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中国を笑えるのか。静かに、しかし確実に監視社会化するニッポン

今や全世界が知るところとなっている、街頭カメラを駆使した中国の監視社会化。共産党一党支配と併せて日本や米国では否定的に報じられていますが、果たしてその報道は正しいと言えるのでしょうか。ジャーナリストの高野孟さんは今回、自身のメルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』で、中国監視社会の「別の一面」を記した書籍の内容を紹介しつつ、現在日本でなされているマイナストーンの記事や報道を、「控えめに言ってもミスリーディング」と切り捨てています。

※本記事は有料メルマガ『高野孟のTHE JOURNAL』2019年10月21日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

プロフィール高野孟たかのはじめ
1944年東京生まれ。1968年早稲田大学文学部西洋哲学科卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。同時に内外政経ニュースレター『インサイダー』の創刊に参加。80年に(株)インサイダーを設立し、代表取締役兼編集長に就任。2002年に早稲田大学客員教授に就任。08年に《THE JOURNAL》に改名し、論説主幹に就任。現在は千葉県鴨川市に在住しながら、半農半ジャーナリストとしてとして活動中。

偏見のレンズこしに中国を見るのはもう止めにしよう――梶谷懐・高口康太『幸福な監視国家・中国』を読む

前号で、日本経済新聞の編集委員が何のためらいもなく「民主主義国家ではない共産党一党支配の中国と表現し米国や日本を脅かす深刻な体制間競争の相手であると規定していることを紹介した。「共産党一党独裁なのだから民主主義国でないに決まっているだろう」と言わんばかりの勢いだが、その独裁国=中国の習近平主席がモデルにしているのはシンガポールだと言われている。

さて、ここで質問ですが、シンガポールは民主主義国なのかそうでないのか。周知のようにこの国では、与党=人民行動党がかつては国会の全議席を独占していたが、80年代以降は野党が1~数議席を占めるようになり、現在は89議席中6議席を野党に譲っているものの、事実上の一党独裁である。政府への不満や民族対立を煽る言論・表現は禁止で刑事罰の対象となり、結社の自由も集会の自由もない。そうであるにもかかわらず、ではなくて、そうであるからこそ高度経済成長を続ける典型的な開発独裁体制である。中国も、たぶん今では共産主義の理想を追っているのではなく、改革・開放以来、共産党という統制のとれた巨大組織を開発独裁の手段に転用して市場的社会主義の実験に活用しているのだと捉えるべきである。

あるいはロシアはどうなのか。一応自由な選挙が行われ、国会には4つの政党が議席を得ているが、プーチン大統領の強力な独裁の下にある。これは「民主主義国」側なのか「非民主・独裁体制」の側なのか。そもそも、複数政党制であれば民主主義国とみなされるというのは本当なのか。逆に、一党独裁でもそれなりの民主主義が実現するということもあるのではないか。

ちょっと一拍置いてこういうことを思い巡らせてみることをしないで、鬼の首でもとったかに「民主主義国家ではない共産党一党支配の中国」と隣国を敵扱いするのは、20世紀の冷戦思想の後遺症以外の何物でもない。

オーウェル『1984年』の世界?

中国で爆発的に進展するネット社会化、それと裏腹の監視社会化についての議論も似たようなところがあり、共産党独裁の下だから暗い統制社会になって当たり前と言った単純な捉え方が横行している。これがまずいのは、1つには、日本でも中国ほどではないが監視カメラがどんどん増えていてそこには中国とも共通する問題をいろいろ抱えているというのに、中国を笑ったり恐れたりするばかりで、自分も似たような問題に遅れて直面しつつあることに気が付かない。2つには、そうこうするうちに中国の方がますます速度を上げてネット社会化を前進させその陰の部分もどんどん解決して行ってしまうことになりかねない。そのことを警告したのが、梶谷懐・高口康太の『幸福な監視国家・中国』(NHK 出版新書、19年8月刊)である。

彼らが第1章の冒頭で言うように、日本では中国を悪しき「監視社会」の実例としてネガティブなトーンで紹介されることがほとんど。

中国には国民を監視する巨大システムがあり、交通違反からソーシャルメディアでの体制批判まで監視している。違反者には航空券や鉄道の利用禁止などの社会的制裁が与えられ、すでに2,000万人が対象となっている……。こういった記述を読んで、「やっぱり共産主義の独裁国家は怖い」「ジョージ・オーウェルの『1984年』のまんまじゃないか」と感じた読者は少なくないことでしょう。このように現代中国の監視社会化に警鐘を鳴らす報道や記事の多くは、基本的にそれが人々の自由な活動や言論を脅かす「ディストピア化」であることを強調し、その背景に共産党の一党独裁体制、特に強権的な姿勢が目立つ習近平政権による言論弾圧を重ね合わせた悲観的なトーンで書かれています。

こうした間違いだらけ控えめに言ってもミスリーディングな報道や記事ばかりである。例えば、共産党独裁だからすべての個人情報が国家によって一元的に「集中管理」されているに決まっているというのは、トランプ米大統領も含めた西側世界の根拠のない思い込みで、ネット化やIT化の世界最先端を走っているのはアリババ、テンセントをはじめとする民間企業であって、そのすべてを共産党が取り仕切っているというものではない。中国の国民もテクノロジーへの信頼に支えられた一種の「ユーフォリア(多幸感)」を持ち始めていて、そんなことを言うとすぐに「洗脳されているからだ」という反論が返って来そうだが、調査会社イプソスの各国国民の「懸念」についての2019年の調査では「自国の進んでいる方向性」について28カ国中で最も自信を持っているのは中国で、何と94%の回答者が自国が正しい方向に向かっていると思っている。また米調査会社エデルマンの27カ国3万3,000人に対する調査で、「テクノロジーを信頼するかどうか」の問いに「信頼すると答えたのは中国で91%に達し、27カ国中で第1位だった。

これを2人の著者は、こう解釈する。

独裁者による意図を持った市民の監視などは、現代のビッグデータとその解析をベースにしたテクノロジーの下ではそもそも現実的ではない。強いて言うなら市民を監視する主体は特定の人間ではなくAI、あるいはそれを動かしているアルゴリズムそのものである、だからこそわれわれにとって(共産党による)恣意的な人々の「監視」よりも、デジタルな監視技術のほうが信頼できるのだ――その背景にある「思想」を筆者なりに「忖度」すると、こんな感じになるのではないでしょうか。

2つの「民主化」が交錯する

このあと同書は、ネット社会と監視という問題を実にさまざまな角度から丁寧に検討していて、その強靭な議論のすべてがおもしろい。が、そのいちいちをここで紹介することは出来ないので、関心ある方は本書を手にとっていただきたい。1点だけ私が強く関心を持った個所を取り上げておくと、「市民社会と公益・公共性をめぐる議論に関連して、次のように述べていることである。

これまで中国社会の近代化を論じる際は、近代西洋において成立した「法の支配」や普遍的人権、民主主義といった「普遍的な価値」をものさしとして、その中国における不在や困難性を指摘するのが一般的でした。
(P.140)

しかし、習近平政権の「反腐敗キャンペーン」に見るように、私的利益のみを追求する人々を「高い徳を持った統治者」がどう正しく導いていくかという問題意識は、西洋の公権力と社会との関係とは一致しない。とすると、中国には2つの民主化がある

欧米近代思想に起源を持つ、政治的権利の平等と権力の分散化を意味する民主化(「民主I 」)の要求と、中国の伝統思想に起源を持つ、経済的平等化とパターナリスティックな独裁権力によるその実現を意味する民主化(「民主II」)の要求が存在した。この後者は「民意」を伝統的な「天理」あるいは「天下」といった概念で読み替えることによって得られる、いわば中国独自の「民主」理解によって支えられてきた。経済面での平等化すなわち富の再配分を行うには大きな国家権力による介入が必要で、そのためには国家権力を制限するのでなく、むしろパターナリズムを容認し、強化させるほうに働きがちとなる。「慈悲深い指導者への直訴」という形をとってそれを実現しようとするのがその象徴である。
(P.162~165)。

分かり易く言えば「大岡裁き水戸黄門の印籠」のような形で悪代官が懲らしめられたりするのもまた東洋の伝統的民主主義なのである。そういうことを考えて見ようともせずに、「共産党一党支配だから民主主義でないに決まっている」などという幼稚な西洋かぶれの偏見で中国を語るようなのが日経の編集委員になれるというこの国がおかしいのである。

【余談】

街頭の監視カメラは、日本ではまだ控え目というか、できるだけ目立たないように設置されているが、中国ではこれ見よがしに角角で睨みを利かせていて、確かにそれを見ると「監視国家」の重圧を感じないではいられない。しかしそれも、少なくとも地上の分は恐らく数年中に消え去って宇宙偵察衛星からの監視に置き換わるだろう。多分それを世界に先駆けて実現するのは米国でなく中国ではないか。

現在の偵察衛星は、地上のコーヒーカップ程度の大きさのものを識別できるところまで精度というか解像度を高めつつあるが、そうなると街角にカメラを乱立させなくても宇宙から各個人の動きを監視することができるようになる。衛星はこちらからは見えないので、各個人はますます監視されることに慣れ、そのことを意識さえしなくなり、自分の画像を誰が管理しているのかを考えようともしなくなる。このことについて至急、国際的な議論を起こすべきだと、考古学者でグローバルエクスプローラー財団の代表であるサラー・パーカクが17日付ニューヨーク・タイムズに意見を寄せている。

image by: Davi Costa / Shutterstock.com

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早稲田大学文学部卒。通信社、広告会社勤務の後、1975年からフリー・ジャーナリストに。現在は半農半ジャーナリストとしてとして活動中。メルマガを読めば日本の置かれている立場が一目瞭然、今なすべきことが見えてくる。

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