船を攻撃しないと約束する一方で、サウジアラビアの船舶は対象外としたと報じています。これは単独の報道ですが、事実であれば、米国は同盟国の戦争には加わらず、自国の安全だけを交渉で確保したことになります。

もう一つの兆候は、中東の米軍基地がドローンや安価なミサイルにいかに脆弱かが、イランとの戦争で明らかになったことです。

同誌はさらに、米国は今や巨大な石油輸出国であり、湾岸の産油国の最大の顧客は中国だとして、米国の中東政策の最大の受益者は中国だと指摘しました。

では、米国の空白を埋めるのは誰なのでしょうか。

同誌が挙げたのは、イラン、トルコ、イスラエルという、いずれもアラブではない三つの国で、敗者となるのはアラブ諸国だとしています――(メルマガ『最後の調停官 島田久仁彦が読み解く国際情勢の裏側戦略インテリジェンス・レポート』2026年10月2日号より一部抜粋。全文をお読みになりたい方は初月無料のお試し購読をご登録ください)

【見逃し配信のご案内】

9月19日に開催したオンライン・ウェビナー「トランプが勝つor負けると世界はどうなる?」の見逃し配信を、引き続きご用意しております。

11月3日の米国中間選挙まで約1カ月となった今、今号でお伝えした米イラン交渉や米中関係の行方を考えるうえでも、お役に立てる内容だと思います。

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ご購入後、視聴用のURLをメールでお送りいたします。

 

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今、国際情勢は混沌としています。様々なニュース・情報が飛び交い、何を信じていいのか分かりづらくなってきています。そのような中、様々な情報に触れ、多方面から分析を加える紛争調停官そして高次元利害調整のプロとしての視点から、ただ『何が起きているのか?』を伝えるのではなく、本当に起きていること、つまり『なぜそれが起きたのか?』という理由を紐解きつつ、『次に何が起きうるか?』という戦略的なインテリジェンス・レポートをお送りいたします。ぜひ一緒に国際情勢の裏側を解き明かし、明日からの行動に活かしてください。

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