返還から25年を迎えた香港。しかし、アジアを代表する金融として発展したかつての面影は薄くなり、中国からの干渉は年々強くなってきています。そこで、今回のメルマガ『ジャーナリスト嶌信彦「虫の目、鳥の目、歴史の目」』では、著者の嶌信彦さんは香港の将来はどうなっていくのかを予想。今後どのように香港は変わっていくのでしょうか。
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中国は香港の将来をどうみているのか
香港の返還25周年の記念式典が7月1日に行われ、習近平国家主席は「愛国者による香港統治を実現し、香港に繁栄と安定をもたらした」と自賛した。
香港の憲法にあたる香港基本法は「一国二制度を変換から50年間は維持する」と明記し、今年は折り返しの25年目に当たったが、習指導部は香港国家安全基本法(国安法)や親中派だけが立候補できる選挙制度を導入、民主派の取り締まりを強化しており、民主派の市民からは「香港は死んだ」と反発されていた。
習近平氏は6月30日、高速鉄道で香港に行き「香港の同胞の皆さんにお祝いを言いたい」と演説し、香港統治の実現を誇った。習近平政権は18年までは「香港独立」を主張する団体の集会も認めていた。
しかし19年に200万人が参加する大規模デモが行われると中国本土への波及を警戒し、習政権は20年から国家安全維持法(国安法)を制定し選挙制度を改変して民主派の選挙参加を締め出した。
以来、政府に反対する者は次々と逮捕され、「りんご日報」など反中国派メディアも廃刊に追い込まれた。
民主派団体は次々に解散に追い込まれ、多くの主導的活動家は逮捕、収監された。いまや普通選挙を実施すると明記されていた香港基本法も、民主派が事実上選挙に立候補できない制度に変えられてしまった。
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香港は1997年にイギリスが中国に返還した後、しばらくは自由な都市であり、金融都市としてアジアで中心的な役割を果たしていた。2003年には香港の国家安全条例案に反対する約200万人の大規模デモも行なわれた。
しかし習近平氏が12年に中国共産党書記に就任すると、中国本土への波及を恐れて香港独立を主張する勢力に警告し始め、20年に「国安法」を施行、21年には香港の選挙制度を改変し、民主派を事実上排除したのだ。
香港はアジアの金融都市として飛躍的に発展。西側の自由主義社会への窓口として中国にも大きな役割を果たしていた。
だが香港の民主派を野放しにすることに脅威を感じた習政権は香港特別行政区行政長官に警察出身の李家超氏を事実上指名。強硬派として香港を統治する方針を示している。
香港の統治が大きく変わりつつある中で、これまで香港で活躍していた香港実業家たちは次々と香港を出国。イギリス、カナダ、オーストラリア、シンガポールなどに居を移し始めている。
このため、今後はアジアの金融都市として中心的な存在だった香港の将来に希望が持てなくなったとする実業家、ビジネスマンも多い。
香港が金融都市としての役割を縮小してしまえば、中国本土にとっても大きな痛手になるはずで、香港を中国政府として今後どう位置付けてゆくかは、中国にとっても大きな課題となってこよう。
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