「いつかは起業したい」「世界一の会社を作りたい」という夢を持つ人は日本中に数多く存在します。そんな想いを抱く一人だった、無料メルマガ『僕は『絶対倒産する』と言われたOWNDAYSの社長になった。』の著者で、メガネ販売の全国チェーン「OWNDAYS(オンデーズ)」の社長・田中修治さん。なぜ14億円もの負債を抱えた会社を買収したのか? その経緯と答えには、「起業」に関する大きなヒントが隠されていました。
第1話 1.4tの砂利を積んだ2tトラックのハンドルを握る
2008年1月
東京では新幹線のぞみの喫煙車両廃止に続いて、タクシーでも全国で全面禁煙が実施され、愛煙家には一段と肩身の狭い時代に入りつつあった。
この頃、当時の僕と言えば、今では信じられないくらいの超が付くヘビースモーカー。
そんな世間の風潮など、どこ吹く風とばかりに、ポケットの数だけタバコを洋服に詰め込んで、禁煙ブームなど我関せずといった態度で、盛大にタバコをふかしながら毎日、忙しく仕事をしていた。
「え、オンデーズの増資を田中社長が自分個人で引き受けるって言うんですか?」
六本木の交差点にある有名な喫茶店「アマンド」の2階の窓際の席で、奥野さんは「まるで信じられない」という顔で目を丸くしながら、目の前でタバコをふかしながら話す僕を見て飛び上がるようにして驚いた。
「そう。結局、誰に話しても反対ばかりされるし、否定もされるし。それでもう面倒だから自分で買う事にしようかなと思って」
そう言いながら吸っていたタバコを消したと思うと、すぐさま次のタバコに火をつけ、美味そうに煙を両胸いっぱいに吸い込んでは吐き出す僕に、タバコを吸わない奥野さんは、僕の吐き出す煙を迷惑そうに手で払いながら
「それは絶対にやめといた方が良いですよ。何度も説明したように、オンデーズは年間の売上がたった20億円しかないのに対して、銀行からの短期借り入れが14億円もあります。借入金の回転期間はわずか約8か月約定返済額は月に8,000万円から1億2,000万円にものぼる。それなのに毎月営業赤字が2千万近く出ているという、異常な資金繰りに陥ってしまっている会社です。買収したとしても、これを再生するなんてのは・・まず無理ですよ・・」
(さすがは金融のプロ、数字が全部頭に入っているんだなぁ・・・。ひょっとして奥野さんは、寝言までが数字なんじゃないのだろうか?)
そんなことを考えながら僕は奥野さんの意見に、ふんふんと耳を傾けていた。
奥野さんは、みずほ銀行に勤める所謂「優秀な銀行マン」だったが、大手銀行同士の合併に伴う派閥闘争や、薄汚い裏切り合いばかりの銀行業界に嫌気がさし、リサパートナーズという再生ファンドを経て、小さな投資コンサルタントのベンチャー企業に転職したばっかりだった。
この頃、早稲田の住宅街の片隅で近藤大介(現情報システム部)や長尾貴之(現東南アジアRGM)秋山加代子(現ブランディングGP)らと一緒に、小さなデザイン企画の会社を経営していた僕は、仕事を通じて交流のあった某ビジネス誌の編集者の人から、オンデーズの創業者で当時オンデーズの会長職に就いていたM氏を紹介され、M氏と当時オンデーズの支配権を持っていたリッキービジネスソリューション(以下RBS)との内紛に巻き込まれるような形で「株式売却」いわゆる会社売却の相談を持ちこまれていた。
当初はM氏サイドから「会社を取り戻したいのでスポンサー探しに協力して欲しい」と懇願され、M氏サイドの影のスポンサーとして、RBSサイドと交渉を図っていたが、詳しく内情を聞いているうちに、RBSサイドの方に話の正当性があり、M氏サイドのステークホルダーや従業員への配慮に欠けた自己主張に次第に愛想を尽かしていき、気づくとRBSサイドの「味方」としてRBS側の相談に乗るようになっていた。
オンデーズは当時、創業者のM氏の乱雑な経営の末、債務超過に陥り、その後見かねて大株主であったRBS側がM氏から経営権を取り上げ再生に乗り出したものの有効な手は打てず、事態は更に悪化していき、とうとう破産寸前になっていた、というか実質はすでに「破綻」していた。
2期連続で赤字を計上し銀行団からの融資も受けられず、翌月の給与支払いもまともに手当てするのが難しい状況に困り果てたRBSは「民事再生」か「売却して撤退するか」の2択しか選択せざるを得ないような状況にあったのだ。
そこで当時の僕は、自分のネットワークを駆使して、知人の経営者達にこの案件を紹介し、手頃な引き受け先を見つけ出した後は、このオンデーズ売却の仲介に入り、手数料でも稼ごうかなと考えて、当時、本業だったデザイン会社の仕事の傍ら、オンデーズの資料を作成したり、再生計画を自分なりに考え、予想の数字(P/L,B/S)をシュミレーションしたりして、
大っぴらに身売りを公言できない当時の経営陣達に代わり、各方面でいろんな企業の社長や担当者を相手にプレゼンテーションをしてまわっていた。
奥野さんは、当時、財務や会計の知識に疎い僕が、このオンデーズ売却案件の協力を依頼した知人のベンチャー投資会社から金融のプロとして僕のもとに派遣されてきていて、この案件を一緒に担当してオンデーズのデューデリジェンスを手伝ってくれていたのだ。
「田中社長、とにかくいいですか、20億の売り上げしかないのに14億の負債を抱えているということは、2トントラックの荷台に1.4トンの砂利が乗っかっているようなもんです。そんなトラックで、他の身軽なトラックと競争したって勝てる訳がありません。重くてスピードは出ないし、運転も難しい。燃料代だって余計にかかるんです。カーブだって曲がりきれない。いつひっくり返って大事故になったっておかしくないんですよ!」
奥野さんは、よくうまい例え話を言う。
なるほど、2トントラックで1.4トンの砂利を積んでいたら、そりゃ勝負にならないし、まともには走らない。
「そんな貧乏くじを引くような真似は、やめたほうが良くないですか?14億もある借金を背負い込むぐらいなら、ゼロから自分で新しく事業を立ち上げた方が余程マシだと思いますよ?」
奥野さんは、本当に僕がオンデーズを買おうとしていることを察したのか、まるでおもちゃを欲しがる子供を諭すような感じで、半ば呆れた表情で、この買収計画を思いとどまるように説得していた。
僕は負けずに反論した。
「うーん・・しかしだよ、仮にその砂利を全部降ろしたら、すごい身軽に感じるんじゃない?例えば、ベンチプレスをして筋肉に負荷をかけるのと一緒でさ、もし重いトラックでも、安全に運転できるテクニックを身につけることができたとしたら、軽くなったトラックなど自由自在に操れるようになる。つまり経営者としての実力が誰よりも身につくようになる。それにもし、借金をきれいさっぱり返せたとしたら、今度はそれまで銀行返済に充てられていた数千万ものお金が、毎月毎月そっくり会社に残るようになるんだよ。そう考えると少し興味が湧いてきません?」
自分で言ってても(ちょっと楽天的過ぎるかな)と思っていた僕に、奥野さんは心の底から心配そうに説得を続けた。
「とにかく、自分は財務の専門家ですし、前職からも沢山の企業買収や再生案件に関わってきました。その経験から忠告しときますけど、自分でオンデーズを買うのは絶対に考え直した方がいいですよ。14億という負債はあまりに重すぎます。修治さんの会社が大会社で相当資金に余裕があるとか、多少なりともオンデーズに利益が出てるとかならまだしも、言っちゃ悪いが修治さんの会社は、そんなに多額の資金力も無いただのベンチャーだ。赤字を止められるかもわからない。まともな増資にも応じられない。こんな状態で買収なんて、さすがに無理ですよ。やめといた方が良い。まるで自殺行為だ」
「そんな、きっぱりと否定しないでくださいよ(笑)。さすがに俺も、みすみす失敗する気なんてないですよ。最初は人に仲介しようと思って作成していた自分なりの再生計画をね、こう毎日朝から晩まで見ていると、なんだか自分のこの考え方で、ちゃんとオンデーズを動かすことができれば、充分再生できるんじゃないかなって、そんな気がしてきたんですよね。
ちょっと自信があるというか・・。それに、何よりこの前、オンデーズの店舗を、色々と見て回ったんですけど、その時に、この会社はそんなにみんなが言う程、腐ってないんじゃないかなって思ったんですよね・・」
「腐ってない・・ですか?」
「そう、会社の内情とか資金繰りは、文字通り火の車なんだけど、各地のお店に見学に行くと、結構、生き生きと誇りを持って働いてるスタッフの子も割といるんですよね。店内は掃除も行き届いていたし、見えないところまで、ちゃんとしっかり整理整頓されていたりとか。本来、会社が腐ってくると、こういうところに如実に現れるもんなんだけど。さっきのトラックの例えで言えば、過積載なんだけど、エンジンや足回りは、割とまだしっかりしているなぁと・・そんな風に感じたんですよね。つまり、ダメなのは運転手で、運転手が交代したら、結構良くなるんじゃないかなと、そう思ったんですよ。それに自分自身も、30歳を迎えるにあたって、経営者としてこの辺でひと勝負かけたいという気持ちも強くあって。ただ自分みたいに会社も小さいし、資金も信用も無い若い経営者が、大きなチャンスを掴む為には、みんなが嫌がるような案件、ちょうどこのオンデーズみたいな、燃え盛る火の中に自ら進んで手を突っ込んでいかないと、なかなか掴めないでしょう?」
僕は目の前の灰皿を吸い殻でいっぱいにしながら、熱っぽく奥野さんを説得した。
ここでまずは、目の前にいる「財務会計のプロ」の一人くらい説得させられないようではどうせ先は無い。
「もう・・。タバコは嫌いなんですから勘弁してください。なるほど・・。まあなんとなく分かりました。なら、もう一つ質問させてください。なんでそんなオンデーズに固執するんですか?他にも買収話はたくさんありますし、M&Aの案件や相談だったら、今ならいくらでも見つかりますよ」
折しもこの時、アメリカではサブプライムローンが破綻し、記録的な株安から世界同時不況が叫ばれ始め、先の見えない経済状態が続いていた。さらに世界中を騒がせた、リーマンショックはここから約半年後に世界中を襲うことになり、日本も未曾有の大不況に陥ることになる。
その前兆はすでに始まっており、不動産業を皮切りにあちこちから、倒産や民事再生、不良債権、債務超過などの暗い話題が毎日のように経営者仲間の間から聞こえてくるようになっていた。
「オンデーズにこだわる理由は『業界』です。オンデーズがいるのがメガネ業界だからですよ。これまでも、居酒屋チェーンやアパレル、カフェとか様々な業界から、企業の買収とか後継者話を貰って来たんですけど、でも、どの業界にもすでに超強力なナンバーワンが存在してるんですよね。例えばカフェならスターバックス、アパレルならZARAとか。せっかく企業を買収して大きく勝負をかけるなら、まずはその業界で世界一にならなきゃいけない。出来る出来ないは置いておいて、嘘でもいいからまずは世界一を目指さなくちゃいけない。でも、ほぼ全ての業界では、すでに世界的な大企業がしっかりとシェアを持っていて、且つそれらの大企業は圧倒的なビジネスのノウハウやサービスを日々構築して進化し続けていて、更に努力を重ねている。
だからなんか『No.1を目指す!!』と宣言したとしても、「どーせ無理でしょ・・」って大言壮語過ぎちゃうというか、まわりの皆んなが口だけのように感じて本気になってついてこないと思うんですよね。それじゃあ面白くないなぁと思って、なんとなく見送ってきたんですよ。
そこに、今回飛び込んできたのがオンデーズの話で、調べてみるとメガネ業界のトップって『これだ』っていう圧倒的な会社が存在してないんですよね。一応、日本のメガネ業界で最大手と言われてるお店を見に行ったんですけど、何ていうか、よくある『街の眼鏡屋さん』だったんですよね。素人目に見ても、ハッキリと解るような『圧倒的な差』が他のチェーン店と比べて見当たらないっていうか。これくらいの完成度で業界No.1になれるというのなら、なんとなく自分でも勝てそうだなぁって。漠然とそう感じちゃったんですよね。」
「なるほど。そういう事ですか。本気で大企業を作るために、まだ圧倒的なナンバーワンが不在のメガネ業界で勝負するという感じなんですね?」
奥野さんは、なんとなく合点がいったような顔をしていた。
自分は、常日頃から「世の中を変えるような世界的な大企業を作りたいんだ」と、口癖のように話していて、それを聞いていたからかもしれない。
「それに負債の14億ばかりでなく、売り上げの20億も見てみると、実に興味深いし、ちょっと魅力的じゃないですか?この20億は誰が稼ぎだしているかといえば、現在オンデーズにいるスタッフたちなわけで、少ないとはいえ、それでもかなりの数のお客様が全国でこのスタッフ達のサービスと商品に対して20億ものお金を支払っている。つまり、現在のスタッフたちは少なくとも年間20億の価値を生み出す力は持っているという事になるじゃないですか?」
奥野さんは、なるほどという顔をした。
確かに、年商20億円という事は、スタッフ達がお客様に20億円相当のサービスを提供している事になる。単なる物販と違って、メガネは視力測定やレンズ加工といった、人が生み出す「付加価値」の部分が大きい。SPAの場合、粗利率は60%から
70%にも達すると言われている。仮に、粗利率が70%なら実に14億もの価値を、現在のオンデーズのスタッフ達は産み出している事になる。そう考えれば確かに返済できない借金ではない。奥野さんは、頭の中でそう考え直していたのかもしれない。
少し勢いのついてきた僕は、奥野さんを徹底的に説得すべく、畳み掛けるように話し続けた。
「年商20億という事は、10年間なら200億。200億に対して14億なんてたったの7%に過ぎないじゃないですか?たった7%の借金にビビッて、10年で200億の価値を生み出す可能性のある会社を、むざむざ潰してしまうなんて、あり得ないでしょ?」
「まあ、確かに一理ありますね。でも、今の経営陣はその『毎年20億の価値を創り出す会社』をたったの3,000万足らずで
売ろうとしているじゃないですか?恐らくは、14億の負債以上の何か大きな問題を抱えていると考える方が普通ですよ」
僕の決意を試すかのように奥野さんは不安を煽った。
正確には不安なんかではなく、この予感は、その後まさしく的中し、買収直後から僕らを何度も地獄の釜の入り口まで追いやることになるのだが・・。
「とにかく、奥野さんに何と言われようが、俺はオンデーズ買収に名乗りを上げることにしますよ。だから、奥野さん、これからは俺がオンデーズを買収するために、汗を流してくださいね(笑)。そして買収が成功した暁には一緒に再生に入りましょうよ!」
「え?」
僕は半ば押し切るように話をまとめた。この唐突な申し出に、奥野さんは目を白黒させ、言葉の意味が飲み込めない様子でいた。
「オンデーズの買収と再生にはオンデーズの内容を熟知していて、且つメインバンク不在、11行もある銀行団と粘り強く交渉出来るCFOが、絶対に必要じゃないですか?今、その適任者は奥野さんしかいないわけで。だから、奥野さんには買収後には、そのままオンデーズに一緒に入ってもらって財務と銀行交渉を担当してもらいたいんですよね。宜しくお願いしますよ。考えといてくださいね!」
投資コンサルタントとして、客観的にオンデーズを調査していた自分が、いつの間にか買収劇の当事者になろうとしている。それが嫌なら、僕の申し出を即座に断れば良いのだが、奥野さんは断ろうとしないでいた。
それが、奥野さん自身も不思議でならないようだった。
何か逃れられない運命の糸に手繰られるように、激しい嵐の真っただ中に引き込まれていくような感覚に、奥野さんも包まれていたのかもしれない。
僕は奥野さんからの返事を待たず、最後は一方的に要望だけを伝えて、コートのポケットにテーブルの上のタバコの箱を押し
込みながら、さっさと店を出て行き、この日のミーティングは終了した。
2ヶ月後。
僕は周囲への宣言通りオンデーズを買収した。
某外資系の金融機関もオンデーズの買収に一応名乗りを上げていたが、やはり決算の内容があまりに酷い為、具体的な再生計画が描けずに最後には自ら降りてしまい、最終的に手を挙げていたのが僕一人だけになり、僕が個人で3,000万の増資を引き受ける形でオンデーズの新株を取得して、発行済株式の70%以上を取得し、オンデーズの新しい筆頭株主となり、同時に自分で自分を社長に選任して代表取締役に就任した。
これを受けて奥野さんは、投資コンサルタント会社からの出向という形で、オンデーズに合流し、財務会計の責任者として、オンデーズの銀行交渉担当としての役割を担う事になる。
2008年2月末日。
今にも雪に変わりそうな雨がしとしと降る寒い夜。
六本木交差点にあるアマンドの2階の片隅で全国のオンデーズのスタッフ達は、まだ誰も知らないうちに、オンデーズの命運を預かる、新しい社長とCFOは、ひっそりと誕生した。
この時から100人が100人、「絶対に倒産する」と言い切っていた、僕たちオンデーズの快進撃は静かにその幕を開けることになったのである。
第2話 初出社
2008年3月1日
スティーブジョブズが遠くアメリカの地で再発明した新しくスマートな電話は、まだ日本では発売されておらず、二つ折りの携帯電話が相も変わらずパカパカと街の雑音を彩っていた。
東京都内では、1か月前の大雪が嘘のように晴れ渡り、気温はすでに20℃を突破し、季節外れの陽気に公園の陽だまりには、朝から猫の親子が昼寝をし、その鼻先を身軽な雀がピョンピョンと飛び跳ねて行く。
そんな穏やかな雰囲気とは対照的に、オンデーズの本社オフィスは、朝からかなり白けた、なんとも言えないどんよりとした重たい空気感が全てを飲み込むかのように支配していた。
池袋の南口を出て明治通り沿いに新宿方面へ向かい、5分ほど歩いたところにある、築数十年の古びた茶色いレンガで覆われた10階建ての小さな雑居ビル。その名も「ぬかりやビル」。
地下の居酒屋からは夕方になると、油の匂いが立ち込め、共用部分の電球は所々切れていて、薄暗く陰気な雰囲気が漂う、お世辞にも立派とは言えないこのビルの4階にある30坪程の小さなオフィスがオンデーズの本社オフィスだった。
このぬかりやビルの3階。本社の下の階にある貸し会議室ルノアールの一室で、オンデーズの社員たちには一切極秘のまま行われた株主総会で、増資手続を終え、代表権の交代を済ませた僕と奥野さんはRBSの小原専務と、当時オンデーズの総務部長であった甲賀龍哉(現海外担当取締役)に連れられてエレベーターに乗り、本社に初出社した。
突如入ってきた、見慣れない男たち。明らかにいつもとは様子の違う取締役たちの雰囲気に、社内に不安と緊張がはしる
(・・・・。誰だよ、あれ?)
(は?もしかして新社長って、この人が・・)
(若いな・・ロン毛で茶髪だ・・)
「皆さん、ちょっと仕事の手を止めてこっちに注目してください」
小原専務は本部社員たちに声をかけ、全員に注目するように促した。
全員の視線が僕に集まるのを確認すると、無事に(旧)経営陣となり重たい責任から解放された小原専務は、まるで憑き物が取れたかのように晴れやかな顔で「新社長」の僕を意気揚々と紹介した。
同時に新しく増資も行われて、この若い新社長はRBSサイドの雇われ社長ではなく、株式の大多数を所有する大株主でもあり、オーナーシップも同時に持ったことも説明をした。
しかし、なんの前触れもなく、いきなり「大株主で新社長」として紹介された30歳の若者を見て、この時に集められた20名程の本部社員達は一様に激しい落胆を感じていたようだった。
会社の売却が検討されているという噂はなんとなく漏れ伝わっており、更にここ半年間の旧経営陣の様子からも、本部社員達は会社の大幅な体制転換が行われる可能性を少なからず察してはいたのだろう。
しかし、あまりにも負債が大きく、事業内容も酷いため、ファンドや商社、ベンチャーキャピタルなど、いくつもの企業から支援を断られ続けているらしいという話も、まことしやかに噂されていた。
そんな中、買収に名乗りを上げる人物が突如現れ、新社長としてやって来るという。本部スタッフ達は少なからず「立派な経営者」、もしくは「大企業のエリート担当者」みたいな、所謂「経営のプロ」っぽい人の颯爽とした登場を予想して、少しは期待に胸を膨らませていたのかもしれない。
ところが、そんな彼らの目の前に現れた人物は、想像とは真逆の黒いジャケットに破れたデニム。スニーカーに金髪に近い茶髪のロン毛。
自分で言うのもなんだが、六本木によくいる遊び人風のチャラさだ。
年齢もようやく30歳になったかどうかという感じで、この時居合わせた本部社員の面々が、社長どころか社会人としても、僕と一緒に働く事に首を捻りたくなったのも無理はないだろう。
(うわぁ、終わったわ、うちの会社・・・。)
本部社員達は一様にそんな表情で、絶望というか、落胆というか、とにかく激しく失望した表情で力なく僕を見つめていた。まあでも、どうせそんな風に反応されるんだろうなというのは、買収を決めてから何回も初出社のシーンをイメージしては想像していたので、僕の方は本部スタッフ達の、そんな冷ややかな反応にもやっぱりこんな感じかぁ程度にしか感じておらず、想定の範囲内といったところで、特に落胆はしていなかった。
しかし、僕はこの時、皆んながこれから先のオンデーズに、できる限りの希望を持てるように、自分なりの「救世主・ヒーロー像」みたいな立ち居振る舞いをイメージして、目一杯に明るく爽やかに元気よく挨拶をした・・・つもりでいたのだが、先日、この当時の様子を商品部の奥田和宏に聞いたら「めっちゃ嫌な奴そうな感じで、超ダルそうに上から目線で話してましたよ(笑)」と言われた。
とても心外だが、自分の記憶と他人の記憶の差は、時が経てば経つほど乖離が生じるものだ。
「えー皆さん、初めまして。田中修治と申します。この度、縁あってオンデーズの新しい社長として、この会社の経営をさせて頂く事になりました。正直、現時点の僕はメガネに関しては素人同然です。また、オンデーズについても知らないことだらけです。だけど、この会社を必ず大きく成長させて日本一、いや世界一のメガネチェーン店にしていきますので、皆さん、一緒に力を合わせて頑張っていきましょう!宜しくお願いします!!」
確か、これ以外にも今回の買収に至った簡単な経緯や、会社が絶望的な状況になりつつあること、それを踏まえてのこれからの再生計画、ビジョンとか、もう少し話をしたと思うけど、正直あまりよく覚えていない。
とにかく自分では出来るだけ爽やかに、初めて会う社員の皆に好印象を持ってもらえるように、そしてこれからの未来に明るい希望をイメージさせるべく、頑張って明るく話したと思う。
挨拶が終わり、軽く頭を下げた僕に、少し遅れてパラパラと、乾いたまばらな拍手がおくられた。僕に対する激しい落胆、不服の気持ちを表している事は明らかだった。
古参社員と思われる中年の管理職の中には、口をへの字に結び、腕を組み、拍手もせずに、あからさまに軽蔑の視線を投げかける者も何人か居た。
事前に旧経営陣から買収話を聞かされていた甲賀さんは、総務部長という立場で、買収交渉の期間中ずっと、僕らと旧経営陣との繋ぎ役を担当しており、事前に資料のやりとりや情報交換などで度々顔を合わせていた。
もちろんそれらの動きは社内ではトップシークレット扱いで、いわばスパイのような仕事を半年間ほどやらされていたわけだ。
この新社長就任の日の朝、甲賀さんだけが、これまでのプレッシャーから解放された喜びなのか、妙に明るく晴れやかな表情で、一人だけ大きな拍手を僕に向けて力強く贈ってくれていたことだけは今でも鮮明に覚えている。
就任の挨拶がひとしきり終わったあと、パラパラと各自が席に戻っていく。
僕に声をかけてくる者は一人もいない。
静まり返った薄暗いオフィスには、明治通りを凱旋する出会い系サイトの宣伝カーから流れてくる、能天気な音楽とアナウンスの音だけが虚しく響き渡っていた。
こうして僕のオンデーズライフは決して誰かに祝福されることも応援されることもなくひっそりと始まったのである。
一方、僕と共に、オンデーズに乗り込むことになった奥野さんだったが、奥野さんもまた、着任早々本格的にその実態を目の当たりにして言葉を失っていた。
財務内容は危機的状況であるにもかかわらず、旧経営陣は代表取締役交代の手続きが済んだ後は「我関せず」という態度を決め込んでいた。早速、最初の月末には1千万の資金ショートが確実に迫っているというのに、銀行交渉はいまだ手つかずのまま放置されていた。
さらに財務経理のスタッフは石塚忠則と大里綾の2人しかおらず、共に入社してまだ1年足らず。 財務部長には、RBSから出向していた元銀行員の村田がいて、対銀行折衝を一応は行っていたが、彼は2週間だけ引継ぎした後、RBSへ戻っていくことが決まっていた。
村田の抜けた後、入社1年目で小さな会計事務所出身の石塚忠則だけで、ハードな銀行交渉など望むべくもない。
残されることが決まった財務経理のスタッフ達は成す術を知らず、突然、餌を運ぶことを放棄した親鳥に見放された雛鳥のようであった。
(このままでは再生に腕を振るうどころか、当月にもすぐに倒産してしまうではないか・・)
奥野さんは、売却したらそれで「はい終わり」とばかりの、旧経営陣の無関心さに無性に腹を立て、やり場の無い怒りを感じつつも(それが企業を買収して経営権を譲り受けるということか・・)と、厳しいビジネスの現実を改めて実感していた。
そして、膨大な資料の整理と、先の全く見えない資金繰り、11行に及ぶ銀行とのリスケ交渉、これら全てに自分一人で立ち向かわなくてはいけないという地獄のような現実に、激しい目眩と、吐きそうな程のプレッシャーで押し潰されそうになっていた。
さらに、追い打ちをかけるように奥野さんを酷く落胆させたのは、奥野さん自身が籍を置いていて、僕と一緒に買収交渉に携わっていた、ベンチャー投資コンサルタント会社の若手社長だった。
その社長も当初はオンデーズの取締役として経営に参画する予定だった。
しかし買収後、オンデーズでの打合せの後に急に翻意し、帰社してから奥野さんにこう告げてきた。
「やっぱり自分は役員では入らない。若い連中(田中とその仲間達)が脳天気に盛り上がっているのを見ていて、凄く不安を感じた。あの会社はきっとうまく行かないと思う。代わりに奥野さんが財務のヘルプで行ってきてくれ」
この社長は、オンデーズの詳しい経営状況を知るやいなや、その約束をあっさりと翻して、自分はこのプロジェクトからさっさと離れていってしまったのである。
しかも「とにかくオンデーズには力を入れることなく、適当にやっておいてほしい。たかが眼鏡屋のちっぽけなマーケット。我々はもっとビッグになる」とまで言いだしていた。
買収までは、一緒に熱くなって夢を語っていたクセに、影ではこんな風に言い、オンデーズの悲惨な実態を知ってしまった自分に対し「あとは適当にやっておけ」とは・・。
(これじゃあ、まるで線路に転落した子供を見ても、適当に助けるそぶりでもしていろ、と言われたのと同じじゃないか)
奥野さんは激しく失望し、それから数日後には、半ば衝動的にその投資コンサルタント会社の社長に辞表を突きつけていた。
「辞めてオンデーズに行くだなんて・・、面白そうだからと簡単に移られたら困るよ」
「そんな理由じゃない。あなたが信用できなくなったからだ。」
イラつきながらそう言い切ると、奥野さんは辞表をバン!と叩きつけて、踵を返して会社を後にしてきたらしい。
初出社から2週間ほど経った日の夕暮れ時。
ビルの外にある非常階段の踊り場に設けられた喫煙所。
手すりのすぐ隣にある排気ダクトからは焼き魚の匂いが立ち込めてくる。
薄暗く肌寒い空の下で、一人タバコをふかしていた僕のところに、奥野さんはふらりとやってきた。
「ちょっといいですか?」
「お、タバコ吸わないのに珍しいね」
「会社、さっき辞めてきました」
「マジで?(笑)」
「こうなったら、もう私も最後まで付き合いますよ(笑)」
「はは。じゃあよろしくね」
僕は、まるで居酒屋の予約でも頼むかのように、ヘラヘラと軽いテンションで返した。奥野さんも僕の返事を確認すると「じゃあ」といって、社員たちの帰った薄暗いオフィスの片隅にある自分のデスクへと帰っていった。
きっと奥野さんも僕も「こんなの大した事じゃないさ」とばかりに、軽薄に振舞って、軽く考えるようにでもしていないと、自分たちが勢いで突っ込んできてしまった事の重大さとプレッシャーにすぐにでも押し潰されてしまいそうで怖かったのだと思う。
こうして奥野さんは、ベンチャー投資会社からの出向という形から、オンデーズの常勤取締役 財務担当として自分から名乗りをあげ、正式に新たなC.F.Oとして就任することになった。
しかし、この直後。僕と奥野さんは11行にも及ぶ取引銀行団とのリスケ交渉で、最初から想像もしていなかったほど、厳しい現実と大きな試練を迎えることになる。
● 続きが気になる第3話はコチラから → 『倒産秒読みのメガネ店「OWNDAYS」はなぜ再生することができたのか?』
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