7月13日はお月様の「新月」の日。しかも今回は「日食」とも重なっているそうですが、そんな新月は「新しい事」を始めるタイミングとしてベストな日なのだとか。それは一体なぜなのか? TVプロデューサーとして「からくりTV」「金スマ」などを企画制作したバラエティプロデューサーの角田陽一郎さんは、自身のメルマガ『角田陽一郎のメルマガDIVERSE』の中で、そのきっかけを公開していますが、その理由は思わず納得してしまうものでした。
新しいことをはじめること
今日は蟹座の新月。はじまりの日。はじまってないことを、はじめよう。はじめられないことも、はじめてみよう。はじまりは、何回はじめたっていいのだ 。
バラエティプロデューサーの角田陽一郎です。
僕のメルマガ第2回目の配信は7月13日蟹座の新月です。このメルマガは満月と新月に発行されますが、この新月というのは、何かをはじめる日、あるいは何かがはじまる日です。そして今回は日食と重なっているそうで、日食の新月は、特に大きなはじまりのタイミングだそうです。
なんでか?
いや、これ最初に書いちゃうと元も子もないのですが、何年か前にたまたま目にした、ある占星術師さんのブログで、そんなことが書かれていたからです。
新月は、ちょうど月が地球自身の影に隠れて、地球から見えなくなっているタイミング。そしてこの日から徐々に月は満ちていきます。その新月から満月までの上弦の2週間は、何か僕たちが行動を起こすことに積極的にコミットすると良いのだ、と書いてあったのです。
そして逆に満月から新月の下弦の時ははむしろ積極的に行動するより、その積極的に活動して来た2週間の成果を受けとる期間だそうなのです。
最初にその記事を読んだ時、「へー」と思いました。
特に信じるでもなく、別に信じないでもなく、ただそんな考え方があるんだ、と思っただけです。
僕は占いを信じているかいないかといえば、別にはっきりと信じているわけではありません。でも昔からテレビの占いや、雑誌の占いを、よく気にして見ていました。ちなみに思春期のころよく気にしていたのは、毎号買っていた雑誌「ぴあ」の占いでした。
実際、僕は獅子座ですが、その獅子座の占いなんて、日々、あるいは今週の、または今月の、なんて具合に気にしちゃえば、あらゆる運勢が日々の暮らしの中で、僕らには否が応でも目に入って来ます。そしていいことが言われている時もあれば、よくないことも言われていたり、またはラッキーアイテムだったり、ラッキーカラーだったり、まあいろんな占い情報が大量に襲って来ます。
そんなふうに占い過多な僕らの日常の中で、いったいどの占いを信じればいいんだ?・・・そんなことを一度でも思ったことはみなさんだってありませんか? 僕も子供の頃から、そんなことを常々思っていました。
つまり占いは気にしちゃってつい見てしまうものの、あの占いとこの占いは矛盾したこと言ってるじゃん、どっちを信じればいいんだよ、って思ってたわけです。でもこれも、ある時、僕はこう考えるようになったのです。
占いなんて、いろんな人がいろんなことを言うわけだから、そのこと自体にはあまり意味がないのではないか?
一方で、でも僕らはその占いのご託宣と、少なくとも人生のあるタイミングの中でたまたま出会ってしまったわけです。
つまり、そのある占いのあるご託宣にある人生の瞬間に出会ってしまった僕らのタイミングというものには、何かしら意味があるのではないか?
つまり、獅子座の運勢なんていう決まったものがあるのではなく、獅子座の僕の、その人生のその瞬間に出会った、その時に読んだ獅子座の運勢のご託宣を、僕自身が、その時、どう感じ、どう自分の人生に当てはめてみるのか? そのご託宣をどう自分の人生にフィードバックするか?
人生なんて、その瞬間瞬間の連続なんじゃないかって気づいたのです。
それ以来、僕はたまたま出会った占いを闇雲に信じるというよりは、その占いのご託宣が、今日この瞬間に僕の前に現れた意味というものを、その意味だけを気にするようになりました。
例えば雑誌ぴあは思春期のころたまたま毎号買っていたので、僕がぴあを毎号買っているからこそ、その占いにたまたま出会うという事実、そしてその号のぴあの占いページの、今週の獅子座の占いに、たまたまある運勢が書かれているという事実、そして僕が、そのページを開いた瞬間に、僕がたまたま目に触れてしまったという事実、その事実が織りなす偶然の必然が、僕へのご忠告だと思うようになったのです。そのご忠告と出会ったのは、ほんのたまたま、そのたまたまが重なって偶然出会ったのに過ぎないのですが、そのたまたまが重なって、僕のところにその占いがやってきたことは事実だし、むしろその瞬間に現れたのは、僕の人生にとって必然だったのでは無いだろうか?
「偶然に起こったことは偶然だけど、それが起こったという意味では必然である」
そう思うようになったのでした。
……ここまで書いて、みなさんに僕のこのスタンスがこの文章でうまく伝わるかわかりませんが、つまりいいことが書いてあっても、よくないことが書いてあっても、「あまり信じない」というわけでもなく、「めちゃくちゃ信じる」というわけでもなく、「ただ受け入れる」という風に生きるようになったのです。
そしてそれは星占いだけでなく、おみくじを引いてもそうですし、さらにいえば、人生のほとんどのこと、何かが起こったり、何かが起こらなかったり、誰かと出会ったり、誰かと別れたり、ってことが日々ありますが、それがその瞬間に自分の人生の中で生じたということに、その生じたということ自体に意味を見出すようになったのです。
例えば、最近仕事が順調で、そんな日々の中で、ある人と出会ったりします。
その出会いは、この仕事が順調なこととなんか意味があるのだろうか?
それともこの出会いが、
その仕事を発展させるのか?
これから停滞させるのか?
そのきっかけになるのか?
……そういうふうに、僕は自分の人生にやってくる様々な“出来事”を、“人生のきっかけ”と捉えています。
人はある瞬間瞬間に、何かを選択しなければなりません。
無数の分岐点が人生の中にあります。
そしてその分岐点でAを選んでしまったけど、Bを選んどけばよかったなあ、と感じてみたり、Aを選んどいて正解だった、と過去を振り返ったりします。
一方で、これからの未来にむけて、どっちを選んだ方がいいのか?
そんな選択の難しさが、実は人生の悩みの大部分だったりします。
その選択の瞬間に、僕らは、
Aを選ぶべきなのでしょうか?
Bを選ぶべきなのでしょうか?
その答えはあるのでしょうか?
あるいは、そのベストな解決方法があるのでしょうか?
僕はその答えは「無い」と思うのです。
だってAを選んだ瞬間に、世界はあなたがAを選んだ世界として動き始めるからです。
あなた自身の感情だって、Aを選んだという事実に引っ張られます。
つまりAを選んだことを後悔してネガティブな気持ちで“Aの世界”を進むのと、Aを選んだことを正しいことだと捉えてポジティブに“Aの世界”を進むのとでは、もう同じ“Aの世界”では無いからです。
ということは、つまりあなたがその瞬間、Aを選んで“Aの世界”を進もうが、Bを選んで“Bの世界”を進もうが、実は大差が無いのではないでしょうか?
大事なことは、そのAを選んだこと、あるいはBを選ばなかったことを、ポジティブに捉えること自体なのではないでしょうか?
そういう意味で、その人生のその瞬間に出会った、占いしかり、人間しかり、モノコトしかり、その事実の内容自体がよく無いことか悪いことかはひとまず置いといて、その出会ってしまったという事実を、前向きに捉えるということが、一番一番大切なんだと思うのです。
例えばサッカーワールドカップの日本代表でいうなら、その試合に負けたということ自体を不運と捉え、嘆き悲しむのではなく、その人たちの人生にとって(あるいはそれをテレビで見ていた僕らの人生にとっても)、その瞬間負けを体験したことを、人生の価値と捉えるという生き方です。
この生き方がはたして正しいか? それは僕にもわかりません。
でもそう生きてきて、というかそう生き続けてきて、今の僕は少なくとも好きなことだけやって生きています。
好きなことだけやって、(とりあえず)生きていけてます。
僕は新月は、何かをはじめるタイミングだと、あらためて思います。
それは、最初は誰かのブログをたまたま読んだことがほんのささいな“きっかけ”だったに過ぎません。
でもそれ以来、毎月僕は、新月が来るたびに、気持ちを清々しく切り替えて、新しいことをはじめてみようと思うように過ごしています。
いいことも悪いことも、楽しいことも嫌なことも、大事なこともくだらないことも、それこそ日々起こりますが、それ自体を何かの“きっかけ”だと思って、僕は日々過ごしています。
何か“きっかけ”があれば、少なくとも僕らは何かをはじめることができるのです。
そして新しいことをはじめてみれば、それは少なくとも新しいわけですから、まだ失敗していません。いままで失敗したことがあったとしても、そのこと自体をうっちゃって、まだどうなるかわからない新しいことを、これから清々しい気持ちではじめてみることができるのです。
ならば、その新しいことがはじまる“きっかけ”が僕らの人生にあることの方が、全然無い日常より、はるかに人生を楽しく過ごせる“きっかけ”になるのではないでしょうか?
そんな“きっかけ”が、まあ毎日新しいことをはじめるのはなかなか面倒ですが(笑)、そう、ちょうど月一回くらいやって来るのは、ちょうどよくないですか?
そのツキイチの何かを新しくはじめるのにうってつけのちょうどよい“きっかけ”、それが新月なのです。
そして、この文章を今たまたま読んでいるあなたは、幸か不幸か、この文章と今この瞬間に偶然出会ってしまったことは事実なのです。あなたの必然なのです。
ならば、新しいことをはじめてみませんか?
ほんの“ささいなこと”でいいのかもしれません。
いやむしろ、“ささいなこと”がささいなきっかけこそが、人生を変えていくのです。
そしてそのささいな新しいことをはじめてみようとあなたが思ったという事実が、その後のあなたの人生の新しい世界を作るのです。
この僕の文章とみなさんとの出会いが、みなさんの人生を変える“ささいなきっかけ”になってくだされば、そんな嬉しいことはありません。
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