以前掲載の「【豆知識】「神無月」に出雲大社へ行かない神様もいるって本当?」では、神様の系統について詳しく紹介してくださった無料メルマガ『1日1粒!「幸せのタネ」』の著者・須田將昭さん。今回は「神無月」や「師走」の語源について、俗説も含めて紹介します。
神様がいるの、いないの?
10月は異称として神無月とも呼びます。この各月の異称、みなさんは全部言えますか?
睦月・如月・弥生・卯月・皐月・水無月・文月・葉月・長月・神無月・霜月・師走
もともとはもちろん「旧暦」の各月の異称ですが、今は新暦の各月の異称として使われていますね。また、これらはあくまで代表例で、ちょっと調べると各月でもぞろぞろといろんな呼ばれ方が出てきます。
さて10月は「神無月」ですが、その由来について
出雲大社に全国の神様が集まって、話し合いをする。全国の神社から「神様がいなくなる」から、「神の無い月」ということで「神無月」と呼ぶ。
という説明を耳にすることがあります。私も子供のころ、そのようにどこかから聞きました。また、出雲には神様がたくさん集まってくるので、「神様がいる」ということで「神在月(かみありづき)」と呼ぶこともあります。
しかしよくよく考えると、一口に神様といっても、出雲大社の国つ神と、伊勢神宮の天つ神では系統が違いますし、伊勢の神様もみんな出雲に行くのかなあ…、という疑問が湧いてきました。
いろいろ調べてみると、とりあえず「神無月」の「神様がいなくなるから」という説は、中世以降、出雲大社の御師が全国に広めた「後付け」のものらしい、ということがわかってきました(「俗説」ということで説明している事典類は多いはず)。
今のところ「な」は「の」の意味のある格助詞で、「神の月」という意味だと解釈するべきようです。となると、「ではなぜ旧暦10月は神様の月なのか?」という疑問が湧いてきます。
そこからまたいろんな説が出てくるのですが、今のところ「決定打」はなさそうです。こういうところにも、古代へのロマンが潜んでいると言えますね。
他にも「師走」も「師(師匠)の僧があちこちで経を上げるために走り回る月」だという説がありますが、これも俗説とされています。
漢字表記がなんとなく「師が走る」というのと合うのでそんな感じがしますが、本来は別の語だったのが、時間を経て変化して「しはす」となったと考えるのが適当のようです(ただ、元の語がなんだったかは、これまた諸説あります)。
語源の探求というのは非常に難しいもので、かなりいい加減なものも少なくありません。ただ、そこの中に、その説を作った人、受け入れていった人々の何かしら共通の思いがあったものと…私は思います。そう思うと、俗説は俗説でまたロマンを感じることができるのではないでしょうか。
image by: Shutterstock.com